第千二百四十一話 マルディアのこと
マルディアに関する会議は、セツナの話題が終わると急速に進んだ。
議題は、マルディアに派兵する戦力をどうするかというものであり、真っ先に決まったのはセツナ軍の参加だった。セツナが戦力の筆頭に上げられるのは当然のことだ。たとえば、救援先がマルディアでなければ、黒き矛とセツナを除外することも考えられた。しかし、救援先はマルディアで、敵対勢力がマルディアの反乱軍とベノアガルドの騎士団となれば、黒き矛のセツナを除くことなどありえない。マルディアの反乱軍はともかく、ベノアガルドの騎士団は強敵だ。騎士団だけならばまだしも、十三騎士が出張ってくれば、その戦力は凄まじいものとなるだろう。そして、十三騎士が出張ってくるのは、まず間違いない。
マルディア使節団の話によれば、マルディアの国土の半分が反乱軍の手に落ちたのは、一にも二にも十三騎士のひとりが参戦していたからであり、マルディア王国軍は、そのたったひとりの十三騎士に翻弄され、打ちのめされたのだという。その事実は、十三騎士の実力が規格外であり、超人的なものであるということを示しており、アバード動乱の報告が間違っていなかったことを示していた。
また、ガンディアからの援軍の有無にかかわらず、ベノアガルドはマルディアに十三騎士を派遣しているということであり、ガンディアの援軍がマルディアに到着したとあれば、さらに数名の十三騎士を寄越してきたとしても不思議ではない。ガンディアといえば、黒き矛のセツナという評判がある。ベノアガルドの騎士団が自分たちの実力に自信を持っていたとしても、セツナの存在を注意しないわけがないのだ。
そして、十三騎士が派遣されるとあれば、こちらもセツナを投入せざるを得なくなる。
「これまで何度も申し上げましたが、騎士団はただでさえ精強で、そのうえ十三騎士ともなると、並の武装召喚師でも太刀打ち出来ないほどの力を持っています。セツナ様にいわせれば、十三騎士のひとりひとりがアバード動乱時の黒き矛とと同等の力を持っていたということですから」
「黒き矛と同等の力……」
デイオン=ホークロウがうめくようにつぶやくと、エインが笑顔のまま告げた。
「それが最低でも十三人はいるようです」
十三騎士は、騎士団の十三人の幹部のことだ。全員が全員同等の力を持っているとは限らないのだが、常に最悪の場合を想定しておくのは悪いことではない。その場合、もし十三騎士の半数が通常の戦闘力しか持っていなかったとしても肩透かしをくらうだけだが、逆に、十三騎士の実力を過小評価していた場合、全員が以前の黒き矛に匹敵する力を持っていたときの衝撃は、凄まじいものがあるだろう。
「ありえんことだ……」
うなるようにいったのはガナン=デックスであり、彼は厳しい顔を青ざめさせていた。確かにありえないことのように思える。が、そんなことをいいだせば、黒き矛そのものがありえないくらいに凶悪なのだ。黒き矛と同等の力を持つものが複数いることが絶対にあり得ないとは言い切れない。実際、今日、黒き矛と死闘を繰り広げた人物がいたのだ。同じように強力な召喚武装の補助を得るなりすれば、黒き矛と同等の戦いを見せ、武装召喚師を圧倒することも不可能ではない。
「それだけの力があれば、ベノアガルドはもっと国土を拡大できたのでは? 彼の国は、国土拡大の野心を持っていないわけではないのでしょう?」
デイオンの疑問ももっともだった。
「そうですね。救済を掲げてはいますが、必ずしも国土拡大をしないわけではないようです」
「それはそうだろうな」
救済を掲げるのは、そのほうが色々と都合がいいからに違いない。なんの見返りもなく、他国のために戦力を派遣することなど、考えられないことだ。慈善事業ではないのだ。戦力を派遣するということは、国力を消耗するということだ。他国のために戦力を差し出し、自国の国力を疲弊させ、自国を疎かにすることなど、ありえない。
