第千二百九十話 黒き竜は夢を見るか
レコンドール奪還戦が見事マルディア救援軍の勝利に終わると、レコンドール市内は、救援軍の勝利を賞賛するひとびとによって賑わった。
レコンドールのひとびとが救援軍の勝利を心から喜び、祝うのは、やはり政府が国民に支持されていることの現れなのだろう。逆をいえば、反乱が支持されていないということであり、反乱軍の存在を忌み嫌い、国民の大半が反乱軍の鎮圧を望んでいるということでもあった。おかげで救援軍はどこにいっても受け入れられ、応援された。食料や物資の入手も簡単にできたし、反乱軍の早期鎮圧のために協力を惜しまないというひとの多さには、救援軍は感謝するほかなかった。
レコンドール奪還の詳細をセツナが知ったのは、戦後、レコンドールが落ち着いてからのことだった。
鉛色の雲が風に流れて消え失せ、茜色に染まった頃合い、ようやくセツナはレコンドールの市内に安息の場所を見つけることができている。
レコンドールは、レムと本隊の共同作業によって奪還することに成功した、ということだった。まず、レムが反乱軍レコンドール防衛部隊の指揮官と思しき武装召喚師を討ち、敵軍に動揺を与えたことが功を奏したという。そこへアスタル=ラナディース率いる第二別働隊本隊が突撃を仕掛け、敵軍を潰乱せしめたのだ。指揮官を失った軍勢を潰すのは難しいことではない――とはアスタル=ラナディースの言であり、東門防衛部隊との戦いのほうが骨が折れたというのが彼女の本音らしかった。
「レム殿の活躍もあって、レコンドール防衛部隊の戦意が著しく低下していたことが大きいのですよ。士気が低く、指揮官さえいない軍勢を蹴散らすのは、なんの問題もありません」
アスタル=ラナディースがそういったのは、報告会でのことだった。奪還後、救援軍第二別働隊はレコンドールの軍施設に入り、休憩もままならぬうちに情報をまとめるための報告会を開いた。報告会には、アスタル=ラナディース、アラン=ディフォン、サラン=キルクレイド、イルダ=オリオンに加え、セツナ、レム、ラグナ、シーラ、ウルク、エスク、ルクスが参加していた。
「だそうでございますよ、御主人様」
「へえ」
「へえ、ではございませぬ。わたくし、活躍したのでございますよ?」
「ほう」
「御主人様……」
「セツナよ、おぬし、先輩の扱いが悪いのではないか?」
「そうだぜ、セツナ様。レムの機転のおかげで救われた場面もあっただろ」
「わかってるよ」
セツナは、ラグナとシーラに左右からいわれて、憮然とした。
(いわれなくたってな)
シーラとウルクが市外に出てきたのは、レムの判断によるところだろうということは、セツナにも察することができた。市内に突入したあと、市外の様子を探ることができるのは、レムの“死神”をおいてほかにない。そして、セツナの命令を遂行することに全力を上げるシーラとウルクに別命を与えることができるのもまた、レムくらいのものだ。彼女の活躍、機転は身に沁みるほどに理解している。
彼女の機転がなければ危うかったのは、疑いようのない事実だ。
「わかっているのなら」
「あとでな」
「あとで……!」
なにやら弾んだ声を発したレムの反応に、セツナは、どうするべきか胸中頭を抱えなければならなかった。特になにも考えていないのだ。この場を収めるための方便、といえば聞こえは悪いが、要するにそういうことだった。
会議の場で、レムを褒め称えるのは、さすがに憚られるだろう。いまでさえ、微妙な空気に包まれているのだ。いくらセツナたちが特別扱いされているとはいえ、自由気ままにやりすぎるのは、問題だ。
「それにしても、まさかシクラヒムの反乱軍と騎士団が増援に駆けつけるとは思いもしませなんだな」
サランがくたびれたようにいったのは、ドレイク・ザン=エーテリア率いる騎士団部隊のことであり、ドレイクはほかに反乱軍の部隊も戦場に連れて来ていたようだった。反乱軍部隊が主戦場となったレコンドール南門付近には現れなかったのは、レノ隊を掃滅するべく動いていたからだ。レノ隊は壊滅。千五百人の軍団は半数以下の六百人にまで減少し、軍団長レノ=ギルバースも戦死した。
「レコンドールは反乱軍の重要拠点。想像してしかるべきことではありましたが、しかし、現実的ではないことでもあります。レコンドールのためとはいえ、シクラヒムを捨てるとは考えにくい」
