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第千二百三十話 そして

 沈黙が強いられて、どれくらいの時間が立ったのか。

 彼女は、激しい怒りの炎の胸を焦がされながら、歯噛みしていた。そうでもしなければ、体の中を焼き尽くさんとする激情を抑えることなど不可能に近い。そして、抑えられなければ、それでなにもかも終わってしまう。相手を殺すことはできるだろう。ザイオン帝国の召喚武装使いシャルロット=モルガーナを殺すことは、必ずしも不可能ではない。前回とは違うのだ。今回は、新たに獲得した能力がある。まだまだ安定性に欠けるものではあるが、新能力を使えば、シャルロットを殺すことは難しいことではない。

 しかし、一方で、それは不可能といってよかった。

 そんなことをすれば、会場にいる人間のどれだけが死ぬのか、わかったものではない。彼女がシャルロットを殺すためにラヴァーソウルを動かした瞬間、ランスロット=ガーランドは、容赦なく砲撃を会場に打ち込むだろう。彼らは帝国の人間だ。小国家群の行く末がどうなろうと知ったことではないだろうし、ガンディアの要人や将来を嘱望される生徒たちがどれだけ死のうが、どうだっていいのだ。だから、殺すことに躊躇などあろうはずがない。

 もちろん、ミリュウが動けば、ファリアも同時に動くだろうし、ルウファも動いてくれるだろう。三人が同時に動けば、襲撃者三人を同時に撃破するということも、必ずしも不可能とはいえまい。しかし、そのために補填しようのない犠牲を払うことになるというのは、論外だ。ランスロッットは、ファリアの攻撃から自分の命を守るよりも、会場に砲撃を放つことに専心するだろう。

 だからこそ、ファリアも動けないし、ルウファも上空から降りてくるほかなかった。ランスロットたちの警告を無視すればどうなるかくらい、ルウファにわからないはずがない。警告を黙殺した瞬間、会場は地獄と化すに違いない。

 故に、ミリュウはラヴァーソウルの柄を握りしめたまま、身動ぎひとつ許されなかった。そして、そのために心の中に怒りが噴出し、激情が嵐の如く吹き荒れるのだ。

 彼らは、セツナを掻っ攫っていった。

 ランスロットの召喚武装が生み出した破壊の光の中、ニーウェ・ラアム=アルスールがセツナに急接近し、彼に触れるなり、彼ともどもこの場から消えて失せた。空間転移能力というやつだろう。ニーウェの召喚武装エッジオブサーストの能力であり、発動した瞬間、セツナの気配はミリュウの感知範囲から消滅した。

 最悪の事態が起きたといってもよかった。

 ニーウェがセツナを殺すことを目的に王都に潜伏していることは知っていたし、常日頃、警戒してもいた。セツナをひとりきりにしないよう、常に注意し、だれかが付きそうようにしてもいた。普段はレムとラグナ、ウルクが彼の側にいる。ふたりと一匹もいれば、かなり安心していられた。それでも不安ならシーラかエスク辺りを護衛につければいい。彼女たちはセツナの配下だ。喜んで護衛の役割を負ってくれる。そういう日々が続いた。なんの事件もなければ、ニーウェに襲われる前触れさえなかった。

 だからといって油断していたわけではないのだが。

 まさか、この期に及んで、セツナを目の前で攫われるとは思ってもいなかった。

 煮えたぎる怒りは、ニーウェたちセツナを拉致したものたちに向けられるよりは、自分自身に向けられる部分のほうが多い。当然だろう。ミリュウがしっかりしていれば、セツナを攫われることはなかったかもしれない、セツナを拘束していれば、こうはならなかったかもしれない。自分に激しい怒りを覚えているのは、ミリュウだけではないようだった。

「まあ、そう怒りなさんな。すぐに終わるさ」

 ランスロットがファリアに話しかけたのは、彼らが訓練場に現れて、随分と時間が流れてからのことだった。ランスロットは、その間ずっと召喚武装の銃口を会場に向けている。ミリュウたちが警告を無視した瞬間撃ち放つという明確な意思表示だ。彼の召喚武装の攻撃の威力は、式典会場を吹き飛ばすくらいは間違いなくあるだろう。ラグナの魔法で受け止められるかもしれないが、期待してはいけない。なにより、ランスロットの仲間がひとり、会場に潜んでいる。たとえランスロットの攻撃が失敗したとしても、会場にいる人間に犠牲者が出るのは疑いようがないのだ。

「そうね。すぐに終わるわ。セツナの勝利でね」

 ミリュウがファリアの声に驚いたのは、あまりにも低く、鋭い声音だったからだ。横目に彼女を一瞥しても表情はわからない。が、怒り心頭なのは明らかだ。彼女もきっと、セツナが攫われた事実よりも、攫わせてしまったことを悔い、自分に怒りを燃やしているのだろう。

「そうだといいね」

 ランスロットの軽口は、彼がニーウェの勝利を信じているからにほかならないのだろうが。

 ミリュウは、セツナの勝利を信じることで、感情の昂ぶりを抑えようとした。セツナが不利なのだろうということはわかっているつもりだ。しかし、それでも、ミリュウはセツナを信じるしかない。信じなければならない。でなければ、恐怖に負けてしまうかもしれない。