他国を救うために尽力した結果、自国を滅ぼすなど、笑い話にもならない。
「しかし、我々のように積極的に国土拡大を狙っているわけではないようですし、実のところ、騎士団の考えはよくわかりませんね。救済というのも本当のところ、どういうものかもわかりませんし。ただ、騎士団が強敵で、中でも十三騎士は武装召喚師以上に凶悪だということは疑いようのない事実で、十三騎士が投入された場合のことを考えると、多くの戦力を派遣せざるを得ないでしょうね」
「ふむ……」
「もちろん、国の守りをおろそかにするわけにもいきませんし、マルディアの国土を取り戻すだけですから、全戦力を投入するということもありえませんが」
エインはにこやかに告げると、マルディアに派遣する戦力に関する持論を述べ始めた。
エインは、マルディアへの援軍にはガンディア軍の全戦力の半数を使うとした。戦力には、できるだけマルディアに近い方面軍を使いたいが、ザルワーン方面軍は、アバード動乱の傷も癒えきっていないことから除外し、ログナー方面軍、ガンディア方面軍に属国ベレル軍、アバード軍の一部を加え、同盟国であるルシオンとジベルに援軍を要請することとした。ジベルはともかく、ルシオンは喜んで援軍を寄越してくれるだろう。
「ガンディア本土ががら空きになるが?」
「ガンディア方面は安全なんですが………」
エインは、デイオンを見遣りながら、そう前置きした。安全、というのはガンディア方面の周囲に隣接する諸国が同盟国か属国ばかりだからだ。ガンディア方面の南側にはルシオンの国土が横たわり、南からの侵攻を阻み続けている。ガンディア方面の東にはミオン方面があり、以前はラクシャとの間に防壁として機能していたが、そのラクシャがジゼルコートの手腕によってガンディアの属国となっていた。また、西のアザークも、ジゼルコートが従属させている。ミオン方面の南東がエンダールと隣接しているが、ラクシャとルシオンが目を光らせていることもあって、手出ししてくることはないだろう。
とはいえ、ガンディア方面の戦力をがら空きにするのは、いいことではないのもまた、事実だ。いくら近隣国に敵対国がないとはいっても、油断を見せる訳にはいかないのだ。
「一応、クルセルク方面軍に入ってもらいます」
「クルセルク方面軍に? クルセルクならば、ガンディアよりもマルディアのほうが近いのではないか?」
「確かに地理的には近いですし、できればクルセルク方面軍を投入したいところなのですが、実戦経験を鑑みると、ガンディア方面軍を投入するほうがいいと判断しました」
「そういうことか」
「納得していただけたようでなによりです」
エインが、デイオンの反応にほっとしたような表情を見せた。デイオンが反論してきたらどうしようかと考えていたのかもしれない。
ガンディア方面軍は、弱兵で知られたガンディア軍を母体とする。ログナー方面軍はいうに及ばず、ザルワーン方面軍にも実力では及ばないといってもいい。しかし、実戦経験だけならばどの国にも負けないくらいに積んでいる。経験の蓄積が弱兵を立派な戦士へと仕立てあげ、いまではどのような戦場でも恐れることなく果敢に戦い抜くだろうこと間違いないくらいだという。長らく皇魔に支配され、ほとんど戦うこともなかったクルセルクの兵士たちよりは圧倒的に頼りになるだろう。そんなエインの考えを、クルセルク方面を担当していたデイオンが認めるのだから、彼の情報収集能力がいかに優れているかがわかるというものだ。この場合、彼個人というよりは参謀局の、といったほうがいいのだろうが。
「それから、デイオン将軍はこのまま王都に残っていただき、本土の守りについたクルセルク方面軍の指揮を取って頂きます」
「……了解した」
