第百二十三話 もうひとつの火
カイン=ヴィーヴルは、暇を持て余していた。
レオンガンドはセツナたちを連れてマイラムに行ってしまい、王宮に残された連中も忙しそうに動いている。武官も文官も、貴族たちも使用人たちも、なにが忙しいのか、王宮の中を行ったり来たりしている。暇なのは、軍属の武装召喚師だけらしい。
軍属といえば聞こえはいいのだが、通常の指揮系統に彼は入っていない。大将軍以下の指揮系統は、右眼将軍と左眼将軍にわかれているが、そのどちらにも彼の居場所はなかった。
カインを支配するのは、ウルという女だ。彼女はレオンガンドの支配下にあるものの、役職もなく、いつも暇そうに王宮をうろついている。であるにもかかわらず、レオンガンドが王宮を開けている間は、キース=レルガをからかうことに時間を使っており、暇そうではなくなっていた。ウルの仕事など、いまのところカインの掌握しかないのだ。なにをしていても問題はないともいえる。
支配。
ウルの異能だという。対象の精神を制圧し、完全に支配下に置いてしまう力だ。彼女が怪人と呼ばれるのも納得できるし、その異能を有効に使えば、ガンディアはもっと早く状況を動かせたのではないか。とも思うのだが、カインが考えても詮無いことだ。国の将来を決めるのは、頂点に君臨するレオンガンド王とその側近たちであって、カインのような末端のものではない。それに、ウルの異能も万能ではないらしい。同時に支配できる人数に限りがあり、人数を増やすほど制御できることが減るということだ。カインという凶暴な人格を制御し、安全に動かすには、精度を落としてまで支配する人数を増やしたくはないのかもしれない。
カインにも、自負はある。
自分は有能な武装召喚師だ。街ひとつを焼き払うだけの召喚武装を自在に操ることだって出来た。戦闘に出してもらえれば、戦局に寄与すること間違いない。
カインはいま、みずからが焼き尽くした街にきていた。ガンディア領カラン。王都にほど近い小さな街だ。大きな門があるだけで、それ以外に目を引くようなものもなかった。普通の街といってよかったのだろう。その普通の街を、カインが焼き尽くしたのだ。大量の死傷者が出ただろう。後先考えない暴走は、得てして無力な人々に被害をもたらすものだ。焼け出された人々は街を去り、街は廃虚となるはずだった。
しかし、焼失から一月あまり経過したカランには、ある種の活気があった。焼け落ちた門の跡を行き来する人々は、資材の搬入を行っているのだろう。ガンディオンやクレブールから運搬されてきた建築資材は、この街の再建のために消費されていくに違いない。
街に入ると、そこかしこで職人たちが動いている。焼けた家屋の多くは既に撤去されており、いくつかの人家が新しく建てられていた。既にそこに住んでいる人もいるようだ。子どもたちの駆け回る姿でそれとわかる。街としての機能は死んでいるようなものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。そういえば、街を離れなかった人もいると聞いた覚えがある。だとすれば、ガンディオンからの支援で生き延びてきたということだろうが。
建築に励む職人たちの威勢のいい掛け声や怒声が、青空の下に響き渡っている。
空は晴れていた。快晴。カランの街の上には、雲ひとつ見当たらない。まばゆい太陽が夏を告げているのだが、強い風のおかげで心地よかった。
カインの足は、自然、公園に向かっていた。
移動中、カランの住民や街の再建に駆り出された職人たちが、カインを見ては目をそらした。その奇異な出で立ちが目立たせるのだろう。素性を隠すための獣の面と、夏の日差しの全てを吸い込むような黒衣。明らかに怪しい風体だと思わないでもないが、カインはもはやこの格好に慣れてしまっていた。仮面には呼吸のための通気口が設けられており、息苦しく感じることは殆ど無い。本格的な戦闘の際にどの程度の負担になるかは、そのときになってみなければなんともいえない。通常の訓練では、仮面が大きな負担になることはなかった。視界も狭くはない。視線を妨げないように配慮された面の眼孔は、戦闘時の障害にはならないだろう。仮面が足を引っ張って負傷するなど笑い話にもならない。
