表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1244/3726

第千二百四十三話 余韻(二)

 大陸暦五百三年一月二十日。

 王都を騒がすほどの事件に見舞われた王立召喚師学園開校式典が行われた翌日、王都は静謐を取り戻していた。

 セツナの無事の帰還と、セツナの偽者退治が大々的に発表されたことも、大きく影響している。特にセツナが一度敗北した偽者を見事に打ち倒したという事実は、王都のひとびとの不安を吹き飛ばし、大いに安心させたことだろう。

 偽者を倒したことで、ガンディアの英雄セツナの名声はますます高まっている、という。

 それは午前中、街を見回ってきたというルウファからの報告であり、彼は、王都市民がセツナの身を案じていたということを知らせてくれたのだ。それだけセツナがこの国に馴染み、必要とされているということを暗にいっている。セツナには、ルウファのそういった気遣いが嬉しくてたまらなかった。

 ルウファは、王家第一主義者だが、それとは別にセツナのことも決して疎かにはしていなかったし、むしろセツナのために様々なことを配慮してくれていた。そんなルウファだからこそ、セツナは彼とエミルのことを心の底から応援できるのだろう。

 不意にそんなことを考えたのは、隊舎にエリナがきたからだ。エリナは、セツナが仲良くしている数少ない王都市民のひとりといってもよかった。もっとも、エリナは王都市民としてではなく、エリナ個人としてセツナのことを心配してくれていたようだが。

「無事で良かったの!」

 エリナの嬉しそうな声を、小犬のニーウェが尻尾を振り回す様を見ながら聞いた。黒い毛玉のような小犬は、ザルワーン戦争時から変わらぬ姿であり、愛くるしいというほかない。小型犬なのだろうが、この世界でも犬の品種改良が行われたりしているのかどうかは知らなかった。ただ、犬や猫を愛玩動物として飼うことは、普通に行われている。そこらへんは、セツナの生まれ育った世界と大差ないようだった。

「心配をかけたね。でも、勝ったよ」

「うん、知ってるよ!」

 エリナの元気さには、セツナは目を細めざるを得ない。眩しいくらいに元気で、太陽のように明るいのが彼女だった。そんな彼女が表情を曇らせると、途端に空が雲に覆われたかのようになり、心が痛くなるのだから、彼女には明るいままでいて欲しいと願ってしまう。

 セツナは、前庭の芝生の上に座り込んでいて、股の間に入り込んできた小犬のニーウェの相手をしながら、エリナを見ていた。頭の上にはいつものようにラグナが乗っかっている。レムは、隊舎内を大掃除するということでめずらしくセツナの側を離れていた。代わりといってはなんだが、ウルクが護衛として付かず離れずといった距離感で佇んでいる。どことなく機械的な美女は、いつもの無表情で周囲を警戒していた。

「ニーウェさんに逢ったから」

「え……?」

 セツナは、エリナの発言に驚くよりほかなかった。エリナが知ってるといったのは、王都中で知れ渡る話を聞いたからだとばかり思っていたからだ。まさか、彼女がまたしてもニーウェと遭遇していたとは、想像しようもない。なんという縁なのか。

「昨日、ね」

「戦いが終わったあとのことか?」

 聞くまでもないことを聞いてしまう。

「うん」

「……あいつ、なんかいってたか?」

「うん。お兄ちゃんに伝えてって」

「俺に?」

 セツナは、嫌な予感がした。しかし、エリナの口から飛び出してきたのは、想像もしない言葉だった。

「もう二度とお兄ちゃんと戦うことはない、って!」

「二度と……ニーウェがそういったのか?」

 セツナは、信じがたい言葉だった。あそこまでセツナを殺し、運命を超克することに躍起になっていたニーウェが、あっさり諦めるなど、そう簡単に信じられることではない。しかし、エリナの満面の笑みは、彼女が嘘などついておらず、ニーウェが本心から彼女にそう語ったことを示している。エリナは純真ではあるが、相手の嘘を見抜けないほど心の機微に疎い少女ではない。むしろ、察しが良すぎる方だ。

「うん!」

「ニーウェが……」

「だからもうなんの心配もないよね!」

「……ああ。そうだな」

 うなずく。

 エリナの話が本当ならば、本当にニーウェがそういったのならば、もはやなんの心配もする必要はなかった。そして、エリナがウソを付くわけもなければ、エリナがニーウェの嘘を見抜けないとも思えず、ニーウェが今後セツナを襲ってくるということはないのだろう。同一存在による決戦が不要になった、とでもいうのだろうか。

 そうなのだろう。

 それ以外には考えられない。でなければ、ニーウェがセツナの抹消を諦めるとは思えないのだ。ニーウェの性格からすれば、エッジオブサーストを失ったからというだけで運命から逃れようとはすまい。

