第千二百八十三話 衝突
城門が開くとともに雪崩を打って飛び出してきた敵兵集団がマルディア軍を母体とする反乱軍兵士ではないということがわかったのは、敵兵ひとりひとりが身につけた武装のせいだった。青と白を基調とする軍服の上に鎧兜を着こむその姿は、アバードの戦場で対峙し、戦ったベノアガルドの騎士団そのものであり、レムは、瞬間的に警戒するとともに“死神”を呼び戻した。
堀にかかる橋は降りきったばかりであり、セツナたちはまだ橋を渡り始めてもいない。敵軍は、なんとしてでも橋を落とそうとするだろう。橋を落とせば、セツナたちがこちらに渡るのは困難になる。
「ウルク様、わたくしどもは橋を死守しなければなりません。橋が落とされれば、御主人様がこちらに来るのも一苦労でございます故」
とはいったものの、セツナだけを運ぶのであればウルクに往復してもらえばいいだけの話であり、レムとしては別に橋が落とされようと大きな問題はないように思えた。
「状況了解。敵性戦力の迎撃に移る」
「なんとも頼もしいお言葉でございます。御主人様さえ到着すれば勝ったも同然。なれば、我々は御主人様が辿り着くまで橋が落とされないよう、死守するのみでございます」
レムは、ウルクが戦闘態勢に入り、敵軍と対峙するのを見て、自身も影に手を伸ばした。影の中から得物を手繰り寄せ、闇色の大鎌を掴み上げる。敵軍は目前。矢の雨が止む。代わりに、前方から曲線や直線を描く矢が飛来してきていた。それらの矢はウルクには無意味だったし、レムにも致命傷にはなり得ない。矢が服を裂き、肌を傷つけようとも、痛みこそあれ、すぐに回復した。敵兵が矢の雨の中でもものともしないウルクとレムの姿に愕然とするのがわかるが、そうなるのも仕方がないだろう。
南門と橋までの距離は、それほどあるわけではない。門が開き、敵軍が飛び出してくると、門と橋の間の僅かな空間が瞬く間に戦場となって敵兵でごった返した。数えきれないほどの騎士団兵士たち。レムは、ウルクとともに敵兵を橋に近づけまいと、橋の前で得物を構えた。敵軍は、橋前のウルクとレムを包囲すると、盾兵を前面に展開し、慎重になった。矢の雨を浴びて血まみれになったレムと、矢を大量に受けて傷ひとつないウルクを目の当たりにすれば、慎重にもなるだろう。それでも矢による牽制を忘れず、弓射し続けてきている。
後方、セツナたちが橋を渡り始めているのが、音と気配でわかる。敵軍が動いた。敵軍としては、なんとしてでも橋を落とさなければならない。多少の犠牲を払ってでも、だ。なにせ、こちらの主力が橋の上を移動中なのだ。そこで橋を落とすことができれば、セツナたちを堀に落とし、一時的に無力化することさえできる。水に体の自由を奪われれば、いかに黒き矛のセツナといえど、窮地に陥るだろう。
「そのようなこと、わたくしがさせませんが」
レムは、橋への接近を試みた騎士団兵に向かって“死神”を飛びかからせた。少女の姿をした“死神”は、あっという間に騎士団兵に接近すると、飛び上がってその背後に回った。兵士が振り返る間も与えず首を捻って殺すと、死体から剣を取り上げ、周囲の敵兵を斬りつけた。“死神”の動きは、以前の“死神”よりも格段に良くなっている。強くなったという実感がある。それもこれも、セツナの闇人形との同化によるものであろう。
愛を感じる。
勘違いかもしれないが、そんな風に思って、レムはひとり微笑んだ。左手、こちらに忍び寄ってきていた騎士団兵がなぜか足を止めた。レムの笑みに恐怖でも感じたのか、どうか。
「だとすれば、失礼です」
一方的に告げて、レムはその騎士団兵士を大鎌で一刀両断した。兵士は断末魔の声を上げることもできず真っ二つになると、その後ろにいた兵士が叫びながら突っ込んできた。前面に盾を掲げての突進。レムは怯みすらせず、大鎌を横に薙ぎ払った。盾ごと敵兵の腕を断ち切り、血飛沫と悲鳴が上がるのを認める。
