第千二百七十二話 シールウェールの傭兵たち
ルクスたちが部隊を纏め上げ、シールウェールに入ったのは、その日の正午のことだった。
シールウェール南部一帯を覆い尽くしていた濃霧はとっくに消え去り、戦いそのものが終わってからもかなりの時間が経過したが、それでもすぐさま軍を纏められなかったのは、負傷者が多数出ていたからだ。
死者も、多い。
別働隊の先陣を任されたベレル豪槍騎士団二千名のうち、三百人が死に、数百人の重軽傷者を出している。三百人のうち、二百人が“剣聖”トラン=カルギリウスによって殺されているのだが、その際、トランは召喚武装を用いておらず、彼が並外れた力量の持ち主であることはその事実からも明らかだ。その上で召喚武装二刀流によって底上げされるのだから、ルクスとエスクのふたりがかりで苦戦するのも道理というべきかもしれない。
『生きているだけ御の字だよ、ほんと』
本隊によって奪還されたシールウェールへの移動中、エスクがもらした一言は、ルクスにとっても実感だった。
トランとの死闘を辛くも生き延びることができたのは、本隊によるシールウェールの奪還がなったからであり、トランが状況を理解できないような狂人ではなかったからだ。トランは戦闘狂ではあったが、ルクスたちと同じように理由なく戦う類の戦闘狂ではなかったのだ。だからこそ彼は反乱軍に身を投じたのだろう。でなければ、どこの軍勢にも属さず、強者と見つければ戦いを挑めばいい。そうしないのは、彼が常識を弁えた人間であり、人間社会の枠組みの中での闘争に酔い痴れる種類の人間だということだ。
それこそ、ルクスたちが生き延びられた理由だろうが、そもそもルクスたちがトランと戦うことになったのも、彼が戦場を探し求めてマルディアに流れ着いたからにほかならない。
(いずれにしても、厄介だということか)
別働隊の先陣を務めたのは、ベレル豪槍騎士団だけではない。ガンディア傭兵局に属する《蒼き風》と《紅き羽》、セツナ配下のシドニア戦技隊も先陣として戦いに参加し、トランのふたりの弟子の相手をしていた。ルクスとエスクがトランとの戦いに集中できたのは、そのおかげといっていいだろう。もしトランのふたりの弟子が野放しならば、ルクスたちは、弟子ふたりの相手もしなければならなかったかもしれない。
トランは、持てるすべての力を駆使することこそ戦いの醍醐味だということを理解している。アニャンとクユンのふたりが戦闘中でなければ、きっとルクスたちとの戦いに割り込ませ、自分にとって有利な状況を生み出したことだろう。
あらゆる状況を利用して勝利を掴む。
戦闘狂ではありながら、狂気に支配されきってはいないところが、“剣聖”の恐ろしいところかもしれない。
《蒼き風》は、団長以下総勢二百人の傭兵団であり、《紅き羽》は三百人規模の傭兵集団である。アニャン、クユンとの戦闘によって多数の負傷者が出ており、死者も出ていた。アニャンとクユンは言動からはわからないが、優秀な武装召喚師なのだ。武装召喚師相手に通常戦力である傭兵たちがどうにかできるわけもない。
武装召喚師には武装召喚師を。
現代戦争における鉄則だ。
そして、先の戦いでも定石通り、武装召喚師をぶつけている。《紅き羽》のマリベル=クライン、豪槍騎士団ジュスト=ベーレインのふたりがそれだ。どちらも《大陸召喚師協会》の武装召喚師であり、実力は折り紙つきだった。が、そんなふたりをしてもアニャンとクユンの猛攻を防ぐのが手一杯であり、ふたりがアニャンたちを抑えている間に傭兵たちが攻撃を叩き込むことでなんとか釣り合いの取れた戦闘になったという。
もっとも、釣り合いが取れたといっても、決定打を与えることなど不可能に近かったらしく、なんのための数的有利だったのかもわからなかったということだ。
「ったく、これだから武装召喚師ってのは嫌なんだよな」
シグルドが悪態をついたのは、シールウェール市内を軍施設に向かって移動中のことだった。戦後、ルクスはすぐに《蒼き風》と合流を果たしている。ルクスは、エスクともどもトランとの戦いに熱中していたこともあって、シグルドたちの様子を伺う暇さえなかった。そんな余裕を持てるような戦いではなかったし、よそ見をした瞬間、命を落とすのはわかりきっていた。トランに集中しなければ、たとえルクスやエスクのような剣士であっても一瞬にして切り伏せられる。そんな相手だった。