「ま、未来の軍師様の読みが当たったってわけですな」
とは、エスク。エスクとルクスがセツナの戦場に乱入してきたことをいっているのだ。エスクとルクスは、本来、シールウェールを北上した先にあるシクラヒム攻略の真っ只中であるはずだった。それなのにこのレコンドールの戦場に現れたということは、シクラヒム攻略戦を展開するよりも早くエスクたちをレコンドールに差し向けたとしか考えられない。
「エインの読みか」
エインは、シクラヒムが空になることを見抜いていたということだろう。でなければ、第一別働隊の主力であり、“剣聖”を封殺するために必須となるであろうエスクとルクスを第二別働隊に寄越すなどという賭けに出られるわけがない。もし、“剣聖”ひとりでもシクラヒムに残っていれば、第一別働隊は壊滅の憂き目を見たかもしれない。
“剣聖”トラン=カルギリウスには、それだけの能力があった。
なにをもってエインがそう判断したのかは、セツナにはまったく見当もつかないが、わからなくて当然かもしれない。エインとセツナでは頭の出来が違う。
「だから、俺と“剣鬼”野郎が間に合ったんですよ」
エスクが偉そうに胸を張る。
「あれを間に合ったっていえるのかは微妙なところだけど」
「ばっちり間に合ったじゃん! 大将の窮地を救ったんだぜ!?」
「あ、ああ、それはそうか」
ルクスがエスクの勢いに圧倒されている様子が、セツナにはなんとも不思議でおかしかった。
「もっと感謝してくれてもいいくらいなんだけどなあ」
「当然のことをしただけで感謝されると思うなよ」
「うわ、俺の扱い酷くね?」
「当然だろ」
追い打ちをかけるように告げたのは、シーラだ。
「うわ、酷い。本当、酷い。レミルがいないことがこんなにつらいだなんて初めて知ったよ……」
「はあ……」
セツナが嘆息すると、エスクが他人事のような顔で聞いてくる。
「どうしたんです、思い切りため息なんてついたりして」
「いや、だれかさんのせいで会議も進まないってな」
「だれだそんな不貞野郎は」
「おまえだよ」
「え!?」
エスクが愕然とした表情を見せたことにこそ、セツナは愕然とした。
「なんなんだよ、こいつ」
「なにってそりゃあ、あなたの部下ですよ、大将」
「くっそ……」
エスクのにこやかな表情に、セツナは反論ひとつ思い浮かばなかった。事実、そのとおりだ。彼はセツナの部下で、彼のそんな性格をある程度理解した上で配下に引き入れている。戦力としては頼もしいのは、先の戦いでも、これまでの戦いでも十分にわかっている。だから彼を配下に加えたのであり、彼の部下もろとも吸収したのだ。故にセツナは彼の言動も受け入れるより他はないと思う一方、もう少し落ち着いてもらえるとありがたいと考えなくもなかった。
すると、セツナの心情など知ったことではないとでもいうような会話が聞こえてくる。
「翻弄される御主人様というのも乙なものでございますね」
「俺はそうは思わないけどな」
「わしもじゃ」
「奇遇だな」
「わしにだけ翻弄されておればよいのじゃ」
きっとラグナはふんぞり返っているに違いない。セツナは机の上で頭を抱えたまま、そんな確信を抱く。シーラが呆れて、いった。
「そういうことかよ」
「ひとつ提案があるのですが」
「なんだ? ウルク」
「エスク=ソーマを制裁しますか?」
「なんでそうなるんだよ」
「セツナに迷惑をかけているように見えます」
「そりゃあそうかもしれんが、ここは穏便にだな」
「穏便に制裁……」
「だから」
シーラたちはシーラたちでウルクを抑えるのに必死だったようだが。
戦後の報告会は、収集がつかなくなったことでお開きとなった。
報告会によって明らかになったのは、第二別働隊の惨憺たる現状だった。
まず、ログナー方面軍第二軍団が壊滅し、軍団長レノ=ギルバースが戦死したことが大きな痛手となった。第二軍団は他の軍団同様、兵数千五百の軍団であり、シクラヒムからレコンドールに流れ込んできた騎士団と反乱軍部隊との戦闘によって約六百人にまで激減してしまっている。その上で軍団長を失ったのだから、痛手も痛手というほかない。
