第千二百七十一話 剣の道を征く者(二)
トランが、地を蹴り、直剣を後ろに向けた。刀身がうなり、突風が起こる。反動がトランの体を加速させた。ルクスに向かって飛来する。まるで矢のようだった。それもただの矢ではない。圧倒的な殺意と死の結果を伴う矢であり、ルクスは、グレイブストーンを構えながら、口の端で笑った。“剣聖”トラン=カルギリウスの形相こそ、むしろ鬼のように思えたからだ。形相は、一瞬にして眼前に迫る。激突。トランの直刀とグレイブストーンがぶつかり合い、ルクスの視界を火花が彩った。右腕が悲鳴を上げる。先の牽制攻撃によって右腕の肉が僅かにこそぎ落とされている。が、構いはしない。剣は、両手で握っている。
「あんたのほうが、“剣鬼”に相応しいんじゃないか?」
「鬼も魔も滅し、剣の王とでもなろうか」
「はっ」
ルクスは、トランの冗談とも取れぬ一言に苦笑を返した。苦笑は、トランの膂力に対するものでもあった。こちらは右腕が負傷しているとはいえ、両手で剣を握り、両腕で支えている。にもかかわらず、片手片腕のトランの直刀を押し返せるどころか、受け流すこともできない。むしろ、押し負けている。そしてこのままでは押し負けて切り裂かれるか、あるいは直剣によって斬り殺されるだけだろう。
かといって、受け流す事ができない以上、離れることもできない。
たとえ受け流せたところで、直剣の衝撃波を諸に食らうしかない。
(どのみち、死ぬ)
ルクスは、自分の運命を悟ると、全身を鼓舞した。持ちうる力を駆使して、トランを押し返さんとする。トランの表情がわずかに動いた。だが、無情にも右腕が動いている。右の直剣が閃けば、その瞬間、ルクスの命は終わる。直刀を捌いて、その上で直剣の衝撃波を避けきるのは、不可能だ。直剣の突風は地面を割り、岩をも砕く。まともに喰らえば人間の肉体など粉微塵に砕け散る。
(これまでか)
ルクスが覚悟した瞬間だった。
トランが右の直剣をこちらにではなく、頭上に掲げたのだ。突風さえ起こさぬ空振りは、直後に起きた激突によってその意味を悟らせる。光の刃がトランの頭上に走っていた。長い長い光の刃。エスクの召喚武装ソードケインの刀身であるそれは、トランの遥か後方から伸びていた。
ソードケインは本来、刀身を持たない短杖であり、能力を発揮することで光の刃が発生する。光の刃を形成するためには使用者の精神力を代価に捧げる必要があり、長時間の使用には向かないらしい。しかし、光の刃の長さ、形状は使用者の意志によって自在に変化させることができるため、今回のように長距離攻撃も不可能ではないのだ。ただし、切断力の高い刃そのものを伸張するため、軌道上に味方がいないときしか、今回のような長さにまで伸ばすことはできないだろう。長過ぎる刀身というのは通常、不便以外のなにものでもない。
「なるほど」
トランがつぶやくのを聞いた瞬間には、ルクスは動いている。腕力がわずかに緩んだ瞬間を逃さず、トランの直刀を受け流すと、下がるのではなく、踏み込んだ。剣を振り回すことも不可能な至近距離。トランの髪が揺れる。驚きの表情がルクスを迎えた。直剣は大上段から振り下ろされた光刃を防ぐので手一杯であり、直刀は地に流れている。隙だらけだ。ルクスはグレイブストーンをトランの腹に突き刺さんとした。激痛が腿を貫いている。
(なっ……!?)
