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第百二十五話 龍はみずから毒酒を呷り(前)

「時代か……」

 ミレルバス=ライバーンの何気ない一言に、場は水を打ったように静まり返った。

 ザルワーンの意思を決定する五竜首会議の場。顔を並べるのはいまやザルワーンの運営に欠かせぬ顔触ればかりだ。だれもかれも生まれたときからミレルバスのことを知っているし、ミレルバスもまた彼らが赤子のころから知っていた。氏族の頭首ですらない彼らが頭角を表し、この会議に席を置いていられるのも、ミレルバスが全身全霊をかけて育て上げてきたからだ。いわば彼の手足であり、彼の肉体そのものだった。そしてこれは、会議とは名ばかりの自己確認の場であるといえた。

 この中で異物と呼べるのは、いまや彼の片腕として辣腕を振るう軍師ナーレス=ラグナホルンだけだ。もうひとつの異物は、もはや彼の体内には戻ってくることはあるまい。

 時代が動いているという。

 長らく膠着状態にあった大陸少国家群に、変動が起きているのだ。北では魔王が立ち、クルセルクが肥大を始めている。騎士団の加速度的な拡大も気になるところだ。南方では、都市国家の同盟に触発された国々が活発に動いているという話もある。東西にも断続的な変化が起きており、その波動は中央部にも伝わってきている。ガンディアのログナー制圧は、その最たるものといえるかもしれない。

「時」

 グレイ=バルゼルグの離反も、時の流れと呼べるのだろうか。

 彼は、ザルワーンの最高戦力と呼べる部隊を率いていた。猛将率いる最強の軍団は、一時期ザルワーン軍の代名詞ともなったほどだ。五年前のログナー制圧においても大活躍し、猛将グレイ=バルゼルグの名を世に知らしめた。とはいえ、元はといえば外様の将だ。彼の忠誠心はザルワーンではなく、メリスオールという小国の王家と国民に対して捧げられていた。

 最初から、彼には忠誠心など求めていなかった。力さえ振るってくれればいい。勝利を捧げてくれさえすればいい。それだけだった。だから、メリスオールの国民を人質に取ってまで、彼を傘下に入れたのだ。卑怯ではあっただろう。しかし、ザルワーンの武力を強化するためならばどのような手段であろうと構いはしなかった。その考えは、いまでも間違っていないと思っている。

 歴史は勝者が作る。

 なればこそ、ミレルバスは前のみを見据え、走ってきた。軍事力を増強し、周辺諸国を飲み込み、より強大な国へと発展させようとしてきた。メリスオールを取り込み、ログナーを下した。そのままガンディアを制圧し、南方に野心の舌先を伸ばすのも良かった。ガンディア制圧で南進を押し留め、領土を北へと広げる道もあった。

 それも半年前ならば実現できたかもしれない。

 半年前といえば、ログナーがガンディアの要塞を陥落させ、勢いに乗っていた時期だ。ザルワーンの主力をログナーの後詰に差し向け、ガンディア侵攻の後押しをしていれば、“うつけ”は“うつけ”のまま死に絶えていたかもしれなかった。

 頭を振る。下らぬ妄想だ。現実に“もしも”はない。あのとき、彼は麾下の軍を国外に向けて動かすことなど出来なかったのだ。内乱があった。動かしていれば、足元を掬われていたかもしれない。とはいえ、危うかった、というわけでもない。

 内乱が、長きに渡り続きすぎていた。

 内乱に関わっていたビューネル家の当主は、戦いの最中に死んだ。捕縛し、すべてを吐き出させるはずだったが、その宛てが外れてしまった。反乱の終息を確認できない以上、軍を動かすこともままならなかった。反乱分子の掃討に力を入れた。

 そうしている間に、ガンディアが息を吹き返した。

 ガンディアの“うつけ”と囁かれていた新王は、バルサー要塞を奪還すると、瞬く間にログナーに攻め入り、制圧してしまった。

 その直前、ミレルバスがログナーに派遣した軍勢こそ、グレイ=バルゼルグ将軍の部隊であり、彼の裏切りこそが、ガンディアの電撃的な侵攻を成功に導く一助となったのだ。

「時か」

 同じ言葉を繰り返しつぶやいたところで、会議は進展を見せない。そんなことはわかっているのだが、彼は考えざるをえない。グレイはなぜ離反したのか。彼はなぜ、命に背き、軍をザルワーンへと戻したのか。彼はあのとき、ログナーの軍と対峙していたはずだ。それがなぜ、メリスオールの廃墟へと向かうことになるのか。