「良かった!」

「ああ」

 またしてもうなずいてから、セツナは彼女の声音の変化に気づいた。気が付くと、エリナがすぐ目の前にいた。芝生の上に座り込んだセツナに抱きつくようにしてくる。

「お兄ちゃんが無事で本当に良かった。良かったよう」

「エリナ……」

 セツナは、胸に顔を埋めて、肩を震わせる少女の体温を感じながら、彼女の髪を撫でた。

 ニーウェとの戦いが彼女の心に作った傷は、小さくない。エリナは、セツナがニーウェと接触するよりも前に彼と遭遇しているのだ。その直後、セツナはニーウェと戦い、瀕死の重傷を負っている。そのことがエリナの心に深い傷を負わせた。彼女を精神的に追い詰め、行動を起こさせた。ニーウェが彼女を踏み止まらせてくれなければ、どうなっていたのか。想像するだけでおそろしい。

 そういう意味でも、セツナはニーウェに感謝していた。

 ニーウェのおかげで、エリナは思い止まることができたのだ。そして、エリナは自分の道を見出すことができた。エリナは武装召喚師を目指しているが、目標は敵を倒す武装召喚師ではなく、味方を支援することに特化した武装召喚師となった。ミリュウは最初から彼女に戦わせるつもりはなかったようだったが、ニーウェとの一件からエリナ自身が進むべき道を認識するようになったのは大きいだろう。きっと彼女は自分に合った召喚武装を手に入れるはずだ。

 エリナは、前線で戦う戦士には不向きな性格なのだ。それでも武装召喚師になってセツナの力になりたいという彼女のためにミリュウが師となり、手取り足取り武装召喚術を教えている。彼女の師匠がミリュウで良かったのは、この一連の出来事でも明らかだ。ミリュウは、自分の境遇から、エリナに間違いを起こさせないよう考えて、師匠をやってくれていた。

(ニーウェ……)

 セツナは、エリナの髪を撫でながら、もはや逢うこともないかもしれない同一存在のことを思った。彼はいま、どこでなにをしているのだろう。

 


 だだっ広い荒野が広がっている。

 一見、そんな風に思ってしまうほど、森は原型を留めていなかった。

「ここ、本当にあの森なの?」

 ミーティア・アルマァル=ラナシエラが怪訝な顔をするのも当然だった。

 彼女が数日前に見たのは、小さくも立派な森だったのだ。一部破壊されてこそいたものの、森としての景観が損なわれるほどのものではなく、皇魔が生息するに相応しいくらいに緑であふれた領域だった。それが昨日の戦いで完膚なきまでに破壊され尽くし、森のほうが一部だけになってしまっていた。

「森というよりは、ただの荒野ですね」

 シャルロット=モルガーナも、驚きを隠せないといった様子であり、先を歩くランスロット=ガーランドも、周囲の光景を見回しながら、半ば呆然としていた。

「まるで隕石が落ちた場所みたいですね」

「本当だよ。これが人間同士の戦いの痕跡なんて、信じらんない」

「信じられないかもしれないけれどね。本当のことなんだよ」

 ニーウェは、左手を強く握る少女の言葉に苦笑を交えながら、告げた。彼女のいいたいこともわからないではない。使者の森のあった場所には、帝国領の各地にある隕石の落下地点によく似た風景が広がっていた。隕石の落下によって抉られた大地は、半球形の大穴となる。セツナの全周囲攻撃による大穴も似たようなものだったし、最後の激突によって生じた力の爆発が生み出した大穴も、巨大な半球形の穴を大地に穿っており、それこそ、ミーティアのいうように隕石でも落下したのではないかというような感じだった。

 しかし、巨大な穴にあるのは隕石などではない。

「それで、ニーウェ様が気になったというのは、あれですね?」

 ランスロットが指し示したのは、大穴の底から突き出した石塔の一部であり、そういったものは爆発跡のいたるところに見受けられた。爆発によって消し飛ばなかったところを見る限り、ただの石塔ではなさそうだった。

 おそらく使者の森の地下に埋没していた遺跡の一部が、セツナとニーウェの戦いによって露出したのだ。

 ニーウェは、セツナとの戦いの最中から気になっていたのだが、セツナを倒してから調べようと考え、戦いに集中していた。結果、敗北したいまならば調査に乗り出すのも悪くはないということで、この死者の森の跡地ともいうべき場所に立ち寄ったのだ。

