第千二百四十七話 クオンの手紙(一)
「伝言というよりは、手紙だがな」
といって、ユフィーリアは懐から一枚の封筒を取り出した。封筒には封がしてあり、彼女は、中を見てはいないという証明のように見せつけてきた。
「手紙? 手紙だったら、あんたが手渡しに来る必要はないだろう?」
「いや、わたしでなければできない仕事だと彼はいったよ」
「そ、そうか」
セツナが当惑したのは、ユフィーリアの態度があまりにも誇りと自信に満ちあふれていたからだ。彼女は、クオンから頼まれることが嬉しかったのではないか。そんなことを想像する。クオンは人誑しの天才だ。
「なにぶん、彼は敵が多い」
「敵?」
「それはそうだろう。彼は、ヴァシュタリアの人間ではない。にもかかわらず、神子に気に入られたからという理由で神殿騎士団に入ることを許され、あっという間に騎士団長になってしまった。前任の騎士団長を追い落としてな。最初は、彼を味方するもののほうが少なかった」
「苦労してんだな、あいつも」
「当然だ。しかし、わたしやラムレスのように彼を味方するものもいる。彼には仲間もいるしな。貴様が心配するような状況にはない。とはいえ、教会の人間全員を信用することができないから、わたしとラムレスに手紙を託した。わたしたちは彼を裏切らないからな」
ユフィーリアは、ラムレスを振り返りながら告げてきた。彼女の自信に満ちた物言いは、彼女が真にクオンを信頼し、クオンに協力していることを示している。ユフィーリアのひととなりも、ラムレスがどのような由来のドラゴンなのかもわからないものの、そんなふたりがクオンのことを大切に想っていることが伝わってくるようで、セツナはなんだか嬉しくなった。以前のセツナならば面白くないと思っていたかもしれない。しかし、わだかまりが消え、すべてを受け入れられるようになったいま、クオンが仲間に恵まれているということを素直に喜ぶことができるのだ。
「なんじゃなんじゃ。ラムレスめ、ひとの子に誑かされおったか」
突然、喜々としてラグナが言い放つと、ユフィーリアが態度を豹変させた。
「貴様、先程から聞いていれば、ラムレスを愚弄する言葉の数々。つぎまた同じことをいえば、素っ首叩き落とすぞ」
兜に隠れた表情ははっきりとはわからないものの、口調と気配から真剣に怒っていることが伺え、セツナは戦々恐々とした。ラグナは普段、こういう場では口を慎むという空気を読むことに長けたドラゴンなのだが、今回は言葉を選ぼうともしなかった。おそらく、相手が知り合いのドラゴンということもあって気が緩んでいるのだろうが、そのことがユフィーリアを刺激したのだとすれば、セツナとしてはやっていられない。
「ほう……ひとの子の分際もわきまえずほざきおる。やってみよ。できるものならな」
「……貴様」
ユフィーリアが握った拳を震わせたときだった。ラムレスが厳かに口を開く。
「やめよ、ユフィーリア」
ラムレスの声は、セツナたちの頭上から降り注ぐ。威厳に満ちた声は、ラグナと同じドラゴンとは思えないほどに重々しく、迫力があった。威圧感が違うのだろう。
ユフィーリアは瞬時にラムレスを振り返る。
「しかし、ラムレス」
「我がやめよというておる」
「……わかった。やめよう」
ユフィーリアは、ラムレスに反論ひとつせず、拳を解いた。同時にラグナに向けていた殺気も消える。セツナがほっとしていると、肩に乗った飛竜があきれたようにいった。
「なんじゃ、なかなかに素直じゃのう」
「おまえよりもずっとな」
セツナは、肩を竦めた。ラグナの減らず口をどうやって封じればいいのかを考えたものの、考えるだけ無駄だということを思い知って、嘆息する。
「なんじゃと!?」
「いいから黙ってろよ。いくらおまえの知り合いだからって、これ以上話をややこしくしてくれるな」
「ぐぬぬ……」
「ふっ」
ラグナが黙りこんだ様子がおかしかったのか、ユフィーリアが笑った。すると、ラグナが長い首を伸ばして、威嚇的にユフィーリアに叫ぶ。
「笑うたな!? 人の子風情が!」
