第千二百五十八話 マルディオン(一)
マルディア救援軍が、マルディア王都マルディオンに辿り着いたのは、三月十二日のことだった。
セツナたちがガンディオンを出発して丸一ヶ月近く経過している。長旅だった。大遠征といっても過言ではないくらいの距離を走破してきたのだ。マルディオンに到達した大軍勢のだれもが長旅の疲れを隠せなかった。
しかし、レオンガンドやセツナたちは、疲れを癒やす暇もなく、マルディア国王一家に盛大な出迎えを受け、王城内への移動を余儀なくされた。
マルディア国王はユグス・レイ=マルディアといい、王妃はミュリア・レア=マルディアといった。国王も王妃も、気品と優雅さを併せ持つ、まさに王族という人物であり、マルディア特産の宝石を大量に散りばめた衣を身に着けていた。ふたりともまだ三十代だといい、若々しさに満ち溢れていた。年齢でいえば、レオガンドのほうがまだまだ若いのだが、セツナにはレオンガンドのほうが頼りがいがあるように思えた。おそらく、レオンガンドは艱難辛苦を乗り越えてきたという経験があり、それらの経験が若さ以上のなにかをレオンガンドに与えているのだろう。
そう考えると、マルディアはこれまで順風満帆だったに違いなく、聖石旅団による反乱が起きるまで、なんの問題もなかったのだろう。だからこそ、聖石旅団による反乱が余計に衝撃的で、ユノにあのような行動を取らせるほどになったのかもしれない。
セツナたちを出迎えた国王一家の中には王子もいて、ユリウス・レウス=マルディアと名乗った少年は、ユノにそっくりだった。それこそ、ユノが男装しているのではないかと思うほどであり、セツナだけでなく、ユノを知るだれもが、彼を目の当たりにした瞬間驚き、ユノと見比べたものだった。そして、見れば見るほどよく似ていることがわかり、驚きを深めるのだ。そんな一同を見て、国王一家が噴き出すのは、いつもの光景ではあるらしかった。
話によれば、ユノとユリウスは双子の兄妹であり、似ているのも当然といえば当然だったが、それにしても似過ぎだった。ユノが男装し、ユリウスが女装をすれば、すぐには判別できないかもしれない。幸い、声はまったく似ても似つかないため、声さえ発してくれれば間違うことはないだろう。
などと考えていると、ユノがこっそりいってきたことに驚きを隠せなかった。
「兄様はわたくしの声真似が得意なんですよ」
それも、極めて似ている、という。
ユリウスはよくユノの声真似をして周囲を困らせて楽しんでいるという。周囲の人間が困惑するということは、それだけ似ているということであり、セツナにも判別できないのは明らかだった。
その後、レオンガンドは、救援軍に参加した各国の首脳陣とともにマルディア国王と会見を行うことになったが、セツナは同席する必要がないということで、自由行動となった。とはいえ、長旅の疲れを癒やすのが先決で、マルディオンを観光する気も起きないし、城内を歩き回る余裕もなかった。そもそも、マルディアを巡る戦いはとっくに始まっているのだ。限られた時間を有効に使う必要に迫られていた。
すると、レオンガンドやユグス王とともに会見に向かったはずのユリウスがセツナの前に姿を見せた。ユノそっくりの王子は、色とりどりの宝飾品を散りばめられた装束を身に纏い、まさにマルディアの王族といった風情を醸し出していたが、そのユノにそっくりな風貌も相まって、ひたすらに綺麗に見えた。
「セツナ様、もし、お暇でしたら、わたくしが城内を案内してさし上げましょうか?」
「殿下御自ら、ですか?」
セツナは、ユリウスの申し出に少なからず驚いた。
「もっとも、ガンディアの英雄たるセツナ様を案内するには、わたくし程度では不足しているかもしれませんが」
「不足などと……なにを仰られるのです」
「そうですわ、兄様」
不意に口を挟んできたのは、もちろん、ユノだ。彼女も会見の場に向かっていたはずなのだが、いつの間にかセツナの側に立っていた。ユリウスを追いかけてきたのは間違いない。ユリウスが怪訝な顔をしたのも無理はなかったかもしれない。
「ユノ?」
「セツナ様の案内は、わたくしにおまかせ下さいませ。マルディオンに到着した暁には、わたくしがセツナ様のお世話をさせていただくと、約束しておりましてよ」
「そうだったのですか?」
「えーと……」
セツナは、ユノの剣幕とユリウスのきょとんとした反応に、なんといえばいいのかわからず困っていると、不意にユノに小指を引っ張られた。彼女を横目に見ると、笑顔の中に話を合わせろとでもいいたげな表情が隠れていることに気づく。
「あ、そ、そうなんですよ、ユノ様とそういう約束を交わしていたのでございます」
口調が怪しくなってしまったものの、いまさらどうすることもできず、セツナは困ったように笑うしかなかった。ユリウスに感づかれないことを祈っていると、彼は、嘆息した。
