第千二百一話 大陸暦五百三年(三)
セツナは、六十名ほどの配下と《獅子の尾》の部下五名を連れて王宮に入ると、まず謁見の間に通された。
謁見の間では、レオンガンドが玉座にて待ちわびていて、セツナが絨毯の上を進んでいくと、軽く身を乗り出しかけた。自分の立場を思い出したのかすんでのところで踏み止まったが、ほかにだれもいなければ玉座を離れていたのではないかというほどの勢いで、セツナは、そんなレオンガンドの反応が嬉しくてたまらなかった。
アバードでの一件以来、セツナの中のレオンガンド像はますます輝きを増している。元々好意しかなかったのが、あの一件でさらに好きになるのだから不思議だった。いや、なにも不思議なことではない。レオンガンドはあのとき、すべてをさらけ出してくれたのだ。それこそ、本来隠し通すような心情のすべてを明らかにしてくれた。
嫉妬なのだ、と。
そこまでいってくれたのだ。
天地がひっくり返るような衝撃とはまさにそのことだったが、同時に、それまで天上人であり、決して手の届かない位置にいたはずのレオンガンドが、実は同じ高さにいたのだということがわかって、親しみが湧いた。失礼な話だし、不遜極まることだが、人間臭く思えたのだ。
そのことについてはほかのだれにも話してはいないが、セツナがレオンガンドのことを話すとき、いままでとはなにかが違うということを指摘されたことが何度かあった。指摘してきたのは、ファリア、ミリュウ、レム、ルウファくらいのものだったが、指摘されるくらいなのだから、余程変化しているのだろう。
ファリアによれば、以前よりも親しみを込めているとかなんとか。
悪い意味ではないのだろうということは、彼女のどこか嬉しそうな表情から読み取れた。
「セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド、召集令に応じて、部下、配下とともに王都に到着致しました」
「御苦労」
レオンガンドが厳かに、いった。謁見の間には、レオンガンド以外、数名の側近と《獅子の牙》、《獅子の爪》両隊長、両隊士が数名いるのみだった。それに対して、セツナはひとりで謁見の間に通されている。
到着の報告時、謁見の間に通されるのがセツナひとりなのは、いつものことだ。王宮は常に最悪の事態を想定している。セツナたちを疑っているわけではなく、どのような特例も認めないという意志の現れなのだ。
「領伯としての仕事も溜まっているだろうに、手間を掛けさせるな」
「いえ。いついかなるときも陛下の下知に従うのは、領伯として当然のこと。それにわたくしは《獅子の尾》隊長でもございます故」
「そうだったな」
ふと、レオンガンドが口元を手で覆った。目元が笑っている。
「どうされました?」
セツナが尋ねると、彼は困ったようにいってきた。
「いや……わたくしか、とな」
「そこを笑われますか?」
「いや、すまない」
「少しも済まなそうじゃないですよ」
「ああ、わかっている。わかっているとも」
レオンガンドは、なにがおかしいのか、にこやかに笑い続けた。
王都への到着報告の謁見は、そんなふうに穏やかな空気に包まれたまま、終わった。
謁見の間での報告を終えたセツナは、そのまま別室に通された。そこにはセツナの部下と配下たちが待っていて、セツナはしばらく彼らと談笑しながらときを過ごした。その部屋で待っているよう、レオンガンドにいわれたからだ。しばらくして、レオンガンドからの使いがきて、セツナはミリュウのわがままに苦笑しながら部屋を後にした。ミリュウはセツナから離れたくないと駄々をこね、シーラとの間で口論を巻き起こしたのだが、その際の一瞬の隙をついて脱出に成功している。
ミリュウは、ここのところセツナに甘えることが多くなっていた。元々セツナに甘えがちだったのが、より酷くなったというべきだろう。まず間違いなく悪化している。ファリアも頭を抱え、レムもお手上げ状態になるほどで、セツナもミリュウのことが心配になった。まるで幼児退行しているような、そんな気さえした。しかし、ミリュウは相変わらず凄腕の武装召喚師だったし、彼女とシーラの訓練など、声も出ないほどに凄まじいものだった。
『まあ、いろいろあるんでしょう。家に籠もって自主訓練に没頭していたようだし』