だから、ルクスは《蒼き風》の大多数が無事だったことに安堵したし、シグルド=フォリアーとジン=クレールが重傷さえ受けていないことに心底ほっとした。死者がいないわけではない。何人かは、アニャンとの戦いの中で命を落とし、数十人の負傷者を出している。そのうち、死者のひとりはシグルドの身を庇って死んだという。団を生かすために団長を守った、ということだろう。
「我々も対抗手段を持たなければなりませんね」
ジンは、眼鏡をしていなかった。アニャンとの戦闘中、割られてしまったらしく、また取り寄せなければならないと愚痴をこぼしていた。眼鏡は、ヴァシュタリア共同体の特産とでもいうべきものであり、小国家群内で生産している国が見当たらなかった。高級品でもあるが、ジンの給料を考えれば、金銭面での問題はないだろう。問題があるとすれば、注文と取り寄せまでにとんでもなく時間がかかることだが、そればかりは仕方がない。
「ベネディクトんとこみたいに武装召喚師が入ってくれりゃあな」
ベネディクトとは、《紅き羽》の団長のことだ。ベネディクト=フィットラインは女の身でありながら歴戦の強者として名を馳せる傭兵であり、しばらく前からガンディアの傭兵局に属していた。傭兵局に属するということは、局長であるシグルドの配下になるということであり、《紅き羽》の中では喧々諤々の議論が交わされたらしい。
《紅き羽》は、《蒼き風》よりも大所帯の傭兵団ということもあり、《蒼き風》を下に見ている風があった。団長のベネディクト、副長のファリューはそうでもないのだが、団員を説得するために苦心したということだった。もっとも、《蒼き風》を下に見る団員たちにしても、ガンディアの傘下に入ることに不満を漏らすものは少なかったようであり、シグルドの配下になることを認めさせた後は、問題はなかったようだ。ガンディアはここ数年で爆発的な速度で国土を拡大させた国だ。ガンディアの傘下に入るということは、食いっぱぐれることはないということであり、主を持たず、自由気ままという一方で、明日の糧さえままならない傭兵たちにとってはこれほど美味しい話もなかった。
傭兵局への所属は、軍属ではない。軍人化するのではなく、傭兵としてのある種の自由さを尊重されているのだ。
傭兵にとってなにより大事なのは、自由さだ。軍の規律や掟に支配されず、主君も持たず、自由気ままを貫くことこそ、傭兵稼業を続ける理由なのだ。もちろん、中には仕官する手立てがないから傭兵になったものや、軍人崩れの傭兵もいないわけではない。そういった連中にとっても、軍属とは違う意味で国に所属するというのは、悪くない話ではあった。ガンディアのやり方が気に食わなければ、いつでも抜ければいい。
傭兵局には、それくらいの自由さがあった。
さて、《紅き羽》団長ベネディクト=フィットラインだが、彼女も無論、無事だった。ルクスは、シグルドたちの無事を確認したのち、シグルドに命じられてベネディクトの様子を確認しにいったのだが、彼女はルクスの顔を見るなり、人目も気にせず飛びついてきたものだった。ベネディクトは、いつからかルクスにつきまとうようになっていた。本当にいつからかわからないのだが、別段、悪い気はしない。ベネディクトに悪意がないからだ。
求婚には応えられないが、愛情には感謝している。
心が救われることがないわけではないからだ。
ルクスは、ベネディクトのことが嫌いではなかったし、彼女との触れ合いも悪いものとは想っていなかった。ただ、彼女と添い遂げることはできないだろうという確信があるから、本気になれない。すべてを捧げることができない。
ルクスがすべてを捧げるのは戦いの中にのみであり、シグルドとジンのためにのみ、死ねるのだ。
「俺」
だから、というわけではないが、ルクスは自分を指差した。
「ん?」
「俺がいますけど?」
対武装召喚師要員として名を上げたのだが、シグルドは苦笑した。野性の猛獣を思わせる風貌は、一見厳しく、とっつきにくいが、笑うと途端に人好きのする、いい顔になる。もちろん、ルクスがシグルドを敬愛しているのは、そういうことが理由ではない。もっと本質的なことだ。本質的なところで尊敬し、愛している。
