第千二百六十七話 剣鬼と剣魔と剣聖と
天変地異が起きている。
小規模ながら、天変地異と呼ばざるをえない現象が何度となく、シールウェール南の主戦場を襲っている。それを遠目にも目撃することができたのは、天変地異が遠方からもわかるほどの地形変化をもたらし、また、主戦場の白霧が消え去っていたからだ。地が割れ、天が裂けるかのような超自然現象は、とても人間が起こしたものとは思えない。しかし、召喚武装の能力と考えれば納得がいくものでもある。かつて、ザルワーン戦争においては、川辺一帯を破壊し尽くす暴風圏が形成されたという。召喚武装によってはそれくらいのことが造作もなくできるのだ。いかに武装召喚師が常識はずれの存在であり、いまの時代、戦力として必要不可欠なのかよくわかるというものであり、国々が武装召喚師を取り合うのも当然だった。
優秀な武装召喚師を巡って戦争が起きたという話も、つい最近、耳にしている。ガンディア近隣の話ではなく、噂に過ぎないが。
「なんというか、“剣聖”って、あれだな」
「あれですね」
「ただの武装召喚師じゃねーか!」
「うん」
エインは、ドルカがいいたいことをいってくれて、溜飲が下がる想いがした。“剣聖”というからには、剣の使い手として凄まじい腕前の持ち主なのかと思いきや、主戦場を吹き荒れる天災を見る限り、召喚武装の力に頼っているようにしか思えない。これなら、普通の剣だけで“剣魔”の名をほしいままにしてきたエスク=ソーマのほうが余程優れているのではないか。
もっとも、エスクとルクスを“剣聖”にぶつけたのは、トラン=カルギリウスが武装召喚師である可能性を考慮したうえでのことだ。ルクスは召喚武装グレイブストーンの使い手だったし、エスクはソードケインという召喚武装を使うようになっていた。
トランが武装召喚師か召喚武装使いである可能性は、あった。長らく戦場をともにしてきたふたりの弟子が霞むほどの活躍。圧倒的な知名度。実績。それらが示すのは、トランの並外れた実力であり、人間離れした能力だ。武装召喚師かもしれないし、召喚武装の使い手である可能性も低くはない。であれば、武装召喚師をぶつけるか、召喚武装の使い手を当てる以外にはない。
もし、トランが武装召喚師や召喚武装使いでなければ、それはそれでよかった。ルクスとエスクなら、たやすく殺してくれるだろう。反乱軍の士気を大きく盛り上げたという“剣聖”の死は、反乱軍の意気を消沈させるにたるものだ。“剣鬼”と“剣魔”をぶつけるのは、そういう理由からでも当然とさえいえた。
実際のところ、トランは召喚武装の使い手であり、ふたりをぶつけたことで、“剣聖”に殲滅されるという最悪の事態だけは避けられそうだった。豪槍騎士団は大損害を被ったが、仕方のないことだ。先陣を任された以上、ある程度の被害が出ることくらい、理解しているだろう。先陣の名誉と引き換えの代償といっていい。
「よくよく考えれば、想像できることではあるけれども」
「うん」
「まあいいや。先陣が踏ん張ってくれているおかげで、うちらは注目を浴びずに済んだし」
うちらというのは、先陣を切ったベレル豪槍騎士団とその援護に回った傭兵たち、シドニア戦技隊を除く後続部隊のことであり、ログナー方面軍第一、第四軍団のことだ。先陣がトラン=カルギリウスらとの戦闘に入り、ルクスとエスクに援護させるよう指示したのち、後続部隊はすぐさま白霧の中を迂回し、シールウェールの東側面に回り込んでいる。シール高地に至る急勾配を駆け上り、シールウェールに肉薄していた。
「濃霧のお陰ですね」
エインは、周囲を満たす白霧に感謝しかなかった。この濃霧がなければ、ここまで上手くシールウェールに接近することはできなかっただろうし、シールウェール奪還のための策はもう少し練らなければならなかっただろう。