 メリスオールの現状を知れば、彼はザルワーンを見限るだろうことはわかっていた。人質がいないのだから、当然だ。だから今日まで彼にメリスオールへの接近を許さなかった。彼の部下にもだ。グレイ=バルゼルグの魂を縛るのは祖国への忠誠心であり、ザルワーンに仕える義理などなにもない。ミレルバスへの忠誠心などあるはずもないのだ。

「グレイ=バルゼルグの処分についてですが」

 ナーレスが口を開いたのは、会議が進まないことを考慮してのことなのだろうが。

「処分などと。彼はもはや敵だ。いずれ倒すより他あるまい」

 真実を知った以上、グレイ=バルゼルグが再びザルワーンの軍門に下ることはありえない。つぎに対面するときには、純然たる敵意を向けてくるだろう。帰還命令を無視し、旧メリスオール領に留まっている事自体、敵となったという事実を表している。そして、一月以上部隊が保っているということは、彼に協力者が現れたということにほかならない。

 ジベル、クルセルク、ベレル、ガンディア――どの国も、グレイ将軍の部隊に協力しても不思議ではなかった。食料の補給や物資の提供によってグレイの部隊が長持ちすればするほど、ザルワーンにとって痛手となる。グレイの動向に常に気を配らなければならなくなるのだ。

 彼が率いていたのは、当時もザルワーン最強の部隊だ。その部隊がまるごと、敵に回ってしまった。しかも、ザルワーンの国内に陣取っている。旧メリスオール領ガロン砦。ザルワーンの東部に位置する砦は、ザルワーンの行動範囲を縛るのに適していた。

 外征は、難しくなった。

 国外に軍を差し向けたが最後、その隙を突かれるだろう。グレイの保有兵力は、たかがなどとはいえない数だ。それに精鋭中の精鋭でもある。対等に戦うなら、倍する兵力を当てなければならない。でなければ、グレイ部隊の突破力を跳ね返すことなどできない。

 もっとも、武装召喚師たちをぶつけるなら、そこまでの人数を必要とはしないだろう。しかし、そうすると今度は外征のための戦力が物足りなくなる可能性がある。旧ログナー領の奪取こそ、つぎの外征の目的だ。敵はガンディア。ガンディアには、黒き矛と呼ばれる強力な武装召喚師がいる。それと戦うには、こちらのすべての武装召喚師を動員する必要があるかもしれない。そこまでの戦力は不要なのかもしれないが、用心に越したことはない。黒き矛ひとりで要塞は陥落し、ログナーは制圧されたという話なのだ。黒き矛だけは、なんとしてでも倒さなくてはならない・

 しかし、グレイ部隊を対処しながらでは、それも難しい。グレイ部隊に倍する兵力、つまり六千人の大部隊をぶつけるのも困難だ。いくらガンディア相手とはいえ、残りの兵力と武装召喚師部隊で圧倒できるとは考えにくい。だからこそ、グレイ=バルゼルグの離反は痛いのだ。

 いや、離反し、他国へ渡るのなら良かった。それならば、いくらでも対処のしようはあっただろう。そもそも、国に属すれば、勝手な身動きは取れなくなる。ザルワーンをいくら敵視しようと、軍を差し向けることなどできはしなかったのだ。恐らく彼は、それがわかっているからこそ、他国に行くという手段を取らなかったのだ。

 彼は、メリスオールという小さな国を心底愛していたのだ。

(愛の為に死ぬか)

 それは美談というにはあまりに苛烈で、凄絶な覚悟だ。彼に従う三千の兵が一兵も離れていないという報告に接する度に思うのだ。彼らのような苛烈な生き方は、これからのザルワーンにこそ相応しいはずなのだ、と。

