第千二百五十一話 クオンの手紙(五)
「つまり、クオンと神子ヴァーラとかいうものは、セツナとニーウェの関係と同じということじゃな」
「そういうことだろうな」
セツナは、ラグナのまとめを肯定した。手紙に認められた文章からはそうとしか読み取れない。しかし、衝撃的な内容だった。もちろん、納得出来ないわけがない。セツナに同一存在がいた以上、クオンにも同一存在がいてもなんらおかしくはなかったし、いて当然とさえ想った。だが、その相手がヴァシュタリアの頂点に君臨する神子だというのは、想像しようもなかったし、考えられないことだった。
ありえないことではない。
セツナの同一存在は、帝国の皇子様だったのだ。
同一存在だからといって、家族構成や現在の立場まで同じとは限らないのだ。
姿形こそそっくりであり、鏡写しといっていいほどに似ていたが、辿る人生はまったくの別物だ。生まれ育った世界が違うのだから当然といえば当然だったし、その結果、性格や口調も大きく異なるのは、道理といえる。
それでも、セツナはニーウェの中に自分と同じ本質を感じた。
同一存在は、根本的ななにかは同じなのかもしれない。
つまり、クオンとヴァーラも本質的な部分で似たようなところがあるのではないか。
クオンの本質とはなにか。
そんなことを考えながら、手紙を読み進める。
ぼくとヴァーラは、同一の存在だ。
ぼくと君が生まれ育った世界におけるヴァーラがぼくで、このイルズ・ヴァレにおけるぼくがヴァーラなんだ。
いってもわからないことだとは思う。
理解し難いだろう。
けれど、ぼくとヴァーラには、実感として理解できることなんだ。
彼に初めて逢ったとき、理解したよ。
ぼくは彼に逢うために生まれ、彼に逢うためにこの世界に召喚されたんだろう。
運命を感じたんだ。
「運命……」
「わたくしが御主人様に出逢い、御主人様の下僕となったことでございますね」
「わしがアズマリアに使役され、おぬしに敗れ、おぬしの力で転生を果たしたこともじゃな」
「それでいいのかよ?」
「なにが問題なのでございます?」
「そうじゃそうじゃ」
「いや、おまえらが満足ならそれでいいけどよ」
セツナは、レムとラグナの様子になにもいえなかった。
運命。
考えざるを得ない。
ニーウェが散々口にしてきた言葉だった。
彼は、セツナとの接触、セツナとの戦いを運命だといった。
同一存在だ。同じ世界にいる以上、殺し合わなければならない。それが世界の選択なのだから、従うよりほかはないのだ。でなければ、両者ともに消滅するかもしれない。
それを彼は運命と呼んだ。
運命の赴くままに出逢い、運命の赴くままに戦ったのだ。
クオンとヴァーラは、どうなのか。
運命の命じるまま、戦うつもりなのか。
それとも、既に戦いを終えたあとなのか。
セツナは手紙の続きを読んだ。
この手紙が君に届く頃、ぼくはもうこの世にいないかもしれない。
同一存在が同じ世界に同時に存在することは許されないんだ。
世界は、どちらかひとりしか、許容できない。
そういう約束なんだ。
だから、同一存在は、ひとつに統合される必要がある。
彼は、それを合一と呼んだ。
合一。
肉体の合一、精神の合一、記憶の合一、命の合一――。
それがぼくの役割ならば、喜んでそうしよう。
そうすることがこの世界のためになるというのなら、この世界を救うことに繋がるというのなら。
この世界を滅びから守りぬくことができるというのなら、喜んでこの身を捧げよう。
それこそ、君を護ることに繋がるのだから。
それがぼくの望み。
ぼくの本懐。
ぼくのすべて。
「なにを……」
セツナは、手紙を持つ手が震えているのを認めた。クオンはなにをいっているのか。なにを、手紙に書いているのか。理解はできる。できないわけがない。彼がこの手紙に記した言葉の数々は、つまるところ、遺言なのだ。
セツナへの遺言。
この世から消え去ることを当然のように受け入れた上で、彼はこの手紙をしたためたのだろうし、ユーフィリアたちに託したのだろう。そんなことが想像できるくらいに澄み切った文章のようにセツナには感じられた。クオンらしくはあるが、だからといって簡単に受け入れることはできない。
それは、彼がこの世から消滅することをみとめることになるからだ。
手紙の最後に記された文章を読み上げることは、できなかった。
セツナ。
どうか、思う存分に生きて欲しい。
それだけが君への望みだ。
広い空間に、彼はいる。
たったふたり、彼らはいる。
ヴァシュタリア共同体聖都レイディオンが誇るヴァシュタリア大神殿の最奥、神子の間と呼ばれる一室。神子が起居するためだけの一室は、神子のためだけに誂えられた部屋であり、神子が健やかに眠るための天蓋付きの寝台や、神子の生活に潤いをもたらすための調度品の数々が部屋の各所を彩っていた。どれもこれも高級なものであり、金や銀で細工されている。