だからセツナがいる間はべったりしていたいのだろうというファリアの推測がどこまであっているのかはわからないが、セツナは彼女のなすがままにさせていた。ミリュウは、他人にはない重い宿命を背負っている。そういったものがセツナに甘える事で少しでも和らぐというのなら、いくらでも甘えさせてやろうという気にもなるものだ。
とはいえ、職務に支障をきたすようなのは困るのだが。
使用人に案内されたのは、レオンガンドの私室だった。室内には、レオンガンドだけがいた。アーリアはおらず、そのことを問うと、彼女には別命を与えているということだった。ここのところ、アーリアを諜報活動に使うことが多いのだという。常人には姿を見ることも、気配を感じることもできないアーリアほど諜報活動に相応しい人材はいない。もちろん、レオンガンドの護衛としても、彼女以上に優秀な人材はそういないのだが、本来の持ち味は諜報活動のほうにこそあるだろう。
もちろん、アーリアの不在ほど心細いものはない、とレオンガンドが苦笑するのもわからないではない。長年、アーリアに背中を任せていたのだ。それがなくなるということは、常に緊張していなければならないということだ。無論、王立親衛隊《獅子の牙》が、彼の盾として機能しているとはいえ、常に側にいるアーリアとは比べ物にならないだろう。
それから、本題に入った。
「召集令の理由については聞いているな?」
「はい。マルディアから救援要請があった、とか」
「そうなのだ。マルディアは国交も結んでいない国だが、小国家群統一を掲げている以上、いずれなんらかの交渉を持つ国でもある。そんな国から救援要請が来たのだが、君はどう想う?」
「どう……と申されましても」
セツナが返答に窮したのは、なにを問われているのか判断しづらかったからだ。救援要請を受けるべきか断るべきかを問われているのか、それとも、救援要請に関する別のことを問われているのか。レオンガンドの言葉からは判断しにくい。
「マルディアの状況については?」
「エイン室長から聞いています」
セツナがマルディアの情勢についてエインから聞いたのは、今年の始め、龍府滞在中のことだった。参謀局第一作戦室長エイン=ラジャールは、その肩書に恥じない情報通であり、常に情報収集を怠っていなかった。龍府滞在中も参謀局員を各地に飛ばし、また、王都からの情報収集も欠かさなかった。情報が武器だということをよく理解しているのだ。彼は戦術家だ。戦術を練る上でもっとも必要なのは情報であり、そのことを身に沁みて知っているということにほかならない。
そして、エインは手に入れた情報をまとめ、わかりやすく噛み砕いてセツナに教えてくれる。セツナは、エインのおかげで物知りになった気になれたし、実際、彼が《獅子の尾》配属になって以来、セツナの見識はいままでとは比べ物にならなくなっていた。
「それなら、理解してはいるのだろう? マルディアがなぜ、ガンディアを頼ってきたのか」
「まあ、ある程度は、ですが」
マルディアがガンディアを頼ってきたのは、ベレルやルシオンとは少し異なる理由からだった。ベレルは国土を奪われたからガンディアに援軍を頼み、ルシオンは、喪に服している間の防備を固めるため、戦力の提供を願った。マルディアは、反乱軍の鎮圧の戦力不足を補い、また、反乱軍に力を貸している国の戦力を撃退するため、ガンディアに援軍を要請しにきたのだ。
その反乱軍に加担した国こそ、
「ベノアガルド、ですね」
「そうだ。ベノアガルドの騎士団が反乱軍に与し、マルディアの国土の半分を反乱軍のものにしてしまったのだ」
故にマルディアは、他国に協力を頼まざるを得なくなったのだという。反乱軍だけならば、マルディアの現在の戦力でもなんとか鎮圧しうるというのだが、そこにベノアガルドの騎士団が加わったせいで対処しきれなくなったのだろう。ベノアガルドの騎士団は、十三騎士という武装召喚師にも引けを取らない戦力以外にも、兵士のひとりひとりが並ではなかった。事実、アバード王都バンドールを巡る戦いでは、騎士団と戦ったガンディア軍は多大な損害を被っている。あの戦い、ガンディア軍が勝利したといえるのかさえ微妙なものだった。
結果的にガンディア軍が勝ったように思えるのは、アバード政府がガンディアに降伏したからであり、騎士団との戦闘が続いていたら、どうなっていたのかはわからない。セツナたちが戦力を上げてシド・ザン=ルーファウスら三人の騎士をおさえていても、その間に騎士団がガンディア軍に壊滅的な打撃を叩き込むという可能性もないとは言い切れなかった。
