第千二百八十五話 シクラヒム
「空城の計……というわけではなさそうですね」
エイン=ラジャールは、シクラヒムの市内を歩きながら、ぼそりといった。
シクラヒムは、シールウェールから北に少し行ったところに存在する都市だ。南北に広いマルディアの北側都市に数えられる都市のひとつで、反乱軍が長らく支配していた都市のひとつだった。つまりマルディア救援軍が奪還しなければならない都市のひとつでもあり、エイン=ラジャールたち第一別働隊がシールウェールの奪還成功後、つぎの目的地とした都市だった。
シールウェール奪還後、シールウェールにて休み、英気を養った第一別働隊は、指揮官グラード=クライドの指揮の元、シクラヒムを目指して進撃を開始した。十五日のことだ。十七日夜半、第一別働隊はシクラヒムに到達し、部隊を展開、布陣した。エインの考えでは、シクラヒム攻略は力押しの戦いになる予定だった。シクラヒムは、シールウェール以上に特徴のない城塞都市であり、城門を突破して都市内に攻め込む以外に戦う方法がなかったのだ。
しかし、シクラヒムを巡っては戦いらしい戦いも起きなかった。第一別働隊としては予期せぬことだったが、喜ばしいことでもあった。
翌日となる十八日、黎明とともに攻撃を仕掛けようとした第一別働隊は、敵軍の反応がまったくないことに気づき、訝しみながらシクラヒムに接近、城門を突破し、市内に雪崩れ込んだところ、敵兵がひとりとしていなくなっていた。ひとりとして、だ。戦闘もなくシクラヒムを取り戻すことができたのは喜ぶべきことかもしれないが、エインとしては、なにか釈然としないものを感じずにはいられなかった。
シクラヒムの戦力は、元々シクラヒムに駐屯していた反乱軍部隊千五百に加え、騎士団の一千、そこにシールウェールの敗残兵が合流し三千を越す軍勢となっていたはずだ。それだけの数があれば、第一別働隊の約五千の攻撃を耐えしのぐことくらいできると考えてもおかしくはない。攻城戦となった場合、攻め手は、守り手の数倍の戦力が必要という常識がある。その常識に従う限り、シクラヒムの反乱軍には、第一別働隊を凌ぎ続けるだけの戦力はあったはずだ。
「それなのに手放した。解せませんね」
「うむ。おかしな話だ。通常、ありえぬ」
グラードが険しい顔付きでうなずいた。反乱軍が出した不可思議な結論に納得出来ないという顔だった。
「反乱軍の目的がマルディアの制圧じゃなくて、マルディア王家の打倒だって、エインくん、いってたじゃない。それでしょ」
「……まあ、そうでしょうね」
シクラヒムを捨てることが、マルディア王家を打倒するために必要なことだと判断したのだろう。マルディア王家を打倒するためには、救援軍をどうにかしなければならない。救援軍をどうにかするためには、シクラヒムに篭もり、守り続けるだけでは駄目だと考えたとしても、おかしなことではない。
部下を総動員して情報を集めたところ、シクラヒムの反乱軍は、救援軍がシクラヒム付近に部隊を展開するよりもずっと早い十六日の黎明には、シクラヒムから去っていた。シクラヒムを去り、東へ向かったという。
「東か。エインくんの読み通りってわけだ」
ドルカが、報告を受けて、うんうんとうなずいた。
東には、レコンドールがある。
「レコンドールを防衛することのほうが、シクラヒムを維持するよりも重要だと考えた、ということか」
「おそらくは、そうなります」
おそらくもなにも、そういうことだろう。いや。
「レコンドール奪還は、第一別働隊の仕事ですからね」
「ああ。アスタル将軍が見事奪還してくれるだろう」
グラードのアスタル=ラナディースへの全幅の信頼が現れる一言に、エインは嬉しくなる一方、エイン自身、当然のようにそう信じている。アスタル=ラナディースの戦術眼は、元々優れている。見切るのが早いアスタルだからこそ、ログナー戦争を早期に終結させることができたのだ。賛否のある決断だっただろうが、ログナーがあのときガンディアに降ったからこそ、現在があるのだから、あの決断は間違いではなかったはずだ。
アスタルは間違えない。
「その奪還の主力となるのは、当然ですが、セツナ様です。セツナ様率いるセツナ軍」
エインは、脳内に描き上げた戦略図を読み上げるように、いう。
