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第百二十六話 龍はみずから毒酒を呷り(後)


「それ以来、毒が体内で暴れるのを耐えてきた。毒を制するには毒を用いるのがよい。毒は薬になりうる。しかし、取り入れた毒は猛毒で、予想以上に苛烈だったようだ。危うく内蔵という内臓が壊死してしまうところだった」

「……あなたは、すべて承知の上でわたしを受け入れたのですね」

 彼は、観念したのかもしれない。予想以上にあっさりと――いや、想像以上にいつも通りの涼やかな表情のまま、認めた。即座にすべてを理解したのだろう。彼のそういうところは、ただただ恐ろしい。

「わたしを利用し、反対勢力の一掃を図った……。わたしという毒に侵され、狂乱するような連中は、所詮あなたにとって必要なものではなかったということ。あなたには手足があり、手足によって動かされる駒が必要だったのでしょう。自我を持つ駒など不要だったと。そして、わたしはそんなことにも気づかず、利用された」

「すべてがすべて、思い通りではないよ。わたしは君の活躍のおかげで、この国を完全に掌握することができた」

 五竜氏族のうち、反ミレルバスを掲げ、行動を起こしたのはビューネル家くらいのものだったが、一月ほど前、かの氏族を滅ぼせたことはザルワーン全土に衝撃を与えただろう。価値観の激変といってもいい。神聖不可侵だった氏族の根絶という所業まで行ったのだ。国民のだれもがミレルバスに暴君を見たはずだ。ミレルバスこそ魔王だという声もあったらしい。

 だが、それでいい。五つの氏族が持ち回って統治するなど、時代遅れなのだ。これからは力あるもの、有能な人間が国を率いていけばいい。血や出自で決めるべきではない。ミレルバスは、血の上にあぐらをかく無能を数多に見てきた。そのことごとくを殺してしまいたかったが、そこまではできなかった。悔いではある。

「が、君のせいで、属国を失い、大事な戦力も失った。そこは君の勝ちだ」

 ログナーを属国に押し留めたのはナーレスの判断であり、その献策を採用しなければ、ミレルバスはログナーをザルワーンに取り込むように動いただろう。その場合、多大な血が流れただろうが、ガンディアにログナーを奪取されるという事態は避けられた。その際の出血によるザルワーンの弱体化を、ナーレスは訴えてきた。敵はガンディアだけではない。隣接するすべての国が敵といっても過言ではないのだ。盟を結ぶわけでもなく、圧倒的な力だけで国土を守ってきたザルワーンにとって、軍事力の低下は避けるに越したことはない。それもまた、事実だ。考えに考えた末、ミレルバスはナーレスの策を採用した。

 結果、属国ログナーはガンディアに奪われてしまった。見事なあざやかさで、だ。それはミレルバスの見通しの甘さくる失態であろう。ナーレスを出し抜いているという思い込みが、視界を濁らせたのか。いずれにせよ、ザルワーンの一体化にこそ成功したが、同時に多くのものを失ったという点においては敗北したといってもいいだろう。

「露見した時点でわたしの負けですよ、殿」

「そういう考え方もあるが」

 ナーレスの潔さにミレルバスは目を細めた。いい男だ。彼のような人物がなぜガンディアに生まれ、ザルワーンには生まれなかったのだろう。そんなことを思う。

「わたしを、どうするのです」

 怜悧なナーレスの瞳が、ミレルバスの目を見据えている。感情の揺らぎは見えず、冷静そのものだということが伺える。聡明な男だ。殺すには惜しい。無論、情報を洗いざらい吐き出させてから殺すのが一番なのだということは、わかりすぎるくらいにわかっている。だが、それではあまりにも虚しい。

「わたしは君の才能を愛している。君という才能をこの地上から消し去るのはあまりにも惜しい。君は、わたしの傍らにいて欲しいのだ」

 ナーレスは、この五年で多大な成果を上げている。ザルワーンにとって良いことも悪いことも含めて、だ。ログナーを属国に落としたのも彼の手柄だったし、ザルワーン国内から反ミレルバス勢力を一掃できたのも彼の手柄といえば手柄だった。結果、国内情勢は悪化の一途をたどったものの、それも一過性のものにすぎない。時間をかけて再生させていけばいいのだ。国内の敵はほとんど残っていない。いても、もはや敵ですらなくなってしまった。このままならザルワーンは安定期に入るだろう。