「本当、この濃霧さまさまだな」
「軍団長?」
「怖い顔しなーい」
「なにやってんですか」
エインは、ニナ=セントールに対するドルカの反応に、彼がなにをしでかそうとしたのかを察した。おそらく、ニナにちょっかいだそうとでもしたのだろう。白霧の中、至近距離の人物もはっきりとは見えない。ここに至るまでだれひとりはぐれずに済んでいるのは、急ぎながらも確認を取りつつ移動してきたからに他ならなかった。でなければひとりふたり部隊からはぐれても不思議ではないくらいの濃霧だった。
「エイン君には知らなくていいことだよ」
「はあ。まあなんでもいいですが、急ぎますよ」
「うん。いくら“剣鬼”と“剣魔”とはいえ、あの天災が相手じゃ、あまり持ちそうにないからねえ」
「持ってはくれるでしょう。勝てるかどうかは知りませんが」
ルクスとエスクが勝てなくとも、最悪、どちらかが死んでも問題はない。トランによる一方的な蹂躙を抑えてくれさえすればいい。シールウェールの反乱軍の主力は、トランたちであり、トランたちさえ抑えてしまえば、あとはなんということもなさそうだった。ログナー方面軍だけで制圧しうる程度の戦力でしかない。
「案外薄情だよねえ、エイン君」
ドルカがなにやら感慨深げにいってくる。
「それが参謀局の務めです」
「ああ、あの美少年のエイン君はどこへいってしまったのか。冷血軍師に成り果てたエイン君に、果たして、アスタル将軍はなにを思うのか~」
「なにいってんです」
エインは、ドルカの言葉に脱力しそうになりながら、彼を一瞥した。白霧の中、美丈夫の顔は影のように揺らめいている。
「あ、怒った?」
「怒ってませんよ。さっさと行きましょう。いくらこっちが注目を集めていないからといっても、向こうがいつまでも見逃してくれるとは思えませんからね」
「そりゃあそうだ。では、グラード大軍団長」
ドルカが促すと、グラード=クライドが拳を掲げた。真紅の甲冑に鎧われた拳は、白霧の中で煌々と輝いていた。
「鬨の声を挙げよ!」
『おおーっ!』
グラードの光る拳を合図に、全軍が一斉に咆哮した。白霧が震撼するほどの大音声とともに、ログナー方面軍が怒涛の如く進軍を再開する。濃霧を抜け、シールウェールの東門に到達するなり、閉ざされた門に向かってグラードが疾駆する。頭上からは矢の雨が降り注いできていたが、大軍団長は目もくれないし、止まらない。止まれないのだ。止まれば、城壁上に配置された弓兵の的になる。だが、駆け抜ければ、狙いを定めるのは難しい。
グラードの怒号が聞こえた気がした。
閃光とともに凄まじい破壊音が鳴り響いたかと思うと、東門に大穴が開いていた。喚声が上がる。グラード軍、ドルカ軍ともにシールウェールの中へと雪崩れ込み、エインたちもそれに続いた。
ログナー方面軍によるシールウェールへの大攻勢が始まったのだ。
「先生ぇ、先生ぇー!」
「なんだ? この忙しいときに」
突如として飛び込んできたアニャンの声に、トランは苛立ちを覚えた。戦闘の邪魔をされるのは、いくら最愛の弟子とはいえ、我慢ならない。特にいまは気分が乗りに乗っていた。
久々に昂揚している。
それほどの相手だった。
敵はふたり。そのふたりが凄まじく、強い。こちらの地形破壊攻撃は、相手の行動を封じ、攻撃する機会さえも激減させるものだが、ふたりの剣豪は、そんな攻撃にさえ物怖じせず、わずかな隙を見出しては勇猛果敢に攻め立ててくるのだ、トランが召喚武装の剣で敵の攻撃を受け止めたのは、久々のことだった。実力者の武装召喚師と戦闘したとき以来であり、ふたりは、範囲攻撃を行ってきた武装召喚師とは比べ物にならない戦闘能力を見せてくれていた。
興奮もしよう。
戦いに集中したくもなろう。
