表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/3726

第百二十二話 憎悪に火をつけて

 エレニア=ディフォンは、ログナーの名家に生まれた。

 ディフォン家は、テウロス家に連なる騎士の家系である。女の身でありながら騎士を目指したのは、ある意味では必然だったのだろう。それに、隣には手本となる人物がいたのも大きい。彼がいなければ、途中で諦めていたかもしれない。

 ウェイン・ベルセイン=テウロス。テウロス家の跡取りとして生まれた彼は、幼少の頃からの彼女の知り合いであり、彼女の目標であり、彼女の憧れだった。彼の背を追いかけ続け、いつからか肩を並べて歩けるようになった。いや、それでも差は歴然とあった。彼は騎士の中の騎士であり、ログナーの未来を背負うべき人間だった。

 飛翔将軍の魔剣であり、ログナーの青騎士。彼の名声は、ログナー中に響き渡り、隣国にも聞こえた。

 そんな彼とともに歩めるだけで、エレニアは幸福だったのだ。それ以上を望んだこともある、周りのひとたちもそれを望み、応援してくれていた。いつかは、そうなるものと信じてもいたかもしれない。彼と結ばれる日が来ることを、待ち望んでいたかもしれない。だが、それを言葉にすることはできなかった。いままでの日常が壊れてしまいそうで、怖かったのだ。

 だから、彼の傍らにあるという幸福だけで満足しようとした。

 それなのに――。


 エレニアは、整然とした室内でひとり立ち尽くしていた。

 ディフォン家本邸の彼女の部屋は、家人によって片付けられ、なにも残っていない。調度品も、寝台も、机も、書棚も、なにもかもこの部屋からなくなっていた。突然のことではない。何日も前から聞かされていたことだし、反対したところで聞き入れられるものでもなかった。騎士の称号を返上し、軍を辞めたとき、この家での彼女の発言権はなくなったも同然だった。

 ディフォン家は、ログナーの名家だ。ログナーという国があったからこその権勢であり、立場だった。その国が、一夜にして潰えた。ガンディアに敗れ、飲まれたのだ。ログナーの王侯貴族は、身の振り方を考えなければならなくなった。幸い、王家やそれに近しい家はガンディアの貴族として迎え入れられ、軍人もほとんどがガンディアに帰属することができた。

 ディフォン家もまた、ガンディアの貴族の末席に加わることになった。家の没落を恐れた父の懸命な運動が功を奏したのだろう。これでガンディアが滅亡でもしない限りは安泰だと言いはる父の姿に、エレニアは薄ら寒いものを感じたのだが。

 家が空になっているのは、その影響でもある。ディフォン家は、ガンディオンに移ったログナー旧王家の後を追って、ガンディアの王都に移り住もうとしている。建前上は、騎士の家系として旧王家のお側にいたいという健気なものであり、一見すると王家への忠誠心の塊のように思える。が、ガンディアでも多少は影響力を持つであろうログナー旧王家と繋がっておくことで、ガンディアにおける立場を明確化しておくという目論見があるのだ。

 そういうことをしているのは、なにもディフォン家だけではない。中にはガンディアの貴族に繋がろうとするものもいたし、実際、歴史を遡って見つけた伝手を頼ってガンディオンに移ったものもいるという。どの家も、生き残ることに必死だった。

 なにもない空間に座り込んだエレニアは、ただ虚空を眺めていた。暗い部屋。魔晶灯の明かりさえない。家族は家人ともどもガンディオンに出発しているだろう。彼女は取り残された。個人的な感情を優先して軍を辞め、騎士の称号さえも返上したのだ。家族が彼女を忌避するのも、当然だったのだろう。

 もっとも、エレニアはこの屋敷に住んでいたわけではないし、別段困ることもない。ただ、確認のために立ち寄っただけだ。だれもいない屋敷の広さは、ただ空虚で、まるで彼女の心を映しているかのようだった。

『いつまで喪に服しているつもりだ』

 父の言葉が、脳裏を過る。彼は、神経質そうに眉を顰めていた。戦争が終わっていつまでも喪服を着ている娘が気味悪いというのではなく、ガンディアの不興を買うのが余程恐ろしいのだ。父は、ディフォン家の繁栄だけを考えている。家を継ぐべき弟には、姉のようにはなるなと厳命しているようだった。心配しなくても、こうはなるまい。

『どれだけ嘆いても、彼は戻ってこない』

 そんなことはわかっているのだ。戦争は終わった。両国の争いは終結し、ログナーという国は地上から消えた。

ガンディアが新しい天地となったのだ。頭では理解している。終わったことなのだと、知っているのだ。

 それでも、エレニアには納得出来ない。

 彼の死を認められないのだ。

 エレニアは、ウェインの亡骸を見ていない。酷い有様だったらしい、原型をとどめておらず、エレニアの心情を察したアスタルの判断で、彼女は彼の死体を見ることも許されなかった。だから、まだ受け入れられないのかもしれない。