 だが、現実にグレイは麾下の部隊とともにガロン砦に篭もり、敵対意思を鮮明にしている。いずれ戦い、滅ぼすしかないのだ。

 が、気になることもある。それは、明らかにしなければならないことだ。

「ナーレス、君は彼がなぜ離反したと思う?」

「メリスオールの惨状を目撃したのではないかと」

「なぜ、彼はメリスオールに帰ったのだ?」

「どこから情報が漏れたとしか考えようがありません」

 ナーレスは、こちらを見据えたまま、顔色ひとつかえなかった。視線も微動だにしない。まったくもって不動であり、彼の心もまた、身じろぎひとつしていないのだろう。彼が優秀だと感じることのひとつがそれだ。ナーレスはいかなときも、感情の変化を表情に出さなかった。態度にもだ。部隊が劣勢にあっても、優勢にあっても、事件が起きても、解決しても、いつもと同じ涼やかな表情を浮かべている。その態度は沈着冷静そのもので、ミレルバスには眩しくもあった。

「その通りだ。だれかが情報を彼に伝えたのだろう。ザルワーンの最高機密をな」

 そう、最高機密だ。ザルワーンの最高戦力を支配していた魔法なのだ。それを知っているのは、この場に顔を並べている人間と、あの悪魔の様な実験を行った当事者だけなのだ。政治に興味を示さないあの男が、グレイ=バルゼルグに翻意を促すようなことをするとは考えにくい。そもそも、その事実を伝えれば、真っ先に殺されるのは彼に違いない。彼が発案し、主導し、実験を行ったのだから。

 もっとも、その悪魔の様な実験を認めたのは、ミレルバスにほかならない。その結果、メリスオールの国民が死に絶えたのなら、責を負うべきは自分であろう。そこに異論はない。ザルワーンのためならば魔道に堕ち、外法を極めんとするのも厭わない。そういう時代だ。

 だが、だれが彼をメリスオールに向かわせたのかは、はっきりさせなければならなかった。それがなければ、ログナーがガンディアに取られることはなかった。あっても、ログナー領の一部を切り取られただけだろう。それでも痛手には違いなかったが、ログナー全土を制圧されるよりははるかにましだ。一部なら、すぐに取り戻せた。そして、その余勢を駆ってガンディアまで攻めこむこともできたかもしれない。

 彼は頭を振った。いつまでも過去に囚われているわけにもいかない。過去の仮定を元にした空想など、取るに足らぬ幻想よりも価値がない。

 ナーレスに視線を向ける。彼はやはり、涼しい顔で書類に目を通している。彼がまとめた報告書は理路整然としていたし、献策もことごとく的を射たものだった。彼が軍の采配を振るったのは数えるほどしかないが、そのすべてにおいて大勝しているのも記憶にある。彼には才能があり、実力もある。視野は広く、遠い将来まで見据えている。ザルワーンの将来を考えたとき、ミレルバスの傍らには彼がいるべきだった。彼が万軍の指揮を振るう様を後ろで見ていたかった。

 無念に想う。

 彼という才能は、ほかにはないものだった。

「ナーレス。君とは良き友人でありたかったよ」

「殿は臣下に恵まれておられます。わたしなどよりも余程相応しい方がおられましょう」

「かつていったはずだ。これらは我が手我が足。我が息吹きであり、我が鼓動なのだ。わたしの体では、友にはなれんのだよ」

 ナーレスは一同を見回し、得心したようだった。だれもがミレルバスと同じような顔でナーレスを見ている。

「わたしは対等に語り合える人物を君に見いだし、傍らに置いた。五年前のことだ」

 その決断は、会議以外の人間からは猛反発も食らった。

 ナーレス=ラグナホルンは、元はガンディアの軍師だった。シウスクラウド王が将来ガンディアを背負うひとりだと明言していたほどであり、その名はザルワーンにも響いていた。ログナーからの度重なる侵攻を跳ね除けたのは、彼の采配と才能のおかげというのは大袈裟すぎるだろうが、話半分にしても十分な能力を持っているというのが当時の評判だった。

 そんな男が、ただうつけものの王子に失望したからといって国を出るものだろうか。なにか裏があると考えるのが普通であり、額面通り受け取るのは愚か者のすることだと、ナーレスを面罵するものもいた。

 それは、彼にもわかっていた。罠に違いない。そんなことはだれにだってわかる。だが、ミレルバスにはミレルバスなりの考えがあった。

 ザルワーンをより強くするためには、どうすればいいのか。

 国そのものを彼の意志で動く一個の存在へと作り変えていくには、どうすればいいのか。

 それだけが、ミレルバスの命題だった。

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