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第千二百五十六話 彼と竜

「どうしたのじゃ?」

 不意に聞き知った声が飛び込んできて、セツナは顔を上げた。いつの間にか俯いてしまっていたことがわかる。手を見るためだ。

 視界に飛び込んできたのは、緑色に発光する物体だった。奇妙な生物だ。とても奇妙で、この世の生き物とは思えないような姿形をしていた。長い首を持ち、丸みを帯びた体からは一対の飛膜と、一対の足、尾が伸びている。全身、緑柱玉を思わせるような美しい緑色の外皮に覆われており、その外皮が淡く光を発し、夜の闇を照らしていた。ラグナシア=エルム・ドラース。

「ラグナか」

「か、とはなんじゃ、かとは!」

 なぜか怒ってきた小飛竜に、セツナは顔をしかめた。ラグナの叫び声が静寂に満ちた野営地に響き渡り、周囲の注目を集めたのはいうまでもない。とはいえ、夜中だ。天幕の外に出ているのは警戒に当たっている兵士くらいのものであり、それら兵士たちの視線は、セツナとラグナの話し声だとわかると、すぐさま逸らされた。セツナを見続けるのは失礼だと判断したのだろう。

 それら警戒中の兵士たちがラグナの存在に驚かないのは、セツナの下僕たる小飛竜の存在もまた、いまやガンディア国内で知らぬものはいないほどになっているからだ。セツナはザルワーン戦争で巨大竜を倒したことで、竜殺しの二つ名をほしいままにしているが、その竜殺しが再びドラゴンを倒したことは大きな話題となった。そして、その倒した竜がセツナの下僕となったという事実は、さらなる衝撃をもって国内外を駆け巡った。いまや竜殺しセツナは竜使いセツナとして知られ始めている。

 ラグナは、ドラゴンというには愛嬌のありすぎる姿をしているということもあって、一部で人気を集めているという噂がセツナの耳に届いていた。もっとも、そんなことをラグナ本人に聞かせれば、ふんぞり返ることがわかりきっているので、なにもいわなかったが。

「じゃあなんていえばいいんだよ?」

「それはじゃなあ……むう、難しいのう」

「なんだよ、なにも思いつかないのかよ」

「うるさいのじゃ」

 ラグナはそういって話を断ち切ると、セツナの周囲を旋回してみせた。緑の光が尾を引いて、美しく視界を彩る。ラグナの発する光は眩しすぎず、目に優しいとさえいえる。そのまま光の輪を見ているのも悪くないと思っていると、ラグナが突如としてセツナの右肩に止まった。ここのところ、頭の上ではなく、肩に止まることが多くなっている。それはラグナの体が転生当初より大きくなり、体重が増えてきたことを彼なりに考慮してくれているからのようだった。いまはまだ大丈夫なのだが、このまま順調に成長していけば、セツナの頭では支えきれなくなるだろう。

 ラグナが人間とは比べ物にならないほど巨大に成長するということは、最初からわかりきっていたことではあった。つい最近、ラムレス=サイファ・ドラースなるドラゴンを目の当たりにしたことで、確信を強めた。ラムレスほどに成長するのは何百年も先の話だろうし、そのころにはセツナはこの世からいなくなっているだろうが。

「……で、なんでおまえがここに?」

「ご主人様を迎えにいくのは従僕の使命じゃろう」

「そういうことか。レムは?」

「先輩はご主人様の寝床の準備をしておる」

「手際のいいこって」

「じゃろう? さすがは下僕壱号と弐号なのじゃ」

「本当にな」

 セツナは、なぜか胸を張ってさえいるドラゴンの様子に苦笑するほかなかった。ドラゴンは、万物の霊長だという。この世界におけるあらゆる生物の頂点に君臨するのがドラゴンであり、彼はそのドラゴンの中でも特別な転生竜と呼ばれる存在だった。にもかかわらず、彼は人間であるセツナの下僕であることにむしろ誇りを持っているかのように振る舞うのだ。それがおかしくてたまらない。