「ひとの子の下僕と成り果てた哀れな竜にいわれる筋合いもない」
と、頭上から告げてきたのは、ラムレスだ。セツナはもっともだと思ったが、ラグナには承知できない言葉だったのだろう。彼は首をラムレスに向けたが、到底届く距離ではない。
「おのれラムレス!」
「ラグナシアよ。我と戦うというのであれば、せめて対等に渡り合える力を身につけてからにするのだな。いまのおまえなど、ひとの子を踏み潰すのと大差なく滅ぼせよう。それでは、つまらぬ」
「……むう」
「反論しないんだな」
セツナは、伸ばした首を元に戻し、セツナの肩の上で小さくなったラグナの様子が意外に思えた。さっきまでの様子ならば、即座にラムレスの意見に噛みつき、口論を発展させるものだとばかり思っていたのだが、どうやら違う。ラグナは、ため息混じりに告げてくる。
「あやつのいうとおりじゃからな。いまのわしでは傷ひとつつけられぬ」
「それだけ強いってことか」
「当たり前じゃ。あやつは全盛期のわしと渡り合った竜王ぞ」
「竜王……ねえ」
確かに王と呼ぶに相応しい威圧感と迫力、そして風格を持ち合わせているのがラムレス=サイファ・ドラースだった。現在の姿になる以前のラグナよりも遥かに強大な力を持っているだろうことは、一目にも明らかだ。圧倒的だった。ザルワーンの守護龍ほどではないにしても、圧巻というほかなく、その質量だけで先のラグナをも圧倒するのではないか。つまり、あの当時の黒き矛では太刀打ちできなかったのかもしれないという結論に至り、愕然とする。
ドラゴンは、この世の生物だ。異世界から召喚された守護龍や、巨鬼とは違う。この世界に存在するすべての生物の頂点に君臨する、万物の霊長。その中でも特別な力を持っているのが、転生竜と呼ばれる種類のドラゴンであり、ラグナと彼がそれに当たる。それだけの力を持っていたとしても、不思議ではないのだが、衝撃を受けざるを得ない。
そのような生物が平然と存在しているのだ。驚くよりほかない。
「さて、話は終わりだな?」
「ああ……そうだ、ひとつ聞きたいことがあった」
ふと、思い立つ。
「ん?」
「クオンは……元気か?」
ふと気になったのは、彼とは長らく逢っていないし、彼の現状についてまったくわかっていないからだった。彼を最後に見たのは、ザルワーン戦争後の龍府だった。彼は北に行くといって、仲間とともに龍府を旅立った。セツナが寝ている間に、だ。セツナは彼と別れの言葉を交わすこともできないまま、彼と離れ離れになった。離れることは問題ではなかったし、当然のことでもあった。しかし、なにか物足りなさを感じずにはいられなかったのもまた、事実だ。
せっかく彼のことを受け入れられるようになったのだ。少しくらい話しあいたかった。話し合うだけの時間が欲しかった。
彼には謝らなければならないことがあった。それもたくさん。数えきれないほど、あった。
それなのに彼は勝手にセツナの元を離れていってしまった。セツナは彼を追いかけることなどできない。セツナはガンディアの人間だ。彼のような自由人ではない。消化不良のまま、時が流れた。そんなおり、クオンからの手紙を携えた使者が現れたのだ。
クオンのことを尋ねるなら、いましかなかった。
「体調なら万全だ。元気というほかないな。レイディオンは極寒の地だが、彼は既に順応している。《白き盾》の団員たちは寒さに震えているというのにな」
「そっか。あいつ、どんな気候にも対応できるからな」
「そうなの?」
と尋ねてきたのは、ファリアだ。セツナの左後方で所在無げに佇む彼女が口を挟んできたのは、会話に入る機会を伺っていたからかもしれない。なんとなく、そんな気配を感じてはいたのだ。そしてそれは、彼女だけではない。
「完璧なんだよ、あいつ」
「そうだったわよねえ」
ミリュウが面白おかしそうに肯定してくるのは、彼女がセツナの過去の記憶を見て知っているからだ。クオンとの間に合った(一方的な)確執についても理解しているだろうし、セツナの様々な経験についても熟知しているに違いない。恥ずかしくて聞いたことはないが、ミリュウとの普段の会話からなんとはなしにわかった。