もちろん、レコンドール奪還戦で戦力を失ったのは、なにも第二軍団だけではない。本隊として機能した第三軍団も、セツナたちと南門に当たった星弓兵団も、苛烈な戦いの中でそれぞれ多くの兵を失っている。
本隊として東門に当たったログナー方面軍第三軍団は、東門防衛部隊と市内に残っていた反乱軍部隊との立て続けの戦闘を経て、二百人の兵を失い、約千三百人にまで減少。一方、星弓兵団は、騎士団兵士との激戦によって六百人以上の死者が出ており、大打撃を食らっている。レコンドールを奪還できたから良いものの、あまりにも大きな出血には、弓聖サラン=キルクレイドも頭を抱えていたものだった。
相手が悪いというほかない。
星弓兵団は、弓聖サランの弟子たちによって構成される遠距離攻撃専門の部隊だ。正確無比な弓射を得意とし、射撃戦ならば、この救援軍の中で星弓兵団に敵う軍団は存在しないといってもいいくらいだ。実際、堀越しの斉射は効果覿面であり、レコンドール市内から現れた騎士団兵をばったばったと薙ぎ倒していた。射撃戦ならば圧倒的なのだ。しかも、堀が防壁として星弓兵団を守っていた。南門と堀の向こう側を繋ぐ橋はカーラインによって破壊されており、騎士団兵は弓射によって対応するしかなかった。それが功を奏し、半ば一方的な戦いを繰り広げることになったのだが、ドレイク率いる騎士団部隊の到着によってそうもいかなくなった。
ドレイクの部隊は、堀の外側にいたからだ。ドレイク隊は、カーライン隊を圧倒する星弓兵団を排除するべく動き、星弓兵団はドレイク隊とカーライン隊の両方を相手に奮闘、結果、六百名近い団員を失いながらも、騎士団の両部隊に大損害を与えることには成功した、ということだった。
こちらにしても損害は大きく、手放しに喜べるような状況ではないのは明白だが。
セツナ軍も、損害を出している。
黒獣隊からは死者が三名、重軽傷者が多数出ていた。重傷を負った隊士は、つぎの戦いへの参加は見送られ、戦死した隊士たちはレコンドールの地に葬られた。亡骸を故郷に運ぶだけの余裕は、いまのところなかったからだ。
「命を賭けて戦ってるんだ。死ぬときは死ぬ。それくらい、了承済みなんだよ。だれもかれもな」
部下との別れを終えたシーラの一言が、セツナの耳に残っている。
シーラは軽傷で済んでいる。さすがは獣姫の二つ名で呼ばれる猛者だけのことはある、ということだろう。アニャン=リヨンと戦ったらしいが、アニャンの空気に翻弄され、まともに戦えなかったことを彼女は悔いていた。まともに戦っていれば、アニャンを倒すことはできなくとも、手傷を追わせることくらいならば出来ただろう、とは彼女の弁。
クユン=ベセリアスと戦ったウルクはというと、隊服がぼろぼろになったくらいで外傷は一切なかった。隊服は原型を留めぬほどになっていたが、着替えれば済むだけの話であり、なんの問題もなかった。しかし、クユンを倒すことはできなかったため、彼女もそのことを反省しきりだった。だが、ウルクの活躍が救援軍第二別働隊を勝利に導いたこと間違いなかった。魔晶人形の内蔵兵装である波光砲がレコンドールの反乱軍の度肝を抜き、また、度々救援軍の窮地を救っている。
当然のことだが、レムも無傷だった。戦闘中、負傷さえしていないのは、傷ひとつない彼女の服を見れば一目瞭然だ。彼女は“死神”を遠隔操作することで自身は主戦場の外にいながら、それなりの戦果を上げられるのだ。もちろん、彼女の活躍も、セツナは知っている。レムは、レコンドール市内の制圧にもっとも貢献したとアスタルに明言されるほどの活躍を見せている。
だから、というわけではないが、セツナは、彼女の望むままにしてあげていた。つまり、その夜、レムと添い寝してあげたということだ。
「こうして御主人様と一緒になって眠るのは、いつ以来でございましょう?」
すぐ隣から聞こえてきたレムの声が弾んでいるのは、気のせいではあるまい。彼女は、セツナがなんでもいうことを聞くといってからというもの、凄く嬉しそうにしていた。一方、シーラがどことなく不機嫌になり、つぎの戦いでは自分こそ一番の活躍をしてみせると息巻いていたり、ウルクもどことなく不満そうな様子を見せていた。ウルクのそんな様子を見るのは初めてだと興奮するミドガルドに研究者の本質を見る中で、セツナはウルクの活躍を褒め、援護に感謝を述べると、彼女はなぜか排熱口から熱気を噴出した。