「甘いのだ」
トランの冷ややかな目が、先ほどの驚き顔がルクスの隙を誘うためのものだったということを思い知らせるようだった。強烈な蹴りがルクスの腹に突き刺さる。ルクスはなにが起こったのかわからないまま、光刃がトランの背後を流れていくのを認めた。トランの両手の剣が自由になった。トランはこちらを見ている。両腕がほぼ同時に動く。下段からの振り上げと、横薙ぎの切り払い。ルクスは、今度こそ死を覚悟した。しかし、トランの斬撃がルクスを十字に断ち切るようなことはなかった。トランは、どういうわけかルクスにとどめを刺さず、大きく左に飛んでいた。理由は、直後にわかる。光の刃が、縦横無尽に荒れ狂うかのようにルクスの目の前を切り裂いていた。トランがルクスを斬り殺した瞬間、エスクの光刃はトランを切り刻んでいただろう。
(光の刃は自由自在……か)
ルクスは、トランが剣を構えるのもやめるのを認めてから、自分の足を見下ろした。地面から隆起した岩の槍が太ももを貫いていた。トランの直刀を受け流した結果、ルクスは彼の隙を見出したのではなく、彼が攻撃する機会を作ってしまったということだろう。トランの咄嗟の判断によるものだろうが、さすがは“剣聖”といったところであり、ルクスは、岩の槍を壊しながらただ感心した。エスクの機転がなければ、ルクスは二度、トランに殺されている。
ソードケインの光刃は、いまやよくわからない形状になっていた。トランを切り刻むために上下左右に伸び続けた結果だ。トランを捉えられなかったことでそれも止まったかと思いきや、さらに伸び続けてトランを後退させた。トランがルクスから大きく離れ、斬撃も地形破壊攻撃も届かない位置にまで移動したとき、ようやくソードケインが動きを止めた。消失し、今度は轟音が響く。一瞥すると、エスクの進路を塞いでいた岩壁が消えており、エスクがでたらめに切り刻んだのだということがわかる。
「アニャン! クユン!」
不意に、トランの叫び声が聞こえたかと思うと、彼の周囲にふたりの女が現れる。
「はぁい、なんですかぁ?」
「ここに」
アニャンとクユンのふたりは、ルクスとエスクを除く別働隊の先陣が相手にしていたはずだったが、無事極まりない姿を見せている。無傷とはいかないようではあるが、命に別状のあるような深手を負っているわけではない。アニャンは刀を、クユンは大剣を手にしており、それら召喚武装の能力がふたりを守り、また、別働隊先陣に苦戦を強いたのだろう。
ルクスは、なんともいえない気分で三人の様子を見ていた。トランは隙だらけに見えて、まったく隙を見せてはいない。近づけば、両手の召喚武装による広範囲攻撃を受けるだろう。ルクスは足に傷を負ってしまった。現状、トランの広範囲攻撃を避けながら肉薄するのは不可能だ。
「これより戦場を離脱する」
「どういうことでしょう?」
「そうですよぉ、戦いはまだ終わってませんよぉ?」
トランの予期せぬ一言は、ふたりの弟子たちにとっても予想外の言葉だったようだ。
「終わったのだ。反乱軍がシールウェールからの撤退を開始している。我々だけここで戦い続けるのは無駄なことだ」
「そうなんですかぁ!?」
「我々が手間取っている間に落とされた、ということですか」
「そうなる。わたしが“剣鬼”と“剣魔”をさっさと斃していればなんとでもなったが、斃せなかった以上はなにをいったところで言い訳だな」
「でもでもぉ、いいんですかぁ?」
「ん?」
「先生、“剣鬼”さんと“剣魔”さんとの戦いを楽しみにしていたじゃないですかぁ」
「決着をつけなくても、構わないのですか?」
「構わん。この一戦で負けたのはネオ殿の部隊だ。反乱軍そのものが敗北したわけではない。また、戦えるさ」
「なるほどぉ」
「あんたと再戦なんて、勘弁願いたいねえ」
と、三人の会話に口を挟んだのは、エスクだ。ただの短杖と化したソードケインを手にぶら下げながら、こちらに向かって歩いてくる。
「同感だな」
ルクスはため息混じりにうなずいた。彼のいう通りだ。トランとの戦いは愉しい。倒せるかどうかわからない強敵との戦いは、実に心地よく、快い。これほどまでに熱中できた戦いはいつ以来だろうと考えてしまうほどの戦闘。
