第千二百十四話 彼らの運命(二)
野外訓練場は、王立召喚師学園にある二棟の校舎の横にある。
学園の敷地は白く高い壁で囲われており、野外訓練場の外周もそれだ。武装召喚師を育成するためにここまで広い訓練場が必要なのかという疑問には、絶対に必要だという一言を叩きつけられている。武装召喚術は、なにも術だけを学べばいいというものではないのだ。肉体を徹底的に鍛え上げなければ、召喚武装を手にした状態での暴力的な運動量に耐え切れずに死ぬことだってありうるという。また、肉体を鍛えることで精神的にも鍛えられ、貧弱な精神力では召喚武装を扱うことなどできないこともあり、肉体の鍛錬ほど重要なものはないらしいのだ。
もちろん、そのためだけにだだっ広い訓練場を確保したわけではない。
召喚武装の習熟には、広い空間が必要なのだ。
それは、召喚武装の能力を実際に目の当たりにしたことがあるレオンガンドには、実感として理解できることだった。
訓練場には、《獅子の尾》の武装召喚師たちが立っている。四人とも、隊服の上からそれぞれ思い思いの装備を身に着けているようだった。
「《獅子の尾》隊士ミリュウ・ゼノン=リヴァイア!」
ゼフィル=マルディーンが声を張り上げて名を読み上げると、真紅の鎧を身につけた赤毛の女がなにかを口走った。女の周囲の空間がネジ曲がったかのように見えた瞬間、光が弾け、女の手の内に収束する。そして、光の中から一振りの太刀が具現した。
「呼び出したるは、召喚武装ラヴァーソウル! 磁力を司る能力、刮目あれ!」
赤毛の女は、ゼフィルの口調に苦笑を浮かべたようだったが、召喚してみせた太刀を掲げ、軽く振り回すことで、司会者の言葉に反応した。生徒たちの中から歓声が上がる。ミリュウも、ガンディア国内では知らぬものがいないほどの有名人だ。ザルワーンの武装召喚師育成機関・魔龍窟出身ということも知られているし、ザルワーンの五竜氏族リバイエン家の出身だということも周知されている。しかし、彼女がもっとも有名なのは、ガンディアの英雄にして《獅子の尾》の隊長セツナに年がら年中べったりとくっついていることで、なのだ。
それにより、彼女はセツナの恋人や愛人のひとりなどと噂されることが多く、ガンディア政府関係者からも腫れ物に触れるように慎重な扱いを受けることが多い。彼女の機嫌を損ねることはすなわちセツナの機嫌をも損ねることになりかねないかもしれないからだ。それがただの杞憂であれ、細心の注意を払うべきなのは間違いない。
その上、彼女もまた、《獅子の尾》隊士としてガンディアの勝利に貢献してきた武装召喚師であり、クルセルク戦争のおりにはレオンガンドの命を守ったことで名を馳せた。彼女の名と姿に歓声があがるのも当然といえる。
「《獅子の尾》隊長補佐ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリア!」
つぎに紹介されたファリアもまた、知名度の高い人物だ。名が呼ばれただけで歓声が上がった彼女は、青みがかった髪と同じ青を基調とした新式鎧を身に纏っている。
特に武装召喚師を目指している生徒たちが彼女のことを知らないはずもない。ファリアという名は、武装召喚師を目指すのであれば、まっさきに知るべき名前であろう。もちろん、この場合のファリアとは戦女神ファリア=バルディッシュの名前であり、彼女のほうではない。とはいえ、ガンディアにおけるファリアは往々にして戦女神ではなく、《獅子の尾》隊長補佐のファリアを指す場合が多く、また、彼女自身も有数の武装召喚師であり、ガンディア人ならば戦女神よりも彼女のほうがよく知っていることだろう。
ファリアもまた、ミリュウと同じようになにか言葉を発し、武装召喚術を完成させた。彼女の周囲に光が生じ、左腕に収束する。莫大な光の中から顕現するのは、水晶のような美しい結晶体の集合物であり、翼を広げた怪鳥のような異形の武器だった。
「呼び出したるは、召喚武装オーロラストーム!」
一見すると武器には見えないそれは、しかし、ファリアの代名詞ともいえる召喚武装であり、威力、射程、範囲を兼ね備えた強力な兵器だった。怪鳥の翼を構成する無数の結晶体がわずかに輝いているように見えた。
毅然とした表情でオーロラストームを構えるファリアに声援を送るものもいれば、息を呑むものもいた。ミリュウと違って、彼女は表情に隙ひとつ見せない。怜悧さが売りの彼女らしいといえば彼女らしいのかもしれない。彼女も、セツナの愛人のひとりと噂されることもあるが、そういった噂がミリュウよりも控え目なのは、彼女自身がミリュウほどセツナにべったりしていないこともあるだろうし、彼女の性格がそうさせるのかもしれない。
ミリュウのようにセツナにべったりとくっついているファリアなど、レオンガンドにも想像できなかった。しかし、ファリアがセツナに並々ならぬ好意を抱いているのは知っているし、彼女がリョハンではなく、ガンディアのセツナの側にいることを選んだということも、知っている。それがどういうことなのかといえば、ガンディアにとっては戦力の確保を意味する以上のものはないが、彼女にとっては人生の大事に違いない。
「《獅子の尾》副隊長ルウファ・ゼノン=バルガザール!」