ウルクも動いている。彼女は、レムが担当する左とは反対の右側の敵軍に対応した。魔晶人形の運動能力は、“死神”のそれに比肩する。攻撃力だけならば圧倒するのは、城壁の破壊跡を見れば明らかだ。しかし、“死神”にはレムとの連携攻撃があるし、“死神”はどれだけ損壊されたところで、何度でも作り出せばいいという利点がある。ウルクは、現状、傷つけることさえ困難ではあるが、破壊されれば修復は困難であろう。おそらく、ディール王国に戻らなければならなくなる。それでもミドガルドは、ウルクの実戦投入を試してみたいといっていた。たとえ傷つき、破壊されたとしても構わないというのだ。研究熱心なミドガルドのおかげでガンディア軍は貴重な戦力を得られた、ということだ。
ウルクは、騎士団兵の掲げる大盾を打突の一撃で破壊し、盾を構えていた兵士をもそのまま殴り飛ばした。周囲の兵士が愕然とする中、鋭い蹴りや拳による攻撃を繰り出し、敵兵をつぎつぎと倒していく。レムは、そんな彼女の活躍を一瞥して、魔晶人形の恐ろしさを実感するとともに、彼女がセツナを主と認識していることを頼もしく想ったりした。
セツナたちは橋の半ばまで来ている。
(あと少し)
ここまでくれば、橋が落とされる心配はあるまい。
レムたちが油断さえしなければ、騎士団兵士が橋に辿り着くことなど不可能だ。
そう思ったときだった。
突如、橋が爆発した。
「なっ!?」
レムは、背後を振り向き、爆煙に包まれた橋を見て、唖然とした。橋は跡形もなく吹き飛んでいるように見えた。つまり、橋を渡っていたセツナたちもろとも爆発したということだろう。
なにが起きたのか、レムにはまったくわからなかった。少なくとも、レムたちが戦っている騎士団兵士たちに不穏な動きはなかった。そもそも、騎士団兵士たちが手にしているのは、剣、槍、盾、弓といった通常武器であり、橋を爆破することができるようなものはなにひとつ持っていなかった。だから、安心してもいたのだ。武装召喚師でもいないかぎり、橋を破壊するのは困難だ。
「城壁上からの攻撃です」
ウルクが冷静に報告してくる。
「城壁上、でございますか?」
「はい。橋を爆破した攻撃は、城壁上から行われたものと認識します」
ウルクにいわれるまま、レムは頭上を仰いだ。遥か頭上、城壁の上を捉えることは不可能に近い。レコンドールの城壁は、通常の何倍にも増築されているのだ。近ければ近いほど、その頂点は見えなくなる。レムの“死神”でも届く距離ではない。
「攻撃」
ウルクの警告にレムは大きく左に飛んだ。ウルクも後退している。直後、レムは確かに見た。赤光の槍のようなものが頭上から降り注ぎ、寸前までウルクが立っていた地面に突き刺さり、閃光を発した。爆発。規模は小さいものの、威力は申し分ない。爆煙の中、地面に大きな穴が開いているのが垣間見えた。騎士団兵士たちが散開する。レムは瞬時に理解した。騎士団兵士たちは、レムとウルクの意識を橋から引き離すためのものであり、騎士団兵士との戦闘にこそ集中させるものだったのだ。本命は、城壁上から放たれる攻撃であり、騎士団兵士たちは当然、それを知っていた。とすれば、反乱軍の武装召喚師よりも、騎士団騎士の可能性が高い。
ベノアガルドは、反乱軍を救援するため十三騎士を派遣しているはずだ。何名派遣されているかわからないが、最低でもひとりは寄越されているはずであり、そのひとりがレコンドールに入っていたとしてもなんら不思議ではなかった。
「相手が十三騎士様であれば、望むところにございます」
