第千二百九十一話 彼女の中の少女
「不満……なのかね?」
ミドガルド=ウェハラムは、蓋が開かれた調整器を前にして、動きを止めてしまった魔晶人形を見つめながら、ふと思いついたことを口にした。
レコンドール奪還の夜のことだ。戦勝の宴は慎ましやかに開かれ、夜更けとともに終わった。マルディア救援軍の戦いはまだ終わってはいないのだ。勝利の余韻に浸っていられる時間は少ない。そも、局地的な勝利だ。第二別働隊の将兵も、勝利を喜びこそすれ、余韻に浸りきっているものはひとりとしていなかった。勝利のために払わなければならなかった犠牲が大きすぎたのも、緊張感を残している一因なのかもしれない。圧勝ではなかった。少なくとも、多大な損害を出しているのだ。ミドガルドが想像していた以上の激戦だったらしい。
もちろん、ミドガルドは戦いには参加していない。ただの技術者だ。戦闘に参加したところで足を引っ張るだけであり、運が悪ければ死ぬことだってありうる。そしてミドガルドは自分を幸運だと思ったことはなかった。それならば軍医たちとともに後方で戦勝報告を待っているほうがいいし、気も楽だった。ウルクを貸し出している以上、第二別働隊の勝利に疑いはなかった。
戦後は、彼の医者としての腕を見込まれ、負傷者の治療に借り出されることになったが、それも契約の範疇だ。彼は救援軍の要請を受け入れ、数多くの負傷者を見て回った。明日も、見て回ることになるだろう。夜を徹して医療行為に当たるのは、専門の軍医に任せておけばいい。
ミドガルドにそこまでしてやる義理はない。できる範囲で手伝えばいいのだ。そもそも、ウルクという強力無比な戦力を貸し出しているだけでも十分すぎるはずだった。
もっとも、ミドガルドがガンディアとの契約を結ばずとも、彼女はセツナの護衛のため救援軍に身を投じただろうし、レコンドールの戦いに参加しただろう。それがわかっているから、ミドガルドはガンディアとの契約に応じたのだ。
ウルクの精霊合金製の躯体は、レコンドールの激戦を経ても、傷ひとつついていなかった。特定周波の波光を浴びることで通常の何倍にも硬質化する特殊金属は、魔晶兵器最大の特徴といってもいい。魔晶兵器が強力極まりないのは、精霊合金の特性が防御の面でも攻撃の面でも、ほかの金属の追随を許さないからだ。もちろん、そんな強力無比な金属を用いた装甲の開発には時間と金と人手が必要だったし、現在でも簡単に製造できる代物ではない。精霊合金の特性を引き出すには、波光(魔晶石の光)を浴びせる必要があるのだが、それもただ波光を浴びせればいいわけではない。波光と精霊合金の波長があってはじめて特性を引き出すことができるのであり、魔晶石は、母体となる原石によって微妙に異なる波長の波光を発するため、魔晶石に合わせた精霊合金を創りださなければならないのだ。
つまり、ウルクの躯体を覆う精霊合金製の装甲は、ウルクの心核となる魔晶石の波光に合ったものであり、別の魔晶石の波光では強化特性を引き出すことができないのだ。
そういう難点があるからこその圧倒的な性能なのであり、魔晶人形の量産が困難な理由のひとつだった。
もっとも、魔晶人形の量産を可能にするためには、黒魔晶石の安定的な起動という最大の問題をなんとかしなければならないのだが。
「いえ、不満はありません。戦闘に波光大砲、連装式波光砲を使用しましたので、躯体に異常がないか、点検しなければなりません」
ウルクの返答によどみはない。いつものように無感情かつ無機的な声音。発声器官など取り付けた記憶もないが、起動とともに言葉を発していた彼女に疑問を差し挟む余地はなかった。自我の発生とともにウルクの躯体そのものに変化が起きたのだろう。どういう理由かは知らない。奇跡でも起きたとしかいいようのない事象だった。つまり、そこも解明しなければ、ウルクと同性能の魔晶人形を作り出すことは不可能だ。しかし、彼女の躯体をどれだけ点検しても、どうやって発声しているのかは不明だった。人間と同じように、口の中から声を発しているのはわかるのだが。
「では、なぜ調整器に入るのを躊躇っているのだね?」
ミドガルドは、調整器を見下ろしたまま、凍りついたように動かない魔晶人形を見つめながら、努めて優しく尋ねた。ウルクはこちらを一瞥して、小首を傾げる。自分でもなぜなのかわからないとでもいうように。
「こんな夜だ。セツナ伯サマの側で一夜を過ごしたいという君の気持ちもわからないではないがね」
「はい?」
「セツナ伯サマのためにも、躯体の状態を点検し、異常があれば修復しておいたほうがいいと思うよ。常に万全で完全な状態を保っていることで、セツナ伯サマはきっと喜んでくださるだろう。君も、セツナ伯サマに綺麗な自分の姿を見せたいだろう?」
「ミドガルド。いっている意味がわかりません」
ウルクはにべもなくいってきたものの、躊躇なく調整器に入ると、そのまま腰を下ろし、仰向けに寝た。
ミドガルドは、ウルクの中に確かに感情があるということを認めて、内心歓喜の中にいた。彼女は感情表現が拙いだけで、確かに心を持っているのだ。しかも、どうやら、女性的なものであるらしいことは、彼女の反応からも窺える。
