表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1227/3726

第千二百二十六話 彼らの運命(十四)

『なにを考えて、侍女になんて手を出したりしたのか』

 少年が、いう。

 軽蔑的なまなざしは、ニーウェの立場を象徴しているかのようだった。彼を見ているだれもかれもが、同じような表情を浮かべ、同じような感情を抱いているのだろうことがわかる。

 侍女。

 それがニーウェの母親の立場だとすれば、少年少女――つまりニーウェの兄や姉たちが彼を侮蔑するのもわからなくはない。皇族なのだ。同じ皇帝の子とはいえ、侍女との間に生まれたニーウェと一緒にされたいとは想うまい。ニーウェの立場に立ってみれば理不尽だが、現実的に考えれば当然の反応だった。

 だが、それでもセツナは、彼らへの反発を隠せなかった。頭では理解できても、感情では納得出来ない。

『父上のお戯れにも困ったものです』

『そのおかげで家族も増え、帝国は最盛期を迎えようとしているのだけれどね』

『それもそうですが、だからといって、あのようなものまで皇位継承者に迎える必要がありまして?』

『相変わらず、辛辣だなあ』

『兄様!』

『わかっているよ』

 妹と思しき少女との会話の最中こそ朗らかに微笑を浮かべていた少年の顔は、ニーウェに視線を向けた瞬間、冷酷な表情へと変わった。

『ニーウェ、ひとつだけ、忠告しておくよ』

 彼は、ゆっくりとニーウェに歩み寄ると、屈みこんだ。顔が近い。冷ややかな視線は、シウェルハインを想起させた。やはり親子なのだ。似ている。シウェルハインほどの威厳も圧迫感もなければ、畏怖も感じないが、それはしかたのないことだろう。そして、反発を覚えるのも、致し方のないことだ。

『皇家の血を引くからといって、調子に乗らないことだ。自分が万が一にでも皇帝になれるなどとは想ってはならない。君は、ぼくたちとは違うんだ。そのことを忘れるな』

 細く長い人差し指でニーウェの額を小突くと、静かに立ち上がった。こちらを見下ろす目は、凍てつくほどに寒々しい。

『でなければ、君の姉のニーナがどのような目に遭うか、想像できない君ではあるまい。君とて、唯一無二の肉親を失いたくはないだろう?』

 ニーナ。

 ニーウェの姉の名だ。ニーウェに関して調べる中で記憶している。

『ニーナさんは、従順ですものね』

『ああ。あの子は、いい子だ』

『あなたも、ニーナさんを見習ってはいかが?』

 少女のひとりが、こちらを一瞥した。穏やかな声音の中に軽侮が混じっている。

『いつまでも父上の寵愛を誇示し、縋っているようなものになにが期待できるものか。いくぞ』

 一方的に告げて、ニーウェに指を突きつけた少年は背を向け、歩き出した。少年少女たちが続く。

『ああん、兄様、お待ちになって』

『ニーウェくん、兄上には楯突かないことさ』

 最後に残ったひとりの少年は、やれやれと頭を振った後、どうでもよさげにつぶやいた。

 そのとき、ニーウェがなにを感じたのか、セツナには想像するほかない。同じ魂、同じ感覚の持ち主であるのならば、怒りを感じ、見返してやろうという想いを抱いただろうが、それはいまのセツナの感情であって、おそらく子供時代のニーウェがまったく同じ感情を覚えるとは限らない。

『ニーウェ。また、楯突いたそうね』

 少女の声。

 またしても、場面が変わる。記憶の移動。変遷。ニーウェの人生を追体験しているのかもしれない。なぜ。どうして。

『わかってるわ。母様のこと、馬鹿にされたのでしょう? そうでもなければ、あなたが歯向かうことなんてないものね』

 おそらく、ニーナなのだろう。

 ニーウェを諌めている。

『でも、駄目よ。堪えなさい。母様がどれだけ馬鹿にされ、見下され、侮蔑されようと、罵倒されようとも、素知らぬ顔でいなさい。でなければ、あなたまで喪ってしまうことになるわ』

 あなたまで、と彼女はいった。つまり、この時点でニーウェたちは母親を失っていたのだろう。侍女だったという理由だけで蔑まれたとしても、彼や彼女にとっては大切な存在だったに違いない。ふたりの言動からそれが伝わってくる。そして、ニーナのニーウェへの愛情も、わかる。

『もう、家族を失いたくないの』

 声が、泣いていた。

『ひとりにしないで』

 ニーウェは、なにを想ったのか。

 セツナには、想像するほかない。

 また、飛ぶ。

『この程度か』

 またしても、視界が低かった。

 地に這いつくばり、見上げているような目線。実際そのとおりなのだろう。土のにおいがしそうなほど、地面が間近にあった。つまり、野外にいるのだろうが、なぜニーウェが地面に這いつくばっているのか、すぐに理解できた。

