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第千二百三話 王女の覚悟(二)

 ユノ・レーウェ=マルディア。

 その名から分かる通り、マルディアの王女だ。

 見目麗しい少女だった。まさに王女という言葉を体現するような人物で、容貌ひとつとっても欠点が見当たらなかった。黄金色の長い髪を後ろでひとつに束ね、鈍色の目は深い睫毛に彩られている。大きな目は宝石のようだ。小さな鼻に小ぶりの口が可憐だった。北方人特有の雪のように白い肌は、マルディアが小国家群北部の国であることの現れだろう。体つきは華奢で、細い腕などは、軽く握っただけでも折れてしまうのではないかという懸念さえ抱く。胸は小さいが、年齢的に考えれば妥当だろう。その華奢な体に纏う衣装は質素でありながらところどころに宝石が散りばめられており、その質素さの中に隠された豪華さは、派手好きなガンディア貴族でも真似のできないものかもしれない。マルディアは宝石の原石がよく採れる国として知られており、マルディアの王族などは高価な宝飾品を気軽に身につけるのだという話を聞いたことがあった。ユノの衣装や装飾品も、そういう気軽さで身に着けているのだろう。

 セツナは、レムに案内されて室内に入ってきた少女にどう対応するべきか戸惑いながら、ただ彼女の観察だけを続けていた。

 彼女は、侍女を数名を連れていたようなのだが、侍女たちには室内に入ってこないよう厳命した。侍女たちは王女の命令に従ったものの、不承不承といった様子だった。王女の側に仕えるのが侍女の務めだ。セツナの視線に気がついたのか、彼女はこちらを見て、微笑んできた。

「セツナ伯様がおられるのです。護衛は必要ございませんでしょう?」

「そりゃあ、まあ……」

 なにがあったとしても、セツナならば対処できるだろう。たとえ、突如として皇魔の群れが出現し、襲い掛かってくるようなことがあったとしても、余裕を持って切り抜けることができるし、それくらいできなくてはガンディアの英雄などと呼ばれはしない。

 レムが、机の上に茶器を並べながら、思わぬことを口走った。

「しかし、御主人様が王女殿下に襲いかかられるかもしれませんよ」

「まあ」

 ユノが口に手を当てて、驚く。挙措動作のひとつひとつが可憐で、セツナにはそれが新鮮だった。セツナの周囲には、基本的に強い女性しかいない。ファリア、ミリュウ、レム、シーラ――皆、男をものともしない女ばかりだ。だからこそ、ユノのような見るからに非力な女性を目のあたりにすると、不思議な感じがするのかもしれない。

「こら、レム」

「もちろん、冗談でございます。お気を悪くされたのなら、どうぞ、わたくしめを処断してくださいまし」

「あのなあ……」

 セツナは、レムの軽口に頭を抱えたくなった。彼女の奔放さは、ここのところ格段に増している気がする。それに比べてラグナとウルクの大人しさはどうだ、と思うほどだ。ラグナは空気を読むし、ウルクは基本的に喋ることさえない。

「ふふ。わたくし、冗談は嫌いじゃありませんよ。それに、あなたを処断するのは、わたくしではなく、セツナ伯様のお仕事でございましょう?」

「ああ、そうですね。それはいい提案です」

「いい提案ってなんだよ」

 セツナが半眼を向けると、レムはなぜか頬を染めていってきた。

「では、御主人様、お好きなように処断してくださいませ。できれば過激なのがよいのですが」

「しねえよ馬鹿」

「残念です」

 心の底から無念そうにいいながらも、レムの手は茶器にお茶を注ぐことを忘れていない。彼女は、メイドとして板についてきている。本職のメイドに比べるといろいろとおかしいところもあるに違いないのだが、セツナのメイドとしては十分に機能していた。彼女のおかげで助かることも多い。だから、レムの奔放な言動にも多少目を瞑っているというのもある。