「ほう?」
「召喚武装の二刀流なんざ、卑怯もいいとこだぜ」
「まったく」
ルクスは、太腿の痛みと出血の熱量に顔をしかめながら、トランたちの余裕そうな態度に目を細めた。余裕そうではなく、余裕なのだろう。傷ひとつ負わなかったトランはおろか、アニャンと呼ばれた女も、クユンと呼ばれた女も、息ひとつ切らせていない。さすがは“剣聖”の弟子とでもいうべきなのか、並外れた体力の持ち主ではあるようだ。
「なるほど」
トランが苦笑する。
「しかし、そちらはふたりだ。同格の剣士ふたりを相手にするのであれば、召喚武装をふたつ用いたところで構うまい?」
トランのいいたいことも分からないではない。二対一という数的不利を召喚武装の数で補っているといいたいのだ。だが、召喚武装のふたつ同時併用は、二対一ではどうしようもないほどの相乗効果を生んでいるように思えてならない。トランの召喚武装の能力が強烈極まりないというのが大きいのだろうし、それらを平然と扱えるトランの精神力も並外れているということだが。
「構いはしないがね。あんたとは二度とやり合いたくないってだけさ」
「そうもいくまい」
「だろうなあ」
エスクがうんざりしたように肩を竦めた。トランが反乱軍に身を投じている以上、反乱軍が壊滅するまで何度でも救援軍の敵となって現れるのは間違いない。できるのであればいまここで仕留めるべきなのだが、残念ながら、ルクスにもエスクにもそれだけの余力は残されていない。もっとも、ここでルクスたちがトランに襲いかかったところで、三対二の数的不利によって返り討ちに遭うだろうことは目に見えている。ここはおとなしく、トランたちが去るのを待つのが正しい判断だろう。
ルクスは、トランを睨みながら、告げた。
「だったら、つぎはあんたを超えてやる」
「……愉しみにしている」
トランは、心底愉快そうな目をこちらに向けてきていた。やはり彼も、ルクスやエスクと同類の人間のようだった。戦うことだけが自分の存在意義であると信じて疑わず、敵が強ければ強いほど魂に喜びを感じる類の人間。
戦闘狂。
(俺と同じ……か)
だが、その力量は圧倒的に相手のほうが上だ。
もちろん、召喚武装の二刀流という点を踏まえてのものではあるが。
互いに召喚武装を用いない場合でもトランのほうがルクスの上を行く剣士だということも、ルクスは理解していた。だからこそ、燃えるのだ。だからこそ、興奮するのだ。ただ召喚武装の力のみで上げ底された敵など、興奮に値しない。確かに強いだろう。苦戦することもあるだろう。しかし、本当の本当に興奮することはありえない。トランとの戦いが愉しいのは、トラン自身が凶悪なまでに強いからだ。それがわかっているから、ルクスも全身全霊で戦える。トランに殺されたとしても、未練ひとつ残さずに済む。
それくらい、トランは強い。
「行くぞ」
「はぁい」
「はっ」
ふたりの弟子が返事をするのを待ってから、トランは直剣を掲げた、刀身が鈍く光ったかと思うと、竜巻が起こった。竜巻は、周囲の土を舞い上げながら三人を包み込むと、そのまま天高く運んでいく。そして、ルクスの感知範囲外へと消えていった。
「はあ!?」
エスクが頓狂な声を上げた。
「移動手段にもなるのかよ! ざっけんなっっての!」
トランの召喚武装に対してだろうが、彼が怒りたくなるのもわからなくはなかった。それくらい、トランの召喚武装は強力だ。つまり、彼のふたりの弟子がそれだけ優秀な武装召喚師だということなのだが、それだけの召喚武装を難なく操ることのできるトランもまた、並外れた人物であることは疑いようがない。
「まあ、この場はなんとか凌げたからいいさ」
「よくねー。ぜんっぜん、よくねーよ」
「……ま、そうか」
地面に寝転がり、全身を投げ出す“剣魔”を見やりながら、ルクスがそういいたくなるのもわからないではない、と思ったりした。
トランとの連戦は避けたいところだ。
彼と戦うのは愉しい。だが、一戦が濃密過ぎるのだ。すぐさま再戦したいとは思えないくらいに燃焼する。自分の中のすべてを燃やし尽くしてしまわなければならないほどの相手なのだ。
しばらくは、トランとの戦いは避けたかった。