第千二百八十二話 進撃
爆光が視界を白く染め上げ、大気を震撼させたのは、戦闘が始まってしばらくしてからのことだった。
アスタル=ラナディースは、部隊の後方から戦場を見渡していたこともあり、なにが起きたのか瞬時に察した。爆発は、レコンドールの南東部で起きており、それがセツナ軍の攻撃によるものだということは一目見て明らかだった。反乱軍側の攻撃が城壁を破壊するわけもない。
爆発の光と衝撃波が、レコンドール東部の戦場にまで届くとは思いも寄らなかったものの、アスタルは、セツナたちの働きぶりに目を細めた。
さすがはガンディアの英雄率いる軍勢というべきだろう。
この戦いは、彼らがいることで決したといってもいい。
(エインのいうとおりだな)
エイン=ラジャールは、逢うたびに彼女にいったものだ。
『セツナ様は最高ですよ!』
彼女が軽く嫉妬を覚えるほど、エインはセツナに夢中だったが、それもむべなるかな。
セツナ軍の活躍が、第二別働隊の勝利に直結するのは、当初からわかりきっていたことだが、それをまざまざと見せつけられると、意見のしようもなかった。
もっとも、アスタルはセツナのことが嫌いではない。
ログナー戦争がログナーの敗北で終わったのは、セツナの活躍によるところが大きい。そして、セツナは、アスタルを殺さなかった。殺すこともできたはずなのにだ。殺さず、アスタルから降参の言葉を引き出したのは、セツナがそれなりに考えて戦っていることの現れであり、そういうことから彼に興味を持った。
セツナ信者と化したエインの影響も大きいのだろうが。
アスタルは、口の端で笑うと、透かさず号令を発した。
「全軍突撃せよ! 敵が怯んだ隙を見逃すな!」
第二別働隊本隊の将兵が異口同音に咆哮を上げる。
敵部隊はレコンドールで起きた爆発によって、動揺していたのだ。
敵部隊を突破すれば、東側からセツナ軍を援護することも可能だ。セツナたちの戦いを援護することこそ、他の部隊に与えられた使命といってもよかった。
大爆発が前方で見えたとき、サラン=キルクレイドは馬上、セツナ軍の後を追っていた。
サランたちイシカの部隊は、セツナ軍の後方に配置されており、セツナ軍の進軍に合わせて行動を開始したのだが、セツナ軍がレコンドール南部に展開された部隊を蹴散らし、レコンドールに接近するまでに合流することはかなわなかった。
「かなうわけもないな」
「仕方がありませんよ」
イルダ=オリオンが苦笑交じりに馬を走らせながらいった。イルダ=オリオンは、サランの高弟のひとりであり、星弓兵団の団長を務めている。優秀な弟子であり、つぎの弓聖候補のひとりに数えられるほどの弓の腕前を誇るのが彼女だった。
イシカには、サランの弟子は多い。星弓兵団の団員の大半が彼の弟子であり、孫弟子も含めると全員がそうであるといってもいいだろう。
そもそも、星弓兵団は、サラン率いる弓兵部隊・星弓隊が増員を繰り返していった結果、軍団となったのであり、星弓隊が彼と彼の弟子のみの部隊だったことを考えると、そうなるのも当然の結果だった。そして、弟子たちは皆、優秀な弓兵として育っている。イシカの弓兵の技術は、他国のそれを大きく上回るといっても過言ではない。弓兵のみで持っているというのは言い過ぎにしても、イシカの勝利にもっとも貢献しているのがサランと星弓兵団なのは疑いようのない事実だった。
「とはいえ、少しでも追いつき、援護するべきだが」
「もちろんです。しかし」
「ん?」
「師匠は、獣姫様との共闘を楽しみにしておられるのでしょう?」
「たわけ」
サランは弟子の軽口に叱責を飛ばしながらも、苦笑せざるを得なかった。
そうかもしれない。
獣姫シーラは、いまやただのシーラとなり、セツナ配下の黒獣隊長を務めているが、それはそれとして、彼女と同じ戦場に立つというのは、気分が昂揚するものだった。
彼がシーラを見る目というのは、孫娘を見守るようなものであり、彼女が戦う様を目に焼き付けておきたいと思うのは、孫の活躍を記憶に刻みつけたいと願う祖父母のそれであるかもしれなかった。
恋愛感情ではない。
そのようなものは既に枯れ果てた。
サランは、前方にセツナたちの後ろ姿を見つけて、気を引き締め直した。セツナたちが近いということは、戦場が近いということにほかならない。
「城壁は破壊したけど、堀はどうすんだ?」
シーラが当然の質問をしてきたのは、城壁破壊後のことだ。
城壁を破壊し、レコンドール内部に至る突入口ができたのはいいものの、横幅の広い堀をどうにかしなければ、その突入口に至ることさえできない。堀には満々と水が満ちているが、泳いで渡ろうとすれば、弓射の餌食になること間違いない。泳いでいる最中は無防備とならざるをえないのだ。
「越えるしかねえよ」
当然のように、いう。シーラが難しい顔をした。
「どうやって?」
「ウルクだよ」
「またかよ」
「馬鹿の一つ覚えでございます」
呆れるシーラとレムの反応に、セツナは憮然とした。
「おいおい、御主人様に向かってそんな言い方はないだろ。それに、ウルクならあれくらい飛び越えられるし。だろ?」