「ふふふ……本当に面白いお方ですね」

「面白すぎて話が進まないのは困ったものですが」

「なにひとつ、困ることなどございませんよ」

 セツナの発言をユノがやんわりと否定してきたことに、驚きを覚える。

「はい?」

「少しでもセツナ伯様のことを知ることができますので」

「どういうことです?」

 セツナは、問いかけてから、彼女がセツナを訪ねてきた理由さえ聞いていなかったことを思い出した。すぐさま、問いなおす。

「そもそも、王女殿下がわたしになんの用事なのです?」

 言葉のひとつひとつに緊張を覚えるのは、相手が他国の王女であり、ひとつ間違えれば国際問題にも発展しかねないことだからだ。レムの言動にひやひやしたのも、それが原因だったし、ラグナとウルクが空気を読んで沈黙してくれていることには感謝しかなかった。だからこそ、レムの茶々入れには細心の注意を払わなければならないし、自分の言葉遣いにも緊張しなければならない。

 相手が下手に出ているからといって、調子に乗ってはならないのだ。セツナはガンディアの領伯に過ぎない。

 ユノは、セツナの目をじっと見つめてきた。大きな目が、潤んでいるように見える。魔晶灯の光がその大きな瞳の中で輝きを放っているのだろう。

「用事がなくては、訪ねてはいけませんか?」

「……そういうことではなくて、ですね」

 軽く頭痛を覚えたのは、愚にも付かぬやり取りだからにほかならない。

「……そうですよね。マルディアの王女みずからセツナ伯様の元に出向くとなれば、なにかしら企んでいると考えるのが普通ですよね」

 彼女は、ため息混じりにいってきた。

「わたくしはただ、セツナ伯様の武勇に聞き惚れ、いつか機会があれば直接お会いして、お話をしたいと想っていただけのことなのです」

「本当に……それだけなんですか?」

 おずおずと、尋ねる。それさえも不敬に当たるかもしれない。が、聞かずにはいられなかった。それは彼女自身がいっていることだ。彼女ほどの立場の人間が、なんの理由もなく、ガンディアの権力者の元を訪れることなど、そうそうあるものではない。

 シーラのような戦闘狂ならまだしも、彼女は、非力な少女に過ぎないのだ。確かにセツナのことは知っているだろう。ガンディアの英雄の雷名は小国家群に響き渡っているという。セツナ自身には実感のないことではあったが、だれもがそういっているのだ。誇張は入っているとしても、マルディアの王女が知らないわけがない。マルディアは、ガンディアに援軍を要請するため、王女と家臣団を使節として派遣してきたのだから。

 しかし、ユノは、セツナを上目遣いに見つめて、心に訴えかけてくるのだ。

「はい。信じてもらえないでしょうが……」

 ユノの言葉に嘘はない――とは、言い切れなかった。だが、セツナは、彼女の言葉を否定しなかった。

「いえ……信じますよ」

「本当ですか! 嬉しいです!」

 笑顔を浮かべ、胸の前で両手を重ねる王女の様子を見て、セツナは内心安堵した。対応を間違えてはいないようだったからだ。彼女はマルディアからの大切な客人なのだ。失礼なことがあってはならないという考えから、セツナの取れる行動は限られていた。もちろん、彼女とて自分の立場をわきまえているだろう。無茶なことはしないはずだという認識が、セツナの中にある。だから緊張もある程度は緩和されるのだが。

(しかしな……)

 レムがにこやかにこちらの様子をうかがっているのが気になって仕方がなかった。まるでセツナの言動を脳内に克明に刻みつけているかのような集中力で、こちらを見ている。相変わらずの笑顔なのだが、その笑顔の中に見え隠れする妙な眼力が彼女の本心を表しているような気がしてならない。なにを考えているのか、それだけでわかる。セツナのユノに対する発言をファリアやミリュウに報告するつもりなのではないか。

