第千二百八十一話 波光大砲
セツナ軍の突出に合わせて、アスタル率いる本隊が東門への進軍を開始し、サランの部隊も南門へと動き出した。西の部隊もまた、西門に向かっての進軍を始め、ついにレコンドールを巡る戦いが本格的に始まった。
セツナたちは、南門の前面に展開した部隊を一方的に攻撃した。混乱する敵部隊に痛撃を叩きこむのは、難しいことではなかった。セツナたちによって四分の一ほどを削られた敵部隊は、部隊長の号令とともに後退を始めたが、追撃によってさらに数を減らしながら、なんとか門に架かる橋へと到達する。そして、橋を渡り切ると、橋を上げてしまった。レコンドールの城壁外周には深く広い堀が掘られており、橋を渡って堀を越えなければレコンドールに辿り着くことはできなかった。
その上、堀に近づくと、城壁上から放たれる矢が雨のように降り注ぐのだ。
セツナたちは一端、弓の射程外まで下がると、レコンドールの威容を目の当たりにした。威容。威容というほかない。何十メートルもの高さを誇る城壁は、一般的な都市の城壁に比べると何倍もの高さを誇り、さらに分厚いときている。跳躍して飛び越えられる高さではないし、そもそも、堀をどうにかしなければならない。堀さえ飛び越えられる幅ではない。そして堀に近づけば、矢の雨に遭う。黒獣隊の何人かは矢傷を受けていた。無理を通せるものではない。
「たっけえなあ、おい」
セツナは、城壁を仰ぎ見ながら、そんな感想を述べた。この世界に来てからというもの、様々な建物を見てきたが、これほどまでの高層建造物は見たことがないかもしれない。それくらい、レコンドールの城壁は高かった。
情報によれば、レコンドールの城壁がここまで高く、分厚くなったのは、反乱軍に制圧されたあとのことであり、しかも数日で変貌したということだった。人間業ではない。まず間違いなく武相召喚師の仕業であり、召喚武装の能力によって増強されたに違いない。どういう能力なのかはわからないが。
「どうすんだ?」
シーラの声に彼女を見やると、白髪の隙間から猫の耳を生やした美女が立っていた。碧眼が猫の目のようになっているし、よくみると、猫の尻尾も生えていた。妙に似合って見えるのは、彼女の二つ名に相応しい姿ということもあるかもしれない。ハートオブビーストの能力が発動したのだ。キャッツアイだったかそんな感じの名称の能力。
ハートオブビーストは、血を媒介に能力を発動させることができるのだが、その制限に相応しいだけの性能を持っている、とは言い難いかもしれない。なぜなら、ハートオブビーストの能力にはいくつかの種類があり、どの能力が発動するかはシーラ本人には決められないからだ。とはいえ、どの能力が発動しても基本的な身体能力が大幅に向上するというのは間違いないらしく、いずれにしてもシーラの戦闘能力が引き上げられるということそのものに変わりはない。
アバード動乱の最後、彼女が九尾の狐と化したのも能力なのだが、発動条件はほかの能力よりも厳しいらしく、アバード以来、一度も発動できていないという。彼女はその能力をナインテイルと名づけている。ハートオブビースト・ナインテイルだ。
シーラが怪訝な顔になったのは、セツナが彼女の姿をじろじろを見ていることが気になったからだろう。
「なんだよ?」
「いや、ちょっと――」
目についただけだ、とでもいおうとしたときだった。シーラの肩に止まっていたラグナが口を開いたのだ。
「セツナはいまのおぬしの格好が気に入っておるのじゃ」
「は!?」
シーラが顔を真っ赤にすると、背後からレムが悲痛な声を上げてくる。
「まあ、御主人様にそんな趣味があっただなんて、このレム、一生の不覚でございます」
「なにいってんだよ。んなわけねえだろ」
「ないのか……」
「なにがっかりしてるんだよ。似合わねえとはいってねえだろ」
「なっ……!?」
セツナのなにげない言葉に、シーラは顔面のみならず、全身を紅潮させた。セツナはそんなつもりで発言したわけではないのだが、彼女には効果覿面だったようだ。そのまま硬直するシーラに対し、彼女の部下たちが反応を示す。
「隊長、本当、面白いねえ」
「特にセツナ様と一緒だと表情がころころ変わって、微笑ましいです!」
「本当、幸せそう……」
「戦いの最中にやることじゃないけどね」