 ザイオン帝国領土への帰路。帝国はここより遥か東であり、長い旅路となる。とはいうものの、急ぐ旅でもないのだ。このガンディアで一日二日余計に日を過ごしたところで、なんの問題もなかった。そうはいっても、この使者の森の地下から露出した遺跡の調査など、そうそうできるものでもあるまい。おそらくセツナも目撃しているだろうし、セツナからの報告でガンディアが調査に乗り出すかもしれない。そうなれば、ニーウェたちの立ち入る隙はなくなるだろう。

「なんなの?」

「遺跡かなにかだろう」

「それはわかるけど、なんで地下に埋まってるのさ?」

「古代遺跡なんてそんなものでしょ」

 ミーティアの納得出来ないといった問いに答えたのは、ランスロットだ。魔導院出身の彼にとっても、地下遺跡の存在は大いに興味を惹かれるものだったらしく、露出した石塔の一部に目を輝かせていた。ミーティアがきょとんとしたまま尋ねてくる。

「そうなの?」

「まあ、そうだね」

「埋葬された文明……ですか」

「おそらく」

 ニーウェは、シャルロットの自信なさ気な言葉を肯定するとともに、遺跡に歩み寄った。

 かつて、この地上に繁栄した文明があるという。それは遥か太古天地を埋め尽くすほどの栄華を極めたというのだが、あるとき、神の怒りを買い、大地に埋葬されたといわれている。埋葬された文明の遺跡は、帝国領土の様々な地域でも発掘されており、確かに、遥か昔――それこそ千年、二千年前、このイルス・ヴァレに栄華を極めた文明があったと証明されている。地下から発掘される遺跡のほとんどが同じ様式であり、同じ文字が掘られているからだ。掘られた文字は、共通言語とも、現在、古代言語として知られる文字とも違うため、解明されてはいない。

 帝国は、古代文明の研究と解明に全力を上げており、ニーウェはその一助になるかもしれないと、使者の森の地下の遺跡を調べようと考えたのだ。もちろん、先もいったように調べられることなどそうあるものではないし、ガンディアの調査隊でも派遣されてくれば、ニーウェたちはここに留まってもいられなくなる。

 いくらセツナがニーウェを撃退し、偽者騒動に一区切りがついたからといって、ニーウェたちが仕出かしたことが許されるわけもない。ガンディアの調査隊と一緒に遺跡を調べる、などということができるはずがないのだ。無論、ガンディア政府がニーウェたちを捕縛することもありえないことだ。セツナがニーウェの殺害を忌避していたように、ガンディア政府は、帝国の皇子たるニーウェの扱いに慎重だった。

「しっかし、ほとんど地下に埋まってますし、調べようがありませんよ?」

「そこをなんとかするのが三臣の役目だろう」

 ニーウェが適当に言い返すと、彼の左腕にしがみついたままのミーティアが面白がった。

「そうそう、それがランスロットの役目でしょ」

「え!? 俺だけです?」

 ランスロットは、ミーティアにではなく、シャルロットに救いを求めたが、彼女は冷めた表情で肯定した。

「もちろん」

「うんうん」

「酷い」

 がっくりと肩を落とすランスロットを横目に、ニーウェは右手で石塔を触れた。右半身は、あれから一晩経過しても異形化したままであり、相変わらず禍々しい姿形であることに変わりはなかった。そんな状態で人前を出歩くことなどできるわけもないため、全身を包み込むような衣服を着込んだ上で外套を羽織り、仮面を身に着けていた。ガンディア国内にいる間は、セツナと同じ顔をした左側を隠すためにも仮面は有用だったが、それ以上に凶悪な右側を隠す必要があった。一目見ただけで人外の化物と認定されるような顔だ。隠しておくに越したことはない。

 もっとも、ニーウェの三臣たちは、ニーウェの異形化した半身をすぐに受け入れてくれていたし、顔を隠す必要もないのではないかといってくれたりしていて、そういった気遣いがこの上なく嬉しかった。彼らにとっても奇妙で不気味な姿なのは間違いないはずなのだが、そういう感情を一切表面に出さないところが三臣の三臣たる所以なのだろう。ニーウェにとって数少ない心から信頼できる人物たち。

 ニーナは、どうだろうか。

 そのことが気がかりで、少し恐ろしく、どうしようもなく不安だった。

 拒絶されたら、どうしよう。

「とはいえ、ここはガンディア領土だ。好き勝手調べられるわけもないし……石塔に刻まれた文字だけでも写しとっておこうか」

「そうしましょう。それがいい」

「ええー」

「ミーティア?」

 ニーウェは、ミーティアの不服そうな反応を不思議に思った。

「ランスロットに掘らせればいいじゃん」

「いくらなんでも無理だよ……」

 ニーウェは、ミーティアの無理難題にさすがにランスロットが可哀想になったりした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