第千二百八十八話 死線、奔る
猛攻を凌ぐだけの時間が続いている。
十三騎士カーライン・ザン=ローディスとドレイク・ザン=エーテリア、それに加えて“剣聖”トラン=カルギリウスの三人を相手にしなければならないのだ。いくら黒き矛が完全体となり、以前とは比べ物にならない力を得たとはいえ、これでは攻勢に出ることもままならない。三対一。多勢に無勢なのは明らかだが、それ以上に三人の力量、技量が凄まじいというほかない。
まず
なにより問題なのは、黒き矛が眠っていることで能力が使えないことと、黒き矛による補助を制御できる範囲に留めなければならないということだ。黒き矛が目覚め、能力が使えるのであれば、三人のうち、いずれかを牽制し、攻撃することも不可能ではない。空間転移を使えば、仕切りなおすこともできる。しかし、能力は依然として使えず、仕切りなおすこともままならない。後者も後者だ。完全化し、真の力を得た黒き矛は、セツナに圧倒的な力をもたらしはした。しかし、それをそのままにしていると、力に酔い、我を忘れ、すべてを見失うだけだった。制御出来ない力に頼ることなどできない。それこそ逆流現象や暴走を引き起こすだけだ。それでは意味がない。だからセツナは黒き矛の力に制限を課していた。そういうことができるということは、無意識に理解していた。それが、黒き矛とセツナの相性なのかもしれない。ミリュウやマリクができなかったことだ。ミリュウにせよマリクにせよ、逆流現象に意識を飲まれてしまったのは、黒き矛の力を制限できなかったからだ。流れ込んでくる力の量を制限できないから、制御しきれず、暴走し、逆流現象に遭ってしまったのだろう。
いまなら、それがわかる。
セツナは、無意識に黒き矛の力を制御していたのだ。いまは、意識的に制御し、流れこむ力の量を抑えている。抑えなければ、ミリュウやマリクのようになるだろう。そして、抑えることは、セツナにとっては難しいことでもなんでもなかった。いまのいままで無意識にやっていたことだ。意識すれば、それだけでよかった。
セツナには至極簡単なことが他人には困難だということを考えると、やはり相性としかいいようがないのかもしれない。
とはいえ、制御できる範囲に押しとどめたとしても、以前に比べればずっと強く、黒き矛が完全体となったことは大きな意味があったのは間違いなかった。以前の黒き矛ならば、いくら能力が使えたとしても、十三騎士ふたりと“剣聖”の猛攻を同時に捌ききることなど不可能だったに違いない。
いまですら、押されている。
当然だろう。
相手が相手だ。
相手が三人でも、百人でも千人でも、雑兵ならばなんということはない。おそらく、いまのセツナならばあくびをもらしながらでも倒しきることができるだろう。しかし、いまセツナの相手をしているのは、雑兵など比べ物にならないものばかりだった。まず、十三騎士のふたりが強い。圧倒的だ。十三騎士は、シド・ザン=ルーファウスにせよ、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートにせよ、当時の黒き矛で対等に戦ったような相手だった。全力を注ぐことができれば倒せたかもしれないが、それにしても常識外の力を持ったものたちだったのは疑いようがない。カーラインもドレイクも、十三騎士の名に恥じない実力を見せている。それこそ、シドとベインを同時に相手にしているようなものだった。
そのふたりに加え、“剣聖”トラン=カルギリウスが参戦しているという事実には、閉口せざるをえない。“剣聖”トランの実力については、伝聞でしか知らない以上なんともいえなかったが、ルクスとエスクのふたりを持ってしても拮抗状態を作るのがやっとという報告を聞いていた。“剣鬼”と“剣魔”をもってしても、撃破どころか撃退もできなかったのだ。それだけでトランの実力の一端が知れた。そして、トランが二本の召喚武装を同時に扱うことで、強力な補助を得ているということも知った。召喚武装それぞれの能力も、ある程度は知っている。大気を操る直剣と大地を操る直刀。騎士ふたりの連携に加え、突風や岩石攻撃を注意しなければならないのは、困難としかいいようがない。
目にも留まらぬ速度で繰り出される斬撃を辛くも受け流し、光の槍を飛んでかわす。そこへ殺到する騎士の巨躯をなんとかいなし、さらに続く連続攻撃を死に物狂いで捌ききる。息もつかせぬ連続攻撃。特に十三騎士ふたりの息のあった連携攻撃には、何度となく翻弄され、手傷を負った。かすり傷程度だが、塵も積もれば山となる。これが長引けば、全身余すところ無く切り刻まれ、血を流し尽くして死ぬだろう。いや、それ以前に、力尽きるかもしれない。相手は三人。こちらはひとり。圧倒的に分が悪い。相手が手を抜いてくれるわけもない。
