第千二百八十六話 “神武”のドレイク
「雑兵がいきがるから、死ぬ」
ドレイク・ザン=エーテリアは、一刀の元に切り捨てた敵兵の死体に一瞥をくれることもなく、告げた。
青と白を基調とする甲冑は、返り血を浴びてすらいない。既に百人は切り伏せていたが、返り血が彼の鎧に触れることはなかった。まるで、返り血そのものが彼に触れることを恐れるように、逸れていく。
「無駄なことだ」
飛来した矢を剣の一振りで叩き落とし、地を蹴る。前方へ。ただひたすら、前進する。進軍する。侵攻する。迫り来る雑兵を薙ぎ払い、死体の群れを化すのを見届けることもなく、前へ。
「構うな。進め」
ドレイクの一言に彼の部下も前進を再開する。レコンドールの西側で反乱軍部隊と戦闘中だった敵部隊は、ベノガルド騎士団ドレイク隊の参戦によってあっという間に半壊した。反乱軍は、歓声を挙げてドレイク隊を迎え入れたが、ドレイクは黙殺し、前進を続けた。
ドレイクは既に南門付近の戦闘を視野に入れている。
(ローディス卿が出ているな)
カーライン・ザン=ローディスが幻装を用いていることが遠目にもわかった。光の槍とそれに伴う爆発は、“絶槍”のカーラインの幻装としか考えられない。よく似た召喚武装が存在していても不思議ではないが、カーラインの護るレコンドールに同じような召喚武装が現れるというのは、少々考えにくいことだった。
(やはり、救援軍はレコンドール奪還にセツナ伯を投入したか)
レコンドールが反乱軍の最重要拠点ということは、救援軍にも伝わっているだろう。あれだけ城壁を増強しているのだ。だれの目にも重要拠点であることは明らかであり、救援軍が制圧と奪還に主力を投入するのも当然というべきかもしれない。
「待て……!」
声に振り向いたのは、その気迫に惹かれるものがあったからだ。全身全霊、命を込めた叫び。死を覚悟した咆哮。勇ましく、そして、儚い。
「行かせん……!」
叫び、突っ込んできた男が、ほかの兵士たちより幾分きらびやかな甲冑を身につけているのは、彼が指揮官だからだろう。指揮官は、ひと目で身分がわからなければならない。でなければ、現場が混乱するからだ。それは自軍への主張であるととも、敵軍への主張ともなる。部隊長や指揮官を討つことは、基本戦術といっていい。指揮官を失った部隊は命令系統の混乱から、激しく弱体化するものだ。
だから、というわけではないが、ドレイクは、彼が迫ってくるのを待った。部下たちには前進を続けさせながら、自分は二秒、足を止めた。たった二秒。永遠に近い二秒の間、敵部隊の指揮官がなにを見たのか、彼には想像もつかない。
二秒後、ドレイクは、敵指揮官の左右から彼の部下たちが飛び出してくるのを認めた。敵指揮官がみずから注目を集めたのは、そのためだろう。ドレイクが常人ならば、引っかかっていたかもしれない。常人であれば、指揮官に接近していたに違いないからだ。敵指揮官が目の前に現れたのだ。戦いを早急に終わらせるために、指揮官を討つべく動いただろう。だが、ドレイクは動かなかった。だから、敵指揮官の策が見えたのであり、彼は左右合計十人の雑兵諸共、敵指揮官の首を刎ねていた。
「くだらん」
興が削がれる思いがして、ドレイクは進路に向き直った。決死の呼び止めだった。なにかもう少し心躍る趣向が待っているものかと思ったのだが、そんなことはなかった。彼は進軍を再開した。敵部隊は、指揮官を失ったことで混乱を始めるだろう。となれば、もはや相手にはなるまい。立ち向かってくるものなどいないはずだ。
ひたすら前進する。
西門ではなく、南門前の戦場に向かって、疾駆する。
堀の向こう、カーラインと戦う黒き矛の戦士が見えた。
(黒き矛のセツナか……!)
