第千二百五十七話 思惑様々
「ガンディアがマルディアの救援に現れる、というのはどうやら本当らしいな」
ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートの一言に、シド・ザン=ルーファウスは、静かにうなずいた。
「旅団からの情報通りだ」
マルディア政府がガンディアを頼り、ガンディアがマルディアへの派兵を決めたという情報がベノアガルドに届いたのは、随分前のことだった。二月半ば。雪解けよりもずっと早くベノアガルドに届いた情報は、ベノアガルドの騎士団に入念な準備をさせるに至る。
シドたちにこそ出番はないものの、四人の十三騎士を投入することになったのは、まず間違いなく、ガンディアの軍勢がマルディアの地に現れることが確定したからだ。ガンディア軍の救援がないのであれば、派遣する十三騎士はひとりで事足りただろう。その分時間は多少かかるだろうが、時間がかかることそのものに問題はなかった。問題があるとすれば、マルディアの救済に失敗することであり、反乱軍が潰えさることなのだ。
「旅団からの情報通り、ねえ」
ベインが皮肉げに表情を歪めた。
「どうした?」
「奇妙な話だと思ったまでさ」
「奇異ではあるがな」
旅団とは、聖石旅団のことだ。マルディア軍の中でも精鋭中の精鋭と呼ばれる戦闘集団は、ベノアガルドから見ても特筆するべき戦力といえた。団長ゲイル=サフォーは、かつてマルディアの双璧と呼ばれた戦士であり、隻眼の王狼の二つ名で知られる小国家群有数の豪傑だ。マルディア王家への忠誠心も厚かったはずの彼がなぜ反旗を翻したのかについては、騎士団幹部であるシドたちには周知の事実だ。
「我々は救援を求められたのだ。そして、その救いの声に応えた。そうである以上、救いに全力を注げばいい」
「わかってはいるさ。俺だって、そこに異論はねえよ」
「ならばいいが」
「それに、ガンディアが出てくるっていうならよ」
「ん?」
「貴方が期待する救済者様も出てくるっていうことだろう?」
「ああ。そうなる」
シドは、彼の妙に嬉しそうなまなざしを受け止めながら、うなずいた。
「きっと、彼は来るだろう。彼は彼で、だれかを救うために現れるさ」
そうでなければ、ならない。
セツナ=カミヤ。あるいは、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。ガンディアの英雄と呼ばれる黒き矛の武装召喚師がガンディア軍の戦場に現れないわけがなかった。たとえば、このたびの戦いが、マルディアの反乱軍のみとの戦いならば、彼が出陣しない可能性もあった。しかし、反乱軍の背後にベノガルドの騎士団がいて、騎士団の戦力がどれほどのものなのか知っているセツナが、参戦の機会を逃すとは思えなかった。彼は、見たところ責任感の強い人物だった。自分が与えられた任務をなんとしてでも果たそうとするところがある。自分ができることに常に全力で当たっている。その結果がシーラを救うことに繋がり、シドに光明を見せた。
シドは、彼に可能性を感じている。
騎士団以外の救済者たりうるのは、いまのところ彼一人だった。
彼だけが、シドの理想形に近い。
もちろん、騎士団以外の人物の中で、という条件付きだ。
騎士団内ならば、彼の理想に近い人物はほかにもいる。
だからこそシドは騎士団に在籍し続けているのであり、自分もまた、一歩でも理想形に近づこうとしているのだ。でなければ、騎士団になどいられまい。
「ルーファウス卿、団長閣下がお話があるとのことです」
不意に予期せぬことをいってきたのは、ロウファ・ザン=セイヴァスだった。従者にでもやらせればいいようなことをみずから行うのが彼の彼たる所以だが、そういうところはむしろシド好みといってもよかった。
シドとベインがいたのは、ベノア城内にある塔の中の一室であり、ベノアガルド首都ベノアの町並みが一望できることで知られる場所だった。といって、シドは別にベノアを眺めていたわけではない。単に風通しがよく、心地がいいからよくこの部屋を使うというだけの話だった。ロウファがシドを探し当てることができたのも、ロウファにとってもシドといえばこの展望室という意識があるからだろう。
「閣下が? わかった。いますぐ行く」
椅子から立ち上がると、前方で足を投げ出すように座っていたベインが怪訝な顔をしているのがわかった。
「救済者様の話かね?」
