第千二百七話 決議
議題は、マルディアからの救援要請に応ずるか否か、というものだということは以前から告知されていたものであり、獅子王宮大会議場に集ったガンディアの要人たちは混乱もなく会議に参加した。
大将軍が開会を告げるなり、まず反対派が名乗りを上げた。反対派の筆頭に立ったのは、ミズウェル=ユーリーンという初老の政治家であり、彼はガンディアの置かれている現在の状況を挙げて、マルディアへの救援は無謀だといった。ミズウェルは、ガンディアの貴族ユーリーン家の当主である。ユーリーン家といえば、《獅子の牙》に属するシェリファ・ザン=ユーリーンが有名だが、ミズウェルはそのシェリファの実の父親であり、シェリファは《獅子の牙》隊長ラクサス・ザナフ=バルガザールとともにレオンガンドの側に控えていた。彼女は、父親の発言にも顔色一つ変えなかった。父親が反レオンガンド派に片足を突っ込んでいることを気にしてはいるものの、父と自分は違うという確固たる意志を持っているのが彼女だ。なんの心配もない。
そうなのだ。ミズウェル=ユーリーンは、予てから反レオンガンド派に傾倒しているという話がレオンガンドの耳に届いていた。ラインス=アンスリウスに感化され、リノンクレア派、太后派と派閥を渡り歩き、ラインス一党の壊滅後は、鳴りを潜めていた反レオンガンド派貴族たちとつるんでいるらしいという話が聞こえていた。
反レオンガンド派だからといって取り締まるわけもない。政に様々な意見が飛び交うのは当然のことだったし、そのほうが、レオンガンド派一色になるよりは風通しのよい政治が行えるというものだ。反レオンガンド派に属するものがすなわちレオンガンドの足を引っ張るかといえばそうではないし、ラインス=アンスリウスだって、セツナ暗殺を計画するまでは、ガンディアのために尽力していた人材ではあったのだ。政治家として有能ならば、どのような意見をもっていようと構わないというのが、レオンガンドの考えだった。もちろん、ガンディアの国益を損ねないという前提ではあるが。
ガンディアの敵にさえならなければ、問題はない。
毒を毒とするのか、薬とするのかは、結局のところ用いようであろう。
たとえばジゼルコートがなにかしら企んでいるとして、それをそのまま放置すれば猛毒となって猛威を振るうだろうが、劇薬として利用することもできるかもしれない。
会議が進行する中、レオンガンドは、そのように考えていた。
反対派がつぎつぎと名乗りを上げる。多くは、反レオンガンド派の政治家であり、彼らはミズウェルの発言を支持した。ミズウェルの提示したガンディアの現状というのは、クルセルク戦争からこっち、ガンディアの国力は回復しきっていないというものだ。クルセルク戦争での甚大な犠牲は、いまも痛々しいまでの爪痕を残しているといっても過言ではない。その上、アバード動乱への参戦は、ガンディア軍に多大な損害をもたらしている。それぞれ約一年、約半年も前のこととはいえ、失った兵力がそれだけで回復し切るわけもない。クルセルク戦争で失った兵力は、クルセルクの半分とノックスを得たことである程度は補うことができた。とはいえ、それは補っただけであり、失われたものは失われたままなのだ。戦力を最大まで回復させることができれば、さらに膨れ上がるということでもある。が、戦力の補充には時間がかかるものだ。各地で徴兵を行っているものの、実戦に耐えうる戦力に鍛えあげるのも簡単なことではない。また、各地に開校した士官学校出身の将兵が軍を彩るのも当分先の話になるだろう。
確かに、ガンディアの戦力は回復しきってはいないのだ。
反対派はいう。その戦力でも、マルディアを救援するのは決して困難なことではないだろう、と。しかし、マルディア一国を救援するだけならばまだしも、ベノアガルドの騎士団と戦うことになれば、戦いが泥沼化する可能性も考慮しなければならないのではないか。ベノアガルドの騎士団がとてつもなく強力だということは、アバード動乱で痛いほど理解したはずだ。セツナ伯自身、騎士団が危険な存在だと認識し、周知徹底させたのではないか。話を振られたセツナは、騎士団の危険性について認める発言をし、派兵反対派を勢いづけた。
反対派が憂慮するのは、マルディア救援の長期化だと、いう。
セツナが憂慮するほどの戦力を誇る騎士団を相手にするということは、ガンディアも本腰を入れて戦力を派遣しなければならないということだ。全軍とはいわないまでも、ガンディア軍の半分ほどは投入しなければならないのではないか。となれば、ガンディア全土の防衛が手薄になる。もちろん、そのための近隣国であり、同盟国、友好国、従属国なのだが、それらが裏切らないとも限らない、というのが反対派の主張だった。
ガンディアの近隣国の中には、当然、ガンディアと友好関係にない国もある。そういった国が、マルディアへの派兵中に侵攻してくる可能性も皆無とはいえない。ましてや、騎士団との戦いが長期化すれば、その可能性は強くなる。反対派はそれを恐れている。
そんな反対派を後押ししたのは、左眼将軍デイオン=ホークロウだった。彼は、クルセルク戦争後からクルセルク方面を担当していたこともあり、クルセルク周辺の国々の事情について詳しく、それによると、アンゼルカ、シャルルム辺りがガンディア領土を狙っており、隙が生まれるのを伺っている状況なのだという。シャルルムはアバード動乱以降、外征に消極的に見えるが、それはシャルルムの常態であり、状況さえ整えばアバードへの電撃的な侵攻のように、ガンディア領土へも侵攻してくるに違いない、と断言した。また、セツナが憂慮するほどの騎士団とは、友好関係を結ぶべきであり、敵対するべきではないという持論を展開、エリウス=ログナーがデイオン将軍の持論を支持した。