薄氷の勝利といえるだろう。
「だからマルディアは他国に救援を要請したのだが、残念なことに、マルディアの周辺諸国は、マルディアとの折り合いが悪い。戦力を提供してもらうことさえ困難な関係なのだそうだ」
「それで、ガンディアに?」
「ガンディアはこれまでベレルやルシオン、アバードに援軍を派遣してきたという実績がある」
(アバード……)
アバードへの援軍の派遣は、極めて一方的なものであり、アバードの動乱をガンディアに都合よく終結させるための策略だった。そのことでシーラは、一時、ガンディアに対し絶望的なまでの不信感を抱いていたし、セツナ自身、彼女に嫌われても仕方がないと思ったものだ。
「マルディアも、そういったことから、ガンディアならば協力してくれると想ったのだろうな」
「でしょうね」
「そこでだ。君はどう考える? ガンディアは、マルディアに協力するべきだろうか。それとも、撥ね退けるべきだろうか」
「どうして、俺にそんなことを? 俺に判断できるようなことではないですよ」
「意見を聞きたかった、それだけだよ。君はわたしの味方だからね」
「味方……」
セツナがふと反芻したのは、レオンガンドが強調した言葉だったからだ。味方という部分だけを強調することに意味があるのだ。察しがつく。レオンガンドがガンディア国内を敵と味方で色分けようとしていることを、セツナは知っているからだ。敵と味方。だれが敵で、だれが味方なのか。色分けすることで今後の政策、戦略も立てやすくなるということだ。
レオンガンドが、椅子から立ち上がった。室内を歩きながら、囁くような声でいってくる。
「敵がいるのだ」
声が小さいのは、部屋の外に聞き耳を立てているものがいるかもしれないからだ。もちろん、レオンガンドの私室の周囲には警戒の目が張り巡らされているし、室内の声を聞き取るのも容易ではない。それでもレオンガンドは最新の注意を払い、声を潜めているのだ。セツナも小声になった。
「陛下のお近くに、ですか?」
「ああ。側近衆のうち、だれかがジゼルコートに通じている」
「ジゼルコート伯に……」
驚愕したが、大声にはならなかった。小声を意識すれば、なんとでもなる。
「彼が、わたしと側近しか知らないようなことを知っていたそうだ。アーリアが聞いている。彼の息の掛かったものが、側近の中にいる。信じたくないことだが、アーリアが聞いたというのだ。彼女がわたしとジルヴェールに虚偽の報告をした可能性も、絶対にないとは言い切れないが……可能性は低いだろう」
「側近の中に……」
セツナは、レオンガンドの心中を察し、声をことさらに小さくした。レオンガンドの側近といえば、彼が心を許し、全幅の信頼をおいている人物ばかりだった。四友にエリウス=ログナー、ジルヴェール=ケルンノール。四友がレオンガンドを裏切っているなどとは想いたくはないが、かといって、エリウスかジルヴェールに疑わしいところがあるかというと、セツナにはわからない。
ジルヴェールは、ジゼルコートの実子だ。一番疑わしいのは彼だが、どうやら彼ではないという。
「考えたくもないことだ。だが、ジゼルコートに通じているものがいるのは確かなのだ。そしてそれは、ジルヴェールではないらしい。それ以外の五人のいずれか」
レオンガンドが、小さく頭を振った。信じたくないとでもいうような態度だった。だが、アーリアの報告は信用に値すると判断していることは、レオンガンドの言動からもはっきりとわかる。アーリアが裏切らないことには絶対の自信があるのだろう。
「バレット、ゼフィル、ケリウス、スレイン、そしてエリウス。いずれかがわたしを裏切り、ジゼルコートに情報を流している。ジゼルコートはその情報を用いてなにかを企んでいるようなのだ。いや、企んでいるというのは正しくないな。彼がわたしの敵なのかどうか、確定事項ではない。情報収集は重要な事だ。彼ほどの政治家なればなおのこと」
レオンガンドは、そういう風に考えることで、心中のざわつきを抑えようとしているようにも見えた。完全な裏切りではなく、ただの情報提供ならば、まだ、納得もできるものなのか。
「とはいえ、側近のひとりでも彼に通じているというのは、気分の良くないものだな」
「心中、お察しします……」
「君に気を使わせたくはないのだが」
「陛下……」
レオンガンドが目を伏せるのをみて、セツナの心はざわついた。