第千二百二十九話 沈黙
強迫的な沈黙が場を支配するようになって、どれくらいの時間が経過したのだろう。十分か二十分か、それとも一時間か。あるいはもっと長い時間、その静寂の中にいたのではないか。そう考えてしまうくらいには、時間の感覚がなくなっていた。
緊張と不安が、正常な感覚を狂わせるのだろう。
興奮と期待、驚嘆と賞賛の声で満ちていた空間が一転、強迫的な沈黙によって制圧されたのだ。だれもが押し黙り、成り行きを見守るしかない現状、正常な感覚を持ち続けることは簡単なことではない。
王立召喚師学園の開校式典は、なんの問題もなく進行していたはずだった。事実、式典の大半はつつがなく進行し、些細な事件さえも起きなかった。当然だろう。新市街の王立召喚師学園周辺の警備は厳重であり、徹底的なものだった。新たに都市警備隊の管理官となったゼルバード=ケルンノールは、アヴリル=サンシアンから警備計画を受け取り、ほぼ彼女の考え通りの警備網を敷いていた。それは、彼女の警備計画が完璧といってもいいものであり、後任のゼルバードが手を入れる必要性が見当たらなかったからだ。なにより、式典の直前になって警備計画を変更するのは現場に混乱をもたらす可能性があり、そういった混乱こそ致命的なものになるかもしれないと判断したからでもあるのだろう。
アヴリル=サンシアンの警備は、いつだって完璧だった。彼女が王宮警護、都市警備隊の管理官になってからというもの、王宮と王都は、厳重極まる警備によって犯罪者の検挙率が向上するとともに、犯罪率が低下していた。王都以外の各都市も、同様であるらしい。王宮警護と都市警備隊の合流による警備の効率化、情報の共有や警備計画の徹底的な見直しが功を奏したのだ。しかし、アヴリルは先の王宮での領伯襲撃事件の責任を追求され、失脚せざるを得なくなった。が、彼女が都市警備隊に残した理念や警備計画はいまもしっかりと残っており、完全に機能しているといっても良かった。だから安心してもいたのだ。
ゼルバード=ケルンノールは、都市警備隊の管理官として、ケルンノール家代表の代理として、式典に参加していた。彼自身、無能な人物ではない。ジゼルコートの血を引き、ジルヴェールと血を分けた兄弟であるということもあって、実務能力に長けた人物だった。王宮警護、都市警備隊の管理官の後任に相応しい人物ではあったのだ。前任者の遺産を廃棄せず、全面的に利用していることからも彼の有能性がわかるというものだ。そんな彼だったが、この不測の事態に驚きを隠せないといった様子だったらしい。
つまり、彼はこの事態に関与しておらず、ジゼルコートもあずかり知らぬ出来事なのだろう。
警備は万全だった。虫一匹入る隙間がないくらいの完璧な警備。前任の管理官アヴリル=サンシアンが胸を張るくらいには厳重なものであり、彼女がいかに都市警備隊の管理官としての立場に責任を感じ、
責務を果たそうと心血を注いでいたかがわかろうというものだ。そんな彼女を予想もできない事件で失うことになったのは、無念というほかない。責任を取らせた以上、すぐさま別の役職を与えるということもできないのだ。もちろん、なにも考えていないわけではなく、ほとぼりが冷めれば、すぐにでも彼女に見合った役割を与えるべく動いている。
ともかく、アヴリルが発案し、ゼルバードが実行した警備計画は、考慮外の乱入者によって破壊された。
武装召喚師たちの乱入は、さすがのアヴリルも、ゼルバードも想定していなかったに違いない。いや、想定できていたとしても、対処のしようがないというべきだろうか。
王立親衛隊《獅子の尾》による演武が加熱し、式典会場が熱狂の渦に飲み込まれている最中のできごとだった。突如として降り注いだ光芒が、演武の行われていた訓練場を爆砕し、破壊的な光の渦が観客の視界を白く塗り潰した。
光が消えた後、訓練場には《獅子の尾》隊士のほか、見慣れぬふたりの人物が現れていた。黒髪の美男美女は、身に纏う黒衣に縫い付けられた紋章によって、ザイオン帝国に所属している人物だということが明白だった。帝国の武装召喚師。《獅子の尾》からの報告にあったランスロット=ガーランドとシャルロット=モルガーナのふたりだろうということは、レオンガンドにもなんとはなしにわかった。ニーウェ・ラアム=アルスール配下の武装召喚師たち。報告によれば、ニーウェの部下はあとひとりいるはずだったが、その少女の居場所はすぐにはわからなかった。
会場は一時騒然となったが、すぐさま静寂に支配された。静寂というよりは沈黙のほうが相応しいだろう。レオンガンドをはじめとするガンディアの要人や学園関係者、生徒たちが居並ぶ会場の近くに一発の光弾が撃ち込まれたからだ。ランスロット=ガーランドと思しき人物が持つ強大な弓銃が火を吹いたのだ。弓銃から放たれた光弾は、会場近くの地面に着弾し、爆発とともに火柱を上げた。騒げば会場に打ち込むとでもいいたげな行動に、会場は一瞬にして静まり返った。
《獅子の尾》の武装召喚師たちもまた、それによって動けなくなった。わずかでも動けば、会場の人間が何人も死ぬだろう。会場の警備は完璧といっていい。が、ただの警備員に召喚武装による攻撃を防ぐ能力などあろうはずもない。そして、会場にいる武装召喚師たちも、それは同じといっていいだろう。召喚武装を手にしていない彼らになにができるわけもない。召喚の素振りを見せただけでも、ランスロットは会場を攻撃するかもしれない。
ランスロットだけではない。シャルロット=モルガーナも、会場に紛れ込んでいたミーティア・アルマァル=ラナシエラも、攻撃してくる可能性があった。
