第千二百十九話 彼らの運命(七)
エッジオブサーストのその能力を認識したのは、いつだったのか。
何年も前の話だが、最初に召喚したときには使えなかったのは確かだ。
エッジオブサーストはとんでもない力を秘めていることは、召喚した瞬間に理解できた。ニーウェのような駆け出しの武装召喚師が手にするべきものではないことが瞬時に理解できるほどの代物。手にするだけで恐怖を感じるくらい暴力的な魔力の奔流が流れ込んできたことを覚えている。心が壊され、意識まで奪われるような感覚を抱いたものだ。しかし、ニーウェは我を失わず、エッジオブサーストは彼の召喚武装に落ち着いた。
ニーウェの武装召喚術の師であるイェルカイム=カーラヴィーアは、召喚は才能であるといい、ニーウェにエッジオブサーストの扱い方を極めるべきだといった。ニーウェは師の教えを実践し、エッジオブサーストを完全に自分のものとするべく、日々、鍛錬に精を出した。
肉体を鍛え、精神を鍛え、だれにも負けない自分を作り出そうとすることこそ、武装召喚師の修練だった。
やがてエッジオブサーストにはいくつかの能力があるということがわかった。
ひとつは、双刀の位置を入れ替える能力。二刀一対の召喚武装というのは珍しいものであるらしく、二刀一対に纏わる能力があるのではないかと最初の召喚時から噂されていたものだ。そして実際に二刀であることに意味があった。エッジオブサーストの二本の短刀の位置を入れ替えることで、空間を転移することさえできたのだ。
その能力は、セツナをこの使者の森に運ぶために使った。
また、双刀に収束させた力を光弾として撃ち出す能力もある。先ほど牽制に使ったように威力、精度ともにそれほど優れたものではない。もっとも、収束させる力を多くすればするほど威力も上がり、最大威力ならばセツナも対処法を考えざるを得なかっただろうが、消耗を考えると、簡単に使えるものではない。
どれだけ鍛え上げたところで、精神力が無限に増大し続けることなどあり得ない。人間なのだ。何事にも限界がある。もちろん、ニーウェの精神力が限界まで鍛え上げられているわけではない。それほどの修練を積んだ記憶はない。武装召喚師の修練は生涯続けるものであり、だからこそ若い武装召喚師よりも老齢の武装召喚師のほうが強くなりうるのだ。若く活力に満ち溢れた武装召喚師のほうが一見強く見えるかもしれないが、実際のところは、そうはならない。老いるまで修練を積み続け、精神を鍛え上げた武装召喚師のほうが余程強いのだ。
もっとも、武装召喚師の強弱は、召喚武装の能力によるところが大きく、どれだけ若くとも召喚した武装次第では圧倒的に強くなることだって十二分にありうる。
その例が目の前の少年であり、自分であろう。
ニーウェは、音さえもなくなった世界で、静かに息を吐いた。精神は、この能力を行使した瞬間から磨り減り続けている。だから光弾に精神力を注ぎ込まないのだ。この能力の精神消耗は激しすぎる。
現在、ニーウェの感知範囲内で動くものはなにもなかった。木々も草花も動物も虫も、身動ぎひとつしてはいない。風の音がないのは、大気そのものが動きを止めてしまったからだったし、木々がざわめかないのもそのせいだ。セツナに切り倒された木々が転倒中に動かなくなったのも能力の影響であり、目の前のでセツナが動かなくなったのも、能力によるものだ。
エッジオブサースト最大の能力は、時間を静止させるものだったのだ。
(これがエッジオブサーストの、世界を支配する能力)
ニーウェは、エッジオブサーストの双刀を離すと、一切の躊躇なくセツナに接近した。セツナは、さっきまでニーウェが立っていた空間を睨んだまま硬直している。それはそうだろう。彼は、静止した時間の中を認識することなどできないのだ。彼だけではない。ニーウェ以外のだれも、この時が止まった状態を認識することなどできない。