 ナーレスが目を細めた。そして、以外な言葉を口にした。

「わたしの主はシウスクラウド様だけです」

「レオンガンドはどうなる」

 問う。てっきり、レオンガンドこそが主君だと答えてくるものだと予想していた。では彼は、なんのために命を賭してザルワーンに潜っていたというのか。忠を尽くすべきシウスクラウドは死に、彼の信念は宙に浮いてしまったのではないか。

 彼の心中を憐れむのは、ミレルバスがナーレスという才能を買っているからに他ならない。

「シウスクラウド様に頼まれています。レオンガンド陛下を補佐するようにと」

 今は亡きシウスクラウドへの信義のみで、彼はここまできたというのか。

 ミレルバスは、見たこともない人種に出会ったような驚きに心が震えた。ナーレスは、王の死後もなお、忠を尽くそうとしている。

 だからこそ、彼が欲しい。才能も信念も、自分のものにしてしまいたい。そうすれば、ザルワーンはより盤石になる。

「ならば、レオンガンドをこの世から消そう。そうすれば、君はシウスクラウド王との約束を守るべき相手がいなくなる」

 そういうと、彼は困ったような顔をしたが、否定も肯定もしなかった。彼はガンディアの勝利を信じているのだろうし、それはそれでいい。ナーレスの希望を打ち砕けば、考えも変わるだろう。なにより、彼を殺すのは、この世にとって損失なのだ。

「それに、君を殺せば、娘が悲しむ」

 言い訳のように告げたものの、それも事実ではあった。

 ミレルバスは、自分の甘さを笑いはしなかった。



「厄介なことになった」

 声に出したのは、もうひとりの自分に伝えるためだ。声にしなければ、意志を伝えきることはできない。

 ヒース=レルガは、その日、ザルワーンの首都・龍府にある、ナーレス=ラグナホルンの屋敷にいた。ナーレスの妻との他愛のない会話は、日々の疲れを癒やすためには必要不可欠のものだった。

 ナーレスの妻メリルは、ミレルバス=ライバーンの娘であり、彼女が十四歳のときにナーレスと結婚している。それから三年、彼女はナーレスの妻としてうまくやっているといえる。なにを考えているのかわからない彼のためにと懸命に神経を働かせ、心中が察せないと知ると、言葉の端々からなにをすべきなのかと考える。神経をすり減らすようなことを毎日続けていた。よくもまあ持つものだとヒースは感心したが、同時に本当に大丈夫なのかと心配になったこともある。しかし、それは余計な心配らしかった。彼女はナーレスという男に心底惚れていて、彼の力になりたい一心で毎日を生きているらしいのだ。それこそ、ヒースをライバル視するほどに。

 ナーレスがメリルを娶ったのは、ミレルバスの信頼の証だろう。ミレルバスの腹心として、ザルワーンの軍死として身を粉にする日々を送るナーレスの働きぶりに、心を許したものと思われる。ナーレスとの絆をさらに深め、またナーレスのザルワーン国内での発言力を高めるために、国主の娘を彼にくれてやったのだ。

 それは、ナーレスが表向きは忠臣としてできうる限りのことをしてきたからに他ならない。シウスクラウドの最後の謀略として潜り込みながら、傍目には全身全霊をかけてザルワーンに尽くしているようにしか見えなかった。事実、ナーレスのザルワーンにおける評価は、日に日に上昇していた。当初、胡乱な目で見ていた連中も、彼がログナーを下したときには自分の考え違いを認め、謝りに来たほどだった。ナーレスは命を懸けていた。露見すれば命にかかわるのは当然だったし、常に緊張していなければならない。といって、不自然であってもならなかった。ガンディアから流れてきた身。どれだけ活躍し、どれだけ腕を振るおうとも、監視の目は緩まない。

 メリルとの結婚は、そんな日々に多少の安らぎを与えてはくれたのだろう。しかし、ナーレスの仕事は、ザルワーンのために辣腕をふるうことだけではない。巧妙に、慎重に、毒を蔓延させ、ザルワーンという強国を弱体化させなければならなかった。そしてそれは、半ばまでうまくいっていたはずだった。