『セツナ伯サマからの賞賛を喜んでいるようですね。やはりウルクには感情があるようです。セツナ伯サマとの会話を盗み聞きしていると、そういう兆しを感じずにはいられなかったのですが、どうやら間違いない。なるほど、表情が変化しないから気づかなかっただけなのか』
ひとり納得するミドガルドだが、彼の言葉には納得のいくものもあった。確かに彼女の顔には表情というものがなく、また、声音も一定だ。表情が変化することがなければ、感情の変化などわかるはずもない上、声も抑揚が少なく、感情表現が一切ないため、彼女に感情があるのかどうかなどわかるわけがなかった。
これにより、ウルクは無感情でも無感動でもなく、感情を持ち、喜ぶことも不満を感じることもあるのだということがわかった。
『つまりウルクには人間で言うところの精神、心があるということです。いやー、これは素晴らしい発見だ。それもこれもセツナ伯サマのおかげですな』
ミドガルドが歓喜する中で、セツナはまたしても問題が増えたのだと理解した。ウルクの扱いにも細心の注意を払わなければならなくなった、ということだ。ウルクに宿る精神がどの程度のものなのかはわからない以上、無碍にすることはできなくなった。
「さあ……な」
セツナは、闇を見遣りながら、適当に言い返した。本当にいつ以来なのか。つい最近のような気もするし、ずっと昔のような気もする。レムがクレイグの命令でセツナに急接近してきたときは、毎日のように寝台に忍び込んできたものだが、彼女が文字通り生まれ変わってからは、立場を弁えるようになり、そのようなことはほとんどなくなっていた。だから、というわけではないが、セツナは緊張の中にいる。
セツナ軍に充てがわれた宿所の一室。セツナの部屋には、セツナとレム、ラグナのふたりと一匹しかいない。一人用の狭い寝台の上、身を寄せ合うようにして眠るしかない。レムがその華奢な体でセツナに抱きついてくるのも、放っておく。彼女の好きにさせるといったのは、セツナだ。
「わしはいつも一緒に寝ておるがのう」
「ラグナは特別ですもの」
「先輩も毎日一緒に寝ればよいのじゃ」
「そういうわけには参りませぬ。わたくしは従僕。御主人様の家来にございます故、御主人様と寝所をともにするなど恐れ多い」
「本当にそう思ってるのかねえ」
セツナは、多少、呆れながら夜の闇に身を委ねた。
ともかく、レコンドールを巡る戦いは、救援軍の勝利に終わった。完全な勝利とは程遠く、辛勝といってもいいような勝利ではあったものの、勝ちは勝ちだ。これで、救援軍は反乱軍から三つの都市を奪還したことになる。もぬけの殻となったシクラヒムは奪還したというのとは少し違うかもしれないが、いずれにせよ、反乱軍の拠点は残すところあとふたつだ。
ひとつは、救援軍本隊が目指すヘイル砦。日程を考えると、明日にも攻撃が始まるかもしれない。
もうひとつは、サントレア。マルディア最北の都市は、おそらく反乱軍との最終決戦の地となるだろう、ということだった。
レムが市内突入後、彼女の前に姿を表したという反乱軍指導者ゲイル=サフォーは、戦闘の最中、レコンドールから消えている。レコンドール陥落後、風のように戦場を去った騎士団や反乱軍部隊ともども、サントレアに向かったに違いない。レコンドールからならば、ヘイル砦よりもサントレアのほうが近いからだ。
反乱軍は追い詰められている。
それでも勝利を信じて戦うことができるのだろうか。
(戦うしか、ないんだろうが)
反乱軍は、マルディア王家を滅ぼし、マルディアに真の平穏をもたらすことを大義として掲げている。掲げている以上、救援軍に降伏するということは、ありえないだろう。救援軍に降伏するということはすなわち、王家に降伏するということだ。
騎士団に協力を仰いでまで反乱を起こした連中が、そんな簡単に王家に服従するとは、考えにくい。
「大好きです、御主人様……」
耳元で囁かれる甘い言葉に、セツナはなんともいえない気分になりながら、夢に落ちた。
夢の縁、眠る竜を見た。
セツナは竜をなんとしてでも起こそうとして、失敗した。
竜は眠り続けている。
目覚めてくれなければ困るというのに、だ。
セツナは夢現の狭間で途方に暮れながら、ただ、黒き竜の巨体を眺めていた。