つまり、エリウスも反対派に回ったということだ。ケリウス=マグナート、スレイン=ストールも、マルディアへの派兵には反対している。
レオンガンドは、側近の中からも反対派が現れることには驚かなかったし、保守的な側面を持つデイオン将軍がマルディアへの援軍に反対することにも、別段驚きはしなかった。想定の範囲内のできごとだ。
中立派貴族の一部が派兵反対派に回ったのは、反対派の勢いを見てのことなのか、元々そういう考えだったのかはわからない。
大軍団長のうち、ユーラ=リバイエンが反対派に回ったのは、ザルワーン方面軍の実情を一番知っているからだった。ザルワーン方面軍は、アバードでの騎士団との戦いによって多大な犠牲を出しており、兵力が回復するまでしばらく時間がかかるという。そういう理由から、彼は反対した。ガンディア国土の中でマルディアにもっとも近いのがザルワーンだ。マルディアへの派兵が決定されれば、ザルワーン方面軍からもっとも多くの戦力が投入されるのは目に見えている。戦力が不足している現状では納得しがたいというのだろう。
反対派が勢いづく中、レオンガンドはふと、マルディア使節団の席を見た。ユノ王女は、不安げな様子で会議の成り行きを見守っている。いまのところ、賛成の意見が一切出ていないからだろう。反対多数で否決されれば、マルディアは反乱軍の手に落ちる。彼女が不安顔になるのも当然だった。
レオンガンドは、マルディアに援軍を送るべきだと考えている。しかし、この大会議の結果次第では、派兵しないことだってありえた。皆に意見を問うたのは、レオンガンドだ。ガンディア国内の状況を見るためとはいえ、一度そう決めた以上、結果が気に入らないからといって撤回することはできない。皆が決めた結果に従わなければ、彼の信頼は地に落ちるだろう。もちろん、レオンガンドの結論が優先されるのはわかっているが、そうした結果、反発を強めるのは得策ではない。結果としてマルディアが滅びたとしてもだ。
そもそも他国の事情など知ったことではないといえば、そのとおりなのだが。
対して、賛成派の筆頭に立ったのは、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールだ。彼は、ガンディアのためにも、マルディアの救援要請に応えるべきだと力説した。
(ガンディアのため……)
レオンガンドは、政治家ジゼルコートの力量を思い知るような気持ちで、彼の持論に耳を傾けていた。
いわく、マルディアがガンディアを頼ってきたのは、ガンディアが小国家群最大の国に成長したことの証であり、ガンディア以上に頼りになる国がなかったからである。いわく、ガンディアが小国家群統一を目指すならば、救いを求める声にも積極的に応え、信頼を勝ち取っていく必要がある。いわく、ベノアガルドは、小国家群の統一を目指す上で避けて通れない相手である。また、デイオン将軍は騎士団と友好を結ぶべきだといったが、ベノアガルドはガンディアに諜者を放ち、内情を探ろうとした国であり、敵対する意志があるとみるべきだ、ともいった。ベノアガルドと交渉を持つのは構わないが、友好を結べるとは思わないことだ、ともいった。
反対派から、ベノアガルドの諜者を引き入れたのは、ジゼルコート伯ではないのか、という声があったが、彼は鼻で笑った。
それもこれも、ガンディアのためであり、そこに一切の偽りはない、と断言した。
実際、彼の発言に嘘は見えなかった。すべて、心の底から出ているように思えた。真に迫っている。それらの発言がすべて嘘ならば、相当な演技者だろう。政治家たるもの演技者、演出者であるべきだが、ここまで裏表のない人物を演じられるものだろうか。
演じられるのだろう。
レオンガンドは、席に着くジゼルコートを見遣りながら、思った。
ジゼルコートが賛成に回ったことで、反対派の中にどよめきが生じた。すると、賛成派がつぎつぎと名乗りを上げる。右眼将軍アスタル=ラナディース、ガンディア方面軍大軍団長マーシェス=デイドロ、ログナー方面軍大軍団長グラード=クライド、バレット=ワイズムーン、ゼフィル=マルディーンなどなど。レオンガンド派貴族の多くも賛同し、また、中立派の様子見していた連中もつぎつぎと賛成の声を上げた。
そして最後にセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドが派兵に賛成したことで、賛成派がマルディア派兵会議を制したといってもよかった。
最終的には投票の結果で決まることになっていたが、投票結果も賛成多数で終わった。
果たして、マルディア救援問題は、賛成多数により援軍の派兵で決議した。
反対派貴族は肩を落として議場を出、賛成派貴族は手を取り合って喜びを示した。
マルディア使節団はほっとしたような顔を見せ、中でもユノ王女は、感激しながらセツナに手を振っていた。セツナは、そんなユノに笑顔で応じている。ふたりの間でなにかがあったのは間違いないようだが、そのことが問題になるようなことはないだろう。
レオンガンドは、大会議場を見回していると、席に座ったままのデイオン=ホークロウに目が止まった。派兵が決まったことが余程口惜しかったのか、それとも、予想通りだったのか。レオンガンドには、彼の心情を計り知ることはできない。
(デイオンか)
アーリアによれば、ジゼルコートがデイオンに急接近しつつあり、また、ジゼルコートはレオンガンドの側近から仕入れた情報を彼に流していたという。
それはつまり、デイオンの動向にも注視しなければならないということだ。