 五竜氏族に名を連ねるものたちを密かに扇動し、内乱を誘発させた。ザルワーンは内乱の鎮圧に戦力を割かねばならず、外征に対し消極的にならざるを得なかったのだ。それはログナーの監視も緩めることになった。そsれは、ヒースがログナーを骨抜きにするための準備段階のようなものだ。そして、ログナーで反乱が起き、そのどさくさに紛れるようにして、ガンディアがログナーを制圧した。

 ログナーの反乱を鎮めるために派遣されたザルワーンの部隊を国に帰すことができたのは、それがグレイ=バルゼルグの部隊だったからに他ならない。メリスオールの旧臣たちからなる部隊だからこそ、ヒースの密告に動揺し、命令を無視して帰国することになったのだ。他の部隊だったらこうはいかなかっただろう。これもナーレスの策に違いなかった。

 果たして、グレイ=バルゼルグはザルワーンへの敵意を露わにした。それはザルワーンの行動を牽制することになり、ガンディアが上手く利用すれば、ザルワーンとの戦いで優位に立てるだろう。

 上手く利用することができれば、の話だが。

 ヒースは、どうやらその結果を見届けることができそうにない。

 屋敷を出ようとしたとき、彼はラグナホルン邸が包囲されていることを知った。包囲しているのは当然、ザルワーン軍だ。

 埋伏の毒が、露見したらしい。

「ヒース=レルガだな」

 包囲軍の中から出てきたのは、軍団長のマクシス=クロンだった。彼はミレルバス=ライバーンの信奉者であり、ナーレスの言動になにかと注文をつけてきていた。ザルワーンの軍団を任されるだけの男ではある。軍を指揮し、戦場を駆け回るだけの能力はあった。ただそれだけの男ともいえるのが、この男の限界なのだが。

「ええ」

「貴様に出頭命令が出ている。国家反逆罪の容疑だ」

(国家反逆罪……)

 ヒースは胸中で笑った。反逆もなにも、忠誠を誓ってすらいないのだ。が、表情だけは神妙にした。どうせ死ぬのだ。見苦しくはしたくない。

「奥方には手出しはするなよ」

「当たり前だ」

 マクシスが激怒したのは、ある意味当然だったかもしれない。ミレルバス=ライバーンを信奉する彼にとって、ミレルバスの娘もまた、信仰の対象足りうるのだろう。その偶像アイドルたるべき少女を妻としたナーレスへの怒りたるや、ヒースには推し量れるものではなかった。

「どうせならここで殺してくれてもいいんだけどね」

「貴様、なにをいっている」

 マクシスは怪訝な顔をした。激情に駆られても殺せるわけがないことくらい弁えているのだろう。ヒースからは、知っている限りの情報を引き出さなければならないのだ。ヒースを殺した瞬間、マクシスの未来は暗く閉ざされるかもしれない。もっとも、ヒースが吐く前にナーレスが洗い浚い話してしまう可能性もなくはないが。

(いや、それはないか……)

 ナーレスは恐らく丁重に扱われる。人材をこよなく愛するミレルバスのことだ。ナーレスの才能を愛しているだろうし、殺そうとも考えないだろう。牢には入れられるだろうが、拷問のたぐいはされないかもしれない。薬を使って自白をさせて、挙句、才能まで破壊するということをミレルバスは嫌うはずだ。彼の才能への愛情は、渇望に似ている。

 それはナーレスが日夜語っていたことでもある。だから、彼は常に全力を振るい、才能を見せつけてきたのだ。

 ナーレスは生き延びなければならない。

 でなければ、彼と先王の約束は果たされない。

 では、ヒースはどうか。

(所詮使い捨ての駒だな)

 自嘲するわけではないにせよ、そう考えざるをえない。死ぬためにここにきたのだ。死の運命を甘受して、ナーレスについてきた。ナーレスに光を見出した自分には相応しい末路だろう。彼によって魂は救われた。それは間違いないのだ。ならば、彼によって死ぬのもいい。死ぬことで、ナーレスの役に立てる。

「ただの独り言さ」

 ただひとつ、可哀想なことがある。

 それは、生死をも共有する半身が、みずから命を絶たなければならないということだ。

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