公園。街の真ん中にある。中央の噴水だけがあの当時のままで、それ以外のなにもかもが変わっている。焼けた木のベンチは撤去され、燃え落ちた木々は無残な姿を曝している。公園から見える周囲の景色も大きく変わってしまった。炎の海に飲まれた家々はことごとく解体され、撤去されてしまったようだ。ある方向には、街の果てまで視線を遮るものがないくらいだった。別の方角に目を向ければ、新築の家屋が群れをなしている。また別方向では職人や住民が集まり、話し合っている様子が伺える。ガンディアの高官も混じっているようだ。カランの再建計画についてでも話し合っているのかもしれない。
「あんたは、外のひとか」
不意に話しかけられて、カインは噴水を見やった。噴水の縁に男が腰掛けて休憩していた。さっきからいたのだろうが、カインは特に気にしていなかったため、記憶に残らなかったらしい。一見、これといった特徴も見当たらない普通の男のようだが、体はそこそこ鍛えているようだ。軍人だろうか。
男は、こちらの反応の薄さに目を細め、そしてカインを理解したのか、すっと立ち上がった。
「あ、済みません。王都市街警備隊員サリス=エリオンです。あなたは確か、軍属の武装召喚師殿ですよね」
直立不動で右手を胸に当てる、ガンディア軍式の敬礼をしてきた男に、カインは苦笑を漏らした。仮面をつけた怪しい男として有名になってしまったらしい。
軍属の武装召喚師などというのは、便宜上のものだ。軍に属していながら、命令系統は軍都とは無関係なところにあるのだ。彼が敬礼をする必要はないといってもいい。そもそも、王都市街警備隊は、軍とは無関係であり、戦時下でもない限りは上下関係は発生しない。同列というほどのものでもないのが微妙なところだが、《市街》においては軍の人間も警備隊の命令に従う必要があった。
「カイン=ヴィーヴル。カインでいい。王都警備隊員がこんなところで油を売っていていいのか?」
「今日は非番なんですよ」
そういわれれば、彼の格好は一般人と見分けがつかないくらい素朴なものだった。王都の人混みに紛れていても一目でわかる派手な色の隊服ではない。
「久しぶりにゆっくりできる時間があったので、この街の様子をのぞきにきました」
「この街に君の知り合いでもいるのかね」
カインは尋ねながら、噴水の方へと歩いて行った。空中に勢いよく噴き上げられる水は、見ているだけでも涼し気だった。
「俺の故郷なんです」
「そうか」
「カインさんは知っていますか? この街が焼失した事件のこと」
「カラン大火か。話には聞いている」
カインが噴水の縁に腰を下ろすと、サリスは一礼した後、さっきと同じ場所に座った。噴水の水は、縁にまでは飛び散らないように設計されているようだ。でなければ、彼も座ってはいないだろうが。噴水に冷やされた空気が風に運ばれ、頬を撫でるようにすり抜けていく。サリスがここに座っていた理由もわかるというものだ。
カラン大火。カインがランカイン=ビューネルとして起こした最後の事件は、そのように語られる。一月ほど前、カランを焼き尽くした炎の記憶は、現場にいた人間には忘れようもないものだろう。しかし、当時カランにいなかった人間の頭の中からはほとんど消えていてもおかしくはない。この一月でガンディアは激変している。ログナーを下し、全土を支配下に置くという大事件は、カラン大火を色褪せさせるには十分なものだったのだ。ガンディア全土が沸き立ち、レオンガンド率いるガンディア軍に酔いしれていた。
しかし、彼のように忘れないものもいるのもまた、当然のことだ。サリスにとっては故郷なのだ。たった一ヶ月で忘れることなどできはしないだろう。街の現状を目の当たりにすればなおさらだ。
カインがこの公園に足を運んだのは、ほかでもない、あの日のことを思い出していたからだ。
「当時俺はこの街の警備隊で働いていたんです」
ガンディアは国内の都市の治安維持を警備隊という組織で行っている。軍とは別の指揮系統に置かれており、各都市内の治安の維持、犯罪の摘発、巡回などを行う警察組織であり、カランのような小さな街にも置かれているのは先進的といえるのかもしれない。もっとも、王都ガンディオンの《獅子王宮》と《群臣街》は軍部の管轄にあるため、王都市街警備隊が担当するのは《市街》だけだが、それはまた別の話だ。
「俺はあの日のことを決して忘れない。街中が炎に包まれ、地獄のようだった……」