 対峙している人物は、木剣を手にしたシウェウハインだった。ニーウェの視点が動く。彼が見たのは、シウェルハインの足元に転がっている木剣。ニーウェが用いていたものだろう。手を伸ばそうとしたが、彼の手は空を切った。力尽きたのだ。見上げる。シウェルハインの顔は、よく見えなかった。きっと、ニーウェが見ようとして、見れなかったのだ。

 直視できなかったのだ。

『……もう、よい』

 冷め切った声には、深い失望があった。

『下がれ』

 シウェルハインの一言が、世界を変える。

『力……ですか』

 見知らぬ男が立っていた。体に巻き付くほどの長い髪が特徴的な男は、ニーウェの発言に困り果てているようだった。

『困りましたな。姉上様には、殿下の相手をするなと厳命されておりましてね』

 男は、ニーナの部下なのだろう。おそらく、だが。断片的な映像や音声からはその程度のことしか察することはできない。

 視界が大きく揺れる。

 ニーウェが頭を下げたらしかった。

『頭を上げてください。殿下。わたくしは一介の武装召喚師に過ぎません。皇子ともあろうお方が頭を下げるべきではない。しかし、わかりました。殿下がそこまでするというのであれば、わたくしが手取り足取り、武装召喚術を教えてさし上げましょう』

 ニーウェが顔を上げたとき、男は、清々しいまでの笑みを浮かべていた。

 何度目かの世界の変化。場面転換。ニーウェの記憶。なにか意思を感じるような変化だった。意思。意図。思惑。だれがなにを考え、ニーウェの記憶をセツナに見せているというのか。黒き矛か。あるいは、エッジオブサーストか。可能性があるとすれば後者だ。黒き矛の眷属とはいえ、独立した意思を持っているに違いない。でなければ、黒き矛から分かれたままであろうとはしないだろうし、黒き矛を破壊して、その力を我がものにしようなどとは思うまい。

 そして、エッジオブサーストがニーウェの肩を持ち、セツナにニーウェのことを教えようとするのは、納得の行くことだ。エッジオブサーストが、ニーウェを選んだのだ。ニーウェのために何らかの行動を起こしたとして、不可解ではない。

『それが殿下の召喚武装……ですか』

 長髪の男が感嘆の声を上げた。ニーウェが教えを請うたときよりも幾分年をとっているようにみえるのは、紛れもなく年月が経過しているからだ。武装召喚術は一朝一夕に覚えられるものではない。最低でも四、五年の歳月が流れている。

『素晴らしい。なんという力だ』

 ニーウェの手には、漆黒の短刀が握られていた。両手に一振りずつ。柄から刀身まで黒一色の短刀は、いかにも禍々しく、どこか暴力的なものさえ感じさせる。彼がのちにエッジオブサーストと名付けるのであろうそれは、おそらく武装召喚師として一流の(でなければニーウェが師事することなどあるまい)男をも興奮させるほどのものだった。

『それさえあれば、殿下は望み通りの未来を掴み取れましょう』

 男の言葉に、ニーウェは、柄を強く握りしめて、応えた。

 力。

 力が欲しかったのだ。

 ただ、力が必要だったのだ。

 力がなければ、自分の価値を証明することができない。価値が証明できなければ、大切なひとを護ることなどできるわけもない。力を得、価値を認めさせ、そのうえで、あのひとを護る。この国の権力から守り抜く。そのためだけに力を求めた。求め続けた。

 力。

 エッジオブサーストと名付けた召喚武装の力は強大だった。

 断片的な記憶の奔流の中で、セツナは、ニーウェとエッジオブサーストの戦いの日々を垣間見た。武装召喚師を交えた実戦的な訓練で相手を圧倒し、皇魔討伐においてはだれよりも多くの皇魔を討ち倒した。ランスロット=ガーランド、シャルロット=モルガーナ、ミーティア・アルマァル=ラナシエラといった三臣との出会いもあった。ニーウェの人生は、大きく変わり始めたのだ。

 それもこれも、力を得たからだ。

 やがて、ニーウェはシウェルハインに一目置かれるようになったらしく、ついに闘爵の爵位を与えられた。彼を取り巻く状況は大きく変わった。世界そのものが変わったのだ。彼を見下していた兄や姉たちも、彼に対して大っぴらに暴言を叩きつけるようなことはなくなった。

 力こそすべて。

 ニーウェはそう理解した。

 力を求めた。

 求め続けた。

 戦いの日々は、続く。

 ロッドオブエンヴィー、メイルオブドーター、アックスオブアンビション――黒く禍々しい召喚武装の使い手との戦いがあった。激しい戦いだった。それこそ、命の危機に瀕するほどの戦いの連続で、そんな死闘を切り抜けたニーウェが弱いはずがなかった。