トランは、マルディアに足を運び、反乱軍に身を投じたことをいまこの瞬間ほど正しい判断だったと思ったことはなかった。黒き矛のセツナと戦えていないのは残念だが、その無念を打ち消すほどの戦いの興奮の中にいる。“剣鬼”と“剣魔”。“剣聖”と並び称されるふたりの剣の天才を相手にできるのだ。しかも、ふたりともトランの想像以上の剣士であり、実力の持ち主だった。これほど喜ばしいことはなく、トランの剣の技は冴え渡った。
「大変ですぅ」
「だから、なんなのだ」
「シールウェールの東門が突破された模様」
と報告をもたらしたのは、クユンだ。彼女はトランの背後に現れるなり囁くように告げると、風の様に飛び離れて自分の戦場に向かう。アニャンが怒りの声を上げるだろうことは想像に難くない。
「あーずるぅい。わたしが伝えようとしたのにぃ!」
やはりだ。
アニャンは、自分の持ち場にではなく、クユンの居場所に向かっていく。それに引きずられるように、アニャンを撃破しようと目論む敵部隊が移動する。トランの最初の攻撃は、敵部隊の大半を無力化したものの、殲滅には至らなかった。殲滅するほどの力を用いれば、“剣鬼”と“剣魔”との戦いがおろそかになり、大きな隙を生むことになりかねない。
召喚武装の能力の行使は、精神力の消耗を伴う。
“剣鬼”と“剣魔”という二大剣士を前に精神力を消耗させるなど、自殺行為も甚だしい。
そもそも、アニャンもクユンも弱いわけではない。むしろ、並の剣士などより遥かに強いといっていい。元々武装召喚師である彼女たちは、トランが剣の手解きをするまでもなく、戦闘者として完成されていたのだ。トランは、剣の扱い方を教えたに過ぎない。
「とろいのが悪い」
「とろくありませんー!」
「鈍いぞ」
「鈍くありませんー!」
クユンとアニャンが言い争いつつ敵兵たちを蹴散らすのが、感覚的に理解できる。召喚武装をふたつ手にしたことによる感覚の強化が、周囲の情景を脳裏に映し出しているのだ。アニャンが青白い刀身を持つ直刀・月光を振るい、クユンが白熱する大型の剣サンライトで敵の攻撃を受け止める。ふたりは、武装召喚師としても優秀であり、ふたつの召喚武装を召喚し、ある程度長時間維持することも可能だった。
トランは、左右から飛来した斬撃をそれぞれ左右の剣で軽く受け止め、いなし、すぐさま右に剣を振り抜き、左の地面に刀を突き立てた。右側には突風が吹き荒れ、左側の地中から岩石がつぎつぎと隆起する。大気を司るアークセイバーと、大地を司る坤龍は、トランの戦闘者としての領域をひとつ引き上げてくれている。だが、トランの反撃は、ふたりの剣豪には通用しなかった。通常人ならば反応すらできない攻撃をやすやすとかわすのが、彼らが“剣鬼”や“剣魔”と呼ばれる所以だろう。
「つまり、さきほどの指示も、我らをここに釘づけておくための――」
「んなわきゃねえだろ!」
即座に否定してきたのは黒髪のほうだった。おそらくはエスク=ソーマ。“剣魔”の二つ名を持つ傭兵剣士。銀髪のほうがルクス=ヴェインなのはわかりきっているから、彼がエスク=ソーマで間違いないだろう。彼は、戦闘が始まるなり手にしていた剣を捨て、腰に帯びていた短杖に持ち替えている。短杖が召喚武装なのは明らかであり、その能力の一端も既に垣間見れている。尖端から光の刃を発生させる能力は、短杖を剣の柄へとその本質を変化させるものだった。“剣魔”と呼ばれる剣豪に相応しい召喚武装かもしれない。
「ルクスのやつぁ、そこまで頭が回るほど、賢しくはないんだよ!」
「ひっでえな、おい。あんたにいわれたくないぞ」
言い返したのは、銀髪の“剣鬼”。ルクス=ヴェイン。手に構える長剣は、かの有名なグレイブストーンだろう。湖面のように美しく澄んだ刀身は、対峙したものの心を吸い取るかのようだ。“剣魔”同様、“剣鬼”の名に相応しい動きを見せてくれている。
