第千二百五十話 クオンの手紙(四)
拝啓。
セツナ、元気にしているかい?
ザルワーン戦争から一年以上が過ぎ、ぼくを取り巻く状況も、君の置かれている立場も随分と変わった。
ぼくは変わらず元気にやっているが、君はどうだろう。
ヴァシュタリアでは、小国家群の情報を仕入れることそのものが困難なんだ。ガンディアの動向、君の状況、君の活躍、なにひとつとして正確には伝わってこない。もちろん、大体のことは知っているけれど。
あれから君は大変な目に遭ったというじゃないか。その話を聞いてからというもの、眠れぬ日々が続いたよ――。
「出だしは、普通のお手紙のようでございますね」
「この手紙の主はクオンといったか」
「ああ」
「クオンというやつは、おぬしのなんなのじゃ?」
「親友……みたいなもんさ」
「みたいなものとはなんじゃ」
「みたいなもんだからみたいなもんっていってんだよ」
セツナはラグナの追求を適当にかわすと、手紙をさらに読み進めた。従僕二名のために音読しなければならないのは少しばかり苦痛ではあったが、従僕たちと情報を共有することそのものは悪いことだとは想っていない。むしろ必要なことだと思っているからこそ、セツナは日本語で記された手紙を読み上げていた。
日本語で記された文章を日本語で読み上げているのだ。
それなのに、レムたちには正確に伝わっている。
まるでセツナの口から発せられた瞬間、レムたちにもわかるように翻訳されているかのように、だ。
なにか不思議な力でも働いているのではないか。
そんな気がしてならなかった。
君が暗殺未遂事件に巻き込まれたと聞いたとき、ガンディアに向かおうかと真剣に悩んだんだ。君は、ぼくにとってもっとも大切なひとだ。君を失うわけにはいかない。君を護ると約束したんだ。それ以上君を傷つけさせないためにも、ガンディアに向かうべきだと考えたんだ。
結局、ぼくのその考えが実行に移されることはなかったけれど、本当に悩みに悩んだんだ。これだけは信じてほしい――。
「信じるもなにもないけどな」
「なんじゃ?」
「あいつのことだ。本当に悩んだんだろうさ」
「御主人様、クオン様のことならよくわかる、ということでございますね?」
「……まあ、な。そこそこの付き合いだったし」
ずっと、そばに居てくれたからだ。
お節介で、有難迷惑というほかなかったが、今にして思えば、そういった行動のひとつひとつがセツナを救ってくれていたのは疑いようのない事実だった。
クルセルク戦争での活躍、聞いているよ。
巨大な鬼を倒し、さらに万魔不当とまで謳われるほどの活躍。
さすがはぼくのセツナといったところかな。
さて、残念なことに、ぼくが君の動向について知っているのはそれくらいのことなんだ。クルセルク戦争以降、ガンディアがなにをして、ガンディアの中で君がどのように振舞ってきたのか、想像しようもない。ぼくはヴァシュタリアの勢力圏に入り、小国家群の情報を手に入れる手段がなくなってしまったからね。
そうなんだ。
ぼくはいま、ヴァシュタリアにいる。
ヴァシュタリアの聖都レイディオンで、神殿騎士団長なんていう大層な役割を与えられている。
不思議だろう?
