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第千二百四十六話 竜騎士

 ラムレス=サイファ・ドラースと呼称されるドラゴンは、セツナたちの頭上からの降下を続け、やがて王宮の前庭に着地した。全長十数メートルはあるであろう巨躯は、さすがはドラゴンというべき威圧感と迫力を兼ね備え、光沢を帯びた群青の鱗に覆われた異形は見るものを恐怖させ、萎縮させた。飛竜ではなさそうだった。たとえ飛竜だったとしても、ラグナとは違う種類の飛竜だろう。ラムレスは合計四本の手足を持つドラゴンであり、その上で一対の翼を持っているのだ。翼はラグナのように飛膜であり、蝙蝠の翼によく似ている。長い首には凶暴そうな頭部がついており、宝石のような目がこちらを見下ろしていた。ただでさえ巨大なのだ。普通に見るだけで見下さざるをえない。手も足も巨大で強靭そうだった。あれだけの巨体。通常兵器など無意味だろう。矢は刺さらないし、剣で斬りつけても傷ひとつつけられず、斬りつけたほうの剣が折れるかもしれない。一目見ただけでそう思わせるほどの威容を備えていた。

「いまさっき、俺の名を呼んだよな?」

 セツナは、ラグナに問いながら、ラムレスの背にいる人物のことを考えた。

「うむ。しかも人の子がな」

 ラグナの言う通り、人間だった。セツナに声を投げかけてきたのは、人間の女だったのだ。ラムレスの声がどこか可憐ささえあるような女の声だとは到底思えなかったし、ラグナの発言がその考えの正しさを証明している。そもそも、ラムレスは口を閉ざしていたし、ラグナのように人間の言葉、しかも共通語を理解しているかどうかはわからない。ラグナが当然のように人間語を理解し、流暢に話していることから感覚が麻痺しがちだが、ドラゴンはドラゴンであり、人間ではないのだ。共通語を解すること自体、おかしなことだった。

 ラグナからしてみれば、別段難しいことでもなんでもないということであり、転生竜のような特別なドラゴンにとっては簡単なことなのかもしれないのだが。

「人間がドラゴンと行動をともにしているということ?」

 怪訝な声を上げてきたのは、ミリュウだ。彼女はセツナの右後ろから巨大竜を見上げている。ラグナが彼女を振り返る。

「わしのことを忘れたかのようないいようじゃな」

「ああ、そうだったわねー。すっかり忘れてたわ」

「なんじゃと!?」

 ラグナが牙をむき出しにして突っかかるが、ミリュウは笑うだけだった。ミリュウの発言は、人間社会に順応しきったといってもいいラグナへの賛辞というべきだったかもしれない。確かにラグナはドラゴンらしくはなかった。ドラゴンというよりも、ラグナという別の生き物として見るほうが理解しやすいのではないかと思えたし、セツナも、そういう風に見ていることのほうが多かった。それが悪いこととは思えないし、ラグナがラグナだからこそ、こうまで受け入れられているのだからそれでいいと思える。ラグナ本人にしてみれば納得のいく話ではないだろうし、ドラゴンとして扱ってほしいという気持ちもわからないではない。

 彼は、ミリュウをひとしきり威嚇すると、思い出したようにラムレスに向き直った。

「しかしまあ、ラムレスが人の子とともにあるなど到底信じられる話ではないが……」

 ラグナの話によれば、人間嫌いの狂王というのが、ラムレスの評価だったはずだ。

 不意に、ラムレスが首を傾け、目を細めた。鋭角的な頭部の中、蒼玉のような双眸が光を帯びている。口が開いた。

「その言い様……ラグナシアか」

 威厳に満ちた口調であり、低く重々しい声音だった。

「なんじゃおぬし、口が聞けるのか」

「我をだれと心得ている。我は竜ぞ。竜は言葉の究極系。忘れたか」

「忘れるものか。おぬしが黙っておったから驚いただけじゃ」

 ラグナはそういい返したものの、セツナは、彼がラムレスにいわれたことを忘れていたに違いないと思ったりした。もちろん、口には出さない。

(竜は言葉の究極系……どういう意味だ?)

 ラグナの嘯きよりも、そちらのほうが気になった。が、問い質す間もなく、ラムレスが口を開く。

「驚いたのは、我もだ」

「む?」

「無様な姿よな」

 ラムレスは、嘲るでもなく、告げてきた。その抑揚もなければ、なんの感情も篭っていない言葉が余計に悔しかったのか、ラグナがセツナの肩の上で地団駄を踏んだ。

「おのれ……!セツナ、あやつの口をいますぐ封じるのじゃ! 捨て置けぬ!」

「なんでだよ」

「おぬしは可愛い下僕が馬鹿にされて黙っておるというのか!?」

「まあまあ、御主人様にも考えがあるのですよ」

「先輩! 先輩からもなんとかいってくれんか!?」

 目に涙すら溜めながらレムに迫るラグナの様子を見たからか、ラムレスが大きくため息を吐くのをセツナは見逃さなかった。ラグナが知り合いの成れの果てともなれば、ラムレスのような反応もしたくなるものかもしれない。