 一方で、そういうラグナだから側においているというのもあるだろう。彼が人間を完全に見下す相容れない存在ならば、下僕としてさえ認めなかったかもしれない。

「ふふふ」

「なにがおかしいんだよ」

「もはやおぬしは我ら下僕壱号弐号がなくては生きられぬ体になってしまったのう」

「……そうかもな」

「否定せぬのか?」

「おまえとレムだけじゃない」

 セツナは、きょとんとするラグナに向かって、囁くようにいった。周囲に人影がないとはいえ、あまり聞かれたくはない話だった。

「ファリア、ミリュウ、ルウファ、シーラ……だれひとり欠けちゃあいけないんだよ」

 名を上げた人だけではない。マリア=スコールも、エミル=リジルも、ゲイン=リジュールも、エリナも、自分に関わりを持つだれひとりとして、失いたくなかった。

「む?」

「だれひとり失いたくないんだ」

「我儘で贅沢じゃな」

「うん」

 素直に認める。

 実際、我儘で、贅沢な話だった。だれもがなにかを失い、なにかを犠牲にしながら前に進んでいるというのに、セツナは周囲のだれひとりとして失いたくないといっているのだ。なんとも都合のいい話だ。なんとも手前勝手な話だ。なんとも傲慢な話だ。

「でも、それくらい、いいだろ」

 セツナは、野営地を歩きながら、つぶやいた。

「む?」

「それくらいの我儘、許してくれよ」

 ふと漏らした言葉は、本音以外のなにものでもなかった。

 これまで、戦うことに見返りなんて求めてはいなかった。居場所を護るためだけに戦ってきた。命じられたから戦い、命じられたから殺し、命じられたから滅ぼしてきた。どれだけ傷つき、どれだけ血を流したのかわからない。そんなことはどうでもよかった。命じられたのだ。命令には応えなくてはならない。それがセツナだ。セツナ=カミヤという人間であり、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドだ。

 それは、それでいい。

 これまでそうしてきたのだ。これからもそうするだろう。

 しかし、一方で、こうも思うのだ。

 ひとつくらい、なにかを望んだっていいのではないか、と。

 そのひとつが途方もない我儘だということはわかっている。わかっているのだが、こればかりは取り下げられない。

 ひとはひとりで生きているわけではないのだ。

 周囲のひとびとがいて、はじめて、自分という人間がいる。

 そういうことがわかったから、わかっているから、セツナは、自分の周囲にいるひとたちのことを心の底から大事に思っているし、なんとしてでも守り抜きたいと思っている。そのためならば鬼でもなろう。それくらいの決意はある。

「どうしたのじゃ?」

「いや……なんでもない」

「教えよ。なにを隠しておる?」

「なんでもねえっての」

「なぜじゃ。なぜ隠し事をする。わしはおぬしの下僕じゃぞ」

 ラグナの言い分がおかしくて、セツナは笑ってしまった。ラグナとしてはなんとしてでもセツナの考えを聞き出したかったのだろうし、それ故の発言なのだろうが、だとしてもどうしてそのような言葉になるのか、おかしくて仕方がない。

「だったらなおさら隠すだろ、普通」

「むう、なくてはならない存在ではなかったのか?」

「そうだけど、さ」

 認める。

 それはそうだ。ラグナも、いまとなってはなくてはならない存在だ。その事実を否定するつもりもなければ、欺瞞する必要もない。彼もまた、セツナにとって掛け替えのない存在だった。故になんとしても守りたいと思っている。

「いいたくないことだって、あるもんさ」

「そうかもしれぬがのう」

 ラグナが納得できないとばかりにそっぽを向く。彼の気持ちもわからないではない。だから、かもしれない。セツナは、静かに口を開いた。

「……そうだな」

「む?」

「いつか、話すよ」

 いつか。

 いつか、自分の気持ちに素直になれるときが来たら、話そう。いま考えていること。いま想っていることを、そのときこそ伝えよう。いまではなく、いつか。そんなときがくるのかはわからない。約束できるわけではない。最大限の譲歩がそれなのだ。

 すると、ラグナが首を横に振ってきた。

「嫌じゃ」

「なんだよ」

「いつかじゃなくて、いま話せばよいのじゃ」

「なんでだよ」

「いつか、なんて来ないかもしれないのじゃ」

「来るよ」

「どうして言い切れる?」

「そうだな」

 ラグナの疑問に応えるべく、セツナは頭上を仰いだ。雲一つない冬の星空は、闇の中に無数の宝石をばら撒いたかのように美しく、あざやかだ。澄み切った空気が星空の美しさを余すところなく伝えてくれる。左手でラグナに触れる。外気によって冷えきったラグナの肌は冷たく、少し悪いことをした気になった。レオンガンドたちと話し込んでいる間、ラグナはずっと天幕の外で待っていたに違いない。