「いい子だ」
「早く点検してください」
「任せ給え」
ウルクに急かされて、ミドガルドは苦笑とともに調整器の蓋を閉じた。
一見すると金属でできた棺桶のように見せるそれは、ミドガルドら魔晶技術者の叡智の結晶とでもいうべき代物であり、魔晶人形ウルクの運用に必要不可欠なものだった。魔晶人形が発する波光から躯体の内部に異常がないかを点検し、心核から流れ出る波光量の調整を行うことを主な機能としているのだが、これがなくては魔晶人形など怖くて運用できないに違いなかった。躯体内部に不具合があれば一発でわかるし、躯体内部の微調整に関してはミドガルド自身が腕を振るうことになる。が、ガンディアに到着して以来、ウルクの躯体内部に異常が見つかったことはなかった。むしろ健康そのものといっていいくらいのものであり、調整器による点検など不要ではないかと思うこともしばしばだった。もちろん、そんな理由で定期的な点検を行わなくなれば簡単に壊れて動かなくなるのが精密機械というものであり、魔晶人形というものだ。
小型端末に表示される数字を資料に書き込みながら、ミドガルドは、ウルクの中に少女がいるらしいということを思い出して、微笑んだ。
ウルクが無感情な存在ではないということを思い始めたのは、つい数カ月前のことだ。それまでは、彼女に感情らしい感情を見出すことができなかったこともあって、ただ自我が芽生えただけなのだと思い込んでいた。思い込みというのは恐ろしいもので、一度これと思い込んでしまうと、それ以外の可能性に一切目を向けなくなるのだ。技術者として、研究者としてあるまじきことなのだが、こと、ウルクのこととなると、仕方のないところもあった。そもそも、魔晶人形に自我が発生すること自体、ありえないことだったのだ。自我を得、みずからの意志で動き、言葉を発し、ミドガルドたち研究者と交流を図る。そんな機能を埋め込んだ記憶はない。研究者のだれひとりとして予期せぬ事態には、盛大に疑問が湧いたものの、ウルクとの交流による歓喜は、そういった疑問を打ち消すものだった。
しかし、ウルクと交流していた研究者のだれもが、彼女には感情がないと思い込んでいたし、その固定観念を否定するものはひとりとしていなかった。
魔晶人形のウルクには、当然のように表情がない。精霊合金製の躯体。顔も同じだ。瞼や口は動くのだが、そこに表情と呼べるものは生まれ得なかった。いつ見ても完成された美しさがあるだけであり、変化は起き得ないのだ。声も、一定だった。抑揚といったものがなく、無機的な声質もあって、感情が表現されることがなかった。
そういった一連のことから、だれもが彼女には感情がないのだと断定した。
だが、それは大きな思い違いであるということがここ数ヶ月の間に明らかになった。
セツナとの出会いが彼女の中の感情を呼び覚ましたのかもしれない。
きっと、そうだろう。
少なくとも、ウルクは、ミドガルドたちの前では見せないような姿をセツナの前では見せている。
ウルクがシーラの訓練に応じたとき、セツナに見られていることが原因で暴走し、波光砲を使ってしまったことがある。それが、ミドガルドがウルクに感情があるのではないかと思うようになった出来事であり、ミドガルドがセツナを前にした彼女の動向を注視するようになった原因だった。
ウルクは、セツナを主と認識している。
どういう理屈なのかはわからない。
ウルクの心核を動かすために必要な特定波光の持ち主だからなのではないか、とミドガルドは見ているのだが、それが正しいのかは不明だ。少なくとも、ウルクの口からは、そのようなことは一切語られていない。ただ、セツナを主と認識し、セツナの側にいて、セツナを護衛することが自分のすべてであるかのようにいうのだ。ミドガルドはわけもわからないまま、彼女の好きなようにさせていた。
自発的に行動し始めた子供を見守る親の心境なのかもしれない。
見守るうち、彼女に感情の片鱗が見えた。それが波光砲発射事件であり、彼女がなぜ、波光砲を発射してしまったのかは、躯体に記録されている情報から判明した。セツナに見られていることが原因で、躯体への波光の供給量が増大、処理しきれなくなった結果、波光砲を発射してしまったのだ。なぜ、セツナに見られているだけでそのようなことになったのか。
つい先程の出来事と照らしあわせてみれば、答えはひとつだ。
好意だ。
ウルクは、セツナに好意を抱いている。それも並々ならぬ好意であり、だからこそ、セツナに訓練を見られていることで興奮してしまったり、褒められただけで排熱しなければならなくなったりするのだ。
そして、セツナがレムに独り占めされているらしいことを不満に想い、調整器に入ることも躊躇ったのだろう。
まるで子供のようだが、彼女の自我が発生した時期を考えると、精神的に幼稚であったとしても、なんら不思議ではなかった。ミドガルドたちの育成もあって、表面上、立派に成長しているように見えなくはないのだが、心は子供のままなのかもしれない。
ミドガルドは、ウルクの躯体に異常がないことを確認しながら、彼女の中の少女が健やかに成長していくことを祈った。