「……おまえらなあ」
相も変わらぬシーラの扱いに、セツナはなんともいえない気分になった。仲が良いのは悪いことではないし、彼女たちの言動からシーラがいかにも慕われ、大切に想われているのかがわかるから、別にいいのだが。
紅潮して硬直したままのシーラの肩の上から、ラグナが問いかけてきた。
「しかし、ほんにどうするんじゃ? おぬしの矛は眠っておるし、先輩の“死神”でも、シーラの槍でもなんともならんじゃろ」
城壁のことだろう。
とてつもなく高く分厚い城壁を突破しなければ、レコンドールを落とすことはできない。堀を越えるよりも、そちらのほうが重要なのはだれのめにも明らかだ。そして、そのためにセツナ軍はどの部隊よりも真っ先に動き、突出している。
「おまえの魔法は?」
「魔力が勿体無いぞ?」
「そうだよな。とっておきだもんな」
セツナは、ラグナの言い分に納得した。そもそも、ラグナに魔法の多用を禁じているのは、セツナ自身だ。ラグナは、自前の魔力に加え、周囲(主にセツナ)から吸収した魔力を日々蓄積している。魔力を蓄えることでラグナ自身が成長し、強くなることができるからだ。ラグナが強くなるということは、戦力が増強されるということであり、無駄に魔力を消耗させるのは得策ではなかった。それに、攻撃力は飽和気味だ。これ以上の火力は不要といっても過言ではなかった。それならば、彼の魔力は防御魔法にのみ使用してもらえばいい。
そんなことを思いながら、視線を巡らせる。シーラはようやく硬直から抜けだしてほっとした様子を見せており、黒獣隊の面々は戦いの興奮が冷めやらぬといった状態だった。新入りの隊士たちにしてみれば、初陣も初陣なのだ。実戦経験のある隊士もいるようだが、多くは、この戦いが初めての戦闘であり、実戦がどういったものなのかを知る機会となった。黒獣隊新入隊士のうち、だれひとりとして恐怖に身を竦ませているものはおらず、シーラたちの選考の正しさを伝えるようだった。レムはなにやら難しい顔をしているのだが、きっと良からぬことを企んでいるのだろう。ときどきシーラを見ていることから、猫耳のような飾りでも作ろうと画策していてもおかしくはない。戦場に身を置くことになれた死神にとって、戦闘の最中別のことを考えるのは造作も無いことだ。
そして、最後に目を向けたのは、ウルクだ。美しい魔晶人形は、便宜上、黒獣隊の隊服を身に着けているのだが、隊服は傷だらけでところどころが破れていた。しかし、傷ついているのは隊服だけであり、ウルクの体には傷ひとつついていない。魔晶人形の装甲を傷つけるのは召喚武装を用いても困難だというミドガルドの発言は、あながち誇張でもなんでもないのかもしれない。そう思わせるほど、彼女の無傷っぷりは美しかった。
「ということで、ウルク」
「なんでしょう?」
ウルクは、淡く光を発する目でこちらを見てきた。表情ひとつないが、それこそがウルクだということさえわかっていれば、なんら不思議ではない。無表情、無感情、無感動。それが魔晶人形であり、それこそがウルクなのだ。セツナは、レコンドールの城壁を指差して、告げた。
「一発派手なのかましたれ」
「失礼ですが、意味がわかりません」
「うむ。ウルクのいうとおりじゃな」
ウルクの一言とラグナの追撃にずっこけそうになりながら、セツナは咳払いをした。それから、もう一度、正確に命令する。
「……波光大砲で城壁を破壊しろってのさ」
「了解しました」
ウルクは、反論や意見のひとつなくセツナの命令に従うという反応を見せた。セツナはそういう彼女の態度を見て、やはり不思議に思うのだ。彼女はなぜ、セツナの命令を聞くのだろう。彼女はなぜ、セツナを主と認定し、認識し、認証しているのだろう。なぜ、ミドガルドではなく、無関係であるはずの自分なのだろう。
魔晶人形の心臓たる心核を動かすには、セツナの発する波光が必要だという。セツナが黒き矛を通して発した波光が、ウルクの心臓を動かした、ということだ。だから、彼女はセツナを主と認識しているのではないか、というのがミドガルドの仮定だが、それが正しいのかどうかはミドガルドにさえわからないのだ。そもそも、ウルクに自我が発生した事自体、ミドガルドにとって計算外のことであり、彼女が自発的に考え、動くようになった理屈は不明なままだ。術式転写機構に異変が起きたのは間違いないというのだが、なぜ異変が起き、自我が発生したのかは不明。そして、自我の芽生えたウルクがセツナを主と認識しているのは、もっと不明なのだ。