相手にしてみれば、セツナを殺すことが反乱軍の勝利に繋がる道なのだから、全力を上げるのは当然のことだ。
「さすがだ! さすが、ガンディアの英雄と謳われるだけのことはある!」
ひとり感極まっている様子なのは、“剣聖”トランだ。彼は、直剣を振り抜いて突風を起こすと、直刀を地面に叩きつけた。セツナは即座に右に飛んで光の槍を屈んでかわし、大上段から振り下ろされる大剣の一撃を黒き矛で受け止めた。両腕に走る衝撃が、ドレイクの膂力の凄まじさを思い知らせるようだった。膂力だけでいえばベインのほうが上なのは間違いないようだが、ドレイクは、速度もあった。技量もある。
(“神武”のドレイクか)
セツナは兜の奥で輝く双眸に目を細めると、大剣を受け流して後ろに跳んだ。寸前まで立っていた場所を岩石の槍が貫く。トランの召喚武装の能力。そこで止まれない。前進して光の槍を回避すると、岩石ごと叩ききるようなドレイクの斬撃を柄で受け止め、跳躍。空中で突風を受け、吹き飛ぶ。激しく流れる視界の中、セツナは堀に輝く光を見た。雲間から差し込む陽光が水面に跳ね返っている。堀の上空を流されていく。光の槍が来る。矛の能力は使えない。直撃、爆発。だが、痛みは一切生じない。衝撃に吹き飛ばされ、堀の外側の地面に叩きつけられるも、これまた一切の痛みを感じなかった。痛むのは、これまでの激戦によって傷つけられたからだ。満身創痍というほどではないにせよ、無数の傷がある。
立ち上がり、即座にレコンドールに向き直る。カーラインが光の槍を発射するのが見え、ドレイクが地を蹴るのも認識した。トランが暴風とともにこちらへと迫り来るのも見えていた。そんな中、セツナはラグナの視線を感じて、彼に目線を送った。
「ありがとよ」
光の槍と落下の衝撃からセツナを護ってくれたのは、ラグナに違いなかった。しかし、ラグナの防御魔法を頼りに戦うことなど、考えられない。ラグナは、シーラにつけている。シーラと黒獣隊を護ることがラグナの使命だ。セツナは、自身の力で状況を打開しなければならないのだ。
(とはいえ)
光の槍を右に移動してかわし、上空から迫り来るトランと地上を疾駆しながら肉薄してくるドレイクを睨みながら、セツナは黒き矛を握り直した。
猛攻の隙間が見当たらない。
「邪魔するなんて酷いじゃないですかぁ!」
桜色の髪の女が猛烈に抗議してきたのは、シーラが彼女と対峙した直後のことだった。ふんわりとした頭髪といい、膨らませた頬といい、豊かな胸といい、どこか緩い感じのある女だが、彼女が武装召喚師だという情報がある以上、油断は一切できなかった。手にしている刀は、召喚武装だろう。鞘が見当たらない。
「うるせえ! そっちこそ、俺の邪魔するんじゃねえっての!」
シーラは叫び返しながら、女との間合いをはかった。迂闊に突っ込むことも、距離を取ることもできない。召喚武装は、通常武器とは異なる間合いを持つことがままある。ハートオブビーストのように素直な召喚武装のほうが少ないといっていい。
「それになんですかその格好!」
女が、刀の切っ先をこちらに向けてくる。
「猫さんの耳ですか!? 尻尾ですか!? 卑怯ですよお!」
女の非難の意味がまったくもって理解できず、シーラは彼女の動きを注意しながら、目を見開いた。もちろん、わかることはある。自分の頭から猫の耳が生えていて、臀部から尻尾が伸びていることも自覚できる。それがハートオブビーストの能力だからだ。
「なにが卑怯なんだよ!」
「そんな可愛い格好で迫ってくるなんて、どうしたらいいんですか!?」
「はあ!?」
シーラは、ただ素っ頓狂な声を上げた。間の抜けた顔になっていることを自覚するが、どうしようもない。相手の女は、至って真面目だからだ。
「攻撃できないじゃないですかぁ!?」
「なんだそれ、知るかよ!」
「調子の狂う相手じゃのう」
ラグナも呆れ果てたようだった。確かにその通りだった。調子が狂って戦意を失いそうになる。もちろん、そんなことで戦いを止めるわけもないのだが、相手の女に襲いかかる気力は失ってしまった。
「ね、猫耳……尻尾……可愛い……」
「アニャン! そんなことをいっている場合か!」
シーラに向かって手を伸ばし、なにやら妄想にひたる女に叱責を飛ばしたのは、もちろん、もうひとりの女だ。緑色の髪がなんとも奇抜な鋭い目の女は、大型の剣を手にウルクと対峙している。ウルクの攻撃は苛烈だが、武装召喚師に捌き切れないものではない。波光砲ならばその限りではないが、この狭い戦場であのような大規模攻撃を行えば、味方に被害が及ぶ。それくらい、ウルクにもわかっているのだ。
「クユゆんも猫耳と尻尾つけようよぉ」
「はあ!?」