「いつまでだって、おまえは俺といてくれるんだろ?」

「うむ」

「だったら、いつかはくるさ」

「そういうものかのう」

「それとも、俺とともにいてくれないのか?」

 セツナが問うと、彼は間髪を入れずいってきた。

「いるに決まっておる。わしをなんだと思っておるのじゃ」

「俺の下僕、だよな」

「そうなのじゃ。わしはおぬしの下僕で、おぬしはわしの主なのじゃ」

「だからいつかはくる。そのときがきたら、話すよ」

 セツナはラグナの頭を撫でると、指先を首筋から首の付根へと移動させた。ラグナがどこを撫でられるのが好きなのかは、よく知っている。決して長くはない付き合いだが、彼はセツナの下僕となってからというもの、ほぼセツナと一緒にいた。隊舎にいるときも、龍府にいるときも、アバード潜入時もそうだった。セツナはラグナの機嫌を取るためにも、ラグナと交流を図るためにも、彼の体を撫でることが多く、そうするうちにラグナが喜ぶ部位がわかっていったのだ。

 ラグナはきっと心地よく目を細めているに違いない。

「むう……なんだかいいくるめられたような気がするのじゃ」

「気のせいだよ」

「まあ、良いのじゃ。おぬしが元気になったからのう」

「元気に?」

 セツナは、ラグナの思わぬ発言にきょとんとした。ラグナが勝ち誇ったようにいってくる。

「うむ。さっきまで元気がなかったのじゃ。皆、元気なおぬしが好きじゃからのう」

「皆……か」

「皆が待っておる。そんなとき、おぬしの元気がなければ、心配するじゃろう?」

「そうだな」

 うなずき、彼の心遣いに感謝する。

「ありがとう、ラグナ」

「どういたしまして、なのじゃ」

 ラグナが翼を広げたので、セツナは指先で翼の付け根をもみほぐしてあげた。ラグナがうっとりしているのが気配だけでわかる。

「変なドラゴンだよ、まったく」

「なにが変なのじゃ!」

「人間と対等に口論しているところとか、さ」

「む……」

 ラグナが口ごもったのは、セツナの指摘に思うところがあったからかもしれない。つい先日、ドラゴンの同胞に会い、そのドラゴンが人間に対して威厳に満ちた振る舞いをしていたことでも思い出したのか、それとも、まったく別のことが思い当たったのか、セツナにはわからない。が、セツナの脳裏には、そんな威厳に満ちたドラゴンに対しても、セツナと同じように振る舞うラグナの姿であり、それこそ彼本来の有り様なのではないかと思ったことだ。

 ラグナのそういうところは嫌いではない。むしろ、そういうラグナだからこそ皆に受け入れられているに違いない。

 ラグナがラムレスのような尊大な態度ばかり取るようなドラゴンならば、ここまで受け入れられていなかったかもしれない。

「可愛いやつだよ、おまえは」

 セツナの本音ではあったが。

「ドラゴンを捕まえてかわいいとはなんじゃ!」

「そこも怒るのか」

「美しいといえ!」

「はは」

 ラグナの妙なこだわりに笑いながら、セツナは自分の天幕前に辿り着いた。

 天幕前では篝火が焚かれていて、セツナが失いたくないと思う人々が集まっていた。ファリア、ミリュウ、ルウファ、レム、マリア、エミル、シーラ、エスク、エイン、アレグリア、グラード=クライドにドルカ=フォーム、ニナもいた。それにウルクとミドガルドもいて、さらに大勢の兵士たちが周囲を囲んでいる。なんという大所帯か。セツナは呆気に取られながらも、嬉しさで一杯になった。

 火明かりに照らされた皆の顔を見回し、セツナは開口一番、こういった。

「ただいま」

 戦いは近い。

 激しい戦いとなることは、篝火の炎を見るよりも明らかで、これまでのどんな戦いとも比べ物にならないほどのものとなる可能性もあった。

 相手は、神卓騎士団なのだ。


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