「ところでさ」
「なんでございましょう?」
「神殿騎士団ってのは、そんなに凄いものなのか?」
セツナがレムに尋ねると、彼女は困ったような顔をした。
「はあ」
「いや、まあ、その、ヴァシュタリアが三大勢力の一角で、広大な領土と国力を誇るっていうのはわかるし、ガンディアとは比べようもないことだって知ってる。けどさ、内実を知ってるわけじゃないから、いまいちよくわからないんだ」
クオンが神殿騎士団長に就任したと聞いたときは驚きこそしたものの、その驚きの本質というのは、神殿騎士団の凄さを知っていたからというものではなく、あのクオンが組織に属したということそのものだったのだ。神殿騎士団という名前だけでも仰々しく、巨大な組織であることはなんとなく想像がつく。しかし、実態がわからない以上、なんともいいようがないのもまた事実だった。
「わたくしも詳しくは存じ上げませんが、神殿騎士団がヴァシュタリア教会が誇る三騎士団のひとつであり、三騎士団の中でも特別視されているということくらいは知っております」
「騎士団が三つもあるのか」
セツナは素直に驚いた。
「はい。異端者、背信者の討伐を目的とする護法騎士団、領土内の皇魔の討伐を目的とする退魔騎士団、そして、共同体内にある大小無数の神殿の守護を司るのが神殿騎士団でございますね」
「ほう」
「なるほどのう」
「おまえも知らなかったのか」
「ひとの子の暮らしぶりなど、知ろうとも思わぬ。わしはドラゴンぞ?」
「そうだったな」
セツナはラグナの発言を適当に流すと、レムに視線を戻した。
「神殿騎士団は、三つの騎士団の中でももっとも規模が大きく、もっとも精強だといわれているそうでございます」
「だからクオンには敵が多い、というわけだ」
「そうでございましょうね。神殿騎士団の頂点になど、簡単になれるものではございませんし、教会とは無縁のクオン様が選ばれることなど、万が一にもあり得ぬことにございます」
レムが力強く断言した。
「しかし、クオンは選ばれた」
ユーフィリアは、クオンが神子に気に入られたから、といっていた。神子とは一体なんなのか。ヴァシュタリアとは無縁の生活を送ってきたセツナには皆目見当もつかない。
「それが不思議なのです」
「だな」
「手紙に書いておらぬのか?」
「どうかな」
クオンがそこまで明らかにしてくれるものか、セツナには疑問の残るところだった。しかし、この世界の住人に覗かれてもわからないよう日本語で記しているのは、そういったことまで書いているからかもしれず、セツナは手紙に視線を戻した。
通常、ぼくのような教会とは無縁の人間が選ばれるようなものじゃないことくらい、君にもわかるだろう。普通ありえないことだし、そんなことをするべきではないんだ。ぼくを取り立てたことで教会の戒律や掟が揺らぐなど、あってはならない。
それは彼も理解していた。
けれど、その上で彼はそうしたんだ。そうするほかなかったから。そうでもしなければ、ぼくを側に置くことができない。ぼくと接触することができないから、ぼくにある程度の功績を挙げさせ、その上でぼくを神殿騎士団の団長に任命した。
暴挙だが、ほかに方法がなかった。
そうするしか、彼とぼくが接触することなんてできなかっただろう。
ぼくは、彼に逢うためにヴァシュタリア聖都レイディオンを目指し、彼もまた、ぼくに逢うために、ぼくを神殿騎士団長に任命した。
彼の名はヴァーラ。
古代語で「遥か遠く」を示す言葉だそうだ。
久遠という意味でもある。
彼、ヴァーラは、ヴァシュタリア教会においてもっとも特別な地位にいる人物だ。
神子という。
ヴァシュタリア教会が信仰する神、至高神ヴァシュタラと直接話し合うことができる人物のことで、この世でたったひとりしか存在しない選ばれた人間のことでもあるんだ。
「神子ヴァーラ……聞いたことあるか?」
セツナは、レムを振り返って尋ねた。彼女に聞いたのは、レムが思った以上に物知りだったからだ。何万年も生きていて、知識量も豊富なはずのラグナよりも博識なのは、ラグナがドラゴンであり、人間の生活に興味を持たないからというのも大きいだろう。そのくせ人間社会に順応しているというのが面白おかしいというべきか。
「ありませぬ。共同体の内実について知っていることなど、ほとんどありませぬゆえ」
「そうか……」
「そのわりには騎士団については熟知しておったではないか」
「騎士団は有名ですよ、ラグナ」
「そうなのか」
「ええ」
レムがラグナに笑いかけるのを横目で見てから、手紙に視線を戻す。
そんな神子様がなぜぼくと接触しようと試み、常にぼくに呼びかけていたのか。
結論からいおう。
神子ヴァーラは、ぼくなんだ。
このイルス・ヴァレにおけるぼくなんだよ。
君にはなにをいっているのかまったく理解できないかもしれないし、気が狂れたんじゃないかと思われるかもしれない。
けれど、それは事実なんだ。
ぼくはヴァーラで、ヴァーラはぼくなんだよ。
手紙に記された衝撃的な事実に、セツナは驚きを隠せなかった。