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第千二百四十話 もうひとつの盾

「陛下の矛、ですか」

「セツナ伯らしい言葉だと思わないか」

 レオンガンドは、アルガザードがなにやら頼もしそうにつぶやくのを聞いて、つい嬉しくなった。セツナの発言もそうだが、その発言を取り上げるアルガザードの表情も、レオンガンドには好ましいことこの上なかった。アルガザードの好々爺然とした容貌とあいまって、孫を愛でる老人にしか見えなかったが、そのこと自体は悪いことではないだろう。アルガザードはいま、半引退状態にあるといってもいい。つぎの戦いを最後に大将軍の位を返上し、現役から退くと宣言しているのだ。その決意の強さは、レオンガンドでも翻せないほどのものであり、レオンガンドは彼の意思を尊重することとした。そして、アルガザードが引退したあとの人事についても側近たちと話し合い、決めている。

 アルガザードのいうつぎの戦いがマルディアを救援するための戦いとなったのは、アルガザードにとっては予期せぬことだっただろうが、大将軍の最後の戦争としては申し分のないくらい派手な戦いになることは想像に難くない。相手はマルディアの反乱軍ではなく、背後に控えるベノアガルドの騎士団なのだ。アバードにおいて猛威を振るい、ガンディア軍に大打撃を与えた騎士団と正面切って戦うことになるのだ。

 大変な戦いになる。

 そのため、レオンガンドたちは、日夜会議を重ねていた。

 いまも、謁見の間での報告会を終え、戦略会議室に場所を移し、マルディアに派遣する戦力に関する会議を行っていたのだ。

 会議の最中、アルガザードがセツナの発言を取り上げたのは、話題がセツナ軍に及んだときのことだった。

「真に、セツナ伯らしい言葉ですな」

「セツナ伯ほど陛下への忠誠心にあふれた方はおらず、我々も伯に学ばなねばなりません」

 アルガザードに続いて発言したのは、右眼将軍ことアスタル=ラナディースだ。セツナ派の筆頭という立ち位置にいる彼女は、奥面もなくセツナを贔屓してみせたが、会議室内にいるものはだれひとりとして彼女の言葉に反論することはなかった。皆、セツナのことをそれだけ評価しているということであり、アスタルの言が正しいということを知っているからだ。

 会議には、セツナの報告会に参加していた面々がそのまま参加している。レオンガンドは当然として、大将軍アルガザード、右眼将軍アスタルに左眼将軍デイオン、副将ジル=バラム、ガナン=デックス、参謀局からエイン=ラジャール、アレグリア=シーン、そしてレオンガンドの六人の側近たちだ。無論、王妃ナージュはこの場にはいない。後宮でレオナの世話をしていることだろう。レオンガンドとしても、本音をいえば、一日中レオナのことを見ていたいのだが、国王レオンガンドはそういうわがままをいえる立場にはなかった。国王なのだ。政治家、軍人、文官のだれもが自分の命を削り、時間を削り、国に奉仕している状況にあって、国王だけがふんぞり返っている場合ではない。国王みずからが率先して前進し続けなければ、この国はいつか内部から崩壊するだろう。ガンディアは、盤石ではない。盤石ではいられないのだ。とにかく国土を拡大し続けなければならないという強迫観念がレオンガンドを突き動かしている。一日でも早く、一秒でも早く、小国家群の統一を成し遂げなければならない。もちろん、レオンガンドの一代で成し遂げられるとは思ってはいない。小国家群をひとつに纏め上げるのは至難の業だ。しかし、つぎの代、つぎのつぎの代に統一事業を受け継がせるにしても、いまのうちに出来る限りのことをしておくべきなのだ。でなければ、世代交代したはいいが、ぐずぐずしている間に三大勢力が動き出し、レオンガンドたちの成し遂げてきたことが水の泡になることだって十分にありえた。三大勢力が動き出せば、なにもかも台無しになる。一瞬でだ。それまで積み上げてきたあらゆる事物が一瞬にして崩れ去り、水泡に帰す。だから三大勢力を刺激してはならないし、できれば良好な関係を結んでおきたいというのがレオンガンドたちの考えだった。ザイオン帝国の皇子を殺さないよう厳命したのも、神聖ディール王国の研究者を賓客として遇しているのも、そういう理由だ。もし三大勢力などおそれるに足らない存在ならば、レオンガンドはセツナにニーウェを殺させただろうし、セツナももっと楽に戦えたことだろう。報告によれば、セツナはニーウェを殺さずに打ち倒すことに苦心していた。ニーウェの殺害許可が降りていれば、少しは楽に戦えたのは事実だろう。結果、同じだけ負傷したとしても、だ。

 しかし、現実的に考えれば、ニーウェを殺害することなどあり得ないことだ。ニーウェは帝国の皇子なのだ。それも末席の、皇位継承権すらないような存在ではあるらしいが、帝国には帝国の立場というものがある。帝国の皇子が小国家群のどこかで殺されたとあれば、帝国の威信をかけて報復行動に出たとしても、なんら不思議ではなかった。それもあり、レオンガンドは、セツナの配慮に心の底から感謝していたし、そのために苦心した彼には、なんらかの褒美を与えるべきだろうとも考えていた。セツナのことだ。きっとなにも欲しがらないだろうが。

「わたくしどもとて、陛下への忠誠心はセツナ伯には負けませんよ」

 エリウス=ログナーが、アスタル=ラナディースにちくりと、いう。アスタルは、かつての主君の一言にも表情ひとつ変えない。

「無論、承知しておりますが、セツナ伯ほどではありませんでしょう。セツナ伯は、この国のため、陛下の御為にすべてを擲つだけの覚悟を持っておられている。我々とは、覚悟の深さが違う」