不明だが、彼女がそう認識してくれているのであれば、セツナも命令することに躊躇はなかった。彼女がガンディオンに現れて、すでに半年近くが経過している。彼女に命令することにも慣れてしまっていた。
実戦で命令するのはこれが初めてだが。
「ただ、いくら城壁が分厚いとはいえ、市街地に被害が出ないよう、角度とかちゃんと計算してくれよな」
「レコンドールの内部構造は把握済みです。問題ありません」
「さすがだな」
セツナが手放しで褒めると、ウルクが動きを止めた。そして、こちらを見つめてくる。双眸から溢れる光が増大したように見えたが、気のせいかもしれない。彼女の目が発する光は常に一定だ。
「セツナ」
「なんだ?」
「いえ。それでは、指示通り、波光大砲を使用します」
ウルクは、なにかいいたそうな様子だったが、表情の変化などないこともあって、よくわからなかった。彼女は、セツナが見ている前で堀に向かって歩いて行く。彼女が弓兵の射程距離に入ると、城壁から数多の矢が飛来してきたが、それらは尽く彼女の体で跳ね返って地に落ちた。落下速度を加味した威力の矢でも、ウルクを傷つけることはできないようだった。
シーラが小声で問いかけてくる。
「本当にだいじょうぶのか? 波光大砲ってあれだろ?」
「ああ。あれだが、だいじょうぶだろう。ミドガルドさんも調整したっていってたし」
あれ、というのは、獅子王宮練武の間の壁を破壊した光波のことを指しているに違いなく、セツナはそう考えて対応した。ウルクは以前、シーラの訓練に応じようとして練武の間の壁を消し飛ばしてしまったことがあり、その破壊力の凄まじさには度肝を抜かれたものだった。それが魔晶人形に搭載された武装のひとつ、波光大砲だということが判明したのは、ミドガルドに説明を受けてからだった。波光大砲は、ウルクの右腕に内蔵された魔晶兵器であり、心核から供給される波光を掌から放出することで広範囲の対象を攻撃するというものであるらしい。
練武の間でウルクが波光大砲を使用したのは、ミドガルドにとっても予想外の出来事であり、予期せぬことだったらしく、調査した結果、セツナが原因らしいということが判明している。セツナに見られているということが彼女のなにかを刺激し、興奮させ、波光大砲の使用に踏み切らせたのだという。ミドガルドは二度とあのようなことがないようにとウルクの波光大砲を使用不能にしていたのだが、マルディア救援に先立ち、封印を解除してもらっていた。同時に、ウルクを調整することで、セツナが見ているからといって興奮しすぎないようにした、とのことだが、どこまで効果があるかはミドガルドにも不明らしい。
セツナは少しばかり不安を感じたものの、ほかに方法があるわけでもないので、ウルクに視線を向けた。
堀の縁に立ち、矢の雨を物ともせずに立ち尽くす魔晶人形の後ろ姿は、美しいという他ない。
「制限解除、出力最大」
ウルクの無機的な声が聞こえ、彼女が右腕を掲げた。ウルクの内部では大きな変化が起きているのかもしれないが、外から見る限りではなにが起きているのかまったくわからない。矢の雨は止まらないが、勢いは落ちてきていた。ウルクにはまったく意味がないということが、城壁上の敵兵たちにもわかってきたようだ。理屈はわからなくとも、矢が意味をなさないことくらい理解できるだろう。
「波光大砲、発射」
ウルクが告げた瞬間だった。
ウルクの右掌から光が溢れた。膨大な光がセツナの視界さえも白く塗り潰したかと思うと、大気を震撼させた。膨大な光の奔流は堀の上を越え、南城壁の東の角へと殺到する。セツナは、ただただ唖然とする。とてつもなく莫大な量の光が視界を白く染めながら、城壁へと直撃し、天地が晦冥したかのような轟音と震動が発生した。大爆発が起きたのだ。爆発の光は、いままでのそれよりももの凄まじい閃光となってセツナの視界を奪ったが、音が鼓膜を激しく震わせた。