時間静止能力が発動したのは、随分前のことだ。最初は、なにが起こったのか理解できなかった。が、すぐに自分以外の時間を止める能力だと把握し、そのあまりの恐ろしさに身震いしたものだ。この能力さえあればなんだってできるのではないかという万能感が彼を支配した。しかし、すぐになんでもできるわけではないということがわかったが、だからといってこの能力が無駄かというとそうではなかった。むしろ、使い方次第では、どのような状況も切り抜けられる絶対的なものだということがわかった。
なにしろ、自分以外の時間を止めるのだ。時間静止中の世界を認識することができるのは自分だけであり、影響下にある他人には、その間の出来事はなかったものとして認識されている。たとえば、ニーウェが時間静止した地点から少し移動して時間静止を解除すれば、空間転移したように見えるのだ。故に、最初は空間転移能力の一種なのだろうと思われた。
研究するうちにそれが空間転移能力などではなく、もっと恐ろしく、凶悪なものだということが判明した。
ニーウェとエッジオブサーストに敵はいなかった。たとえ、師であっても彼の敵にはならないだろう。イェルカイム自身が認めることだ。そして、それこそ、イェルカイムがニーウェを特別視する理由でもある。イェルカイムは帝国が誇る最強の武装召喚師といってもいい。そんな彼に認められることは光栄以外のなにものでもなかった。もちろん、それが召喚武装の能力を含めた認識であることは享受しておかなければならない。ニーウェ自身の実力を評価しているわけではないということをわかっておかなければならないのだ。勘違いしてはならない。
静止した世界を歩く。
時を止めている間、精神力は激しく消耗され続ける。長時間、世界の静止を維持することは不可能であり、精神を消耗し尽くすまでに時間静止を解かなければ相手の反撃を食らうだけだ。
ニーウェは、セツナの間近まで接近して、足を止めた。セツナは、黒き矛を両手で握り締め、垂直に持っていた。ニーウェに襲いかかる構えでもなければ、反撃を考慮した構えにも思えない。こちらの行動を見て、なんらかの能力を使おうとしたのだろう。
(一手、遅かったな)
時が止まってからでは、遅すぎる。
ニーウェは、セツナの首筋にエッジオブサーストを触れさせた。心臓を一突きに刺し殺すのも考えたが、彼は鎧を着込んでいた。軽装とはいえ、胸当てがあり、胸当ては腰当てよりも頑強だろう。エッジオブサーストが胸当てを貫き、心臓を突き破るまでに反応される恐れがある。普通の相手ならばまだしも、黒き矛の使い手ならば、超反応で対応される可能性が十分あるのだ。だから、ニーウェはがら空きの首筋に刃を押し当てた。切れ味抜群のエッジオブサーストが触れても、セツナの首には傷一つつかない。
それが時間静止能力の難点といえば難点だった。弱点とはいえない。難点だ。
静止した世界に干渉できるのはニーウェだけだということだ。ニーウェ以外のあらゆるものが静止した世界に干渉することができない。相互干渉できない以上、ニーウェがどれだけ力を込めても、静止物を傷つけることはできないし、静止した相手を殺すことなどできない。
世界を静止する能力であり、静止した世界に干渉できるのであり、静止した世界の静止物に干渉する能力ではない、ということだ。
だから、相手を殺すのにも一工夫が必要だったし、先ほどのように反撃を食らう可能性だって大いにあるのだ。もっとも、静止能力を初めて受けた人間に対策が施されることはあり得ず、セツナに対応されたのは、彼がニーウェの戦い方をある程度把握しているからに他ならない。
時間静止中に攻撃できなくとも、時間静止中に相手に接近することは可能だ。相手の極至近距離に近づき、死角に刃を触れさせるだけで勝利は確定する。相手が移動中ならば、進行方向にエッジオブサーストを配置するだけでいい。前回のセツナのように突如出現したエッジオブサーストを喰らい、致命傷を負うだろう。