彼女は、元の世界にいたころのセツナのことなら本人以上に知っているのだ。
「それだけか?」
「ああ。済まない、呼び止めて」
「いや、いい。気にするな。貴様はクオンの親友なのだろう?」
ユフィーリアに当然のように問われて、セツナは静かにうなずいた。
「まあ、な」
親友なのかどうかは、わからない。
それは、一方的な認識だ。クオンは最初からそうだった。セツナのことを親友として認識し、親友として扱い、周囲の人間にもそのように扱うよう振る舞った。その居心地の悪さたるや、セツナに敗北感を植え付け続けたものだったが、いまとなっては、彼の気遣いがよく理解できた。彼がそうやって接してくれたから、セツナは自分でいられ続けたのかもしれない、とも思える。
そんな関係を親友と呼んでいいのか、セツナにはわからない。しかし、クオンがそう認識し、周囲の人々にそういっているというのなら、むざむざ否定するまでもない。
いまならば、クオンのすべてを受け入れられる。そんな気がする。
「だったらわたしにとっても友人だ」
ユフィーリアが口元を綻ばせながらいってきたことに、セツナは少しばかり驚いた。彼女は、もう少し堅物かと思っていたのだ。
「そういうものか?」
「そういうものさ。いま、この瞬間、知り合ったのだ。親友にだってなれるさ」
ユフィーリアが笑いかけてきた直後だった。背後からつぎつぎと声が飛んできたのだ。
「だめよ」
「そうよ、だめよ」
「だめでございます」
「ああ、だめだな」
「セツナ、危険です」
ファリア、ミリュウ、レム、シーラに続いてウルクまでもが口を挟んできたことに茫然としていると、予想だにしない人物の声が飛び込んでくる。
「そうでございますわ」
ユノ・レーウェ=マルディアそのひとだ。
「って、姫様までなに参加してるんですか」
「え?」
「え? じゃないですよ、まったく」
「そうですよお、姫様は関係ないじゃないですか」
「関係なくはありませんわ!」
ファリアたちに仲間外れにされることが納得できなかったのか、ユノは憤慨したようだった。
そんなセツナの背後で繰り広げられる騒ぎに、ユフィーリアが理解できないとでもいうように聞いてくる。
「なんなんだ? いったい?」
「気にしないでくれ」
セツナはそう言い返すので精一杯だった。
「……貴様も色々大変なんだな」
「も?」
「クオンも大変らしい。わたしにはわからないことだが」
「そういうことか。まあ、大変だろうさ」
セツナは、彼女が言いたいことを理解して、苦笑した。クオンは天性の人誑しであると同時に女性にとことん騒がれる種類の人間だった。元の世界にいるときからそうだったし、その点はこの世界でも変わらないらしかったことは、《白き盾》の女性陣が常に彼のことを見守っていることからもわかっていた。見た目も良ければ中身もいい彼が異性に人気が出ないわけがなく、それに関しては至極納得のいく話であり、彼が大変だというのは理解のいくところではあった。
一方、セツナは自分がなぜクオンと張り合えるほどに大変なのかは、理解できない。外見的にはクオンとは比較にならない上、クオンのように性格がいいわけでもない。人格者ではないのだ。その上頭もよろしくなく、異性に好かれる要素など皆無だと想っている。実際、元の世界ではそうだった。異性に好かれた記憶など一切ない。母だけだ。母親だけがセツナを愛してくれていたといっても過言ではないだろう。クオンの周囲の女友達にだって嫌われていたのではないか。
そんな記憶しかない。
だから、現在、セツナの周囲にファリアやミリュウといった美しい女性たちがいて、セツナのことを取り合ったり、セツナの隣の席に座るだけで言い争ったりしているのが不思議でならなかった。実感として、理解できない。が、悪い気分ではなかったし、皆が大切に思ってくれているということがこれ以上なく嬉しかった。そんな皆のためにも頑張らなくてはならないとも思える。力の源泉となりうるのだ。
クオンも、そうなのかもしれない。
ふと、そんなことを考えた。