第千二百二十三話 彼らの運命(十一)
上空から放たれた光の槍が大地に突き刺さり大爆発を起こしたとき、セツナは、半身を異形化させたニーウェの力を思い知った。現状、正面切っての力比べではセツナはニーウェに遠くおよばないのではないか。少なくとも、ニーウェを殺してはならないという制約のあるセツナでは、彼と同じだけの破壊力を込めた攻撃を彼自身に繰り出すことはできない。その点で彼のほうが遥かに有利だったし、セツナのほうが圧倒的に不利だった。
(最初からわかってたことだがな!)
セツナは胸中で悪態をつきながら、森の中を疾駆した。セツナの全力攻撃とニーウェの光の槍によって破壊された森は、随分風通しがよくなっているものの、まだ身を隠す場所はあった。とはいえ、異形化したニーウェの感知範囲は、セツナと同等かそれ以上と考えてもよく、となれば、超上空の彼にもセツナの居場所は明らかだろう。木々の枝葉が彼の居場所をくらましてくれはしないのだ。
逆をいえば、セツナにもニーウェの居場所は明白で、攻撃することは不可能ではない。先程も黒き矛の光線で狙撃している。軽く避けられたようだが、届くことは届くのだ。もっとも、彼を殺しかねない出力の光線を発射することはできないし、消耗のことを考えれば、連発もできない。では、どうやって超上空にいる彼と戦えばいいのか。
黒き矛は無双の強さを誇る召喚武装だ。近距離は言うに及ばず、中距離でも、遠距離でも戦える。距離を選ばない上、強力極まりない召喚武装ということで、ファリアやルウファから卑怯だといわれることがあるほどだ。しかし、欠点もないではない。
空中戦ができないという点だ。
黒き矛は飛行能力を有していない。異形化し、翼を得たニーウェのようにはいかないのだ。先も言ったように攻撃手段はある。地上から光線を放って狙撃すればいい。黒き矛を手にしていることによる超感覚のおかげで、感知範囲内にいる相手を外すことなく狙い撃つだろう。しかし、光線は消耗が激しい上、ニーウェの場合簡単に回避しうるのだ。光線を放っても無駄に消耗するだけだろう。ただでさえ無駄に消耗している。これ以上、無意味に消耗するのは得策ではない。追いつめられるだけだ。相手はセツナとは違って、こちらを殺すことに躊躇がない。むしろ、殺すことが目的なのだ。
ニーウェが超高度を維持している限り、セツナは彼の攻撃を避け続けるしかない。
血を媒介にした空間転移で、ニーウェのいる座標付近まで移動する、という方法も考えたが、空振りになった場合を考えると、悲惨だ。なにより、相手は自由に飛び回れるのに対し、こちらは上空までの片道切符だ。しかも、ニーウェの座標まで飛ぶにはどれだけ出血すればいいものか、わかったものではない。すでに一度足を割いている。これ以上みずから出血を促すような戦い方はできない。出血も消耗と同じだ。負担が大きい。
ニーウェは、動いていない。超上空に滞空したまま、森を走り回るセツナを目で追っているのだろう。光の槍を放つ準備をしているのかもしれない。立ち止まる。体力的には余裕があったものの、このまま走り続けても意味がないと思えた。ニーウェがこちらの消耗を待っている可能性だって十二分にありうる。
(そんなたまとも思えないが……)
ニーウェのことだ。消耗して動けなくなったセツナを殺すよりも、十分に戦えるだけのセツナに打ち勝って殺すことのほうが大事だと考えるかもしれない。もちろん、前者だってありうるし、どのような戦い方をしてくるかはわかったものではない。
頭上を仰ぎ、ニーウェの座標を睨む。針葉樹の枝葉が天蓋を織り成し、わずかな空隙だけが視界に開いている。鉛色の空の遥か彼方に黒点が見える。凝視する。感覚強化を視覚に集中。視力の増幅。ニーウェが見えた。半身が黒き悪魔とも黒き竜ともいうべき怪物と化したセツナの同一存在は、紅く輝く右眼を見開いていた。異形化した右眼は、皇魔のように、夢現の狭間に見る黒き竜のように、眼球が失われているように見えた。眼孔から漏れる赤い光。それが一際強く瞬く。