「確かにな」

 レオンガンドがアスタルの発言を肯定すると、会議室内で反論が生まれることはなかった。そもそも、だれひとりとして反論できるような発言内容ではない。セツナのこれまでの功績を思い出せば、一目瞭然の事実だった。セツナの覚悟のほどは、ときに恐ろしいと感じることもあるくらいであり、その恐ろしいまでに研ぎ澄まされた覚悟は、ときに、レオンガンドに嫉妬を覚えさせた。それこそ、英雄の英雄たる所以であり、保身を考えなければならないレオンガンドには辿りつけぬ境地だった。レオンガンドですらそうなのだ。側近たちや将軍らも同じだろう。

 保身。

 だれしも自分の命は可愛い。自分の身の安全を守りたいと考えるのは普通のことだし、国の中枢に関わるような人間ならば保身を第一に考えるのもまた、当然のことだ。道理といっていい。この場にいるだれかがひとりでも欠ければ、なにかしら停滞するのは間違いなく、だれもがセツナのように無謀なほどの覚悟をもって戦場に赴くようになるのは論外というほかない。

「無論、それが諸君の価値を貶めるものではない。だれもがセツナ伯のようになれるわけではないのだ」

 レオンガンドは、側近や将軍たちの顔を見回しながら、いった。皆、いい表情をしている。この場にいるだれもがセツナのことをしっかりと評価していることの現れだろう。現在、セツナのことを低く評価しているようなものがこの場にいられるわけもない。だれもがセツナの戦いを一部なりとも目の当たりにしているのだ。彼ほど苛烈で過酷な戦いをしているものは、そういるものではなかった。

 中でも参謀局の室長ふたりの笑顔は、ふたりが熱烈なセツナ信奉者であることに起因しているのだろうが、その事実が問題になることはない。セツナ信者でセツナ派のふたりがガンディアの今後を担うのだが、レオンガンドとしてもそれが悪い方向に働くとは微塵も思っていなかった。むしろ、良い効果をもたらすのではないかとさえ想っている。なぜなら、セツナはこの国の象徴ともいうべき存在にまで上り詰めているからだ。

「彼は、英雄なのだからな」

 英雄と呼ばれる人間は、そういるものではない。

 かつて、シウスクラウドがそれに近かった。しかし、シウスクラウドは、実績だけを考えれば、セツナには遠く及ばず、英傑とは名ばかりの存在だったのは否めない。二十年近く病床に臥せっていた国王と一年半に渡ってガンディアに貢献し続けてくれている戦士を比較するのも馬鹿馬鹿しいことなのだが。ともかく、セツナはガンディア至上最高の英雄であり、彼に比肩するものなどいるはずもなかった。

 唯一、軍師ナーレスが彼に並びうるかもしれないのだが、今後、戦功を積み上げ続けることができるセツナとは違って、ナーレスの戦功はこれ以上積み上げようもなく、差は開く一方だろう。とはいえ、ナーレスも英雄と呼んでもいいだろう。ナーレスの力がなければガンディアがここまで発展することがなかったのは事実だ。セツナは局地的に勝利をもたらすことはあっても、大局的な視野を持ち、戦略や戦術を練る能力は皆無といっていい。役割が違うのだから当然といえば当然だが、セツナには軍師の役割は務まるまい。逆にナーレスにセツナの役割は務まらないのだ。

 両翼といってよかった。

 セツナという圧倒的な攻撃力を誇る矛と、ナーレスという圧倒的な頭脳。わずかでもふたりが揃い、力を発揮した時代があったことは、きっと喜ぶべきであり、誇るべきなのだろう。

「そして、陛下の矛でございますな」

「ああ」

 レオンガンドは、アルガザードの一言に微笑とともにうなずいた。セツナ自身の言葉だが、これほど好ましく、心強い宣言もあるまい。黒き矛のセツナが、レオンガンドの矛なのだ。レオンガンドの敵を尽く蹴散らし、打ちのめし、滅ぼすという決意表明であり、覚悟なのだろう。

 すると、アルガザードが予期せぬことをいってきた。

「では、わたくしめは、陛下の盾となりましょう」

「随分と分厚い盾だ」

「しかも、古くてぼろぼろですな」

 アルガザードが朗らかに笑った。自虐でも自嘲でもなく、ただ事実を述べている。そこに卑屈なものはなく、明るく、大らかないつものアルガザードらしい発言だった。

「ですが、申し分ありませんでしょう?」

「ああ。まったくな」

 レオンガンドは、アルガアードの巨躯を見つめながら、微笑んだ。アルガザードはいまも昔もレオンガンドを安心させてくれる数少ない人物だった。彼の背中ほど心強いものは、ない。いかにセツナが強くとも、彼の背中を見てアルガザードを見たときのような安心感を覚えることはないだろう。確かにセツナは強い。それも圧倒的に、だ。だが、その姿は戦野を駆ける戦鬼のそれであり、レオンガンドを守り抜いてくれるものではなかった。心強く、頼もしいと感じることはあっても、安心感を見出すことはできない。むしろ、恐怖を感じることのほうが多い。

 畏怖。

 絶対的な力を持つものを見れば、心は震え、畏れを抱く。

 セツナは、アルガザードにはなれない。逆もまた然りだが、アルガザードがいまさらセツナのようになろうとは思ってもいまい。

 だからこその盾宣言なのだ。

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