第千二百十六話 彼らの運命(四)
光が瞬いて、つぎの瞬間、目の前の地面に着弾した。爆発が起きる直前には後ろに飛んでいたものの、爆発光がなにもかもを飲みこんだ刹那、光の中を殺到する存在を認識した。光熱の嵐の中をものともせず突っ込んできたのは鏡の中の自分自身のような人物だった。漆黒の頭髪に血のように紅い瞳。黒装束が光熱の嵐に焼かれ、燃えていた。
「ニーウェ・ラアム=アルスール!」
認識したときには、彼はセツナの体に触れていた。鼻息が触れるほどの距離で、彼は笑った。
「やっと殺し合える」
囁きが聞こえた瞬間、世界が歪んだ。空間がねじ曲がるような感覚の中で暗転し、一瞬後には、開放感が全身を包み込んでいた。
(空間転移か!)
咄嗟に矛を振り抜く。手応えはない。空を切っている。前方、ニーウェが宙返りをしながら離れていくのが見えた。距離を取ろうとしている。おかしなことだ。殺すためなら、近距離の方がいいに決まっている。
(なにか理由があるのか)
セツナは、空振った矛を構え直しながら着地して、敵が大木の幹を背にしていることに気づいた。それから、木が一本や二本どころではないことを悟る。召喚武装を手にしていることによる強化五感は、空間認識能力を通常時とは比べ物にならないほどに強力にしているのだ。もっとも、強化五感がなくとも、ここが森の中であることくらい一目瞭然だろう。
鬱蒼とした木々が乱立する森の中。見渡すかぎりの針葉樹の森には見覚えがないこともない。しかし、森などどこも似たような風景としか認識していない以上、記憶にあるというのも勘違いかもしれない。見知らぬ森であったとしてもおかしくはないし、知っている森であったとしても、不思議なことではない。
そんな森の中の少しだけ開けた場所に、ふたりはいる。頭上の空は鉛色で、王都の空と同じ色合いだった。王都に近いからなのか、それとも、たまたま偶然そういう天気なのか。訓練場よりも肌寒いのは森の中だということが関係しているのかもしれない。冷え込んだ空気が、演武で仕上がった肉体に優しい。
ニーウェは、焼け焦げた黒衣をそのままに、短刀を構えていた。切っ先から柄頭まで黒一色の短刀。無論、エッジオブサーストなのだが、それにしては妙だった。エッジオブサーストは二刀一対の召喚武装だったはずだ。片方でも十分だという判断なのか、別の理由があるのか。
「やっと殺し合える……か。随分気長に待っていたじゃねえか」
セツナは、ニーウェを注意深く見つめながら、周囲にも気を配った。
王立召喚師学園の訓練場での演武中、突如として撃ち込まれた砲撃は、ニーウェの部下によるものだろう。最初にニーウェと戦った際、ファリアを足止めした武装召喚師の召喚武装が光の束を放出して爆撃する能力を持っていたはずだ。ニーウェの部下はその武装召喚師以外にもミリュウが相対した女剣士と、レムの進行を阻んだ少女のふたりが確認されているのだが、ほかにもいる可能性は皆無ではなかった。なにせ相手は帝国の皇子なのだ。セツナを殺すことだけを目的にしているとはいえ、帝国から小国家群中央部までの長旅を考えれば、たった四人で行動しているとは考えにくい。
ニーウェ配下の戦力がこの森のどこかに潜んでいて、ニーウェを援護する機会を伺っているのではないか。そんな気がしてならない。
「君が黒き矛を召喚してくれないことには意味がないからね。君が万全の状態になるまでいくらでも待つさ。時間はあるんだ。急ぐ必要はなかった」
ニーウェは、黒き短刀を片手に弄びながら、笑いかけてくる。その表情、行動のひとつひとつに余裕が感じられた。
(今回も勝てるって?)
