第千二百五十三話 黒の眠り(二)
「ええー!? 黒き矛が使えなくなったあ!?」
ミリュウが叫べば、
「どういうこと?」
ファリアは訝しみ、
「なにがあったんだよ?」
シーラが驚けば、
「御主人様の体調が悪いのでは?」
レムは熱を図ろうとし、
「なんじゃ、ついに能無しになってしもうたか」
ラグナが呆れ果てれば、
「セツナにはわたしがついていますのでご安心を」
ウルクが無機的に告げてきた。
「……なんなんだよ。ったく」
セツナは、そういった六者六様の反応に憮然とするしかなかった。
場所は、変わらず隊舎の裏庭だ。
セツナが彼女たちに説明をしたのは、物陰に隠れていた彼女たちが突如として飛び出してきたかと思うと、セツナを囲んだからだ。彼女たちにしてみれば、セツナが自傷行為に走ったのが解せなかったらしい。本来ならば起きるはずの空間転移が起きなかったのだ。ただの自傷行為と見られても、なんら不思議ではなかった。あのとき、空間転移が発動していれば、彼女たちも飛び込んではこなかったのだろうが。
彼女たちというのは、ミリュウ、ファリア、シーラ、レム、ラグナ、ウルクの六名だ。
浅く裂いた左手人差し指をレムに手当てされるのをされるままにしながら、右手の中の召喚武装を見やる。黒き矛。カオスブリンガーと名付けた召喚武装は、先の戦いに勝利したことで完全なものとなったはずだった。実際、流れ込んでくる力の量と質は、いままでと比べ物にならないほどだった。それはそうだろう。七つに分かたれた力の大半をエッジオブサーストが持っていたというのだ。そのすべてがひとつになったいま、以前とは比較にならないほどの力が黒き矛にあることは間違いない。
「黒き矛そのものが使えなくなったってわけじゃない」
セツナは、レムがセツナの左手を解放するのを待ってから、両手で矛を握った。力の充溢は素晴らしい。これまでにない力の漲りを感じる。圧倒的な力の躍動。いまにも暴れ回りたいと体がいっている。
「でも、転移も光線も使えなくなったんでしょ?」
「うん……」
「どういうことなのかしらね?」
「俺にもよくわかんないよ」
ファリアの疑問に適当に答えて、後ろに飛ぶ。軽い跳躍でファリアたちの視界から消える。左へ、前へ、右へ、頭上へ――飛び跳ね、矛を振り回す。斬撃、突撃、打撃、あらゆる攻撃を試み、それらすべてが想像以上のキレを見せたことに満足する。もちろん、敵はいないし、なにかを攻撃したわけではない。虚空を切り裂き、虚空を突き破り、虚空を打ち砕くという想像。想像の訓練。
着地すると、すぐさまミリュウが駆け寄ってきた。
「矛そのものは使えるってことね?」
「ああ。その点に関しては問題はなさそうだ」
「能力が使えなくなった……か」
「そんなこと、あるのかな?」
「召喚武装の能力が使えなくなるような現象なんて、聞いたこともないわよ。もちろん、武装召喚師でもないただのひとが召喚武装を使えないというのは、よくあることだけれど、セツナはこれまで黒き矛の能力を使っていたもの。それとはわけが違うでしょ」
「そうだよな。セツナはこれまで散々使いこなしてたもんな」
「使いこなしておったのかどうかは疑問の残るところじゃがな」
「うるせー」
「ぬう」
「しっかし、困ったな」
セツナは、黒き矛を軽く振り回しながらいった。
このままの状態が続けば、能力が使えないままマルディアに向かわなければならなくなる。当然、戦いになる。無論、このままでも十二分に強いことはわかりきっているし、通常兵力が相手ならばなんの問題もないだろう。これまでも、通常兵力相手に能力を使う必要に迫られたことはほとんどない。そもそも、能力の発動には精神力を消耗するものであり、あまり乱発できるようなものではない以上、雑兵を相手に使うべきものではない。
そこは問題ではないのだ。
黒き矛そのものの力が飛躍的に向上していることを考えれば、雑魚戦はむしろ楽になったと考えてもいいだろう。騎士団兵士さえ容易く蹴散らせるに違いない。それくらいの力を感じる。
問題は、武装召喚師や騎士団騎士のような特異な能力を持った敵が相手になったときのことだ。
黒き矛の力だけで押しきれるというのならなんの問題もないのだが、騎士団騎士は、力だけでどうにかできるような相手ではないだろう。