ドレイクは、己の心音を聞いた。
興奮が肉体を躍動させる。
体を捌き、突きをかわす。かわした瞬間、光の槍が射出された。熱気が頬を掠め、光の槍は彼方へと飛んで行く。その一事で、セツナはカーラインの攻撃の恐ろしさを理解した。突きは、捌くなりなんなりしてかわさなければならない。受け止めてはならないのだ。受け止めれば、光の槍の直撃を受けることになる。槍そのものではなく、槍と同じ形状をした光弾を飛ばす技なのだ。召喚武装の能力にも思えるが、彼の槍を見る限り、召喚武装には見えない。召喚武装というのは、基本的に異形だ。人間の手には作り出せないような形状をしていることが多い。無論、中には通常の武器防具と似たようなものもないではないが、基本的には、異形なのだ。
もっとも、カーラインが召喚武装の使い手であるかどうかなど、いまはどうでもいいことだ。大事なのは、光の槍が脅威だということであり、突きだけは正面からうけとめてはならないということがわかったことだ。
踏み込み、矛を殴りつける。カーラインは華麗に後ろに飛んで回避すると、空中で槍をこちらに向けてきた。光の槍が飛んでくる。飛び退く。着弾と爆発。爆煙の中を突っ切ってくる殺気。槍による猛烈な足払い。矛を地面に突き立てて受け止める。激突。槍が発光するのが見えた。矛を蹴って、自分だけ飛び離れる。送還と再召喚。カーラインの槍が爆発する。着地。
矛を構え直し、カーラインが槍を掲げるのを見やる。カーラインの後方では、矢の雨の中、騎士団兵士とレムたちの戦いが繰り広げられている。数の上では圧倒的に不利だが、レム、ウルク、シーラといった強力な手駒が揃っているセツナ軍のほうが優勢に見えた。矢による援護も功を奏している。そのとき、ウルクが波光の砲弾を連射して騎士団兵を吹き飛ばし、市内への血路を開いた。
(連装式波光砲……だったか)
ウルクには、波光大砲以外にもいくつかの武装が内蔵されている。連装式波光砲は、右腕に内蔵された波光大砲より低火力だが波光の砲弾を連射することができるという代物だ。城壁を破壊するのには物足りないが、敵集団を薙ぎ倒すにはちょうどいいだろう。
(ちょうどいいという威力じゃあねえがな)
砲弾の直撃を食らった騎士団兵士は、物言わぬ肉塊に成り果てている。
「おそろしい戦力ですね。あなたひとりにかまけている時間はなさそうだ」
「そうだな。あんたひとりに手こずってる場合じゃねえ」
後方からもうひとりの十三騎士が迫りつつあった。
もうすぐそこなのだ。
堀の向こう側に、蒼白の甲冑を着こみ、大型の剣を手にした騎士が立っていた。大男だ。ベインに並ぶ巨躯だが、ベインよりは横幅が狭い。ベインに比べると細く見えるということだが、そのことがその騎士を弱く感じさせることはなかった。迫力に遜色がない。
大剣の騎士は、地を蹴ると、大きく跳躍し、幅の広い堀を一足飛びに飛び越えてみせた。
「はっ!?」
セツナは、ただ愕然とした。レコンドールの外周を囲う堀は、セツナと黒き矛でも飛び越えるのは困難に違いない幅があったのだ。試せば飛び越えられたかもしれないが、賭けに出るほどのものではなかった。そのため試さななかったものの、大剣の騎士は躊躇なく飛び越えてみせた。堀に落ちる可能性を一切考慮していないということだ。分厚い甲冑を着こみ、大型の剣を手にしているにも関わらずそれだけの跳躍力を発揮できるというのは、つまるところ、彼が十三騎士であるということに帰結するのだろう。
十三騎士は、常人とは比べ物にならない力を秘めている。
「では、決着をつけましょう。無論、わたしと、エーテリア卿で」
「二対一かよ」
カーラインを注視しながらも、後方の騎士にも注意を向けなければならず、セツナは城壁側に移動した。ふたりを前後に捉えるよりは、壁に背を任せ、ふたりを視界に捉えるほうが安全だと判断したのだが、カーラインの光の槍がそれを阻止する。光の槍がセツナの移動先に突き刺さって爆発し、セツナは足を止めざるを得なかった。カーラインともうひとりの十三騎士に注意を向けたまま移動し続けるのは、困難だ。