「問題ありません」
ウルクの反応は、機敏であり、心地いいほどのものだ。彼女の跳躍力、飛行能力を持ってすれば、この程度の堀を越えることは造作もない。それについては、レコンドールの周囲に堀があるという話を聞いたときから考えていたことだった。堀があっても、彼女なら飛び越えられるし、場合によっては彼女に皆を運んでもらうということも考えていた。が、さすがに何十人、何百人をウルクに運んでもらうのは一苦労だし、無駄に時間が掛かることでもあるため、やめた。
「よし、レムを連れて行け」
「わたくしでございますか?」
「おまえなら橋を架けることなんざ造作もないだろ」
「なるほど」
納得したように、彼女はぽんと手を打った。レムは堀に架かっていた橋が敵兵によって釣り上げられてしまったことをようやく思い出したのだろう。目の前に高々と聳えているのだが、ほかのことに目を取られるとわからなくなるものだ。灯台下暗しというやつかもしれない。
「前言撤回いたします。さすがはわたくしの御主人様でございます」
「おせえよ」
「うむ、先輩のいう通りじゃな」
「なにがだ」
「なんでもないのじゃ」
セツナが睨むと、ラグナはさっと目を逸らした。
「では、ウルク様、わたくしをお運びくださいませ」
「了解した。それではセツナ、いってまいります」
ウルクはセツナに一礼すると、ウルクを両腕で抱き抱えた。レムは妙に嬉しそうな顔をしていたが、なにが楽しいのか、セツナにはわからない。
「なんでレムなんだ?」
シーラは言外に、自分でも良かったのではないか、といっている。セツナは、そんな彼女の心情もわかっているから、ありのままの考えを述べた。
「レムなら矢で貫かれてもなんともないからな」
「……そういうことか」
シーラは、納得したようだった。レムがどれだけ傷つけられてもなんともないということは、彼女も知っていることだ。
「シーラもラグナがいるから安心だが、魔法を使わせるのはほどほどにしたい」
「理解したよ。案外、考えてんだな」
「シーラまで……さすがにへこむぞ」
「おぬしが馬鹿なのが悪いのじゃ」
「馬鹿じゃねえよ……馬鹿かもしんないけどさ」
「どっちなのじゃ」
見ているうち、レムを抱えたウルクが堀に向かって跳躍した。城壁上の弓兵が、彼女を撃ち落とさんと矢を射るが、そもそもウルクに当たることさえなかった。ウルクは、空中で背部噴射口から波光を噴出させ、一気に堀を飛び越えてしまったからだ。堀を越えたウルクから降ろされたレムはすぐさま橋の袂まで駆け寄ると、影の中から“死神”を出現させた。レムによく似た少女の姿をした闇人形が、橋を釣り上げていた鎖を断ち切ると、橋が勢い良く落ちてきた。その間、ウルクとレムに矢の雨が降り注いだが、ウルクは物ともせず、レムは華麗にかわしたり、食らってもなんともないとでもいいたげに笑みを湛えた。矢はレムの皮膚を裂き、血を吹き出させるのだが、彼女の命に別状はないのだ。たとえ首を切り飛ばされたとしても、彼女は死なないだろう。
それは、呪いというべきかもしれない。
この世の法を無視した再蘇生を行ったことによる、呪い。
彼女は、生き返ったが、生き続けなければならなくなった。セツナが死ぬまで、死ねなくなったのだ。セツナが命を供給し続けるから、どのような目に遭っても、死なない。死なないのではなく、死ねない。
だから、矢の雨の中でも彼女は平然と踊る。血を噴き出し、傷だらけになろうとも、いつものように踊り狂う。
それは美しくもおぞましく、狂おしい光景だった。
だから、だろう。
「レムは……幸せなのかな」
ふと、そんな言葉をもらさずにはいられなかった。
「だろうよ」
「そう思うか?」
「少なくとも、俺にはそう思えるよ。おまえをからかってるときのレム、本当に楽しそうだぜ」
シーラが笑いながらいうと、ラグナが肯定した。
「そうじゃな。先輩は、セツナと遊んでおるときがこの世の中で最高の瞬間じゃといっておったぞ」
「そうか……だったらいいんだ」
幸せといってくれるのなら、それでいい。
それならば、あのとき、セツナが下した判断は間違いではなかったと言い張れる。ただし、いつまでもそう言い張り続けるつもりならば、彼女を幸せにし続けなければならず、そのためには、彼女と戯れることに時間を割かなければならない。
そんな風に考えていると、イシカの星弓兵団が合流した。星弓兵団長イルダ=オリオンとイシカの弓聖サラン=キルクレイドがそれぞれにいってくる。
「セツナ様、レコンドールには我々もお伴しますよ」
「レコンドール内部は激戦になると思われます。細心の注意を」
「援護、よろしく頼みます」
セツナは、それだけをいうと、橋に向き直った。すると、堀の向こうでは、戦闘が始まろうとしているのがわかった。
城壁が破壊されたことで城門を閉ざすことが無意味だと悟ったのか、レコンドールの南門が開き、そこから敵部隊が雪崩を打って出撃してきたのだ。
銀甲冑の集団。
散見される青と白の隊章は、ベノアガルドの騎士団を示していた。