「救援軍は、ガンディア軍を母体とします。当然です。ユノ王女が頼ったのはガンディアですし、救援のためにこれだけの戦力を出せるのはガンディアをおいて他にありませんからね。そのガンディアの最高戦力といえるのは、セツナ様をおいてほかにはおられません」
「そのとおりだ」
「うんうん。我らがセツナ様しかいないねえ」
「そのセツナ様が反乱軍の手によって打ち倒されたら、どうです?」
「そんなことはありえない――ってのはなし?」
「なしです」
「んじゃあ、とんでもないことだね。衝撃的にも程がある」
「うむ。考えたくもないことだが」
「セツナ様を失うということは、ガンディアは英雄を失うというだけでなく、多大な戦力を失うことになります。その衝撃たるや全軍の士気に直結するでしょう」
セツナひとり分の戦力を失うというだけではない。セツナはひとりで何百人、何千人の働きをしている。これまでの戦いを考えればわかることだ。万魔不当――一万以上の皇魔を倒すために必要な戦力は、通常、何千人では済まない。何万の兵を用いてようやく同じだけの皇魔を滅ぼすことができるのだ。つまり、セツナはたったひとりでそれだけの価値があるというわけであり、セツナを失うということは、救援軍戦力の半分を失うといっても過言ではないかもしれない。
(それは言いすぎだけれど)
それにセツナが死ぬということは、レムも死ぬということだ。レムの命はセツナによって供給されているという。セツナが生きている限りレムが死ぬことはありえないが、セツナが死ねば、レムは否応なく死ぬという。レムも重要な戦力だ。彼女を失うのは痛手となる。さらに魔晶人形ウルクがガンディアのために戦う理由もなくなるだろう。ウルクがガンディア軍に属しているのは、セツナがいるからだ。ミドガルド=ウェハラムとの取引は、セツナを研究することを許可する代わりにウルクを戦力として提供してもらうというものだ。セツナを研究することができなくなれば、ウルクを提供する理由はなくなる。そもそも、ウルクの心核を動かすための特定波光の発生源がなくなれば、ウルクそのものが動かなくなるのかもしれないが。
ラグナも、ガンディア軍と行動をともにする道理はなくなるだろう。あの愛らしい飛竜は、セツナの従僕として存在している。セツナの下僕だから、ガンディア軍の戦力足りうるのだ。ラグナが戦力として機能した事実はないが、彼のおかげでシーラが何度となく死を免れたという話は聞いている。貴重な戦力ということだ。
セツナひとりを失うだけで、ガンディア軍に与える影響は多岐に渡る。
反乱軍がそこまで考えてシクラヒムを捨て、レコンドールに向かったとは思えないが、少なくともレコンドールの戦いにセツナが参戦することを予期した上でシクラヒムを捨てたのは、間違いない。
「シクラヒムには騎士団の部隊が合流していたようです。部隊を率いていたのはドレイク・ザン=エーテリア。十三騎士のひとりですね」
「十三騎士か」
「直接戦ったわけじゃないけど、十三騎士の危険性は知っているつもりだよ。セツナ様でも危ういかもしれない」
「ええ。それに、レコンドールに向かった軍勢には、“剣聖”もいるはず」
「そういやそうだ!」
「“剣聖”に十三騎士がふたり。さすがのセツナ様も辛いかもしれない」
「ふたり?」
「おそらく、ですが、レコンドールにも十三騎士が派遣されているでしょう。ベノアガルドが本気で反乱軍を救援するというのであれば、十三騎士の投入を惜しまないはず」
十三騎士を惜しんだ結果、反乱軍の救援が失敗したとなれば、騎士団としては目も当てられないだろう。騎士団がそのような真似をするとは思いがたい。アバードの動乱にすら三名の十三騎士を派遣している。アバードの動乱は当初、内乱そのものであり、他国勢力が絡んでくる可能性は少なかった。にも関わらず、三名もの十三騎士を派遣したという事実がある。ガンディア軍の参戦が明らかとなった以上、騎士団も本腰を入れて反乱軍の救援を行おうとするだろう。
それは、マルディアに到着する前から想像していたことだ。
そして、そのために軍勢を分けるにあたって熟慮に熟慮を重ねた。戦力を一点に集中させる愚は避けなければならなかった。本隊だけを強くしても、ほかの部隊が十三騎士にやられては意味がない。局地的に勝利し続けるだけでは意味がないのだ。