少なくとも、アバード動乱当時の黒き矛と同等の力を持っていたのだ。そこに特異な能力が組み合わされば、場合によって、いまのセツナでさえ苦戦しかねない。能力が使えないとなれば尚更だ。
しかも、マルディアはベノアガルドに隣接した国だ。ベノアガルドが騎士団の全力を上げて攻め寄せてこないとは限らないのだ。
「困りましたねえ」
「セツナもさ、たまには休んでもいいんじゃないの?」
「んなわけあるかよ」
セツナは、軽く言い返したつもりだったのだが。
「じょ、冗談じゃない、そんなに怖い顔しないでよ」
ミリュウがファリアの背後に隠れたのを見て、セツナは自分が険しい表情になっていたことを悟った。咄嗟に謝る。
「あ、すまん」
「別にいいけどさ……セツナってば余裕なさすぎじゃない?」
「余裕……ねえ」
黒き矛を睨む。余裕などあろうはずもない。常に自分にできることを精一杯やるだけなのだから、余裕を持ってことにあたる、などという心境にはなれない。常に全力だ。常に全身全霊を込めるしかない。だから余裕なんて持ち得ないのだ。もちろん、精神的余裕を持つことが大事だということも知っているし、ミリュウがなにをいいたいのかもわかっている。わかっていても実践できることとできないことがある。ただそれだけの話だ。
そして、黒き矛の能力が使えないとなれば、さらに余裕が持てなくなるのは当然のことだろう。
「どうするの?」
「どうするもこうするもねえよ」
「そうよねー……」
「マルディアに着くまでに目覚めてくれることを祈るしかねえな」
「目覚める……か」
シーラの言葉に、セツナは、思うところがあって黒き矛に視線を戻した。
「寝ちまったのかな」
ふと、そんなことをつぶやく。
黒き矛は、力を完全に取り戻した。
黒き矛いわく、七つに分かたれた力がひとつになったのだ。カオスブリンガー、ランスオブデザイア、マスクオブディスペア、エッジオブサースト、エッジオブサーストに統合された三つ。それらすべてが黒き矛として統合された。完全体となった黒き矛は、これまでとは比べ物にならないほどの力をセツナにもたらしてくれている。
それは、いい。
能力が使えなくなったのはどういうことなのか。
今後、再び能力が使えるようになるのか。それともこのまま能力は使えないままなのか。
前者ならばまだいいのだが、後者ならば、完全化しないほうが良かったのではないかとさえ思える。黒き矛の多様な能力は、それだけ使い道があったのだ。とくに血を媒介にした空間転移能力は使い勝手がよく、何度となく使用した。あの能力があったおかげで打開できた事態はいくつもある。自傷しなければならない場面も多々あったものの、空間転移能力ほど強力な能力はなかったといっていい。
その能力に頼れなくなるのは、大きな痛手だった。
そして、そういった能力が今後一切使えなくなる可能性も少なくはなく、セツナは、黒き矛を睨みながら、頭を抱えたくなった。
「寝ているのなら叩き起こせばよいのじゃ」
ラグナがセツナの右肩に飛び乗ってきたかと思うと、そんなことをいってきた。彼は長い首を伸ばして黒き矛をつついてみせる。鋭い口先が黒き矛の柄を叩くが、黒き矛が反応することはない。セツナはラグナの行動に呆れた。
「寝覚めが悪かったらどうするんだよ」
「知らぬ」
「勝手なことばっかいいやがって」
「そりゃあわしには関わりのないことじゃからのう」
ラグナの発言に顔をしかめながらも、彼の反応は当然でもあり、セツナはなにも言い返せはしなかった。実際、黒き矛の能力が使えようと使えまいと、ラグナには関係のない話だ。ラグナだけではない。ほかのだれにも無関係といっていいだろう。黒き矛の能力が使えないからといって戦力が大きく低下することはないはずだ。
黒き矛そのものの能力は向上しているのだから、能力の有無を差し引いたとしても、問題になるほどのものではないだろう。
(そう考えりゃ、特に問題はないのか?)
無論、それは一般兵が相手の場合だ。
能力の有無が問題となるのは、なんらかの能力を有した相手と対峙した場合であり、マルディアの戦場ではそういった場面に出くわす可能性は大いにあった。
マルディアがガンディアに救援を求めてきた背景には、ベノアガルド騎士団がいるのだ。
十三騎士という強敵を相手に能力なしでどこまで戦えるのか。
セツナが考えなければならないのはそれであり、そのためにもルクスとエスクに鍛え直してもらわなければならないと確信した。
マルディア行きまで後十数日。