その瞬間、セツナは寒気を覚えた。ニーウェと視線が合ったからかもしれない。底冷えするほどの殺意の籠もった視線だった。
ニーウェが片翼を大きく広げた。無数の刃の集合体のような翼は、エッジオブサーストを想起させる。そのまま、右腕を掲げる。セツナはいつでもその場から離れられるように意識を集中させながら、ニーウェを見ていた。彼の攻撃がどのようなものなのか見届けておくべきだった。でなければ対処もできない。
天に掲げた右手の先に力が凝縮していくのがセツナにもわかる。ニーウェの全身を流れる赤い光線の中を力の奔流が辿り、右腕へと収束していくのだ。そして、右手の先に集まった力は、光の球となった。ニーウェの頭よりも大きな光球は、彼が右手をこちらに向けることで移動した。光球を叩きつけてくるつもりなのだろうが。
(ありゃあ……光の槍の比じゃねえな)
威力の話だ。
見たところ、光球に集められた力は莫大であり、使者の森そのものを破壊するくらいの威力はありそうに思えた。ニーウェが光球を解き放つ。光球は、そのまま地上に落下してくるかのように思えたが、しかし、空中で無数に分裂した。そして、無数の光弾となって雨嵐と降り注ぐのだ。セツナは、自分の周囲に降ってきた光弾だけを注意深くよけながら、周囲に降り注ぎ、小さな爆発を起こす光弾の嵐を奇妙に感じた。
(どういう狙いだ?)
無数の光弾による絨毯爆撃ではあったものの、光弾ひとつひとつの威力はそこまでではなく、また、落下速度も、セツナが余裕で見きれるほどのものだった。爆風も大したものでなければ、爆発範囲も狭い。光球のまま着弾していれば、光の槍以上の破壊を撒き散らしたかもしれないが、小さな光弾となればその分、威力も控え目にならざるをえない。
セツナには、ニーウェの狙いがわからなかった。が、ニーウェがなにも考えず、飽和攻撃をしてきただけなのだと思えば、説明がつく気がした。合理的な攻撃ばかりしてきたニーウェにしてはお粗末な攻撃だが、納得出来ないわけではない。異形化して暴走していると考えれば、だが。
(……冷静、だよな?)
セツナには、ニーウェが異形化したことで力に振り回されているようには見えなかった。ニーウェは超上空から使者の森全体を見下ろしながら、セツナを監視している。セツナを殺すためにどうすればいいのかを考えているという風なのだ。彼が力に酔っているとはとても想い難く、だからこそ、先ほどの攻撃が意味不明だった。
爆発の嵐は止んだ。森の各所に小規模ながらも無数の破壊跡が刻まれ、森が森ではなくなり始めていた。いや、それはセツナの全力攻撃とニーウェの光の槍ですでに通った道というべきか。ダメ押しになったのだ。
木々は傘にもならず、ニーウェの視線を遮ることもできない。視線を遮ったところで、武装召喚師には意味がない。感知範囲内にいる限り、捕捉され続けるのだ。
セツナは、超上空のニーウェが右腕をこちらに向けて翳したままなのが気になった。ふと、周囲を見回す。雨の如く降り注いだ光弾の着弾点には小さな穴が開いている。爆発したのだから当然だ。が、その穴の深さは奇妙だった。爆発したからといって、縦に深い穴が開けられるものだろうか。大地が震えた。地震が起きたのかと思うまもなく、周囲の着弾点から闇の塊のような黒い奔流が吹き出した。
「これが狙いか!」
セツナは、周囲のすべての着弾点から黒い奔流が吹き出したのを認識した。禍々しい力の奔流は、大きく湾曲しながらセツナに向かってきている。ニーウェが、先まで開いていた手のひらを握りしめているのが見えた。掌握が闇の奔流をセツナに殺到させる合図かなにかだったのだろう。
セツナはすぐ目の前に迫ってきた闇の奔流を黒き矛の一閃で切り払うと、即座に背後の闇も斬り下ろした。手応えこそないものの、黒き矛の一撃を食らった闇の奔流は霧散する。が、すぐさま再生し、形を成す。闇は手となり、セツナを掴み取らんと迫り来る。セツナは捕まる訳にはいかないと矛を振り回し、闇の手を切り刻み続けたが、切っても切ってもつぎの瞬間には再生する闇の手は、あっという間にセツナの全周囲、あらゆる方向を埋め尽くしていた。
『情けない』
聲が聞こえた。