カインは瞑目した。瞼の裏に、あの日の光景が蘇る。召喚武装・火竜娘の火力が、この小さなを紅蓮の猛火で包み込んだ。正気と狂気の間で見るその光景はまさに地獄そのもので、彼は、最期に相応しい場所だと思ったものだった。しかし、あの炎の中で果てるという浅はかな野望は、あの少年によって打ち砕かれる。戦の一字も知らないような少年に圧倒されたのだ。彼が自分の価値観を疑うのも当然の話だった。
「犯人は捕まったそうだな」
「ええ。いま話題の王宮召喚師様のおかげです。あの方がきてくれなければ、被害はもっと大きくなっていたかもしれない」
サリスがあの少年に敬うのは当然といえる。王宮召喚師は騎士待遇であり、その上彼は王立親衛隊に抜擢されているのだ。王直属の部隊を率いる人間を呼び捨てにはできまい。
「被害……ねえ」
カインは遠方に視線をやった。廃墟同然のカランの街並みが、遥か遠くまで見渡せる。地平線の向こうに広がる森まで見えた。
カランを焼いた炎は、あのままいけば森にまで引火したかもしれない。広大な森だ。燃え移れば、ただごとでは済まされなかっただろう。ガンディアに甚大な被害――とまではいかないにせよ、痛手を負わせることができたかもしれない。もっとも、当時のランカイン=ビューネルはガンディアがどうなろうと知ったことではなかった。むしろ、いかにして自分の最期を飾るかを考えていた。
あの日、ザルワーンから届いた報が、あの男を死へと駆り立てた。
「そう思いませんか?」
サリスがそういってきたのは、カインの独り言が気に食わなかったからかもしれない。一瞬戸惑ったが、それと理解したあとはすぐに肯定した。
「異論はないよ」
サリスの考えを否定する必要はなかった。たしかにセツナ=カミヤが現れなければ、カラン大火はその日のうちに収束することはなかっただろう。彼がランカインを討ち、炎を消し去ったのだ。彼は命を落としかけたが、その英雄的行動力は、いまになって注目を浴び始めている。彼が名を挙げるたびに振り返られ、絶賛されるのだろう。それは、ひとびとにカラン大火を思い出させるかもしれず、結果的にはカランという街のためになるかもしれない。
「君の家族は無事だったのか?」
「幸いといっていいのかわかりませんが、父も母も数年前に亡くなっていましたので……」
「そうだったのか。それはすまないことを聞いた」
「いえ……」
彼は頭を振った。家族に不幸がなくても、友人や知人に被害者はいたに違いない。死者もいるかもしれない。しかし、彼は語らなかった。思い出すのも辛いのだろうか。
風は、障害物のない廃虚を自在に駆け抜けていく。穏やかに、あざやかに。カインは、頭上を仰いだ。青く輝く空が、滲んでいるように見えた。
カインは、ふと、口を開いた。
「犯人の武装召喚師はどうなったか知っているかね?」
「極刑に処されたと聞いていますが」
そう返してきた彼を見ると、怪訝な顔をしていた。予期せぬ問いだったに違いない。ランカイン=ビューネルが処刑されたというのは、大々的に発表されたのだ。街ひとつを焼き尽くした大罪人だ。極刑は当然だとガンディアのだれもが納得しただろう。もっとも、衝動的な犯行だという事実は秘され、ランカイン=ビューネルという名前だけが公表された。ビューネル姓といえば、ザルワーンの五竜氏族のひとつ。ガンディア国民がザルワーンに対して怒りや憎しみを抱くように仕向けたのは、ログナー攻略後のことを考えてのことだろうが。
「そうだったな……」
カインは、思い出したかのようにいった。
だが、実際にはランカインは処刑されなかった。ウルによって精神支配され、レオンガンドの忠実な兵士となった。死をも恐れず、ただただ敵を殺す兵器。それが、ランカイン=ビューネル改め、カイン=ヴィーヴルだった。
問いかけたくなったのは、出来心だろう。
「だがもし仮にその犯人が生きていたら、君はどうしたい?」
「なぜ、そんなことを聞くんです」
サリスの目が、一気に険しくなった。瞳に敵意が滲んでいる。触れてはいけない話題だったに違いない。だが、カインは気にしなかった。その程度の視線にひるんでいては、戦場に立つこともままならない。それに、他人の心に土足で踏み込むのは、いまの自分に許された数少ない楽しみだ。
「後学のために、だよ」
「……よくわかりませんが、俺はこの街の人間なんですよ。決まっているでしょう」
サリスは、空を仰いだ。告げてくる。
「刺し違えてでも殺しますよ」
カインは、彼の目が狂気に歪んでいることに気づき、満足した。