「でも、本当のことだろ」
「納得できないな」
「矛の使い手に剣を教えるとか、頭の悪さが現れてるし」
「く……」
「ははは、反論できねえようだな!」
エスクは、ルクスを言い負かすことができたのが余程嬉しいのか、トランと対峙していることも忘れたかのように大きな笑い声を発した。対するルクスも、こちらのことなどお構いなしにエスクに噛みつく。
「……弟子がそれで強くなったんだからいいだろ!」
「強くなったのはいいけど、最初から長物の扱い方を教えていりゃあ、もっと強くなったのは間違いねえぜ!」
「くっ……」
「わけのわからぬ話を長々と」
つい、トランは口出しをしてしまった。わけのわからないことというのは、本音ではない。彼らの会話はある程度わかるのだ。ルクス=ヴェインとエスク=ソーマがガンディアでどのような状況にあるのか、少しくらいの情報は仕入れている。ルクスの弟子とは黒き矛のセツナのことであり、エスクがいったことが事実ならば、随分惜しいことをしているということになるのだが、いまは、どうでもいいことだ。
「あん? 仲間外れにされて悔しいのか?」
「そんなわけないだろ」
あきれるようにいったのは、ルクスだ。彼は、エスクのことを嫌っているようにも見える。
「どうだか」
「悔しくはないが、つまらんな。この戦いに集中してもらおう」
「集中しているさ」
そういってきたのは、ルクスのほうだ。剣光一閃。斬撃が岩の柱を切り裂いたかと思うと、落下する岩片を蹴りつけた。いくつかの岩片が物凄い速度でトランへと殺到する。近接攻撃しかできないのであろうルクスの思いつきの遠隔攻撃は、当然、トランには届かない。アークセイバーの一閃が岩片を吹き飛ばし、ルクスに跳ね返す。もちろん、ルクスは軽々と回避したが。左に殺気。エスクがトランに肉薄していた。短杖を振りかぶっている。トランは飛び退きながら、嫌な予感がした。短杖の尖端から発生する光の刃が、伸びる。トランは咄嗟に坤龍を振り上げた。大地が反応し、瞬時に、トランの眼前を土壁が覆う。しかし、意味をなさない。光の刃は、土壁を紙のようにあっさりと切り裂きながらその刀身を伸ばし、トランへと向かってくる。トランは、ついで、右手を地面に向けた。アークセイバーの能力を行使する。突風の発生。衝撃波が地面を叩き、反動がトランの体を後ろに向かって吹き飛ばす。エスクの斬撃が地面を切り裂くのを見届けた瞬間、彼は背後に殺気を感じた。逃げ延びた先にルクスが待っていたのだ。
(着地を狙っているか)
空中にいる間から着地の瞬間まではだれしも無防備だ。通常、空中では方向転換などできないし、体を自由に動かすことなど以ての外だ。着地も同様。足に負担がかかり、その瞬間、無防備を晒すことになる。ルクスがトランの着地点に先回りした抜け目のなさには、舌を巻く思いがするとともに、嬉しくもあった。
そうでなければ、意味がない。
だが、着地が無防備で隙だらけなのは、通常の場合だ。
トランは、現在、召喚武装を手にしている。通常ではないのだ。
彼は、透かさず坤龍の能力を駆使し、着地点周囲の地面を激しく隆起させた。ルクスは、足や体を岩の槍に貫かれるのを嫌って飛び離れ、その隙にトランは着地を果たしている。前方では土壁を切り裂いた光の刃が吸い込まれるように地面をも両断していた。
避けなければ少しは切られていたということだ。
「集中していて、これか?」
トランは、前方と左後方の敵を意識しながら、告げた。
「冗談!」
「本番はこれからさ」
エスクとルクス、それぞれの口上が終わると、まさに本当の戦いが始まった。
トランが待ち望んでいた剣闘が始まったのだ。