いまこの瞬間、時間静止を解除し、エッジオブサーストを押し当てれば、それだけでセツナは死ぬ。
黒き刀身を頸動脈に押し当てながら、ニーウェは自分と同じ姿をした少年が見据える先をみた。彼は、ニーウェがいるはずの空間を見ていた。しかし、ニーウェはいまやセツナの真横に立ち、彼の首に刃を押し当てている。
(君はこれで死ぬ)
それで、なにもかも終わりだ。
セツナが死ねば、黒き矛が取り残される。残された黒き矛を破壊するのは、難しいことではない。少なくとも、エッジオブサーストにできないはずもない。破壊し、力を吸収し、エッジオブサーストはさらなる力を得るのだ。
そのときこそ、ニーウェは胸を張って国に帰ることができる。
ニーナを迎えに行くことができるのだ。
(君には済まないが)
脳裏に浮かんだのは、あの少女の顔だった。エリナ=カローヌといったか。ニーウェという自分と同じ名の子犬を連れた少女。どういう運命の皮肉か、彼女はセツナとの知り合いであり、セツナを殺しかけたニーウェに復讐するべく刃を向けてきた。セツナが死ねば、彼女はもっと悲しむだろう。絶望するかもしれない。
だが、だからといって、ここでセツナを生かすわけにはいかないのだ。
これはニーウェの全存在を懸けた戦いなのだから。
時間静止を解き、刃を押し当て――ニーウェは、はっとした。セツナの首が光を発していた。いや、首だけではない。セツナの全身が光に包まれていた。
(これは……!)
凄まじい圧力が、一瞬にしてニーウェの意識に叩きつけられ、彼は恐怖とともにその場を飛び離れた。衝撃がニーウェに追い縋り、体を突き抜けた。その瞬間こそなにが起こったのかわからなかったが、すぐにセツナがなにをしたのか把握する。
力の爆発がセツナの全周囲、ありとあらゆるものを消し飛ばしていた。大地が抉れ、木々が根こそぎ吹き飛ばされ、土砂が舞い上がり、吹き飛ばしたあらゆるものが力の奔流の中で焼き尽くされ、消し炭になる。爆発的な力の奔流。渦を巻き、螺旋を描き、球を形成する。
膨大な熱量が、なんとか着地したニーウェの顔面を撫でた。激痛に顔をしかめる。ふと見ると、右腕が焼かれ、爛れていた。熱量に巻き込まれていたらしい。そういえば、セツナの首筋に刃を突き付けていたのは、右手の刃だった。もちろん、エッジオブサーストを手放したりはしていないが、致命的な痛手であることに違いはない。
ニーウェは、セツナが発した力の暴走が収まるのを待ちながら、歯噛みした。
セツナのあの奇妙な構えは、このためのものだったのだ。
ニーウェのどこからくるともわからない攻撃のための対処法のひとつなのだろう。確かに、相手がどこから攻撃してくるのかわからないのであれば、全方位に同時攻撃をしかければいいというのは、正解だ。しかし、だれもが真似できるものではない。
黒き矛なればこそ可能に違いなかった。
右手がしっかりと動くことを確認しながら、呼吸を整える。痛みは黙殺できし、血もそこまで流れてはいない。戦いを継続することに問題はない。
問題があるとすれば、セツナが時間静止能力に完全に近く対策できているということだ。
(だが……攻撃は通った)
ニーウェの右手は、確かな手応えを感じていた。セツナの首を切り落とすことこそできなかったものの、浅くとも切り裂いたのは間違いない。
何度となく斬りつけていけば彼は死ぬ。
彼も人間だ。
人間の精神力は無限ではない。森を半壊させるほどの力をそう何度も解放できるわけもない。おそろしく消耗の激しい能力であることは、半球形に抉れた大地を見れば明らかだ。使えてあと一回か二回くらいだろう。それに対して、こちらの時間静止は二回ほど多い。
勝てる。
セツナは、破壊跡の中心に降り立ち、こちらを見ていた。首筋から血を流している。致命的なものではない。残念だが、仕方がない。そこまで力を入れていれば、ニーウェは爆発に飲まれて死んでいた可能性が高い。
ニーウェは、エッジオブサーストを構え直すと、相手を睨んだ。