 彼女には、そういうところがあった。

「それで……あの……非常に申し上げにくいことなのですが」

 不意に、ユノが話しかけてきたことで、セツナは意識を彼女に集中させた。膝の上に置いた手をもじもじとさせながら、どこか気恥ずかしそうにしている。その姿はまさに純真な乙女そのものであり、セツナの目にはあざやかな光を放って映った。

「なんでしょう?」

「ふたりきりでお話したいのですが……いけませんか?」

「ふたりきり?」

「はい、ふたりきりで……。やはり、駄目でしょうか?」

 セツナは、彼女の上目遣いから慌てて目をそらすと、すかさずレムに目配せした。彼女はなにもいわずににこやかに頷くと、そそくさとお茶の入った容器を机の上に置いた。そして、ウルクに歩み寄り、彼女を部屋の外に押しやろうとしたのだが、魔晶人形は微動だにしない。ウルクの頭の上でくつろいでいたラグナが首を傾げる。

「なんじゃなんじゃ?」

「なんでしょう? レム」

 ウルクは、自分を動かそうとするレムを不思議そうに見ていた。もっとも、表情に変化はない。いつもの無表情なのだが、セツナには、彼女の顔に表情があるように思えてならないときがある。きっと気のせいで、幻覚かなにかなのだということも理解しているのだが。

「ウルク様も、ラグナも、わたくしともども室外にて待機しているよう、御主人様の御用命にございます」

「話の邪魔なのじゃな。よかろう」

「警備上、おすすめできませんが」

 レムがこちらを一瞥した。淡く発光する双眸がこちらを見据えている。精巧に作られた美女の顔は、いつ見ても美しい。もう見慣れたとはいえ、彼女ほど完成された美貌を誇る人物などそういるものではなく、彼女は街を歩くだけで人々の視線を釘付けにした。男女問わず魅了するのは、彼女が人間ではないからなのかもしれない。ふと、そんなことを考える。どうでもいいことだ。

「俺がいる。なんの心配がある?」

「ニーウェに刺されたことを忘れたのですか?」

「忘れるかよ。ニーウェがこんなところに入ってくると思うか? ニーウェ以外もだ。王宮はいま、もっとも安全な場所だよ」

 セツナが自嘲気味に告げると、レムとラグナが顔を見合わせて、それから小首を傾げた。セツナの自嘲は、王宮の警備がより厳重になり、より安全になった原因にある。セツナ自身が暗殺されかけた事件がきっかけとなって、王宮の警備体制そのものが見直されたのだ。

 王宮警護、都市警備隊の再編および連携の強化、王立親衛隊との連携を行うことで、王宮の警備網は以前にもまして隙のないものとなっている。実際、王宮の警備体制の再編以来、事件らしい事件は一切起こっていない。

「確かに王宮の警備体制には隙がありません。しかし、相手は武装召喚師。どのような能力を持っているのか明らかになっていない以上、気を緩めるわけにはおきません」

「そうだな。だったら、ウルク、おまえが室外の警備を担当してくれ」

「わかりました」

 ウルクはあっさりと首肯すると、レムの手を取った。

「では、レム。行きましょう」

「え、ええ……それでは御主人様、王女殿下、なにか御用命があれば、いつでもお呼び立てくださいませ」

 レムは、ウルクに引っ張られながら、セツナとユノに向かって深々とお辞儀をして、そのままウルクに抱えられて部屋の外に連れだされていった。レムが非難の声を上げる間もなかった。ウルクは一度つぎの行動が決まると、容赦がなくなるところがあるのだ。融通が効かないというべきか。どこか機械的なところがある。

 人造人間らしいといえば、そうなのかもしれない。

「セツナ様の従者の皆様は、面白い方ばかりですね」

「そうですか?」

「ええ。見ているだけで楽しくなってしまいます」

 それは、彼女の本心なのだろう。こちらに向き直った際、ユノが浮かべていた笑顔は空疎な作り物の笑顔ではなく、心から発している笑顔にほかならなかった。


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