レムは、“死神”を引き寄せると、再び飛び離れた。光の槍が降り注ぎ、また小さな爆発を起こす。しかし、レムにはもはや当たらない。レムだけではない。ウルクにも当たらないだろう。城壁が高すぎるということが仇になったのだ。通常の何倍もの高度を誇る城壁は、城壁上からの攻撃を簡単なものにする一方、対処しやすくもした。特にレムのように常人よりも遥かに優れた五感を持つものにとっては、たやすいことこの上ない。
「望むところ……ですか」
声とともに緊張が走った。騎士団兵士とは比べ物にならない圧力を感じて、鎌を掲げる。前方、槍が降り注いできた場所に、それは立っていた。長身痩躯、白皙の男だ。青と白を基調とする甲冑を身に纏い、長柄の槍を手にしていた。一見するとただの鎧騎士だが、纏う気配が、ほかの騎士団兵士たちとはまったく異なっていた。ただそこに立っているだけだというのに、威圧されている気がする。武器を構えてすらいないというのにだ。
「はい。わたくしの力が十三騎士様にどこまで通用するのか、直接確かめたかったのでございます」
以前、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートと交戦したときは、ベインに手傷さえ負わせることができなかった。逆に、レムは何度か致命傷を食らっている。セツナと繋がっていなければ死んでいただろう。それも、何度もだ。人間、命はひとつしかない。レムが常人ならば、あのとき死んでいたということだ。
ミリュウも苦戦を強いられ、何度か殺されかけている。
だからこそ、レムは闇人形との同化によって強くなれたことを嬉しく思ったし、ミリュウが強くなるために苦心したのだ。十三騎士と少しでも戦えるようにならなければ、セツナの力になることなど到底不可能だ。
ガンディアとベノアガルドは現状、相容れない。
ガンディアが小国家群統一を掲げる上で避けて通れぬ相手なのだ。そしてそれはつまり、いつか十三騎士を相手に戦わなければならないということであり、そのときまでにレムたちは十三騎士と対等程度には戦えるようになっていなければならないのだ。
「十三騎士の実力、低く見られたものですね。見たところ、あなたは死神のようだ。死神レム。あなたは以前、アバードの戦場でルーファウス卿らと戦ったそうですね」
「わたくしがお相手いたしましたのは、ラナコート卿でございますが」
「ほう。ラナコート卿と。さぞや大変だったでしょう?」
「はい。とても、大変でございました。実際、何度か殺されましたもの」
「殺された……? なるほど、死神は我々の常識に囚われぬ存在ということですか」
「そういうことでございます」
「では、わたしも気を引き締めて、対応させて頂くとしましょう」
槍の騎士が、長柄槍を構えた瞬間、猛烈な殺気が彼に襲いかかり、レムは歓喜に包まれた。槍騎士の縦長の胴体がレムの左方向にすっ飛ぶと、彼女にとって最愛の人物がその姿を見せつけてくれたからだ。
「御主人様……!」
レムは思わず駆け寄って、彼に抱きつこうとしている自分に気づいて、はっと足を止めた。ここが戦場だということを瞬間的に忘れてしまったのは、セツナの無事な姿を目の当たりにしたからだろう。喜びが溢れすぎた。
もっとも、セツナが生きていることはわかりきっていた。橋の爆破に巻き込まれ、傷を負った可能性は少なくなかったものの、彼が死んだことはありえなかった。なぜなら、レムが生きているからだ。簡単な理屈だ。レムが生きているということは、レムに命を供給するセツナが生きていないはずがないのだ。セツナが死ねば、レムも死ぬ。
死がふたりを別つまで、ともに生き続ける運命なのだ。
「ったく、ひとが渡ってる橋を爆破するなんざ、不貞野郎だな」
セツナは、敵兵集団の中に飛んでいった十三騎士のほうを見遣りながら、うんざりといった。全身、濡れそぼっている。橋が爆破される寸前、堀の中に飛び込んだのだろう。それから堀を泳ぎ、こちらに辿り着いた。