 セツナを失うのは、自分が死ぬよりもずっと恐ろしいことだ。

 ミリュウにとってセツナとはこの世界のすべてであり、だからこそ、彼の側に在り続けたいと考えているのだし、彼の力になろうと考えてもいた。そんな彼がこの世から失われることなど、考えたくもなかった。

 わかっている。

 ニーウェ・ラアム=アルスールは、強い。

 おそらく、セツナがいままで戦ってきたどの武装召喚師よりも強いのだろう。黒き矛のセツナを一方的に打ち負かした人間など、聞いたこともなかった。それだけエッジオブサーストの能力が凶悪であり、ニーウェ自身、武装召喚師としての力量が凄まじいのだ。でなければ、黒き矛のセツナが負けるわけがない。

 だからといって、今度も負けるとは、思ってはいない。

 今度は、勝つ。

 ファリアが信じているように。

 ルウファが信じているように。

 ミリュウが信じてやまないように。

 それからどれくらいの時間が経過したのだろうか。

 突如として天地を割くような咆哮が轟いたかと思うと、にわかに空が真っ暗になった。元より雨雲に覆われていた空が、暗く、黒く染まったのだ。会場内が騒然となるのも当然だった。まるで夜が訪れたような暗さだった。しかし、それも一瞬のできごとであり、つぎの瞬間には元の空模様に戻っていた。

「あれは……」

 ランスロットが空の彼方を見遣りながら、呆然とつぶやいた。ファリアも、なにやら驚いているようだった。

「なに……?」

 ミリュウがふたりに倣って南の空を見やると、空の彼方に黒い竜が飛んでいた。武装召喚師の強化視覚でなければ見ることのできないほどの遠方に出現した黒いドラゴンは、雨雲の中を突っ切るようにしてこちらに向かってくる。凄まじい速度だった。気がついたときには王都の間近に辿り着いていた。そして、その巨大かつ圧倒的な威容を見せつけたかと思うと、竜は長い首で天を仰ぎ、咆哮した。天地が震えたかと思うと、空が暗黒に染まった。先ほどの現象と同じだった。違うのは、黒い龍が暗雲の中で光となって溶けて消えたということだ。

「まさか……!?」

 会場が騒然とする中、ランスロットが愕然とした声を上げた。すると、彼の側にシャルロットが駆け寄り、なにかを促す。

「そのまさかだ。行くぞ」

「ああ」

 ランスロットはシャルロットに頷くと、こちらに目もくれず訓練場を離れようとした。それから、思い出したようにファリアに顔を向ける。ランスロットの表情に焦りがあった。

「騒がせたな。あとは好きにしてくれ」

「は?」

 ミリュウが疑問符を浮かべるも、黙殺された。ランスロットとシャルロットは素早く訓練場を抜けだすと、会場にいたミーティアがふたりに合流し、そのまま学園の敷地外へと飛び出していく。だれも止められなかった。彼らを止める意味がないとはいえ、唖然とするほどの手際の良さで撤退していったのだ。途端、会場に張り詰めていた緊張の糸が途切れ、だれもが一斉に口を開き、騒ぎ出す。進行役のゼフィル=マルディーンなどが会場の人々を宥めはじめる中、ミリュウはファリアに歩み寄った。

「なに? なんなの?」

「さっきの竜からニーウェが吐き出されるのが見えたわ」

「へ?」

 ミリュウはきょとんとした。竜とは、南方から王都上空まで飛んできたあの竜のことだろう。皆が見ていたことから幻覚でもなんでもないということはわかっていたが、まさか、なんの意味もなく消滅したそれがニーウェを吐き出していたとは思いもよらなかった。ミリュウの目には映らなかったのだが、それはミリュウが竜の口元を見ていなかったからだ。

「よくわからないけれど……」

「まったくもって意味分かんないわ」

 竜がなぜニーウェを吐き出したのか。そもそも、竜はなんだったのか。ニーウェを吐き出して消滅するなど、彼をここに運ぶためだけに存在したかのようだ。意味不明というほかないが、ランスロットたちが会場を離れた理由は判明した。ニーウェが吐き出されたのを見たというのであれば、彼の落下地点に向かうのは当然のことだ。しかし、竜は遥か上空で消滅している。あんな高さから落下すれば、無事で済むはずがない。

 死ぬだろう。

 が、それは普通なら、の話だ。

 竜がこの王都まで彼を運搬してきたということそのものが普通ではない以上、落下した彼が無事だったとしてもなんら不思議ではない。

「戦いが終わった、ってことでしょうね」

 ルウファが不可解極まりないとでもいいたげな口振りでいってきた。

「……そういうことよね」

 ルウファの言葉を肯定するが、確信があるわけではない。しかし、ニーウェとセツナの戦いになんらかの決着がついたのだと思うほうが自然だろう。戦闘中、ニーウェだけがこの王都に戻ってくるわけもない。それも、謎の竜を使って、だ。