 ラムレスの目が、セツナに向けられる。ドラゴン特有の宝石のような目は、傷ひとつなく、美しい。

「……おぬしがセツナか」

「ああ」

「聞いていたよりはいい面差しよな」

「聞いていた? だれにだ?」

「それは――」

「待て、ラムレス。話はわたしがする」

 ラムレスの言葉を封じたのは、女の声だった。視線を下げると、ラムレスの頭部の真下にその人物が立っていた。一瞬、小さなラムレスがそこにいるかのように錯覚したのは、その人物がラムレスの外皮によく似た群青の鎧兜を身にまとっていたからだ。その甲冑自体、ドラゴンを模している。兜は竜の頭部を真似ており、肩当ては翼のようだった。腰当てには、竜の尾のような飾りが付いている。まるで創作物などで見られる竜騎士そのもののような姿だが、この世界では別段珍しいものではない。セツナの鎧兜も竜を模していることが多い。そして、そういった鎧兜は、少なくはなかった。竜は力の象徴だ。竜を模すことで少しでも肖りたいと考えるのだろう。もちろん、竜だけではない。獅子や虎、熊といった凶暴な獣を模した甲冑は多い。それらも、獣の力に肖ろうという意図があるのだろう。

「……よかろう」

 ラムレスが、竜騎士の女に注ぐまなざしは、どことなく優しい。まるで我が子を見守るような視線だった。ラムレスに表情はない。セツナがそう感じただけのことだ。なぜかはわからない。気のせいかもしれないし、勝手な思い違いかもしれない。しかし、確かにラムレスのまなざしは柔らかかったし、声音も、ラグナやセツナに向けられるものよりは何倍も優しかった。

「ラムレスめ……人間にいいように扱われておるのう」

「おまえにあいつのことがいえるのかよ」

「なんじゃと!」

 ラグナが耳たぶに噛み付いてきたのを黙殺していると、女竜騎士がセツナの目の前まで歩み寄ってきていた。ウルクがセツナと女の間に入ろうとするのを制する。ウルクは不満そうにこちらを見てきたが、セツナが後ろに下がるように目線を送ると、渋々といった様子で後退した。護衛はありがたいが、相手に敵意が見当たらない以上、邪魔でしかない。

 女竜騎士は、セツナよりもずっと上背があった。長身痩躯を竜を模した鎧兜で覆い隠している。どのような顔をしているのかは、その凶暴な面付きの兜のせいでわからない。隠れていないのは口元くらいのものであり、その綺麗な形状の唇から美人を想像させた。凛とした声音も、彼女の顔立ちが整っているという想像を掻き立てるのだが、実際のところは不明なままだ。武器は腰に帯びた剣が二本。竜の爪を模した手甲もいざとなれば武器になるかもしれない。そんなことを想像するのは、彼女が敵にならないとも限らないからだ。

 彼女は、セツナの目の前に到達すると、すぐさま問いかけてきた。

「セツナ=カミヤだな?」

「ああ。あんたは?」

「我が名はユフィーリア=サーライン。レイディオンにおいて竜騎士を務めている」

「レイディオン? 竜騎士?」

 耳慣れぬ言葉に疑問が浮かぶ。竜騎士というのはわからないではない。想像通りといってもいい。彼女が着込んだ甲冑の形状、そしてドラゴンに騎乗してここまできたという事実から導き出されるのは、正真正銘の竜の騎士であり、ほかに似合う名称が見当たらなかったからだ。

「レイディオンは、ヴァシュタリア共同体の中心よ。聖都レイディオンっていってね、教えの中心でもあるの。セツナとは無関係だから聞いたこともないかもしれないけれど」

 と、説明してくれたのは、ファリアだ。ファリアもミリュウもセツナの後ろにいて、いつの間にか召喚武装を呼び寄せていた。ラムレスを警戒しているということを伝えるかのような振る舞いだったが、問題はあるまい。ラムレスは、ただこちらを見下ろしているだけで、表情に変化は見えなかった。ラグナのように表情のわかりやすい顔をしているわけではないが。

「竜騎士なんて聞いたことないけどね」

 リョハン出身のファリアでも聞いたことがないとなると、この場にいるだれも知らないことだろう。少なくともヴァシュタリア内部の情報など、小国家群に入ってくるわけもないのだ。ガンディアがどれだけ情報収集能力を強化したところで、三大勢力内部の情報を仕入れるのは簡単なことではない。三大勢力内部に入ること自体が困難だったし、手に入れた情報を国に持って帰るのも難題だ。そして、三大勢力の動向を探ることに力を注ぐよりも、小国家群の動向を知ることのほうがガンディアにとって重要だった。ガンディアの目標は小国家群の統一であり、小国家群の統一による四大勢力の形成と均衡の構築、永続なのだ。三大勢力のことなど後回しでよかった。