彼のいう救済者とは無論、セツナのことだ。シドがアバード動乱以来セツナのことを高評価していることは、騎士団幹部内ではよく知られたことであり、当然、フェイルリングの耳にも届いている。冬籠りを終えたばかりのフェイルリングと最初に話したのも、セツナに関することだった。
救済者たろうとするフェイルリングには、シドが外部の救済者と認定したセツナのことが気になるようだった。そもそも黒き矛のセツナに可能性を見出したのはフェイルリングのほうが先であり、シドがその可能性を後押しするような発言をしているのだから、フェイルリングとしても思うところがあるのだろう。
騎士団のみが救済者たるべきではない、というのは、フェイルリング自身の考えであり、その考えこそ、騎士団の基本理念となっている。
「おそらくな」
「ま、あまり刺激的なことはいわないこった」
ベインの忠告は、シドの立場を気にしてのことだろう。シドとフェイルリングの関係というのは、あまり良好なものではない。そのことは、現騎士団の誕生秘話を知っているものならば周知の事実だったし、公然の秘密というべきものだった。
もっとも、シド自身は、フェイルリングのことを尊敬してさえいるのだが。
「忠告、痛みいる」
「いやいや」
手をひらひらさせるベインに背を向けると、シドは、ロウファに促されるまま騎士団長が待つ執務室に向かった。塔を降り、城内を歩いて行く、道中、ロウファと交わしたのは世間話程度のものであり、彼が少なからず緊張していることが伺えた。普段の彼ならば、もう少し気の利いたことをいってくれるに違いないからだ。普段通りといかないのは、シドが団長に直々に指名され、召喚されたからなのだろう。
普通、フェイルリングが十三騎士の個人を名指しで召喚することはない。なにか問題が起きたときくらいのものであり、今回の召喚も、シドがなんらかの問題を起こしたからではないか、とロウファが心配するのも無理はなかった。もっとも、シドが問題を起こすことなどあり得ず、故にシドは今回の召喚がセツナに関するものだと想い、半ば安心していた。
セツナに対しての感想や意見ならばいくらべも述べられる。
アバードで見てきたことをそのまま伝えるだけのことだ。見て、感じたこと。彼の中に見た可能性について。
やがて、団長執務室の前に辿り着く。執務室の前には、団長専属の従騎士が二名、警護を兼ねて佇んでいて、その二名は、ロウファとシドの姿を見るなり、緊張に全身を強張らせた。団長専属とはいえ、従騎士は従騎士だ。正騎士にして十三騎士のひとりに数えられるシド、ロウファとは比較にならない地位なのだ。彼らがふたりを前に緊張するのは当然だった。
ロウファは、そんな二名を黙殺するように扉の前にいくと、扉を軽く叩いた。
「ロウファ・ザン=セイヴァス、シド・ザン=ルーファウスを連れて参りました」
「入りたまえ」
室内からの反応はすぐにあり、ロウファがこちらを一瞥した。ロウファはここまで、ということだろう。シドはロウファに視線だけで感謝すると、扉を開いて室内に踏み入った。
執務室内には、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースと、副団長オズフェルト・ザン=ウォードの騎士団首脳が揃い踏みであり、得も言われぬ緊張感がシドを襲った。
「ルーファウス卿、突然呼び立てて申し訳ない」
「いえ。団長閣下の召喚とあらば、応じるのが騎士の務め」
シドが告げると、オズフェルトが声もなくうなずき、フェイルリングが目を細めた。
「しかして、わたくしになにようでございましょう?」
「卿の話を聞こうと思う」
フェイルリングの超然とした目は、考えのすべてを見透かされるようで、シドは、なんともいいようのない居心地の悪さを感じた。いつものことだ。フェイルリングを前にすれば、いつだってそうなる。凄まじいまでの緊張感と迫力に押し包まれるのも、彼の前では当然のことなのだ。
オズフェルトが間に入ってくれていてこれなのだ。
一対一など、とてもじゃないが話せる空気にさえならないだろう。
「わたくしの話ですか」
「これまで何度か聞いたことの確認だよ」
フェイルリングがいった。
セツナのことだろう。
ガンディア軍が大挙して押し寄せてくるという報せが入ったのは、二月も半ばのことだった。
