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第千二百六十二話 シールウェール(三)

「ガンディアの軍勢は、救援軍を名乗っているらしい」

 開口一番、そういってきたのは、聖石旅団幹部のネオ=ダーカイズだった。彼はシールウェール攻略部隊の隊長を務めており、この千五百人足らずの軍勢を纏め上げる立場にいた。妙に神経質そうな顔つきが印象に残る若い男で、血気にはやるところがあった。彼がいう救援軍の別働隊のシールウェールへの接近を知り、すかさず橋を落としたことからも明白だが、思いついたら即座に行動に移すところがあり、そういうところが彼の趣味に合わなかった。

「なるほどぉ。マルディアを内乱から救うための軍勢ということなのねぇ」

 ネオ=ダーカイズの言葉に相槌を打つつもりでその表情を顰めさせたのは、彼の左隣に座る女だった。桜色とでもいうような髪色が異彩を放つ人物で、名をアニャン=リヨンといった。髪は無論、生まれつきの色ではない。染めているのだ。そのときどきの気分で髪を染めるため、気が付くとまったくの別人になっていることがある。どこかふんわりとした長い髪は、彼女の性格に合っているといえば合っているだろう。

「アニャン」

「なぁに?」

「いや……」

 アニャンに忠告しようとして即座に諦めたのは、彼の右隣で姿勢よく座っている女性だ。クユン=ベセリアス。アニャンの手によって深く濃い緑色に染められた頭髪を短めに揃えているのが、几帳面な彼女の性格を象徴している。ふたりとも彼にとっては掛け替えのない人物だった。

「……まったく、他国人どもが。図々しいにも程がある」

 ネオ=ダーカイズが吐き捨てるようにいったのは、アニャンの発言を受けてのことだろう。そして、彼が彼なりに気を使っていることが伺えて、ネオ=ダーカイズの評価に変化を加えた。本来のネオならば、アニャンの発言こそ切り捨てただろう。ネオは、この反乱を正義と信じているのだ。(そんなつもりがないとはいえ)救援軍の正義を認めるような発言を許すわけがない。そうであるはずなのに、彼がアニャンに言及することがなかったのは、アニャンやクユン、引いては彼の気分を害すまいとしたからに違いなかった。

 トラン=カルギリウスは、そんな気遣いのできるネオがなぜこうも血気盛んなのかと思わざるを得なかった。若い男だ。その若さのまま反乱の熱狂に飲まれ、熱狂の行き着く果てまで行こうとしているのかもしれない。

 トランは、前髪をかきあげながら、周囲を見た。視界を塞ぎかねないほどに髪を伸ばしているのはアニャンの提案であり、彼女の提案をクユンまで支持するものだから、逆らえなかった。灰色の髪は染めているわけではなく、生まれつきだったが。

 トランたちはいま、シールウェール内の政府軍駐屯地、その司令室にいる。シールウェールを巡る攻防で戦った政府軍のうち、生き残ったものたちは反乱軍の監視下にあり、駐屯地はまるまる反乱軍のものになっていたのだ。

 司令室には、シールウェール攻略部隊の隊長であるネオ=ダーカイズと彼の部下、そしてトランたちがいた。軍議の真っ只中なのだ。本来ならばトランのような反乱軍に参加したばかりのものが参加できる場面ではないのだが、トランたちは、反乱軍に参加して以来、特別待遇を受けていた。反乱軍の指揮官であるゲイル=サフォー自体がトランを優遇しており、その優遇に関して、だれひとりとして不平や不満をもらさなかった。

 それこそ、これまで積み重ねてきた実績の力だろう。

 実力ともいう。

“剣聖”トラン=カルギリウスの雷名は、マルディアの地にも響き渡っていたということだ。

「それで、他国人どもの軍勢にはどう当たられる? 既に川向うに布陣しているという話だが」

 トランは、ネオの意を組んで、そういった。他国人ども。

(他国人どもか)