 彼の死を実感することさえ、奪われてしまったのだ。

 ウェインの死は、彼女にとってただの情報でしかなかった。

 ウェインは、先の戦争でガンディア本隊を半壊させたのち、セツナ=カミヤと戦闘、命を落とした。簡単にいうとたったそれだけのことだ。それだけのことでしかない。ガンディア軍に多大な犠牲を払わせたのは、彼だけだった。だが、エレニアにとってはそんなことはなんの慰みにもならない。なんの戦果を上げることができなくても、戦後、エレニアの隣にいてくれたら、それだけでよかったのだ。それ以上は必要なかったのだ。

 ただ生きて、そばに居てくれさえすればよかった。

『君を護る』

 エレニアは、脳裏に蘇ったウェインの言葉に、泣くことも叫ぶこともできず、ただ呆然とした。

 涙は、とっくに枯れ果てていた。彼の戦死の報を聞いた日は、その報告を受け入れられず、泣くこともなかった、しかし、アスタルが彼の亡骸を確認し、本人であると明言したとき、エレニアは我を忘れるほどに泣いた。泣いて泣いて泣き続け、気づけば、涙も出なくなっていた。心が枯れ果てたのだと知ったとき、エレニアの中でなにかが音を立てて崩れた。

 火が、灯った。

 暗い炎だ。憎しみと怒りが呼ぶ炎だ。だれにも消せないし、彼女自身、消そうとも思わない。ただ炎が成長していくのを見守っている。胸の内を焦がし、いつかは全身を焼き尽くしてくれるに違いない。そして死ぬことができるなら、これ程嬉しいことはなかった。

 ウェインがいない世界で生きていく意味などないのだ。だったら、死んでしまえばいい。死ねば、この苦しみからも開放されるに違いない。

 しかし、ただ死ぬのでは駄目だ。それでは彼に合わせる顔がない。手向けが必要だ。

『馬鹿なことは考えるな』

 念を押す父の顔が浮かんで、彼女は冷笑した。

(馬鹿なこと?)

 胸中で頭を振る。それは決して馬鹿なことではない。確かに、戦争は終わった。憎しみも悲しみも、怒りも、すべてを忘れて笑い合うべきなのだろう。新たな日常を受け入れるべきなのだろう。それも理解している。道理なのだ。こちらも、散々奪い尽くしてきた。バルサー要塞を巡る攻防で出血を強いてきた事実もある。そんなことはわかりきっているのだ。

 だが、感情はそれを拒絶する。

 心は、認めようとしないのだ。

 だから憎悪が渦を巻き、復讐の炎が鎌首をもたげるのだ。それが乱世の掟に反しているのだとしても、止められるものではない。感情はときに、理性を黙殺する。

「セツナ……カミヤ……」

 ウェインを殺した人物の名前を口にすると、墓前での出来事が脳裏を過った。テウロス家の墓。地の底にはウェインの亡骸が埋葬されているはずだったが、やはりエレニアには実感はなかった。毎日のように訪れ、彼のことを思ったところで、そこにかれはいないのだと思うと、虚しくなった。

 そういうときに、あの少年は訪れた。

 王立親衛隊の格好をした少年など、セツナ=カミヤ以外にはありえない。彼は王立親衛隊の中で最年少であり、彼だけが十代だというのは有名な話だ。その十代の少年が、ガンディアの救国の英雄と呼ばれている。レオンガンドの黒き矛として、バルサー要塞の奪還やログナー制圧において多大な戦果を上げた人物。ウェインのかたき

 普通の少年だった。黒髪に赤い瞳ということだけが特徴として覚えている。血のように赤い目を見たとき、エレニアの感情は爆発しそうになった。あの場にアスタル将軍がいなければ、殺そうとしたかもしれない。ウェインの墓前。彼を殺すにはちょうどよい場所だった。しかし、将軍の目の前でできることではない。アスタル=ラナディースというログナーの女神は、彼女にとっても畏れ多い存在だった。

 彼女のおかげで多くのものを得られた。騎士になって、ウェインのそばに居続けることができたのも、彼女のはからいだった。普通ならばありえないような人事だ。しかし、アスタル=ラナディースという部下の心情を理解し過ぎるほどに理解する人物には、その程度のことなど造作もなかったのだろう。

 それは、感謝してもしきれないことだった。

 しかし、それとこれは別の話だ。

 復讐。

 なんて甘美な響きなのだろう。考えるだけで胸が踊り、口にするだけで心が弾んだ。暗い情念だということはわかっている。だれも喜びはしないだろう。ましてや、復讐を遂げたところで、ウェインが帰ってくるわけではない。死者は死者のままだ。だが、それは道理なのだ。当たり前の理屈なのだ。そんなものは、彼女の個人的な感情の前では意味をなさなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