第千二百八話 事件
「大会議の結果、マルディアの救援要請に応じることに決定しましたが、いますぐに、というわけにはいかないことをご了承ください。なにぶん、軍勢を派遣するとなると、準備に時間がかかるもの」
レオンガンドがユノに向かって告げたのは、大会議が終わってすぐのことだった。ユノ・レーウェ=マルディア率いるマルディア使節団は、レオンガンドが歩み寄るなり、全身で感激を表したものであり、それを見ただけで、レオンガンドはなんだか救われた気分になった。そして、決議が間違いではなかったとも思った。彼らはその感動を国に持ち帰るだろうし、マルディアはガンディアに対して悪感情を抱くまい。快く、ガンディアに従属してくれることだろう。
無論、マルディアの国土から反乱軍と騎士団を撃退することに成功した暁の話だが。
「もちろんでございます、陛下」
ユノが大袈裟なまでの身振りで喜びを表した。王女とはいえ、少女だ。豊かな感情表現は、彼女の素直な性格がそのまま現れているといってもいいのかもしれない。髪飾りが揺れ、宝石がきらめいた。
「そして、ガンディアの皆様方の御決断、マルディアの民を代表して感謝いたします」
「こうして決議した以上、必ずやマルディアの地より反乱軍、騎士団を追い散らし、マルディアを取り戻してみせましょう」
レオンガンドは、そういってユノと使節たちに約束した。明言した以上、実現しなければ嘘だ。
「なんとも心強いお言葉でございます」
「それもこれも、王女殿下が御自らガンディアを訪れ、尽力なされたからでございましょう」
「わたくしの尽力など、取るに足らぬものでございます」
ユノが恥じ入るようにいってきたが、レオンガンドは、取り合わなかった。
「しかし、王女殿下の御心に動かされたものがいるのもまた、事実」
レオンガンドがそういって視線を注いだのは、会議場内で仲間や部下に囲まれる人物だ。セツナである。彼は、シーラとエスクのほか、《獅子の尾》の部下たちにも囲まれ、何やら話し込んでいる様子だった。そこにレムとラグナ、ウルクまで飛び込むように参加する。閉会とともに会議場が開放されことで、会議場の外で待機していた彼女たちはいてもたってもいられなくなったのだろう。セツナの頭に飛び乗ったラグナの存在に仰天するものも少なくはなかった。人間に懐いているワイバーンなど、それだけで驚嘆に値する。
「陛下……」
「なにも悪いことではございません。政治には駆け引きがつきもの。そして、王女殿下は、自国のためにもなんとしてでもガンディアを動かす必要があった。それだけのことです」
「あの、わたくし、なにもしていませんよ……?」
ユノがおそるおそるいってくる。レオンガンドに向けられる真剣なまなざしは、彼女が嘘偽りなく告げてきているという証拠だろう。レオンガンドは、彼女の不安を取り除くため、つとめて穏やかな笑顔を浮かべた。
「ええ、わかっていますよ。セツナほどのものがそう簡単に動かされるわけもありませんし」
「そ、そうですよ。セツナ様がわたくしに心動かされることなど、ありえませぬ」
ユノが強い口調で言い切ると、使節団の文官たちが互いの顔を見合わせて、怪訝な表情になった。彼らにはわからないことのようだった。おそらく、ユノがセツナにあったのは、彼女の独断であり、暴走といってもいいようなものだったのだろう。アーリアによれば、ユノがほかの貴族や政治家と直接会っていることはない。セツナとだけ、ふたりきりの時間を作っている。セツナならば与し易いと踏んだのだろうし、それはある意味では間違いない。
セツナは、情に脆いところがある。困っているひとを放っておけないというべきか。セツナの行動原理がそれだ。
それからしばらく談笑した。今後のことについて話しあい、ユノたちはガンディア軍とともにマルディアに向かうことにしているという確認も取った。もちろん、マルディアには、ガンディアの協力を取り付けたという報告だけはするようだが、しばらくはガンディアに留まるということだ。
「王女殿下も使節の皆様も、派兵の準備が整うまでゆるりとなされよ」
「はいそのお言葉、ありがたく頂戴いたします」
レオンガンドは、ユノと使節団と別れの挨拶を交わすと、親衛隊を連れて大会議場を出ようとした。大会議場にはまだまばらにひとが残っている。勝利の余韻にひたる貴族もいれば、談笑しているものもいる。レオンガンドの側近たちがなにやら討論を交わしている様も見受けられるが、彼は気にもとめなかった。彼らが激論を戦わせるのはいつもの事だったし、彼らがそれぞれに意見を持つのも自由だった。同じである必要はないとレオンガンドは考えている。同じような主義、同じような思考をしているということは、同じようなものしか見えないということでもある。様々な考え方から様々な視野が生まれ、そういった多種多様な政策こそ、ガンディアに必要不可欠なものだと確信している。もちろん、そういった多種多様な政策の中から国にとっていま必要なものを選び出せる能力がなければいけないのだが、幸い、レオンガンドにはそういう能力だけはあるようだった。そして、ガンディアには有能な政治家がいる。最悪、レオンガンドが間違った判断を下したとしても、修正してくれるのだ。それがジゼルコートという人物であり、だからこそレオンガンドは彼を敵に回したくはなかった。
そんなことを考えていたから、というわけではないだろうが。
「奸賊ジゼルコート、覚悟!」
レオンガンドが会議場の出入り口に近づこうとした時、会議場の外から鋭い叫び声が聞こえ、会議場の内外に緊張が走った。続いて使用人や様々な人間の悲鳴が響き、つぎに怒声が轟いた。
「貴様!」
「おのれっ!」
「王宮警護はなにをやっている!」
「ジゼルコート伯が負傷! 大会議場を出たところを狙われたようです!」
「……どういうことだ」
レオンガンドは、様々な声が飛び交い、騒然とする大会議場の中で茫然とした。動けなかったのは、親衛隊長たちがレオンガンドの周囲を警戒し、動くことを許さなかったからだ。動きを封じさえされなければ、会議場の外に飛び出して、負傷したジゼルコートに駆け寄ったことだろう。だが、それはできなかった。そして、それが正解に違いない。ジゼルコートが襲われたからといって、レオンガンドに類が及ばないとも限らないからだ。
「賊がまだどこかにいるかもしれません」
「状況が明らかになるまで、動かないほうがよろしいかと」
ラクサス・ザン=バルガザールとミシェル・ザン=クロウの言い分は正しい。
「ああ、わかっている」
それから、大会議場内を一瞥すると、セツナたちの姿が消えていることに気づいた。外の騒ぎに気づいた瞬間、会議場を飛び出したのだろう。彼らならばなにがあったとしても対処できるし、安心だった。レオンガンドとは違うし、並み居る貴族とは違うのだ。見れば、会議室内で談笑していた軍人たちの多くも、まだ動けずにいる。大将軍や左右将軍がレオンガンドのように動けないのはわからないではない。
(やはり頼りになるのはセツナたちか)
無論、レオンガンドを庇う騎士たちが役に立たないわけではないし、将軍以下軍人が頼りにならないはずもない。単純にこういうときに自由に動けるセツナたちが頼もしく思えただけのことであり、他意はなかった。
レオンガンドは、状況が静まるまで動けないことに口惜しさを感じながら、いったいなぜこのようなことになったのかとひとり考えた。考えながら、ひとりで考えても埒が開かないと思ったりした。
事件の詳細は、やがて明らかになる。
そしてそれによって王宮内の情勢が変化するのだが、レオンガンドもそこまでは想像していなかった。