「でも、これだとどちらが勝ったのかわからないわ」

 ファリアのいうことももっともだったが、ミリュウは、彼女に詰め寄りながら、声を励ましていった。

「セツナに決まってるでしょ!」

「そう願いたいけれど」

「願うもなにもないのよ!」

 根拠がないわけではない。とはいえ、その根拠というのも、根拠といっていいものかどうかわからないくらいあやふやで曖昧なものだが。ニーウェが竜に運ばれてきて、なにもできずに落下したというのであれば、彼が勝ったとは思い難い。ただそれだけのことで、ミリュウはセツナの勝利を確信した。

「で、どうします?」

「セツナを探しに行くでしょ!」

「だめよ」

「なんでよ!?」

 ミリュウは素っ頓狂な声を上げながら、ファリアの顔を見た。彼女は難しい顔をしながら、こちらを見つめている。美しい緑色の瞳には、多少、迷いがあるように見受けられるのだが、言葉は淀みない。そのことがミリュウにはまったくもって理解できなかった。

「式典のまっただ中よ。それも、《獅子の尾》による演舞中。乱入によって台無しにされたまま終わらせては、王立親衛隊の名が泣くわ」

「そんなのどうだっていいわよ」

 ミリュウは、本心を告げた。式典の成否など、セツナの安否を確認することに比べれば、どうでもいいとしかいいようがない。そもそも、式典は突然の乱入者によって失敗したも同然だろう。帝国人に制圧され、セツナが攫われ、なにもできないまま時間だけが過ぎていった。《獅子の尾》の名声は地に堕ち、評判も悪化するだろう。が、そんなことは、ミリュウにはどうでもいいことだった。

 セツナの安否を確認し、なんとしても王都に連れ戻すことが先決であるはずだ。

 セツナがどこにいるのかなどわからないが、ともかく、彼を探すことを最優先したところで、なんの問題があるというのか。

 そも、セツナはガンディアにとって最重要人物なのではないのか。

 ガンディアの英雄であり、ガンディア躍進の象徴ともいえる彼の安否確認こそ、この場の混乱を鎮められることではないのか。

 ミリュウはぐちゃぐちゃな頭のなかでそんな風に考えていたのだが、ファリアは、冷ややかな目でこちらを見てきていた。

「よくないわよ」

「まあまあ、おふたりとも、冷静に冷静に。皆さん、見てますよ」

 と、おもむろに口を挟んできたのは、ルウファだ。そういわれれば、会場にいる人々の視線が痛いほど突き刺さってきていることに気づく。会場と訓練場は少し離れている。召喚武装を手にした武装召喚師でもなければ、ミリュウとファリアの口論の内容まではわからないだろうが、言い争っていることくらいはわかるだろう。

「う……」

「わたしは至って冷静よ。だから、演武を続けるのよ」

「ファリアは心配じゃないの?」

「心配もなにも。セツナが勝ったって信じているのなら、セツナのためにも、演武を続けるべきよ。式典の演武を途中で終えるなんて、セツナが喜ぶと思う?」

「それは……そうだけど」

「だいじょうぶ。セツナは帰ってくるわ。必ずね」

 ファリアは当たり前のようにいった。なぜ確信しているのか、ミリュウにはわからない。しかし、彼女が断言してくれたことで、ミリュウが少なからず安堵を覚えたのも事実だった。ファリアの一言で落ち着きを取り戻すのは、それだけ彼女にも依存しているということだろう。彼女もまた、ミリュウにとってはかけがえのない人物だった。セツナとは比べようもないもののだ。

「それに、わたしたちが探しまわらなくても、レムたちが動いてくれるでしょう」

「……そうね。そうよね。うん」

 うなずきながら、セツナの生死を確認する簡単な方法があることを思い出した。レムが生きているかどうかを知ればよいのだ。レムは、セツナから命を供給され、生きている。セツナがいる限り死ぬことはなく、肉体が損壊したとしてもたちどころに修復してしまうという不思議な存在となっている。つまり、彼女が生きている限り、セツナは死んでいないということなのだ。そして、レムとともにいるであろうラグナがなにもいってこないことを考えれば、レムがいつものように平然と存在しており、セツナ捜索のために動き出したのだろうことは想像がついた。

 ファリアが冷静なのは、そういうことだったのかもしれない。種がわかれば簡単なことだ。そして、ミリュウも心の底から安堵した。レムが無事なのだ。セツナはきっと無事だ。いつものように傷だらけかもしれないし、早く探しだして手当しなければいけないような状態かもしれない。しかし、無事なのだ。生きている。

 ただそれだけで、ミリュウは心の底から嬉しくなった。

 ルウファが、穏やかに聞いてくる。

「話は、纏まりましたか?」

「ええ。ファリアの言う通りにするわ」

「では、三人ですが、やりますか」

「いくわよ、副隊長殿」

 ファリアは告げるなり、オーロラストームを構えた。

 乱入者が去ったことで沈黙が破られた会場は、騒然となっていたものの、ミリュウたち三人が演武を再開したことで、会場の混乱は徐々に戦いの熱狂へと塗り替えられていった。


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