事前の情報通りの出来事であり、反乱軍の頭領であり元聖石旅団長ゲイル=サフォーは、憎悪を込めて報告書を握り潰したものだった。これで、マルディア王家、マルディア政府の愚かな考えが白日の下に晒されたというものであり、彼の反乱がいかに正しかったのか、だれの目にも明らかになっただろう。しかし、時期が悪い。二月。真冬も真冬だ。ベノアガルドとマルディアの国境は雪で閉ざされ、騎士団の援護を期待することができない。そもそも、冬の間はろくに動けないというのが騎士団の残念なところだった。それでもいいと協力を取り付けたのだから、文句をいう筋合いはないし、騎士団には騎士団の考えがあってしかるべきなのは当然なのだが、口惜しくもあった。
マルディア政府の愚考が明らかになったいまこそ、一気呵成に攻め立て、マルディアを王家と政府から取り戻すべきだった。
だが、騎士団の後ろ盾がない以上、迂闊に動くことはできなかった。
そこで、ゲイルら反乱軍は戦力の充実を図るべく、支配した都市や地域で募兵活動を開始した。加速度的に勢力を増すガンディアに恐れをなし、身売りを図るマルディア政府の愚かさを訴え、いまこそマルディア政府を討ち、ガンディア軍を撃退して、マルディアに真の平穏を取り戻すべきだと運動した。ガンディアの大軍がマルディアに向かって進軍中だという事実が知れ渡り始めると、反乱軍に参加する老若男女が増大した。
マルディア政府の弱腰を批判し、売国奴と成り果てた王家を痛烈に非難するものが反乱軍の支配地に満ち溢れたのだ。
反乱軍の勢力はいや増した。
三月に入る頃には、募兵活動を行う前の倍に膨れ上がっていた。
もちろん、数だけ増えても仕方がないということはわかっている。子供が反乱軍に入ったところで使いようがないし、老人も同様だ。大義を掲げている以上、老人や子供を囮に使うということも考えられない。
「使い方次第ではあるがな」
とは、元旅団長補佐、現反乱軍軍師ヌァルド=ディアモッドの言葉だ。聖石旅団において戦術の構築や作戦の指示をひとりで行っていた彼は、反乱軍の戦略もひとりで練っている。反乱軍がこれまで連勝に次ぐ連勝を重ねて来られたのは、彼の頭脳と騎士団の力があってこそのものだ、という自負が、ゲイルにはあった。
「そうはいっても、現状、使い物になりません!」
そんな彼に反論を述べたのは、ミラ=ルビードだ。聖石旅団時代、副団長を務めていた彼女は、そのおとなしい少女のような外見とは裏腹に、ヌァルドやゲイルにもはっきりと意見をいってくるところがあった。
「君は物事をはっきり言いすぎだ」
「おためごかしに意味なんてないんです!」
「それはそうかもしれんが」
困り果てたようなヌァルドの表情は、彼がミラを苦手としていることを示している。何事もはっきりと断言せずにはいられないミラと、言葉を選ぶヌァルドでは相性が悪いのは当然のことだ。しかし、そんな相性の悪さも、戦場では好相性に変化するのだから面白いものだとゲイルは想っている。
「兵力そのものも増えたんだ。悪いことばかりじゃない」
ゲイルは告げ、卓上に広げた地図を見下ろした。
マルディアの版図を中心に周辺諸国が描かれた地図には、反乱軍が制圧した都市と政府軍の支配下にある都市が色分けされている。反乱軍は、マルディアの北半分を支配下に収め、維持し続けている。騎士団が国に帰った冬の間こそ防戦一方ではあったものの、食料を秋の間に蓄えていたおかげもあって、持ち応えることができていた。
籠城戦というのは、援軍が期待できなければ意味がないものだが、冬が終わり、春が来れば騎士団が必ず援軍に来てくれるという確証は、反乱軍にとって大いなる強みとなった。また、降りしきる雪が反乱軍を助けてくれもした。
地に満ちた雪が、マルディア政府軍が本腰を入れることを拒んだからだ。
おかげで、冬の間、反乱軍と政府軍の間で本格的な戦いが起きることはなかった。籠城戦も、数えるほどしか起きていない。
冬は、開けた。
三月に入ったのだ。
騎士団は既に国境を越え、マルディア領内に至っているという。
じきにこの最前線に到着するだろうが、それを待っている暇はなかった。騎士団の到着を待っている間にガンディア軍がマルディアに到来するかもしれない。ガンディアがマルディアに派遣する援軍というのは、二万近い大軍勢ということだった。それに政府軍が加われば、反乱軍との戦力差は五倍以上に膨れ上がる。そうなれば物量差で圧倒されるほかない。
いくら騎士団が強力だとしても、数倍の戦力差を覆せるものかどうか。