「騎士道精神にも劣る――などとはいいませんね?」
「いわねえさ」
「しかし、それではつまらぬな」
「エーテリア卿」
「わかっている。勝利を優先しよう」
大型剣の騎士が、厳かに告げた。丁寧な口調のカーラインと、どこか尊大なところのあるもうひとり。エーテリアという名からわかっている。ドレイク・ザン=エーテリアだろう。“神武”のドレイクの二つ名は、彼が騎士団随一の武であるということを示しているらしい。
「我が名はドレイク・ザン=エーテリア。セツナ=カミヤ、その生命、貰い受ける」
ドレイクが地を蹴った。同時にカーラインも槍を掲げる。槍そのものが光を発し、光の槍が射出される。左前方から飛来する光の槍と右後方から迫り来る重圧に対し、セツナは前方に飛ぶことで対応した。その飛び出した前方にカーラインが現れるが、矛を振り抜いて牽制する。黒い剣閃が走り抜けるときにはカーラインは飛び退いている。斬撃を恐れたのだ。すぐさま後方に反転する。ドレイクの巨躯が眼前にあった。巨躯からは想像できない速度。斬撃が来る。矛で受け止める。全体重を載せた猛烈な一撃。両腕の筋肉が悲鳴を上げた。受け止めるのも一苦労だ。
「“神武”のドレイクか」
「御存知いただき、光栄だ」
「あんたらのこと、調べないわけにはいかなかったからな」
「ケイルーン卿か、ルーファウス卿か」
「どっちもだよ。邪魔ばかりしやがって」
言い返しながら、ドレイクとカーラインの連続攻撃をなんとか捌く。ふたりの猛攻を捌き続けることそのものは難しくはないのだが、それは守りに徹しているからであって、このままでは防戦一方にならざるをえない。捌き続けて攻撃の機会を見出すには、十三騎士ふたりの攻撃は凄まじすぎた。まさに暴風といってもいい。暴風圏のまっただ中にいるのだ。
「それはこちらの言い分ですよ、セツナ伯」
「だろうな」
「さて、この状況でもあなたは戦えるか」
「さすがは黒き矛のセツナ! 我々の想像の遥か先を行くな!」
「では、つぎの一手と参りましょう」
「よかろう」
カーラインが告げ、ドレイクがうなずく。すると、殺気とともに衝撃波がセツナを吹き飛ばさんとした。セツナは咄嗟に矛を地面に突き刺して難を逃れたものの、凄まじい突風は、なんらかの能力であることは間違いなかった。そして、突風が吹き荒れたあとには、気配が更に増えていた。
「三対一……いや、五対一かよ!」
セツナは、自分を囲む気配が三つ増えたことに愕然としながら、カーラインとドレイクの攻撃を捌ききった。槍と大剣の連携攻撃。暴風のように吹き荒れ、激突音を舞い踊らせる。一瞬でも気を抜けば、その瞬間、セツナの肉体は肉塊に変わり果てること請け合いだ。
「こうでもしなければ、あなたを倒すことは不可能」
「そう、判断した」
「ははっ……買いかぶり過ぎだよ」
セツナは、うんざりと告げて、後ろに飛んだ。斬撃が地面を切り裂き、岩石が隆起した。
「待ちに待ったこの瞬間!」
さらなる斬撃が隆起した岩石を切り裂き、無数の破片となってセツナに殺到するが、それらは矛を旋回させて弾き飛ばす。岩石の残骸の向こう側に新たに出現した三つの気配が、形を成して現れる。男ひとりと女ふたり。灰色の髪の男は鋭いまなざしをこちらに向け、桜色の髪の女は面白そうに笑っている。緑の髪の女は試すような表情だ。三人はそれぞれ軽装の鎧を纏っており、手には剣や刀を握っている。男は二刀流。獰猛に笑う。
「存分に愉しもうぞ!」
セツナは、二刀流の男がなにものなのか、瞬時に察した。大地と大気を操る二本の召喚武装を操る剣の達人といえば、ひとりしか思い浮かばない。
“剣聖”トラン=カルギリウス。