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第千二百九話 止まらない

 ジゼルコート伯襲撃事件は、その日のうちに王宮区画のみならず、王都中に知れ渡った。セツナ伯暗殺未遂事件に続く王宮警護の不手際ということもあって、大々的に報道され、ガンディオン中に衝撃が走ったのはいうまでもない。

 襲撃犯は、ガンディアの貴族だった。名をカルム=ニズンという。家柄としてはガンディアに古くからある家であり、ガンディア貴族のほとんどと同じように、ガンディア王家から分かたれた家のひとつだ。もっとも、ニズン家とガンディア王家の繋がりは、最初だけであり、それ以降、ニズン家の血がガンディア王家に入ることも、ガンディア王家の血がニズン家に入るようなこともなかった。その点、名家中の名家であるアンスリウス家やバルガザール家とは比べ物にならないといっていい。アンスリウス家は、度々王家にその血を入れ、王女を家に迎えるなどしていたし、バルガザール家も同様だった。ガンディアの有力貴族というのは、多くの場合、ガンディア王家との血の繋がりが深い貴族のことをいう。つまり、ニズン家は有力貴族ではなく、弱小貴族といってよかった。そんな弱小貴族の若い当主が、カルム=ニズンという青年であり、彼は、昨年発足されたセツナ派に所属することで、ニズン家の立場を少しでも向上させようとしていたらしい。

 そんな彼がなぜジゼルコートを襲撃したのかは、本人の証言からも明らかになっている。

「奸賊か」

 レオンガンドは、部下からの報告を受けて、会議場で聞いた叫びを思い出していた。まさに魂の叫びともいうべき声は、いまもレオンガンドの記憶に残っている。カルム=ニズンは、ジゼルコートを奸賊といった。

(奸賊……)

 彼は、ジゼルコートがベノアガルドと繋がっているものだと思い込んでいたのだ。思い込みが、彼を過激な行動に走らせた。

 そう思い込む理由はないではない。レオンガンドがジゼルコートを怪しむようになった原因もそれだ。ジゼルコートは以前、ベノアガルドの諜者アルベイル=ケルナー(テリウス・ザン=ケイルーン)を国内に招き入れ、御前試合、王宮晩餐会に参加させたことがある。ジゼルコートによれば、ベノアガルドの諜者を泳がせることで、ベノアガルドの動向を探ろうとしていたということであり、理解できない話ではなかった。レオンガンドがジゼルコートの立場であっても同じようにしたかもしれない。ただし、その場合でも、主である国王には話を通しておくべきだし、それが無理でも、軍師にはいっておくべきだった。ジゼルコートは完璧主義者だ。失敗を嫌う。レオンガンドやナーレスに話を通すことでベノアガルドの諜者に感づかれ、警戒されることを恐れたという可能性も低くはない。故に、ジゼルコートを疑いたくとも疑いきれないところがあるのだ。それ以降のジゼルコートの動きから、ガンディアへの敵対的な行動が見られなかったのも事実であり、彼がガンディアのために尽力しているのは疑いようのないことでもあった。彼は敵ではないと想いたいというのもあった。

 が、それはレオンガンドの都合だ。

 カルム=ニズンとは、違うのだ。カルムはジゼルコートがベノアガルドと繋がり、ガンディアを彼の国に売り渡すものだと思い込んでいた。その思い込みが決定的になったのが、今回の大会議の結果だということらしい。マルディアへの派兵の決定こそ、ジゼルコートがベノアガルドと繋がっている証左だと彼は叫んだという。マルディアに差し向けられたベノアガルドの騎士団と力を合わせガンディアを滅ぼすつもりに違いないのだ、と彼はいう。だからジゼルコートをこの手で討たなければならないという使命感に駆られ、彼は行動を起こしたのだ。

 カルム=ニズンの襲撃によって、ジゼルコートは深手を負った。右眼を失い、さらに胸の辺りを斬られている。幸い致命傷ではなく、ジゼルコートは意識を失ってさえいないものの、その傷の酷さはレオンガンドをして目を背けさせるものだった。

『恨まれるのは、なれておりますが』

 ジゼルコートの護衛によって拘束されたカルム=ニズンを見下ろしながら、彼は苦痛に表情を歪めながらいったものだった。

 その後、カルム=ニズンは王宮警護に引き渡され、王宮警護と情報部によって取り調べを受けた。その結果、彼がなぜジゼルコートを襲ったのかは明らかになり、理由も理解できるものだったのだが、ひとつだけ不審な点があった。

 ジゼルコートがベノアガルドの諜者をガンディアに招き入れたという情報は、一部の人間しか知らないものだったのだ。カルムがどうやってその情報を仕入れたのかは調べる必要があり、それは情報部の仕事となった。