「……そういうことならば、仕方ありませんね。残念ですが、セツナ様のことは、ユノに任せるといたしましょう。ご存知かと思われますが、ユノは奔放故、セツナ様にご迷惑をかけることもあると想いますが、どうか、寛大な心で受け止めてあげてください」
「に、兄様……なんということを仰るんですか!?」
ユノが悲鳴染みた声を上げる。
「ユノ様が奔放などと思ったことはございませんが、なにがあっても大丈夫ですよ」
「ほう……なるほど」
ユリウスは、意味深気な視線をユノに投げた。
「な、なんですの?」
「わたくしの妹のこと、どうかよろしくおねがいします」
「は、はあ」
「では、わたくしはこれにて」
ユリウスは一方的に話を終わらせると、軽く礼をして、セツナとユノの前から去ろうとした。が、すぐさま足を止め、背を向けたままいってくる。
「あ、ひとつだけ」
「なんでしょう?」
「いつでもいいのですが、セツナ様とお話する機会を頂けると嬉しいのですが……」
こちらを見るユリウスの表情は、セツナのことを気遣っているように見えた。
「時間が許すのであれば、いつでも構いませんよ」
「ありがとうございます」
ユリウスは、にこりとした笑顔を見せると、深々とお辞儀をしてきた。セツナは、自分に対するユリウスの反応や態度にどぎまぎせざるを得ず、彼が去るまで緊張が消え去ることはなかった。
「本当に時間があるときで構いませんからね」
ユノがぼそりと告げてきたので、セツナは少しおかしくなった。
「ユノ様?」
「兄様、話しだすと止まりませんから」
「そうなんだ?」
「はい。恥ずかしい話です」
「恥ずかしくはないと思うけど」
「しかし、他国からの客人が来るたびにそういうことをされると、妹としては恥ずかしくもなるものなのです。他国の大切なお客様が長時間拘束されるのですよ?」
ユノが赤面気味に話してくれた内容にセツナは少しばかり驚いた。そして、ユノが恥ずかしがっていることに納得もする。確かに、家族からすれば恥ずかしいことかもしれない。特に王家の人間がするようなことではないといえば、そうだろう。
「それは……まあ……」
「特にセツナ様となると、半日や一日では済まないかもしれません」
「俺だと?」
「はい。兄様は、この数年、武装召喚術を学んでおります故、武装召喚師として高名なセツナ様に並々ならぬ興味を抱いているのでございます」
「そういうことでしたか」
セツナは、ユノの説明に納得しながらも、ユノが助け舟を出してくれたことにいまさらのように感謝した。ユリウスと話をする事自体は問題ないし、別に構わないといまでも思うのだが、ユリウスの興味が武装召喚師としてのセツナにあるのであれば、彼を満足させることができるかといえば疑問だった。セツナは、純粋な意味での武装召喚師ではない。純粋に修練の末に術を体得した武装召喚師たちからは卑怯だのなんだのと謗られる能力の使い手でしかないのだ。純粋に武装召喚師を目指しているのであろうユリウスが満足のいく会話ができるとは、到底考えられなかった。
もちろん、セツナからいえることもある。召喚武装の使い手としてのこれまでの経験や体験、得られた知識を教えることくらいならばできなくはないのだが、武装召喚師としての修行中の彼には当たり前のことばかりかもしれなかった。
「兄様があそこまでセツナ様と話したがっているのは、わたくしが兄様に送った手紙のせいかもしれませんが……」
「え?」
「開校式典で行われた演武の内容を手紙に書いたのです。武装召喚師を目指す兄様にはいい刺激になるかと想い……」
「刺激を与えすぎたというわけですね」
「すみません……」
「いやいや、謝られるほどのことではありませんよ」
「セツナ様は戦いに備えて休まれるべきですのに、こんなことで時間を費やしてしまうなんて、あってはならないことでございましょう?」
「旅の疲れくらい、どうということはありませんよ」
「セツナ様……」
「はい?」
「マルディアのこと、どうかお救いください」
ユノの真剣なまなざしに、セツナは息を呑んだ。
「わたくしにできることなれば、なんでも致します故」
ユノは、真剣そのものだった。
全身全霊を込めてそういってきたのだが、セツナは、彼女の気持ちだけを受け取った。武装召喚術を学んでいる最中というユリウスでさえ、戦力としてあてにならないのだ。ユノにさせるようなことなどなにひとつなかった。彼女は後方で救援軍の勝利を待っていればいい。それだけでは、責任感の強い彼女には物足りないかもしれないが、彼女にできることなどほかにはないのだ。
「ユノ様。どうかご安心を。我らマルディア救援軍、必ずやマルディアの地に安寧をもたらしてみせましょう。そのためにも王女殿下に於かれましては、このマルディオンにて、我々の勝利を信じていただくよう、お願い申し上げます」
セツナは、恭しく片膝をつくと、そんなことを言い放った。