 胸中で反芻し、苦笑する。

(それは、あれらも同じだろうに)

 反乱軍が政府軍を打倒するために呼び込んだベノアガルドの騎士団も、結局は他国人どもに過ぎない。トランたちもそうだ。反乱軍がありがたがっているもののほとんどは他国人であり、他国人の力なくしてはなにも成し遂げられないのが、この反乱軍の有り様なのだ。正義もなにもあったものではない。が、成し遂げることができたのであれば、それこそ正義なのだから、トランが口を挟む理由はない。過程や方法など、問題にはならない。

 結果がすべてだ。

 この反乱も、成功すれば絶対の正義となる。歴史が証明している。大陸統一を成し遂げた聖皇は、当時は正義そのものだったはずだが、大分断以降の歴史では、聖皇は悪そのもののような扱いを受けていた。聖皇だけではない。あるときは正義として崇め称えられるものが、つぎの時代には邪悪として忌み嫌われることは多々ある。

 現在を正義とするためには、過去を悪とするほかない。

 人間とは、それくらいか弱い生き物なのだ。

「物見の報告によれば、他国軍の兵士たちが川の様子を探っていたということだ。渡河するための浅瀬を探していたのだろう。その調査も終わったところをみると、渡るべき浅瀬が見つかったと見ていい」

「橋を落としたのが無駄になっちゃいましたねぇ」

 無自覚に他人の心を踏み躙るのがアニャンの悪いところだ。とはいえ、無自覚であり、どう注意しても収まるところがないので、捨て置くしかない。クユンもそのことについては半ば諦めているようだった。本人は至って真面目で良いことをいっているつもりだったりするのだから、どれだけ口を慎めといったところで意味がないのだ。

「無駄にはなっていないぞ」

「そうですかぁ?」

「時間稼ぎにはなった」

 ネオは、自分や部下たちを納得させるようにいうと、ひとりうなずいた。確かに橋を落としたことで、マルディア救援軍別働隊がシールウェールに到達するまでの時間を引き延ばすことには成功している。それは間違いないが、結局、渡河を許すとなるのであれば、無駄だろう。とはいえ、敵軍が浅瀬を通過している間、こちらから攻撃し放題だということを考えれば、悪くはない判断かもしれない。

 が、シールウェールがマルディオン攻略の拠点とする予定であれば、橋は落とすべきではなかった。守る分には好条件になった結果、攻める分には悪条件になっている。川を越えるため、こちらも浅瀬を探る必要がでてきたからだ。

 もっとも、マルディオンを攻略するにも、まずはシールウェールの奪還を目論む敵軍を撃破するよりほかはなく、そのための軍議をたったいま開いているのだが。

「時間を稼いでどうするのです?」

 クユンが切れ長の目でネオを見据えた。刃のように鋭い視線と、同様に鋭利な質問は、彼女の彼女たる所以だ。

「シクラヒムに援軍を要請した。敵軍の約五千に対し、こちらの兵数は千五百だからな……」

 ネオが難しい顔をした。数的に不利だといいたいのだろう。

 彼は、こちらがシールウェールという城塞に籠っているという利点を無視しているのだが、それも無理からぬことかもしれない。相手は、ガンディアを中心とする多国籍連合軍であり、その総戦力は、反乱軍の数倍に至っている。物量においては圧倒的な上、ガンディアがこれまで成し遂げてきた事績を考えると、戦力の質も想像を絶するものがありそうだった。

 特に黒き矛のセツナの雷名は、大陸全土に轟き渡っている。

 トランが反乱軍に身を投じたのも、セツナの名に惹かれたからにほかならない。

 彼は、長い流浪の末、マルディアに辿り着いた際、反乱軍が対ガンディアの戦力を募っていると聞き、興味を持ったのだ。黒き矛のセツナについては、小国家群北西の国エトセアで傭兵として戦っていたときから聞き及び、その活躍を耳にするたびに手合わせ願いたいと思うようになっていった。ザルワーンの守護龍を斃し、クルセルクに出現したという巨鬼を斃し、一万を越える皇魔をたったひとりで撃破する。まるで鬼のようだ。