「例のカルム=ニズン。セツナ派だそうだな」

「はい。セツナ派結成直後、アレグリア殿に入党を申し込んだようですな」

「アレグリアのことだ。彼の背後関係を洗い浚い調べあげたはずだ。その調査結果、受け入れることにしたのだろうが……」

 いくら派閥を大きくするためとはいえ、だれでも彼でも受け入れるわけにはいかないと、アレグリア=シーンならば考えるだろう。実際、セツナ派に入れなかったものもいるという。元太后派の貴族などは受け入れがたいとしていた。元太后派とはつまり反レオンガンド派であり、親レオンガンド派であるセツナ派とは相容れない存在だった。その上、派閥の主であるセツナ自身が太后派によって暗殺されかけている。元太后派の人間がセツナ派に鞍替えするなど、なにかを企んでいると見るのが普通だ。太后派の人間にとって、セツナほど憎たらしい人間はいないのだから。

 そんなアレグリアが受け入れたということは、元中立派のカルム=ニズンの背後にはなにもやましいものはなかったのだろう。

「ジゼルコート伯は、セツナ伯への責任は追及しないとのことです」

「ま、当然ですな。カルム殿はセツナ派に属しているだけであって、セツナ伯との関係はあまりにも浅い。これでセツナ伯の責任を問うとなれば、反発する声が大きくなるのも目に見えています」

「だが、王宮警護管理者の責任問題は避けられまい」

 大会議室の内外も王宮警護が警備しているはずの空間であり、そのような場所で刃傷沙汰が起きれば、その責任は管理者に問わなければならないのは当然だった。カルム=ニズンは刃物を携帯したまま大会議場付近に身を潜めていたというのだ。通常、王宮警護によって見咎められ、刃物は没収された上、会議場の前から去るよう警告されるはずだ。それがないまま、大会議が終わり、ジゼルコートが会議場前で談笑しているところにカルム=ニズンが近づき、いきなり斬りつけたというのだ。カルムが叫んだのは、二の太刀を入れる直前だったという。

 王宮警護の警備は完璧だといわれていた。実際、現在の体制になってからというもの、今日の事件が起きるまで、事件らしい事件が起こったことはなかった。不審者は即刻逮捕されたものだし、王宮内で騒ぎが起きようものなら、王宮警護が即座に対応した。今回の事件だって、普段の王宮警護ならば対処しきれたはずだ。

 なにかがおかしい。

「アヴリル殿には不運なことでございますが」

「仕方のないことだ。アヴリルには王宮警護および都市警備隊の管理官を降りてもらうよりほかない」

 王宮警護および都市警備隊を管理していたのはアヴリル=サンシアンである。ガンディアでも有数の名家サンシアン家の人間であり、オーギュスト=サンシアンの妹である彼女は、王宮警護と都市警備隊を再編し、現在の体制を作り出した張本人だ。彼女の監督によって王宮警護は生まれ変わり、都市警備隊、王立親衛隊との連携によって獅子王宮の警備体制は完璧に近いものになっていた。だが、今回、あってはならない事件が起きたのだ。そうなった以上、彼女には辞任してもらうよりほかない。

「それでは、王宮警護と都市警備隊はどのように?」

「我々がだれを据えても、ジゼルコートは納得すまい。彼が襲われたのだからな」

「では、ジゼルコート伯に?」

「……領伯と管理官を受け持つのは大変だろう。彼の息子に任せよう」

「ゼルバードに、ですね?」

 ジルヴェールがわざわざ尋ねてきたのは、彼もまたジゼルコートの実子だからだ。ゼルバードとジルヴェールは兄弟であり、昔から仲のいい兄弟として有名だった。ゼルバードもジルヴェールともどもよく遊んだ記憶がある。ゼルバードは、よくリノンクレアについて回ったものだった。リノンクレアのことが好きだったのだろう。

 そんなことを思い出して、胸中で苦笑する。どうでもいいことだ。

「そうなる。君はわたしの側近だからな。君を据えても、彼が納得するとは考えにくい」

「でしょうね」

「……しかし、だれがジゼルコートを亡き者にするつもりだったのだ?」

 レオンガンドは、首を傾げた。

 レオンガンドは、今回の事件、カルム=ニズンなる若い政治家の暴走ということで片付けるつもりは毛頭なかった。この場にいるだれもがそう認識しているはずだ。

 まず、カルム=ニズンがどうやってジゼルコートとベノアガルドの繋がりを知ったのかというところに疑問がある。簡単に知ることができるような情報ではない。つぎに、どうやって王宮警護の目を出しぬいたのか、だ。カルム=ニズンは、ごく普通の若者だ。貴族の務めとして剣の扱いを含め、一定の戦闘訓練を受けているのはわかるが、それだけだ。王宮警護の警戒を出し抜けるような実力者には見えなかった。王宮警護が彼に協力したのではないかという疑いがあるのだが、それはアヴリルが彼を差し向け、ジゼルコートを亡き者にしようとしたという考えに至るものではない。アヴリルにそのような行動を起こす理由がなかった。彼女は正義感の塊のような人物ではあったが、そのために王宮の秩序を乱すようなことはしないだろう。彼女は王宮警護の管理官なのだから。