「先生も気に入ってくれると思うしぃ」
「なっ、なにを馬鹿なことをいっている!? 状況を考えろ!」
「じゃあ、この戦いが終わったら、猫の耳と尻尾を作るねぇ」
「だ、ば、な……」
顔を真赤にして取り乱すクユゆんに対し、アニャンはというと、妙に嬉しそうににこにこしていた。
「なんなんだこいつら……」
「シーラ、気をつけてください。敵に精神的動揺を与える策かもしれません」
「そ、そうかな?」
「わしにはまったくそのようには見えんが」
「それに、あのふたりをどうにかしないことには、セツナを援護することもままなりません」
「それは、そうだな」
ウルクの発言にシーラはうなずくよりほかなかった。シーラとウルクの参戦によって、セツナは五対一から三対一になったものの、相変わらずセツナは防戦一方だった。相手の手数が圧倒的に多く、相手の攻撃を捌ききっても、セツナが攻撃に移る隙がなかった。シーラたちが援護に向かうまでは、それにアニャンとクユゆんが加わっていたのだから、セツナが傷だらけになるのも必然というほかない。レムの判断は間違いではなかったということだ。それは、レムが市内に残ったことが正しいというよりは、突入組のうち、何人かがセツナの援護に戻ったことが正しいという意味だ。星弓兵団では、セツナの援護は不可能だった。なぜならば、星弓兵団は、堀の内側の騎士団兵と、堀の外側の騎士団兵を相手に大立ち回りを演じていたからだ。
堀の外側の騎士団兵は、カーラインとは別のもうひとりの十三騎士が連れてきた連中だろう。星弓兵団は、騎士団部隊を距離を取りながら戦っており、中でもサラン=キルクレイドの戦いぶりは凄まじいのだが、彼がセツナの援護に回れないのは痛いというほかない。彼だけでもセツナの援護に回ることができれば、セツナの負担も少しは減るはずなのだが、いかんせん、敵が多い。弓聖ひとりでは倒しきることなど到底不可能だった。
「セツナ!」
不意にラグナが叫んで、シーラは、セツナが空高く吹き飛ばされているのを目撃した。はっとなるが、彼女にはどうすることもできない。カーラインがここぞとばかりに光の槍を発射する。高速で空を駆ける光の槍は、見事とセツナに直撃し、爆発光がシーラの視界を白く染め上げた。
「セツナー!?」
「セツナ!」
シーラはウルクと異口同音に叫びながら、後ろに飛び退いていた。無意識の反応が、アニャンの攻撃から身を守らせる。アニャンの刀が虚空を切り裂き、不気味な剣閃の残像を刻む。シーラはアニャンを睨むと、斧槍を強く握りしめた。
「邪魔を……!」
「だからぁ、そんな可愛い格好で睨んっだって駄目ですよぉ!」
「こいつ……っ!」
シーラは、アニャンの見当違いもいいところな台詞には、怒りすら感じた。アニャンの桜色の髪といい、豊かな胸を見せつけるような格好といい、言動といい、なにもかも相手を馬鹿にしているとしか思えない。戦闘を軽く見ているのは間違いない。頭に血が上る中、アニャンの猛攻を退ける。
「安心せい、シーラよ。セツナはわしが護ったからの」
耳元で囁かれた小飛竜の一言が、シーラを瞬時に冷静にした。
「ラグナ……!」
「まったく、あやつはなにをしておるのじゃ。あのような連中など、さっさと打ちのめせばよいものを。余裕ぶって格好つけておるのではないか?」
ラグナが突拍子もないことをいってくる。
「おぬしらの心配が増大するばかりではないか。のう?」
「そうだな……だが、セツナは余裕ぶってなんていないんだよ。余裕なんてありやしない」
「ですから、わたしたちが援護しなければならないのです」
ウルクが、クユンの剣を捌きながら、いう。彼女の状況判断は精確だ。先ほどの精神攻撃云々といい、彼女が本当に人工物なのか疑わしいところが多々あった。しかし、彼女が人間ではないのは、その傷だらけの隊服を見れば一目瞭然だ。矢によって破られた隊服の下には、傷だらけの皮膚ではなく、傷ひとつついていない特殊金属の装甲が見え隠れしている。
「そうだ。セツナを援護するんだよ、俺は!」
シーラは、ウルクの一言によって、自分のやるべきことを思い出した。ハートオブビーストを両手で握りしめ、訴えかける。
ハートオブビーストは、血を媒介として能力を発動する種類の召喚武装だ。シーラは以前、能力発動のための血は、ハートオブビーストによって斬ったり突いたりした結果流れたものだけだと思い込んでいた。しかし、それは誤りで、戦場に流れる血であれば、だれが流させた血であってもいいということが判明した。
この戦場、敵味方問わず、すでに大量の血が流れている。
能力を発動するには打って付けといっていい。
「吼えろ!」
シーラはハートオブビーストを振り翳した。
獅子の咆哮が、レコンドールの戦場を揺らした。