その一事だけでも、ヴァシュタリア教会にとって神子がどれほど重要な存在であるかが伺える。教会関係者は、神子の機嫌を損ねることを極端に恐れているのだ。神子の不満が神に伝われば、神が不満を抱き、神の怒りを買いかねない。神の怒りは天災となってヴァシュタリアの大地に吹き荒れ、人々の生活に直撃する――そう信じられている。
だから、大神殿にいるだれもが神子に平伏し、神子が神殿内を歩きまわる際は、災害が過ぎ去るのを待つが如く通路の隅に控えたりした。
そんな神子に対し、真正面から向かい合える人間がどれほどいるのかというと、彼をおいてひとりとしていないかもしれない。
クオンは、鏡写しのような少年を見つめながら、運命の不思議を思わずにはいられなかった。不思議だ。不思議という他ない。まさかこの異世界に自分と同じ姿形の人物がいて、その人物が世界を四分する勢力のひとつの頂点に立っているとは、想像できるわけもなかった。
ヴァシュタリア教会の神子ヴァーラ。
艶やかな黒髪に青い目の少年だ。透けるような白い肌も、均整の取れた体型も、クオンそのままといってよかった。背格好もそのままであり、服装まで同じにすれば、ほとんどの人間が混乱するほどそっくりだった。そっくりなどという次元ではないのだ。イリスやマナたちが見間違うこともあるくらいなのだから、余程だろう。そして、見間違うのは、クオンの仲間だけではない。神子と面識のある教会の教師たちですら、クオンとヴァーラを見間違えたりした。
それくらい似ている。
同一存在なのだから当然といえば当然なのかもしれないが。
「手紙は無事に届いたかな?」
不意にヴァーラが聞いてきたことに、クオンはひやりとした。手紙とは無論、クオンがセツナにあてた手紙のことだろう。万が一のことを考え、ユーフィリアとラムレスに託したのだが、ラムレスの飛行能力を考えれば、今日あたりにも届いている頃合いだ。だから、ヴァーラは尋ねてきたのだ。
当然のことだが、クオンは手紙のことを彼に話してはいない。話せば、伝わってしまうからだ。伝われば、警戒を招く。せっかくの計画が台無しになりかねない。だからヴァーラも、クオンが手紙を出すことについては黙殺を貫いた。手紙が届いた頃合いになって話題にしたのは、そのためだ。
「おそらく」
「おそらく……か。確かめなくてもいいのかい?」
「そんな時間はないでしょう?」
クオンは、ヴァーラの笑顔を見つめながら、言い切った。計画を実行するのは、いまをおいてほかにはなかった。
たったふたりで考えた計画。
神を出し抜く唯一の方法。
「ないかもしれないし、あるかもしれない。賭けになる」
「ここまできて、いまさら賭けをする必要はありませんよ」
「そうだね」
彼は苦笑を浮かべた。その表情ひとつとっても鏡を見ているようだった。
「じゃあ、はじめようか」
「はい」
うなずいて、彼は一言、武装召喚とつぶやいた。呪文の結語を口にした瞬間、クオンの全身から光が発せられた。まばゆく爆発的な光は、瞬時に彼の手のうちに収束し、真円を描く純白の盾が具現する。シールドオブメサイアと命名した召喚武装を手にした途端、彼は五感が拡大するのを認めた。召喚武装を手にしたことによる五感や身体機能の強化は、武装召喚師の強みといっていい。そして、その強化された感覚は、クオンの目にヴァーラを包み込むなにかを映しだしていた。
白い靄のように映るなにかは、ヴァーラの背後から彼の全身を抱きしめるようにしている。まるでヴァーラに自由を許さないとでもいうようにだ。実際、それがヴァーラの行動を支配しているのだから、笑えない。
至高神ヴァシュタラと呼ばれるヴァシュタリアの神、その力の顕現だ。
シールドオブメサイアの補助による超感覚を得て、ようやく認識できることだ。マナのスターダストや、ウォルドのブラックファントムでは、こうはいかない。それはレイディオン市内で召喚武装を使わせたことではっきりとわかっている。
ヴァシュタラの影響は、神子のみならず、レイディオン全域に及んでいる。シールドオブメサイアを持つクオンには、レイディオン中に張り巡らされた神の気配を感じることができるのだ。
セツナへの手紙を日本語で書き記したのも、そのためだった。
いかにヴァシュタリアの神といえど、異世界の言葉を紐解くことはできまい。
そしてその判断は間違ってはいなかった。
なぜなら、ヴァシュタラはいま、ヴァーラを信頼し、ヴァーラの信頼するクオンを信頼していたからだ。
クオンは、シールドオブメサイアの全力を開放した。
この空間を世界から隔絶するために。