「確かに……」

 ジルヴェールが眉根を寄せた。

 彼にも、ほかの側近たちにもまったく想像のつかないことだった。

 狙われたのは、ジゼルコートだ。

 ジゼルコートを亡き者にして利を得るものがいるかというと微妙なところだ。ジゼルコートはみずからの派閥を持たず、ただ領伯としてガンディアの政界に君臨しているといってもいい。これまでの実績と王家に血筋、そして領伯という肩書が彼の立場を保証しているのであって、彼が死んだところで、空いた席にほかのだれかが座れるわけではないのだ。彼を失うことによる政治的停滞こそ恐れるべきであり、故にレオンガンドも彼を失いたくないのだ。

 敵であってほしくないと想うのだ。


 

 血潮の熱さを思い出して、彼は小さくうめいた。

 半分ほどが失われた視界に映るのは、医務室の天井だ。白い天井。王宮の医務室が白で塗り潰されているのは、白が清潔さを示す色だからだという。また、白は汚れが目立つからでもある。医務室は清潔を保たなければならない。汚れがあればすぐに洗い流し、綺麗にしなければならず、そういうことを考えた場合、室内全体を白一色に染め上げるのは合理的なのかもしれない。汚れが目立てばそれだけ清潔感を保ちやすくなる。

 清潔な空気は、心を落ち着かせる。欠けた視界を埋め尽くす白さもまた、気分を落ち着かせるのに役だってはいた。それだけで、この医務室の白さには納得できるというものかもしれない。

 とはいえ、彼は白が好きではない。

 そのため、この医務室からさっさと出たいのだが、体がそうさせてくれなかった。

 斬られた。

 それも、二度もだ。

 一太刀目は、右眼を裂いた。おそらく頭部を断ち割るための一撃であり、避け損なえば死んでいた絶命していた可能性もある。運が悪ければ死んでいたということであり、つまり、天が彼を生かしたともいえる。そう信じるのも悪くはない。

 苦笑する。

「親父殿。なにがおかしいのです?」

「いや、な。中々に鋭い太刀筋だったと思いだしてな」

「逆賊の太刀筋を褒められるとは、さすがは親父殿。剛毅な」

 ゼルバードの声は、ジゼルコートを賞賛するというよりは、呆れるというものだった。横目に彼の表情を見ようにも、彼が寝台の右側に座っていることもあって、よく見えなかった。右眼を失ったことで、視界が半分ほど欠けているのだ。首ごと視界を動かせばいいのだが、胸の傷がそれを許さなかった。首を動かせば、胸の傷が必要以上に疼き、痛みを訴えた。

 二太刀目が、胸に入っている。無言の一太刀目から二太刀目へと至る際、相手が叫んだこともあって、ジゼルコートはなんとか対応できた。後ろに下がることができたのだ。おかげで、致命傷は回避できた。しかし、胸に真一文字に刻まれた一閃は、彼にしばらくの活動を許さないものとなった。右眼の傷もある。完治するまでの間、動くに動けないだろう。

「剛毅というほどでもないさ」

「親父殿を剛毅と呼ばずして、だれを剛毅と呼ぶのです。普通、取り乱すものですぞ」

「覚悟の違いだよ」

「覚悟……」

「ガンディアのためならば命を投げ捨てることくらい、覚悟の上だ」

 ジゼルコートは、真っ白な天井を見つめながら、いった。

 カリム=ニズンは、彼の思惑通りに行動を起こし、思惑以上の傷跡をジゼルコートに刻みつけた。カリムのような正義感に酔い痴れるような愚か者を操るのは造作もない。カリムは自分が操られていることにさえ気づいてはいまい。正しいことをしたと思い込んでいるに違いなかった。

 その愚かな正義を断行した結果、王宮警護も都市警備隊もレオンガンドの手から離れざるを得なくなった。当然だろう。王宮は、王宮警備の管轄であり、王宮警備の不手際は、管理官の責任問題となる。管理官がレオンガンドの息がかかったものであった以上、つぎの管理官には別派のものを据えるほかない。セツナ派はレオンガンド派の分派であることが明らかであり、かといって反レオンガンド派の人間を据えるわけにもいかなければ、中立派には相応しい人材がいないのもまた事実だ。

 であれば、ジゼルコートを据えるか、ゼルバードを管理官に任命することにならざるを得ない。ガンディアの政治力学とはそのようになっている。

 果たしてジゼルコートは、ガンディオンの警備網を手中に収めた。

 ゼルバードは、ジゼルコートの手足だ。

 みずからの意志でレオンガンドの手駒となったジルヴェールとは、違う。

 ゼルバードに己の意志はない。ジゼルコートの意のままに動く人形に過ぎない。故に、ゼルバードはジゼルコートの後継者足りえず、彼をレオンガンドに差し出すことはできなかった。能力的に見ても、ジルヴェールとゼルバードは大きく異なるのだ。優秀な政治家であるジルヴェールとは違い、ゼルバードは政治向きではない。

 ゼルバードは、戦力だった。

 レオンガンドを打倒するために構築した戦力のひとつだった。

(もう、止められぬ)

 ジゼルコートは、胸中で告げた。

(止められぬのだ)

 だれとはなしに、告げた。

 準備は、整った。


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