三番目に召喚されたのは、金髪碧眼の貴公子然とした青年であり、黒い隊服の上に着込んだ純白の軽装鎧が彼の容姿を引き立てるようだった。貴賓席から声援が飛んだかと思えば、アルガザード大将軍が嬉しそうに声を張り上げていた。ふと背後を一瞥すると、《獅子の牙》隊長が苦笑を浮かべている。ルウファはアルガザードの次男坊であり、《獅子の牙》隊長の実弟でもある。また、学園生徒の中には三男坊のロナンがいるらしく、この場にバルガザール家が揃い踏みしているということだった。ルウファと結婚を誓い合った仲であるエミル=リジルも、《獅子の尾》の隊員として参列者の中にいる。あとはアルガザードの妻さえいれば、完璧だったのだが。
そんなことを考えてしまう自分に苦笑して、レオンガンドは視線を前方に戻した。
すると、ルウファの全身が爆発的な光に包まれていた。つぎの瞬間、光の中になにかが出現するのが、なんとはなしにわかる。
「召喚武装はシルフィードフェザー!」
光が消え去れば、ルウファの全身を包み込むように出現した召喚武装の詳細が明らかになる。純白の外套は、冬の風に吹かれて翻った。しかし、前のふたりに比べて地味だったためか、歓声はあまり起きなかった。が、ルウファにとってはそれは想定内の出来事だったのかもしれない。彼は微笑とともに外套を翻した。外套が一瞬にして一対の白き翼へと変化したことで、そこにひとりの天使が出現したかのような錯覚に見舞われる。美しい光景だった。歓声が上がる。
ルウファの名も、国内では知らぬものがいないほどに有名だ。ザルワーン戦争以来、ガンディアの勝利に幾度となく貢献してきた武装召喚師なのだ。その上、バルガザール家はガンディアにおいて有数の武門の家柄であり、バルガザール家当主が大将軍を、長男がガンディアにおける最高位の騎士である獅騎の称号を叙勲されたことでもよく知られている。その次男坊が王宮召喚師となり、《獅子の尾》副隊長として名を馳せているのだ。
また、彼はその整った容姿故、女性に人気があった。彼が軽く手を上げただけで生徒の中から黄色い歓声が飛ぶのも当然といってもよかったのかもしれない。純白の翼を広げたルウファは、まさに天使と呼ぶに相応しい姿をしていた。
「そして最後を飾るのは《獅子の尾》隊長にして我らが黒き矛セツナ・ゼノン=カミヤ!」
短縮名での紹介とともに大歓声が上がる。歓声を上げたのは生徒だけではない。生徒以外の参列者たちからも、ガンディアの英雄を称える声が上がり続けた。
彼は、式典会場の真正面に立っていた。黒い隊服の上から黒を基調とするどうにも禍々しい鎧を身に着けている。ほかの三人同様兜は身に着けておらず、黒鎧に似合う黒髪と、真紅の目が黒の中に映えているように思えた。彼は右腕を掲げ、なにかを口走った。おそらく武装召喚という言葉だろう。それこそ武装召喚術を完成させるために必要な言葉であり、呪文の中で唯一の現代語だった。呪文の末尾であり、結語。唱えた瞬間、彼の全身が爆発的な光を発した。学園の敷地内が白く塗り潰されるほどの光量は、一瞬にして彼の右手の内に収束し、なにかが顕現する。
破壊的なまでに禍々しい漆黒の矛。
「召喚したるは黒き矛カオスブリンガー!」
セツナは、ゼフィルの解説に合わせるように黒き矛を掲げた。いつ見ても背筋に寒気を感じるような恐ろしさを秘めた召喚武装は、掲げられた瞬間、会場の空気を一瞬にして冷ややかなものにした。歓声を上げるのが場違いなものだと実感させるほどの禍々しさをそれは放っている。幾多の敵を鏖殺してきた、英雄の武器。だが、どれだけ輝かしい栄光と名誉をもってしても、それの持つ恐ろしさを薄めることはできない。
故に、セツナへの声援が鳴りを潜め、会場の空気そのものが冷え込んだ。
無論、セツナの人気、知名度がほかの三人に劣るわけではない。むしろその逆で、認知度や人気においてガンディア国内で彼を越えるものはいないのではないかというくらいに知れ渡っている。国内だけではない。国外でも彼の雷名は轟き渡っている。マルディアの王女が目を輝かせるくらいには、彼の実績と実力は喧伝されていた。ガンディアが宣伝するまでもなく、だ。
噂や風聞には誇張がつきものだが、彼の場合、誇張するまでもない。ザルワーンの守護龍を打倒したというだけでも常人には計り知れないものであり、そこに巨鬼の撃破や万魔不当、九尾の狐退治を含めると、もはや事実が虚構染みてしまうといっても過言ではない。
武装召喚師を目指すものが増大したひとつの理由もまた、彼だったりする。
黒き矛を携えた少年の成り上がり物語は、一般の人々にある種の希望を与えた。武装召喚術さえ身に付けることができれば、セツナのようにどこの馬の骨ともわからない人間が領伯の座に登りつめることだって不可能ではないのではないか。セツナのような英雄になることは難しくとも、自分の置かれている状況を覆すことくらいならば簡単にできるだろう。王立召喚師学園への入学希望者の中には、そういう考えを抱いたものも少なくはあるまい。
それくらい、セツナの立志伝というのは知れ渡っていたし、彼のこれまでの活躍を題材にした詩や物語が作られ、ガンディア国民に親しまれていた。
彼はまさに英雄なのだ。
その英雄が、いままさに武装召喚師を目指そうという若者たちのために召喚武装の能力を実演しようというのだから、カオスブリンガーの出現によって会場の冷え込んだ空気も一瞬にして熱量を取り戻す。
「それでは、《獅子の尾》の皆様には、武装召喚師がいかなるものか、見せていただきましょう!」
ゼフィルが促すと、会場の人々が固唾を呑んで見守る中、《獅子の尾》の四人が同時に動いた。