 この世に鬼と呼ばれるものは、そう多くはない。“剣鬼”ルクス=ヴェイン以前には、ただひとり戦鬼と恐れられたグリフくらいしかいないのではないか。黒き矛のセツナの活躍は、ルクス=ヴェインはいわずもがな、戦鬼グリフに匹敵し、あるいは凌駕するものかもしれず、“剣聖”と讃えられるトランの興味を引くのもある意味では当然だった。

 反乱軍に身を投じれば、セツナと戦えるかもしれない。

 ただそれだけの理由で、彼は反乱軍に属した。アニャンもクユンもセツナに興味はなかっただろうが、最初で最後の我儘だということで聞き入れてもらっている。

 最初で最後。

 セツナと戦えば、自分の命がどうなるものかわかったものではないから、そういった。

 勝てるとは断言できない。

 だからこそ昂揚するのだ。だからこそ、心震えるのだ。だからこそ、これまでにない力が出せるに違いないと思えるのだ。

「なるほどぉ、シクラヒムからの援軍がここに到達するまで守りに徹するということですねぇ」

「そういうことだ。援軍と合流次第攻勢に出る。それまでは敵のいかなる誘い、挑発に乗らず、防備を固めるのだ」

「つまり我々の出番は当分ないということか」

「そうなります。“剣聖”殿には申し訳ないが、戦場に出られるのは、合流まで我慢していただきたい」

「いや、なに、問題はないよ」

 トランは、ネオのいいように苦笑せざるを得なかった。

(我慢か。なにを我慢するというのだ)

 彼は、トランが戦闘狂かなにかと勘違いしているのではないか。

 確かに自分に相応しい戦場を探して流浪し、マルディアに流れ着き、反乱軍に参加した。それもこれも、マルディア政府が反乱軍征伐のため、ガンディアに救援を要請したという話を耳に挟んだからだ。ガンディア軍が来るとなれば、黒き矛も来るかもしれない。黒き矛のセツナとは、一度戦ってみたいと想っていたところだった。

 強い敵と戦う――それこそ、トランの望みだ。渇望といってもいい。

 だが、トランたちは戦場のみに生きているわけではなかった。一生を生きていくには十分すぎるほどの金があるし、“剣聖”という二つ名だけで食うに困ることはない。金のために戦っているわけでも、名声のために戦場を彷徨っているわけでもない。ましてや、戦いたいために戦場を探していたわけでもない。

 剣の道を極めるために戦場を探している。

 そのために、彼はヴァシュタリアから小国家群に流れてきた。ヴァシュタリアは、ある意味では安定している。教会の支配と統制によって、完璧とはいかないにせよ、落ち着いているのだ。戦争など起きるわけもない。皇魔ばかりを相手にヴァシュタリアを流浪しているのも飽きた、というのが本音だった。そこで、戦国乱世の続く小国家群に流れてきたのだが、この選択は間違いではなかった。

 エトセアの戦場でも、彼は血沸き肉踊るような戦いを何度となく経験している。

 このマルディアの戦場でも、血が沸き立ち、肉が踊り狂うだろう。

 そういう観点から見れば、確かに戦闘狂というべきなのかもしれない。

 トランは胸中でネオに小さく謝った。


 ネオが下した結論によって軍議はお開きとなり、会議室にはトランたちだけが取り残された。

「援軍を待つか」

 クユンがつまらなそうにつぶやいた。自分たちの評価が低いことについて憤っているのかもしれない。確かに、ネオはトランたちを厚遇しながらも、戦力として評価しているわけではなさそうだった。シールウェールをこうもあっさりと陥落せしめたのは、まず間違いなくトランたちの働きによるものであり、それがわからないネオではないはずなのだが。