 ニーウェは、強くなった。

 しかし、それで満足している場合ではない。

 もっと、力を。

 力を得るのだ。

 力がなければ、大切なひとを護ることなどできない。

 あのひとを護り、あのひととともに生き続けるには力がいる。

 大いなる力がいる。

 そのために。

 そのために彼は、半身を、もうひとりの自分を殺す旅に出た――。


『だが、敵わなかった』

 不意に聞こえた聲には、聞き覚えがあるような気がした。優しく、穏やかな聲。身も心も包み込み、あらゆる不安を解消してくれるような聲だった。

 聞き覚えがあるというのは気のせいかもしれないし、本当に聞いたことがあるのかもしれない。よくわからないまま、頭を振る。本当に体を動かして、意志表示できているのかどうかなどわかったものではないが、とにかく、そのように意識した。この夢とも現実ともわからない空間の中ではそういうことが大事なのだ。

(敵わなかった?)

『そう、敵わなかったのだ』

(だれが?)

『彼が』

(ニーウェのことか)

『そう。ニーウェ。ニーウェ・ラアム=アルスール。そう定義づけられた魂。もうひとりの君だ』

(俺……)

 ただ、認める。確かに彼は、もうひとりの自分だった。姿形だけではない。心の有り様までも、自分そのもののように思えた。迸る意志も、勝利への執念も、なにもかも。

 自分そのものだった。

『君とニーウェは、同一の存在だ。本来ならば同じ世界に存在することなど許されないはずのものだ。それが同じ世界に存在してしまっている。おかしなことだ。あってはならないことだ。許されないことだ』

(だから、戦ったんだろう)

 口先を尖らせる。

 だから、戦わされたのだ。

『そうだ。どちらかひとりを決めるために』

(……あんたが、戦わせたのか?)

 聞くも、答えはなかった。

(あんたはだれだ……?)

 やはり、答えはなかった。

 答えはなかったが、聲は、問いとは別のことを告げてきた。

『ひとりになれば、問題はなくなる。同一存在が同時に存在するという矛盾も消えてなくなる。ひとりになるのだ。ひとりになり、完全な自分を手に入れれば、寂しく感じることもない』

(ひとりに……)

 それは、魅力的な提案のように思えた。寂しくなくなるかもしれないということが、だ。彼はいつだって寂しさを埋め合わせるために自分の居場所を求めてきたのだ。居場所を維持するために力を尽くすのも、

(それってつまり、ニーウェとひとつになれってことか?)

『そういうことだ』

(ニーウェと……?)

『元々同じ存在。合一が果たされれば、なんの矛盾もなく同居しうる』

(ニーウェは……どうなる?)

『君となる』

(ニーウェの自我とかそういったものは?)

『君の中に溶けて消える。君が勝利したのだ。君のものとなるのは、当然のことだ。そしてそれでいいのだ。それが摂理。絶対の法。覆すことなど許されない』

(摂理……)

『そうだ。摂理だ。君はもうひとりの自分に打ち勝ったのだ。摂理に従い、すべてを己のものとせよ』

(摂理)

 もう一度つぶやいたとき、ふと、疑問が湧いた。想像のつく疑問だが、言葉にする。

(ニーウェが勝っていたら?)

『もちろん、君はニーウェとひとつになり、消えて失せただろう』

 想像通りの答えが返ってきて、セツナは少し安心した。そして、ニーウェのことだ。セツナとは違い、躊躇なくセツナとの合一を認めたかもしれない。彼は、セツナを殺すことに執念を燃やしていた。この世界の唯一の自分になることに躍起になっていた。そうしなければ存在していられないとでもいいたげだった。実際はどうなのかはわからない。だが、彼が追い詰められていたのは間違いないだろう。

 彼が強迫観念に駆られるようになったのは、彼にとってのもうひとりの自分であるセツナがこの世界に出現したことが原因だ。そもそも、この世界は彼の生まれ育った世界であり、世界によって排斥されるべきはセツナなのだ。同一存在が同じ世界に存在してはいけないという法があるというのなら、セツナだけが抹消されるべきなのだ。

 だが、運命は、セツナとニーウェの決闘による決着を望んだ。

 そして運命はそのためにセツナに黒き矛を、ニーウェにエッジオブサーストを用意した。

 実に馬鹿馬鹿しい茶番だ。

「あんたなんだろ」

 声が出たのは、そこが夢と現の狭間だと認識したからに違いなかった。

 認識こそ、世界に干渉するための力となる。

 少なくとも、この夢と現の狭間では、それがすべてだ。

 そして、認識したことで、灰色の世界が目の前に広がり、黒衣の男が姿を表した。黒髪に赤い目、うんざりするほどの黒ずくめ。

「なんだ。わかっていたのか。つまらんな」

 その男もまた、黒き矛の化身だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