それでも、セツナにはなにが起こっているのかがはっきりとわかる。黒き矛を通して見る世界は正確に物事を捉えることができるのだ。波光大砲の砲撃は、見事に城壁の一部を破壊することに成功し、レコンドール内部へと至る道ができていた。
レコンドールは、四方を巨大な城壁で囲われた都市だが、ウルクの砲撃が破壊したのは、南側城壁の東端部だ。正方形か長方形か、レコンドールを囲う城壁の角であり、角に開けられた大穴からはレコンドールの内部を覗き見ることができていた。立ち込める爆煙さえ消え去れば、シーラたちにも見えるようになるだろう。
ウルクが角を狙ったのは、直線上に人家がなく、市街地に被害を出さないようにするにはこれが最適解だと判断したからだろうし、セツナは、ウルクの考えに納得した。これならば、たとえ城壁が脆く、波光大砲の砲撃が貫通するようなことがあったとしても、市内に破壊が及ぶことはなかった。
「す……げえ……」
「これがウルク様の……」
驚嘆の声を上げるのは、シーラとウルクだけではない。黒獣隊の隊士たちが口々に驚きの声を上げ、城壁上の敵兵たちが悲鳴染みた声を発するのも、セツナの耳に届いていた。レコンドール内部が騒がしくなっている。城壁が破壊され、穴が開いたのだ。分厚く補強した城壁がだ。敵が慌てふためくのも当然だった。
「あやつ、本当に人の子が創りだしたのか?」
「ミドガルドさんご自慢の作品だからね」
ラグナが訝しがるのもわからなくはないほどに、ウルクの存在は圧倒的だった。魔晶人形が一体あれば、都市ひとつ制圧するのも不可能ではないだろう。というより、レコンドールくらい、彼女一体で制圧してしまえるのではないか。そして、そんなものを量産しようと考えているミドガルドには恐ろしい物を感じずにはいられないし、量産の暁には、神聖ディール王国の一強時代が訪れるのではないかとさえ思える。が、そんな時代が来るのは、当分先の事になるだろうというのがミドガルドの感想だった。なぜならば、ミドガルドの研究が進んでいないからだ。
魔晶人形を動かすには黒魔晶石の心核を必要とするのだが、黒魔晶石の心核を起動するには、セツナの発する特定波光が必要だった。ミドガルドは、セツナの特定波光を研究することで、他の方法で特定波光を再現できないかと考えているのだ。もし、特定波光を再現することができれば、魔晶人形の起動にセツナの存在は不要となり、となれば、魔晶人形を量産することも可能となる。
『その場合でも、ウルクはセツナ伯サマを主と認証し続けたままでしょうが』
とは、ミドガルドの言葉だ。彼は、研究が実った暁には、ウルクをセツナの側に置いておくことも吝かではないともいっていた。愛娘を嫁に出すようで心苦しいが、とも。
しかし、そのためには、セツナが魔晶人形の調整器の扱い方を覚えなければならないという。でなければ、ウルクが万が一機能不全に陥ったとき、どうしようもなくなるからであり、常に最高の状態を保っておくには定期的に調整器を使い、ウルクの状態を最適化しなければならないからだ。そのため、セツナはここのところミドガルドから調整器の扱い方を学び始めていた。ミドガルドは、セツナ以外のほかのだれかには教えることはできないらしい。頭のいい研究者に調整器の扱い方を教えると、そこから魔晶人形の秘密を探られるおそれがあるからだ。
『それ、俺だとそんな心配はないっていってるような気がするんですが』
『その通りです』
ミドガルドの歯に衣着せぬ発言は、嫌いではない。
そんなことを考えながら、セツナはウルクが掲げていた腕を下ろすのを見ていた。矢の雨は、止んだ。城壁破壊の衝撃が大きく、弓兵たちの動揺を誘ったに違いない。
ウルクの長い髪が舞い上がり、うなじあたりの排熱口から熱が排出されたのがわかった。魔晶人形は、その構造上、躯体の各所に排熱口がある。躯体内部に溜まった熱を体外に排出することで躯体の温度を一定に保つ必要があるからだ。
ウルクは、排熱が完了すると、セツナに向かって歩いてきた。てきぱきとした足取りは、やはり、機械的な動作に見える。人形というよりは、機械に近いのかもしれない。彼女は、セツナの目の前まで来ると、立ち止まり、敬礼した。
「城壁の破壊、完了しました」
「よくやったな。さすがウルクだ」
セツナが手放しで褒め称えると、彼女は黙りこんだ。
そして、排熱口から熱を排出した。