エインの提案に、デイオンはなにかいおうとしたが、諦めたようにうなずいた。エインがデイオンをマルディア救援軍から外したのは、大会議でデイオンが反対派に回ったからだろうし、クルセルク方面軍の扱いに長けているからでもあるのだろう。というよりは、デイオンを王都に残すことが決まっているから、クルセルク方面軍にガンディア方面の守備を任せるのかもしれない。クルセルク方面の慰撫に力を発揮したデイオンには、ザルワーン方面軍よりもクルセルク方面軍のほうが扱いやすい。
「救援軍の指揮は、無論、大将軍閣下にお任せいたします。アスタル将軍には閣下の補助を」
「ふむ。大将軍最後の大仕事だな」
「では、わたくしが華を添えましょう」
「期待しているぞ、将軍」
「お任せを」
アスタルとアルガザードのやり取りは、いかにも現大将軍と次期大将軍の世代交代を想起させ、レオンガンドには眩しく映った。アルガザードはアスタルを信頼し、アスタルもアルガザードに敬服していることがうかがえる。アルガザードがアスタルをことのほか信頼しているのは、彼女のログナー時代、何度となく戦ってきた間柄であり、アスタルの実力を痛いほど知っているからだ。それは逆もまたしかりであり、アスタルがアルガザードを敬い、心服しているのは、ガンディアの守将として長年ログナーからの侵攻を阻み続けてきた実績があるからなのだ。
そんなふたりが仲間となり、轡を並べるようになったのは一年半ほど前のことであり、アルガザードはアスタルがガンディア軍に入ったことを心から喜んでいた。アスタルもアルガザードとともに戦えることを嬉しく想っていたようであり、アルガザードから様々なことを学び取ろうと、度々話し合っていたようだった。
ふたりのやり取りを堪能したレオンガンドだったが、ふと気づいたことがあって、エインに目を向けた。
「わたしは、どうする?」
「もちろん、御出馬して頂きたく存じます」
エインの返答は、予期した通りのものだった。アレグリアを一瞥すると、彼女も静かに頷いている。外征に関してはエインの独壇場だったが、アレグリアの考えが入っていないというわけではない。参謀局は、局全体で戦術や戦略を練る。もちろん、局外に漏れないよう、一部の局員だけで、ではあるのだろうが。参謀局の全体会議の場ではアレグリアも意見を出すだろうし、エインの意見が否定されることもあるのだろう。そうやって練り上げられたものがこういった会議の場でお披露目されるのだ。非の打ち所のないものになるのは、当然といってもいい。
「たかがマルディアの救援なれば、陛下に御出馬願うことはございませんが、ことはマルディアのみで終わるとは限りません」
「どういうことだ?」
「マルディア国内で反乱軍を一掃することができればそれに越したことはありませんが、必ずしもそううまく行くとは限りませんよね?」
「反乱軍がベノアガルドを頼って逃げる可能性もあるな」
「その場合、どうされます?」
「それで万々歳というわけにはいくまい」
一時的に反乱は収まり、マルディアの国土は回復するだろう。しかし、ベノアガルドに逃げおおせた反乱軍の生き残りたちは、機を見て、再びマルディアの地を襲うかもしれない。騎士団が背後についているのだ。戦力は十二分にある。
「反乱軍を根絶やしにするまでは、マルディアの安全は確保されないといってもいいでしょう」
「では、どうするというのだ?」
「ベノアガルドと交渉します」
彼は、こともなげにいう。
「交渉だと?」
「ベノアガルドに反乱軍の生き残りを差し出すよう、交渉するんですよ」
「ベノアガルドが応じてくれるとは思えんがな」
「ええ、でしょうね」
エインはにこやかに肯定する。会議中、常に笑顔を浮かべている少年参謀には、どこか恐ろしいものを感じずにはいられない。
「それこそ、こちらの思惑通りなんですがね」
エインはそういって、さらに会議を進めた。
彼は、ベノアガルドとの戦いもそのつぎの戦いも視野に入れているのだろう。