「てめえは“剣聖”の相手で手一杯だったじゃねえか」
「あなた以外の対武装召喚師戦力も用意しなければならないときがきたというだけのことですよ」
「むう……」
「ガンディアの躍進にあてられて、どこの国も武装召喚師を揃えてるって話だからな。遅かれ早かれ、うちらもそうするべきだったってだけのことだ」
「それはわかるけど」
「とはいえ、そう簡単に傭兵に身をやつす武装召喚師が見つかるとは思えんがなあ」
武装召喚師の多くは、《大陸召喚師協会》なる組織に所属している。空中都市リョハンを総本山とするその組織は、武装召喚術の流布と発展、武装召喚師たちの生活を支援し、仕官を応援するための組織として知られているし、実際、そのように機能している。ガンディアを筆頭に小国家群の国々が武装召喚師を雇い始めると、《協会》は途端に忙しくなったという。《協会》は、《協会》に所属する武装召喚師の仕官先を様々な観点から熟慮の末に決めるのだが、たとえば《蒼き風》が《協会》に武装召喚師の紹介を依頼したところで、失笑されるか黙殺されるだろう。《協会》は、所属武装召喚師の将来を考えた末に仕官先を決める。わざわざ未来も不鮮明な傭兵団に将来も有望な武装召喚師を送り込むことなど、ありえない。
「《紅き羽》はどうやったんでしょうね?」
「なんでも、マリベルって嬢ちゃんがベネディクトにぞっこんらしい」
マリベル=クラインは、《協会》所属の武装召喚師だが、《協会》との交渉の末、《紅き羽》の団員となったわけではないのだろう。前述の通り、《協会》が傭兵団に武装召喚師を派遣する道理がない。どれだけ金を積まれたとしても、拒絶するだろう。《協会》とはそういう組織だ。
「へえ。じゃあ、そのふたりで結婚すればいいんじゃないですかね」
ルクスが適当にいった瞬間だった。左腕に強い衝撃が走ったかと思うと、硬質な何かに抱きすくめられた。
「なにいってんのよう、焼き餅? もしかして焼き餅? もしかしなくても焼き餅なのね? 可愛い、ルクス、かわいいー」
「わ」
ルクスは、突如として自分を抱きすくめるなり、そうまくし立ててきた人物に、唖然とした。見るまでもなく、ベネディクト=フィットラインだということがわかる。ルクスにそのような方法で接触してくるのは、彼女以外にひとりとしていない。
「わってなによう、わって」
「そりゃあ驚くだろ、おい」
「あなたには聞いていない。わたしはルクスに聞いている」
「ううむ……俺とルクスでこうも明確に態度が変わるものか」
「それは仕方がないでしょう」
「わかってるがな」
シグルドとジンのやり取りを聞きながら、ルクスはベネディクトの腕の中から逃れる術を考えていた。疲れきった体では彼女の腕を振りほどくのは困難を極める。彼女は傭兵団の長を務められるだけの力量を持った猛者だ。シグルドに並び立つといっても過言ではない。そんな彼女が全力で拘束しているのだから、そう簡単に逃れることなどできるわけもなく、ルクスはただ途方に暮れるしかない。
すると、彼女はいつものようにいってくるのだ。
「ねえ、ルクス、結婚しよ?」
「だから、しないってば」
うんざりと、しかし、別段、満更でもなく言い返す。ベネディクトのことが嫌いというわけではないから、そういう曖昧な態度にならざるをえない。結婚する気もなければ、結婚という事柄に興味があるわけではない。しかし、彼女を邪険にはできない。そんなところだ。
「なんでよー、ちょうどいい機会じゃない」
「なにが!?」
「シールウェール解放記念!」
「そんな記念ないよ!」
「じゃあ、“剣聖”撃退記念?」
「だから! なんで記念で結婚することになるんだよ!」
「そうよね……記念で結婚するのも変よね」
やっと理解したのか、納得したように腕の力を緩めた彼女に、ルクスは少しばかり安堵した。ジントシグルドはあきれたようにこちらを見ていて、助け舟のひとつも出してくれはしない。いつものことだが、残酷というか、酷薄だと思う。関わりたくないという気持ちもわからないではないが。
「やっぱり、ふたりの愛が高まったいまだからこそ、よね」
「なんでそうなる!?」
ルクスは我ながら素っ頓狂な声を発したと思いながら、ベネディクトの腕の中で嘆いた。