「わたしのことはどうでもいい。大事なのは、あるひとからの伝言のことだ」

 ユフィーリアと名乗った女は、険しい口調でいってきた。

「まあ、そうだな。で、そのあるひとってだれだ?」

「貴様がセツナ=カミヤならばよく知っているはずの人物だ」

「ん?」

「クオン=カミヤ。知らないはずがあるまい?」

 ユフィーリアが告げてきた想定外の名前に、セツナは衝撃を受けた。同時に頭の中が軽く混乱を起こす。クオン=カミヤ。守屋久遠。

「あ、ああ。よく知っている」

 慌てて肯定しながらも、頭の中の混乱を鎮められずにいた。クオンは、セツナの人生において重要な立ち位置にいた人物だった。数年前から、ついこの間まで彼の庇護下にいたといってもいい。彼に守られながら、なんとかして生きてきた。そんな人生だった。クオンほどセツナに影響を与えた人間は、そうはいないだろう。影響は、いまも残っている。なぜなら、クオンとはこの世界でも巡り会う運命だったからであり、一時的に共闘したことがあったからだ。

 ザルワーン戦争での共闘がなければ、セツナはいまもなおクオンへの引け目を感じ続けなければならなかったかもしれない。それくらい大きな出来事だった。セツナはクオンとの共闘によって、クオンから解放された。クオンを受け入れられるようになったのだ。それはセツナにとってとんでもなく大きな変化であり、それがなければ、セツナはまったく違った人生を歩んできたかもしれなかった。

 それくらいに大きな影響力を持った人物なのだ。

「なんでレイディオンの竜騎士様とやらがクオンの伝言を?」

 クオンは、この世界においてそれなりに影響力を持つ人物だ。無敵の傭兵集団《白き盾》の団長である彼は、この戦国乱世において引く手数多の存在だった。彼を味方に引き入れれば最悪負けることはなく、勝利も難しくはない。《白き盾》は無敵であり、不敗の傭兵団だからだ。そのため、クオンを味方に引き入れようと多くの国が動いたものだった。ガンディアもそういった国々のひとつであり、ザルワーン戦争を目前に控えたあるとき、レオンガンドはクオンを口説き落とすために手を尽くしたものだった。

 ザルワーン戦争以降、《白き盾》は北を目指して旅に出た。小国家群を北に抜け、ヴァシュタリア共同体に入ったという話までは、セツナの耳に届いていた。そして、昨年の五月五日には空中都市リョハンに至り、ファリア=バルディッシュと対面したということをマリクから聞いている。大ファリアはクオンのことをいたく気に入り、いつまででも滞在していい、だとか、いっそ養子にしたいというくらいだったという。その話を聞いた時、セツナはさすがはクオンだと思ったものだった。

 クオンはひとの心を虜にする天才だった。

「クオンの現在の立場を教えてやろう。彼はいま、神殿騎士団長として聖都レイディオンの守りの要となっている」

「神殿騎士団長……クオンが!?」

 セツナは、またしても愕然とした。衝撃的な事実というほかなかった。

「そうだ。レイディオンの大神殿を守護するのが彼の役目であり、また、すべての神殿騎士たちの頂点に立つ存在でもある」

 ユフィーリアの説明は、セツナの受けた衝撃をさらに増大させるものだった。話を聞く限りでは、三大勢力の一角たるヴァシュタリア共同体においても重役中の重役ではないのか。ヴァシュタリアにどれだけの神殿騎士が存在するのかは不明だが、ガンディアやベノアガルドとは比べ物にならない数の騎士が存在するのはまず間違いない。まず領土の規模が違う。それこそ、天と地ほどの差があるのは明白だ。動員しうる兵力も戦力も桁が違うのだ。だから三大勢力であり、三大勢力を刺激してはいけないという考えになるのだ。

「クオンが……な」

「どうした?」

「いや……らしくないって思っただけさ」

「そうか?」

「俺の中では、な」

 セツナは言葉を濁して、いった。ユフィーリアの心情を踏み躙るような発言をするつもりはなかった。すべて、自分の中のことでしかない。もちろん、クオンが神殿騎士団長に相応しくないというわけではない。彼ならばそのような大任も立派に務め上げるだろう。しかし、クオンらしい立ち位置とは考えにくかった。そもそも、クオンが《白き盾》という自前の傭兵集団を解散するとは思えなかったのだ。クオンは自分の仲間を自分以上に大切に考えている。仲間のためならば自分を犠牲にすることなど厭わないし、なによりもまず仲間のことを考えるのだ。《白き盾》の傭兵たちを放り出して神殿騎士団長になるとは到底思えない。

 無論、《白き盾》の傭兵たちを捨て置くとも考えられないが。

 たとえ《白き盾》そのものが神殿騎士団に吸収されるようなことがあったのだとしても、なにか釈然としないものを感じずにはいられない。

 セツナから見たクオンには、似つかわしくない出来事だった。

「ふむ。まあいい。わたしとしては、貴様にクオンからの伝言を届けることさえできればそれでいいのだからな」

 ユフィーリアの態度は常に凛としていて、見ていて清々しかった。


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