「水も滴るいい男でございますね」
レムはうっとりといった。実際、水に濡れたセツナには妙な色気があった。場所が場所なら押し倒してしまいたくなるような、そんな色気。残念なことにここは戦場で、十三騎士が出てきている以上、そんなことをしている場合ではない。
「うるせえ」
セツナの邪険な態度も、レムには喜ばしい限りだった。セツナとのそういうやり取りがレムにとっての幸福なのだ。レムがからかい、セツナが悪態をつく。それがセツナとレムの関係だ。それでいい。それ以上は望むまい。それ以上を望めば、不幸に落ちるかもしれない。幸せを維持するには、高望みしないことだ。
だから、レムは、セツナがほかの女性たちと仲良くしているのにも平気でいられた。むしろ、セツナと仲のいい女性が増えれば増えるほど、レムにとっての幸福は増えた。彼女たちをからかうことができるからだ。
「無事でなによりです、セツナ」
ウルクがいつの間にかセツナのすぐ側に来ていた。彼女もセツナの無事を把握していたに違いない。彼女は、セツナを主と認識している。主の無事が確認できなければ、従僕たる彼女は取り乱したかもしれない。無感情、無感動なウルクが取り乱している状況など考えられないが。
「ああ。おまえもな」
「わたしが無事なのは当然です」
「そうだな」
セツナが苦笑すると、ウルクは小首を傾げた。彼女には、セツナの苦笑の意味がわからないのだろう。ウルクとすれば、当たり前のことを当たり前にいっただけだ。そして、それがセツナの苦笑を呼ぶ。
「鎧が重いのなんの」
などといいながら近づいてきたのは、シーラだ。彼女の後方では黒獣隊の隊士たちが武器を構え、臨戦態勢を取っている。敵集団の目の前だ。敵は、状況に唖然となり、攻撃の手を休めているが、いつ戦闘が始まってもおかしくはなかった。
「シーラ様! ご無事のようで!」
「当たり前だろ。あんなので死んでりゃ世話ねえっての」
「セツナ様の警告がなければ死んでいたけどねえ」
「セツナ様さまさまですね!」
「本当にね」
「やはり、わたくしの御主人様は最高にございます」
レムがセツナを激賞した直後、敵軍に異変があった、騎士団兵士たちが陣形を変え始めたのだ。
そして、十三騎士がレムたちの前方に歩いてくる、悠然とした足取りは、十三騎士の風格と余裕を見せつけているようであり、実際、精神的余裕を感じさせた。セツナの飛び蹴りを食らって吹き飛ばされたとは思えないような、威圧感。
「やはり黒き矛のセツナ。あの程度の攻撃では、死んでくれませんか」
「ったりめーだ。あんなので死んでりゃ世話ねえよ」
「そうじゃな。あの程度でくたばるようであれば、とっくに野垂れ死んでおるわ」
「酷いいいざまだな、おい」
ふとみると、ラグナはシーラの肩の上でぶるぶると体を震わせていた。彼も水浸しになったのだろう。体からしずくが飛んでいた。
「あんたが、十三騎士か」
セツナが、槍騎士に対峙する。セツナが構えるのは、当然、黒き矛だ。黒竜を思わせる甲冑に身を包んだセツナが禍々しい漆黒の矛を手に持つと、さらに禍々しさが増した。対する十三騎士は、青と白を基調とする鎧を着込んでいて、どうにも清々しい。なんだかセツナのほうが悪く見えて、レムにはそれがおかしかった。もちろん、セツナが悪であろうとなんら問題はない。
「まあ、そうなります。わたしは、十三騎士がひとり、カーライン・ザン=ローディス。どうぞ、お見知り置きを」
そういって、カーライン・ザン=ローディスは、腰を落として槍を構えた。
「ここで死ぬセツナ伯様には、記憶に留めて置かれる必要もございませんが」
槍が光を発し、カーラインの姿が掻き消えた。