セツナは、黒き矛の柄を握る手に緊張が走るのを覚えた。エッジオブサーストの能力のひとつは解明している。空間転移能力だ。空間転移能力も使い方次第では戦闘を有利に運ぶことができるし、場合によっては凶悪だ。注意しなければならない。
そして、ニーウェの能力は、空間転移だけではなさそうなのだ。とても空間転移というだけでは説明できないような現象によって、セツナは切り裂かれ、劣勢に立たされた。
「だったら、もう少し待ってくれてても良かったろ」
「どうして?」
「こっちはこっちで忙しいんだよ」
悪態をつくと、彼はにやりとした。
「マルディアの救援だったか」
「よくご存知で」
「ガンディア政府が大々的に発表したことを知らないわけがないだろう」
「そりゃあそうだ」
「ガンディアは小国家群の統一を掲げているんだったね。そのためにもマルディアを救援しなければならない、というわけか」
「そういうことだ。だから小国家群統一まで、待ってくんねえかな」
「は」
ニーウェが笑顔を消した。気配が変わる。セツナは、黒き矛を構え直すと、ニーウェがいつ動いてもいいように全身の緊張を緩和した。張り詰めすぎていては反応できるものもできなくなる。なにごとも程よいくらいでちょうどいいのだ。
「冗談にも程がある」
「本気、なんだがな」
「つまり、小国家群の統一さえなれば、君は死んでくれるとでも?」
「……それも、悪くねえな」
無論、本気ではないが。
ニーウェもセツナの心情が理解できたのだろう。苦い顔をした。
「残念だけど、そこまでは待てないんだ」
「なんだよ。時間はあるっていったじゃないか」
「待たせてるんだ」
「うん?」
「大事な人を、さ」
「そうかい」
ニーウェの表情を見る限り、彼が心の底から大事に想っているひとが国にいるというのは本当のことなのだろう。そして、待たせているというのは、セツナを殺し、黒き矛を破壊して、エッジオブサーストの力を完全なものとして国に帰るときのことだ。ニーウェは、その大切な人のためにも負けられないとでもいうのだろうが、それは、セツナも同じだ。
数多くの大切なひとたちのためにも負けられないし、死ぬわけにもいかない。
「さあ、もうお喋りはいいだろう? 殺し合おう」
「そうだな」
(こっちは殺せねえんだっての)
胸中で悪態をつきながら、セツナは、黒き矛を掲げた。切っ先をニーウェに向けた瞬間、光芒を放つ。穂先が白く膨張したように見えたつぎの瞬間、光の奔流がニーウェの立っていた空間を貫き、大木に突き刺さった。小さな爆発が起き、大木の幹に傷がつく。威力が控え目なのは、出力を下げているからだ。全力の光線ならば大木を倒壊させるくらいわけはない。しかし、それだけの威力の攻撃がもしニーウェに直撃した場合、即死してしまう可能性がある。
セツナは、ニーウェを殺すことなどできないのだ。
帝国皇子であるニーウェを殺せば、帝国を刺激することになるだろう。彼の父親である現皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンが報復のために軍を動かし、小国家群に攻め寄せてきたらそれこそ台無しだ。レオンガンドの小国家群統一の夢は露と消え、なにもかも終わる。だからセツナはニーウェを殺せない。殺さずに勝利する方法を考えなければならなかった。
(その時点で同じじゃねえのさ)
ニーウェは、セツナを殺すことも目的のひとつだ。黒き矛を破壊した上でセツナも殺す。それが彼の目的であり、そのために全力を出すことができる。どのような手段を講じても構わないというわけだ。しかし、セツナはそういうわけにはいかないのだ。相手の全力攻撃に対応するためには全力で応じなければならないのだが、かといって全力で攻撃すれば殺してしまいかねないため、攻撃する際の力は抑えなければならなかった。
少なくとも、致命傷を与えるようなことはできない。
一方で、彼はセツナだけにこだわってくれてもいる。セツナ以外のものへの手出しはしないようだった。
人質を取り、セツナに死を強いるような真似をしてこない。
(それがあんたが俺である証拠か?)
セツナは、矛を構え直すと即座に地を蹴って、ニーウェの気配を追った。黒き矛を手にしていることによる超感覚は、ニーウェの高速移動を捉えて離さない。
ニーウェは、森の奥へと移動している。セツナはそれを追う。ただひたすらに追いかける。木々の間を抜け、枝葉を潜り、草花を飛び越え、複数の気配に包囲されていることを知る。立ち止まるのではなく、前へ飛ぶ。閃光が森の闇を焼く。振り向く。雷光球がこちらに向かってくるのが見えた。周囲から感じるのは、人間の神経を逆撫でにするような気配であり、皇魔特有の不快感だった。つまり、雷光球は皇魔の攻撃なのだ。その皇魔とはブリークだ。何十体ものブリークがセツナを取り囲んでいてい、背部の突起で発電し、つぎつぎと雷球を生み出している。
セツナは、ニーウェによって皇魔の巣窟に誘い入れられたのだと悟り、舌打ちした。そしてすぐさま黒き矛を握り、最初の雷球に叩きつける。瞬間、黒き矛がまばゆい光を放ち、雷球を弾き飛ばした。雷光球は、発電中のブリークの群れの中へと飛び込み、驚きながら飛び退いた皇魔たちの足元に突き刺さって炸裂した。爆発が起きて、雷光が嵐のように吹き荒れる。皇魔が悲鳴を上げる中、セツナはその場を離れていた。
いまは皇魔と戦っている場合ではないのだ。
ニーウェに追いつき、彼との戦いを終わらせることこそ先決だ。
そして、そのためには、エッジオブサーストを完全に破壊し、黒き矛によって取り込むほかない。
そうすれば、黒き矛は完全な状態になる上、ニーウェがセツナと戦う理由もなくなるはずだ。
(いや……)
森の中を疾駆しながら、セツナは胸中で頭を振った。
ニーウェがセツナを殺すことに拘っているのは、彼がこの世界におけるセツナだからだ。異世界における同一の存在だからこそ、その存在を抹消しなければならないという強迫観念に駆られている。エッジオブサーストと黒き矛の関係が原因ではない。もっとも、エッジオブサーストがなければ、ニーウェがセツナを認識することはなかったかもしれないが、この際、どうでもいいことだ。
ニーウェがセツナ殺害に拘っている理由が同一存在であるかぎり、エッジオブサーストを破壊したところで諦めないのではないか。
暗澹たる気分の中で、セツナは、ニーウェを探し続けた。
なんにしてもこの戦いを終わらせることが重要だ。
黒き矛カオスブリンガーが完全体となり、真の力を手に入れることができれば、ベノアガルドの騎士団といえども相手にならなくなるかもしれない。
そういう想いが、セツナを昂揚させた。