(認めたくないのかもしれない)

 ネオ=ダーカイズは、自尊心の強い種類の人間のようだった。シールウェール制圧の手柄を自分のものとしたいのかもしれないし、そのためにはトランたちの活躍を認めたくないというのもわからないではない。認めない以上、戦力として評価するわけにもいかず、トランたちを評価しないということは、援軍を要請するほかない。それがクユンの怒りを買うのだが、ネオには痛くも痒くもないだろう。クユンがどれだけ怒ったところで、ネオに害が及ぶことはないのだ。

「それまではゆっくり休めそうですねぇ」

「どうかな」

「師匠?」

 アニャンがきょとんとこちらを見てくる。彼女がそういう表情を見せると、とてつもなく幼く見えるのだが、実際の年齢を考えるとまったくもって幼くなどない。

「ガンディアの軍勢がこちらの都合に付き合ってくれるとは、到底思えんということだ」

「でもでもぉ、門を閉ざした城塞都市を相手にどうするんですぅ?」

「武装召喚師がいるだろう。武装召喚師ならば、門を壊すくらい簡単なことだ」

「確かに……」

 クユンがトランの言葉を肯定すると、アニャンは黙りこんだ。武装召喚師たる彼女たちには実感として理解できることだろう。実際、シールウェールの北門を破壊したのは、アニャンの召喚武装であり、城門を破壊されるとも思っていなかったシールウェール駐屯軍の度肝を抜き、反乱軍の大勝利に大いに貢献している。

「門を破壊され、都市内が戦場になったとき、ネオはどうするかね」

 防衛戦となれば、基本的に守る側が有利だ。都市内の建物や遮蔽物を有効活用すれば、攻め込んできた相手を一方的に嬲ることだってできるかもしれない。しかし、そのためには都市の構造を完璧に近く把握して置かなければならないし、その上で部隊配置を決めておかなければならない。トランの見たところ、ネオにそういった能力はなく、部隊配置もおざなりだった。

 彼の指揮能力は決して低くはない。兵士たちの士気を高める術も心得ている。良い指揮官といっていいだろう。しかし、戦術を構築する能力が欠如している上、トランが評価する指揮能力も、その欠点を補って有り余るものではない、その上、彼の自尊心が、部下の進言を許さなかった。

 彼の指揮官としての優秀さが発揮されるのは戦場のみであり、しかも、こちらが攻撃側の場合のみでありそうだった。

 さらにいえば、圧倒的な兵力差がある。三倍もの兵力差。城壁を突破されようものなら、怒涛の如く押し寄せる敵兵の群れにあっという間に飲み込まれ、滅ぼされるのではないか。

「戦うしかないでしょうが」

「混戦になりそうですねぇ」

 しかも相手にはあのふたりがいる。

“剣鬼”ルクス=ヴェインと“剣魔”エスク=ソーマ。

 小国家群において知らぬものはいないほどの剣豪たち。

 黒き矛のセツナと戦えずとも、そのふたりと同時に戦えるとなれば、トランの気分も盛り上がるというものだったし、ネオ=ダーカイズの愚かな采配にも目を瞑ることができた。

「なに、我らは我らの戦いをすればよいのだ」

 告げて、トランは椅子から立ち上がった。救援軍が浅瀬を渡り攻め寄せてくるとすれば、今夜中か夜明け頃だろう。彼らとすれば、早急にもシールウェールを奪還し、救援軍の実績を上げたいに違いないのだ。

 シールウェールの周囲は、都市攻略に繋がるようななにかがあるわけではない。周囲のほとんどは平野だし、南側と東側はシール川が流れていることで、攻撃側にとっては障害にしかならない。シールウェール攻略のために特別な戦術を練るようなことはないだろう。

 速攻を決めてくるに違いない。

 トランの読みは、現実のものとなる。

 翌日、日が昇る前、シールウェールは戦場となった。


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