ベノアガルドは、反乱軍の要請に対し、総勢千人規模の部隊を派遣してくれただけだった。それでも、その圧倒的な力は、反乱軍に度重なる勝利をもたらしてくれたし、だからこそゲイルらは騎士団に期待いしているのだが、この度も千人程度しか寄越してくれないのであれば、勝てるかどうかわからなうなる。
そこでゲイルは、騎士団に頼らず、勝利を掴む術を考えた。もちろん、戦術を練ったのは彼ではなく、ヌァルドであり、彼の頭脳によった戦いこそ、聖石旅団の戦いだった。
「王都を落とせば、俺達の勝ちだ」
ゲイルは、地図上、マルディア領土内南東部の都市を指差した。王都マルディオン。マルディアの中心であり、マルディア政府軍の本拠でもある。マルディオンさえ制圧することができれば、反乱軍の勝利は間違いない。
ヌァルドが、ゲイルを睨んできた。
「王都を落とし、王家の人間を根絶やしにすれば、だ」
「……そうだな」
「まだ、覚悟出来ていないな?」
「いや……わかってるさ。こうでもしなきゃ、マルディアが救われないってことくらい、理解している」
ゲイルは、声を潜めて、いった。
会議室には、元聖石旅団の幹部たちしかいない。元聖石旅団の幹部がそのまま反乱軍の幹部になっているのだから当然だ。ヌァルド=ディアモッド、ミラ=ルビード、ネオ=ダーカイズ、ジード=アームザイスト――皆、ゲイルと苦楽をともにしてきた歴戦の強者ばかりだった。そして、だれもがマルディア王家に忠誠を誓い、マルディア王家を尊崇してやまなかった。だからこそ、王家への失望が強く、ゲイルに同調し、反旗を翻すに至ったのだが。
ゲイルのように、未だに王家への愛情を捨てきれないものがいるのも事実だった。
彼は頭を振った。
「王都を落とし、王家を滅ぼす。そしてこの戦いを終わらせよう」
そのためにはまず、王都に至る道筋を作らなければならない。
そしてそれだけは騎士団の力を借りず、反乱軍の手のみで行うべきだ、と彼は考えていた。
とはいえ、聖石旅団を中心とする反乱軍の戦力だけでは、頼りないのも事実だ。いくら相手が政府軍のみとはいえ、城塞化した都市を攻め落とすには、それなりの戦力が必要なのだ。そのための募兵だったのであり、兵力の増大は、そのために必要不可欠だったのだ。そして、募兵のおかげによって、彼らの思い描く戦略を成功に導くための戦力を得た。
「まずはシールウェールだ」
ゲイルは、王都マルディオンの南西の都市を指し示した。
「そこに彼をぶつけようと思う」
「彼……?」
「トラン=カルギリウスか」
ヌァルドが目を細めたのは、彼がトラン=カルギリウスの実力を疑っているからにほかならない。
トラン=カルギリウスは、この度の募兵に応じ、反乱軍に身を投じた人物のひとりだが、マルディアの軍人でもなければ民間人でもなく、マルディアの人間ですらなかった。
異国――ヴァシュタリア共同体出身の流浪の剣士なのだ。
だが、彼の名を知らぬものは、大陸全土にいまい。
“剣聖”トラン=カルギリウスの名は、“剣鬼”ルクス=ヴェイン、“剣魔”エスク=ソーマよりも高名であり、大陸中に鳴り響いている。
彼と彼のふたりの弟子が反乱軍に参加したことは、反乱軍の士気を大いに高め、戦意を昂揚させるに至っていた。
ゲイルが騎士団の到来を待たずに動き出すことに踏み切ったのも、“剣聖”の参戦あったればこそであり、彼は、トラン=カルギリウスの剣技に魅了されてさえいた。
「彼は、本当にあの“剣聖”なのか?」
「ヌァルド、おまえも見ただろう。彼の剣技は、常人にはなすことのできないものだ。俺でさえ、彼には敵うまい」
ゲイルは、ヌァルドの目を見つめながらいった。あれだけの剣の技を持つものが、そんなに数多くいてたまるものか、という考えがゲイルの中にある。それに、たとえ彼が本物のトラン=カルギリウスでなくとも、あれだけの剣の技量を持っているのならばなんの問題もない。彼のふたりの弟子が武装召喚師であるという事実に変わりはないのだ。たとえ、偽者の“剣聖”であったとしても、だ。トランの技量と、弟子ふたりの武装召喚術は本物であり、それが反乱軍にとって大いなる力になるのは火を見るより明らかだ。
「なに。偽者ならば偽者でもかまわんだろう。ようは、戦力になるかどうかだ」
ゲイルが笑うと、ヌァルドはつまらなそうに視線を逸らした。
ヌァルドが気に入らないのは、ゲイルがトラン=カルギリウスに惚れ込んでいるからかもしれない。