均等とは言いがたくも、それなりに戦力を分散させることには成功したはずだ。本隊には《獅子の尾》、第一別働隊には“剣鬼”と“剣魔”、第二別働隊にはセツナ軍といった具合に主力となる戦力を分けることができている。それでも十三騎士の相手となると不安が残るものの、あとは個々の実力を信じるしかない。
「十三騎士が十三人とも投入されたらどうなるの?」
「勝てるかどうか、不明ですね」
「不明?」
「だって、黒き矛と対等に戦えるんですよ? 十三騎士。そんなのが十三人も投入されたら、まともに戦えるわけないじゃないですか」
可能性があるとすれば、セツナだ。
セツナの黒き矛は、アバードで十三騎士と戦ったときよりも強くなっているはずだった。エインはそのことを本人の口から聞いている。
ニーウェ・ラアム=アルスールとの戦いの直後のことだった。
『完全な状態になったんだよ。ニーウェを倒してさ』
セツナは黒き矛について、そのようにいった。完全な状態。いままで不完全だったということなのだろうが、黒き矛は不完全な状態でも強すぎる召喚武装だった。
『それってつまり、どういうことです?』
『強くなったってこと』
『これ以上強くなってどうするんですか』
『言葉の割に嬉しそうだな』
『当然じゃないですか。これでますますセツナ様を主軸にした戦術を考えられるっていうものですし!』
セツナに黒き矛の話を聞いた時は、そんな風に笑ったものだ。黒き矛がさらに強くなることなど想像もつかなかったが、セツナがいうのだ。嘘ではあるまい。そして黒き矛が強くなるということは、セツナ自身が強くなるということでもある。彼に直接いったようにセツナを主軸とする戦術が無限に湧き出て、エインはしばらく歓喜に包まれたものだった。部下たちが酔っているのではないかと心配してくるくらい、それから数日の間、セツナのことばかり考えていた。
もちろん、セツナにばかり頼っていてはいけないこともわかっている。だから“剣聖”相手にセツナを使わず勝利する方法を考え、“剣鬼”と“剣魔”の投入に踏み切ったのだし、結果も出ていた。
「しかし、十三人全員がこの戦場に投入されることは、まずありえないでしょうね」
「だな」
ベノアガルド本国をがら空きにして、他国を救援するなど、本末転倒も甚だしい。
「投入したとしても、半数が限度と見るべきです」
「その半数でも十分すぎるほどの脅威なんだけど」
「そのとおりですね。我々としては、十三騎士がシクラヒムを放棄して、レコンドールに向かってくれたことを喜ぶべきかもしれません。まあ、素直に喜べませんが」
「セツナ様の負担が大きくなるからねえ」
ドルカがセツナの身を案じるような顔をした。ドルカも、エインの影響なのか、セツナ信者となりつつあるのが見て取れる。そして、そんなドルカの影響で、ニナ=セントールをはじめとするドルカ軍の団員たちもセツナ派としての考えを持ちつつあった。悪いことではない。むしろ、いい傾向だとエインは考えていた。
ガンディア中がセツナ派一色に染まればいい、とさえ、エインは想っている。
「まあ、俺の読み通りに事が運んでいるんです。おそらくは、だいじょうぶでしょう」
「おそらく?」
「間に合うかどうかが問題だということだ」
ドルカの疑問にグラードが答える。まさにそのとおりだ。問題は、援軍が間に合うかどうかなのだ。読みがあたっていたとはいえ、シクラヒムの反乱軍に出遅れたのは疑いようがない。
「間に合ってくれると信じましょう」
エインは、そういってこの話を打ち切った。
不安は、思った以上になかった。
セツナを信頼しているからだ。
グラードがアスタルに全幅の信頼を寄せているように、エインはセツナを完全無欠に信じきっている。セツナならばどのような状況も打開してくれるだろう。なんとしてでも敵を打ち払い、勝利をもたらしてくれるだろう。
セツナはそういうひとだ。
それに、セツナ軍はセツナひとりの軍勢ではない。死神レムに飛竜ラグナ、獣姫シーラがいる。戦力としては申し分ない。
そこに本来なら“剣魔”が加わるのだが、“剣魔”は今回、第一別働隊の主力となっていた。
その第一別働隊の主力はいま、レコンドールを目指して激走しているはずだった。