帝国の人間がなぜこの場に現れ、式典を台無しにするようなことをしたのか、最初はまったくわからなかった。しかし、強制された沈黙の中で、冷静さを取り戻せば、訓練場に訪れた変化に思い至った。
セツナがいなくなっていたのだ。
(そういうことか)
レオンガンドは、ランスロットらザイオン帝国人の目的を理解するとともに、理解したからといってなにができるわけもない自分に歯がゆさを感じた。
帝国人の目的は、セツナだったのだ。セツナを会場から連れ去ることが目的であり、そのために今回の襲撃を計画していたに違いない。ランスロットたちが訓練場に残っているのは、セツナの拉致後、武装召喚師たちによって追跡されるのを防ぐためであろうし、邪魔されないためだろう。
そうなると、レオンガンドは、セツナを信じて待つ以外になにもできなかった。
会場が人質に取られている以上、《獅子の尾》の武装召喚師やそれ以外の戦力が暴れ回り、ランスロットらを撃退するということを期待してはならない。そんな素振りでも見せた途端、先ほどの爆発が会場を襲い、数多くの死傷者が出るだろう。レオンガンド自身、殺される可能性があった。レオンガンドはまだ死ぬわけにはいかないし、この場にいる要人のだれひとりとして殺させるわけにはいかない。
無論、《獅子の尾》の実力を信用していないわけではない。セツナを除く三人が全力を出せば、ランスロットら三人を撃退するのは不可能ではあるまい。が、撃退するために払う犠牲があまりにも大きすぎるのだ。
(何事にも犠牲はつきものだ)
しかし、この場合はどうだろう。
彼らを刺激しなければ、犠牲は一切でないだろうことは間違いない。ランスロットたちは、訓練場と会場の動きを監視しているだけで、微動だにしていないのだ。彼らは目的を果たすことだけを考えていて、それ以外なにも考えていないようだった。
彼らの目的。
それは、彼らの主であるニーウェがセツナと戦える状況を作ることであり、ふたりの戦いの邪魔をさせないことだ。
ランスロットがいったというその言葉がレオンガンドの耳に届いたのは、会場に沈黙が強いられて、ある程度の時間が経過してからのことだった。
レオンガンドは不安げな心情を穏やかな笑顔によって覆い隠しているナージュの手を握りしめながら、セツナの無事の帰還を願った。ほかになにもできない。なにができるはずもない。
たとえば、現在王都に駐屯中の軍をこの場に集めたところで、ただ集まるだけのことなのだ。なにもできず、むしろランスロットたちを刺激するだけのことであり、最悪、犠牲者を出しかねない。人質を取られている。レオンガンドそのものが人質だ。国王夫妻が人質となっている以上、軍も警備隊も動きようがないのだ。そもそも、軍が動ける状況ならば、この場にいる王立親衛隊が即座に対応しただろう。《獅子の尾》も《獅子の牙》も《獅子の爪》も勢揃いしているのだから。
しかし、動けない。
動けば、撃たれるかもしれない。
「彼らの目的が《獅子の尾》の制圧ならば、人質を撃ちはしないのでは?」
とは、アーリアの言葉だ。彼女はいつもののようにレオンガンドの影をしていた。だれにも見えず、認識もされない彼女は、レオンガンドの背後に控えていた。
「見せしめに何人かを殺す可能性もある」
「確かに。しかし、陛下以外のだれが死んだところで、問題などないでしょう?」
「わたしが殺されるかもしれん」
「それはそれで一興かと」
「……まったく、君というやつは」
レオンガンドは、アーリアの耳元での囁きに苦笑を漏らすしかなかった。実際問題、アーリアにとってレオンガンドの死など、痛くも痒くもないのだ。むしろ、心の何処かで望んでいることですらある。彼女はガンディア王家を恨み、憎んでいるのだ。レオンガンドに従い続けていることが奇跡のような存在だった。
レオンガンドは、彼女を用いてランスロットらを封殺する方法を考えたが、無理だと判断した。訓練場のふたりを同時に封殺することができたとして、会場にいるひとりは自由のままだ。そもそも、武装召喚師ふたりを同時に封じることなど、アーリアでも不可能だろう。なにより、彼女は攻撃の瞬間、姿を現さなければならなくなる。それが彼女の異能の数少ない欠点なのだ。
「なんであれ、セツナを信じて待つしかない」
「信じられますか?」
「当然だろう」
レオンガンドは、なんの迷いもなくいった。
セツナを信じずして、だれを信じるというのか。
もちろん、アーリアのいいたいこともわからないではない。
彼女は、セツナが一度、ニーウェに負けたことをいっているのだ。セツナは一度敗北している。瀕死の重傷を負うほどの敗北。致命的なものだ。九死に一生を得ることができたのは、ウルクが乱入してくれたからに他ならない。神聖ディール王国の乱入者だったから、ザイオン帝国の皇子は引いた。聖王国との間に問題を起こしたくなかったからだ。あのときもしウルクが間に合わなかったり、乱入してくれなければ、どうなっていたのか。
ラグナシア=エルム・ドラースが魔法によって護ってくれただろう、とは、いう。しかし、それも絶対的なものでも、永続的なものでもない。長時間守り続けることは不可能であり、その後、救援がなければ、セツナは死んでいたのだ。
それでも、レオンガンドは、セツナを信じた。信じるしかないから信じるのではない。ただ、信じている。彼は必ず勝つ、と。
これまでガンディアに勝利をもたらしてきた英雄が負けることなどありえないのだ。