第千二百話 大陸暦五百三年(二)
大陸暦五百三年一月十四日。
ガンディア王都ガンディオンは、年賀を祝う人々で溢れかえる中、物々しい空気に包まれていた。それもそのはずである。ガンディア国王レオンガンドによる招集令によって、ガンディア軍に所属する軍人のうち、要職についている軍人たちが各地より集まってきていたからだ。大将軍アルガザード・バロル=バルガザールはいわずもがな、副将、左右将軍、各方面軍からは大軍団長たちがそれぞれ部下を引き連れて王都ガンディオンに集っていた。
ガンディアにたったふたりしかいない領伯も、召集令に応じ、顔を揃えている。ケルンノール、クレブールを領地とするジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールと、エンジュール、龍府を領地とするセツナである。両者とも私設の軍勢を引き連れて王都に参じており、それぞれジゼルコート軍、セツナ軍と呼称され、王都市民による出迎えを受けた。
両領伯の私設軍隊は、人数においてはジゼルコート軍のほうが大きく上回っており、王都を王宮に向かって進む両軍勢の人数だけを比べた場合、ジゼルコート軍のほうが戦力として頼もしく見えたのは間違いない。とはいえ、王都市民の歓声は、セツナ軍に向けられるもののほうが遥かに多く、王都におけるセツナ人気の高さをうかがわせるものだった。
「量より質だということを王都の皆様方はご存知なのでございましょう」
王宮へ向かう馬車の中で、レムが嬉しそうにいったものだった。すると、セツナの頭の上に鎮座した小飛竜が長い首をもたげて口を開いた。
「そうはいうがな、先輩」
「なんです?」
「ジゼルコート軍とやらにも武装召喚師がいるそうではないか」
ラグナのいうことももっともだった。ジゼルコートの配下には、極めて優秀な武装召喚師たちがいる。セツナが名前も聞いたことのないそれら武装召喚師を優秀だと判断しているのは、ジゼルコート配下の武装召喚師のうち、数名の経歴を聞いているからだ。
ひとりは、以前、クルセルク戦争で連合軍に参加し、ファリアとともに苛烈な戦いを生き抜いたオウラ=マグニス。話によれば、ファリアと同じくファリアの両親に武装召喚術を学んだ逸材であり、ガンディアからの仕官の打診を断ったことをファリアが少なからず寂しがっていた人物だった。リョハン出身の武装召喚師というだけで優秀だと認識するのは、あながち間違いではないらしい。
さらにもうひとりは、ルウファの武装召喚術の師匠だった。ルウファの師匠というだけで驚きだったが、そのグロリア=オウレリアという武装召喚師が女性だったということにも衝撃を受けたものだった。ルウファが彼女を師事したのは、ほかに弟子を受け付けている武装召喚師がいなかったからだそうだが、結果的に最良の師匠に巡り会えたとは、ルウファの談。しかしながら、グロリアがジゼルコートの配下にいることを知って、ルウファは衝撃を隠せなかったようだった。
そして、アスラ=ビューネルという武装召喚師は、ミリュウの知り合いだった。ミリュウにいわせれば、アスラはオウラやグロリアほどの実力は持ち合わせていないだろうということだが、なぜ彼女がジゼルコートの配下の武装召喚師をやっているのかについては疑問の残るところだということだった。ザルワーンの武装召喚師育成機関・魔龍窟出身の人物だが、道半ばでミリュウに殺されたため、その実力はミリュウに遠く及ばないというのが、彼女の説明だった。殺したはずだが、生きていたという。
ファリアたちの話から知ることができた三名は、ジゼルコートが重用している武装召喚師でもあり、おそらくジゼルコート軍の主力というべき人材なのだろう。
「そうですが、セツナ軍の武装召喚師の皆様方に敵うわけがございません」
レムが、セツナの頭の上を睨む。彼女は笑顔のままだったのだが、セツナには彼女が怒っているのがなんとはなしにわかってしまった。
「セツナ軍の武装召喚師ねえ……」
レムの言いたいことはわからないではないし、セツナ軍のほうが質が高いと想いたい気持ちも理解できるのだが、しかし、首を傾げざるを得ないことでもあった。
「御主人様?」
「ファリアもルウファもミリュウもさ、俺の部下ではあっても、俺の配下じゃないからな」
釘を差すように告げる。ファリアたちは《獅子の尾》所属の武装召喚師であって、セツナ伯配下の武装召喚師ではないのだ。《獅子の尾》隊士をセツナの意のままに操るのは越権行為であり、国王への裏切り行為といってもいいくらいのことだった。もちろん、レオンガンドから《獅子の尾》への命令権を与えられれば、その限りではないのだが、通常、《獅子の尾》の命令権はレオンガンドだけが持っている。
「もちろんわかっております」
「だったら、どういうことだよ?」
「無論、御主人様おひとりでも十分に打ち勝つことができるという意味にございます」
レムのにこやかな笑顔に邪気もなければ他意もない。純粋にそう信じているからこそ言い放ってきた言葉だということがわかって、セツナはどっと疲れを覚えた。レムの話し相手をするのは、正直疲れるのだ。勝てる気がしない。
「ああそうかよ」
「まあ、我らが御主人様なら当然じゃな」
「納得するのかよ」
「しないでか」
「なんでだよ」
視線を上げると、ラグナの長い首が伸びてきて、鋭角的な下顎が視界を掠めていた。
「わしを打ち倒したおぬしが、武装召喚師の十人や二十人に勝てぬ訳もなかろう」
「さすがに二十人はきついだろ」
「十人は勝てそうなのでございますね?」
「能力によるな」
セツナは、レムの面白おかしそうな問に対し、極めて冷静に返答した。十人の武装召喚師を相手に戦ったことはないが、能力次第では簡単に倒せるだろう。黒き矛を手にしたセツナに対応できるものなど、そういるものではない。
「ニーウェが十人なら、勝てないと思う」
「確かにのう……あやつの能力、わしの目にも捉えられなんだ」
「いったいどういう能力なのでございましょう?」
「空間転移なのは間違いないんだがな」
エッジオブサーストの能力のひとつは、それだろう。しかし、空間転移だけとは思えなかった。ほかにもなにか仕掛けがあるに違いない。その仕掛けに翻弄された気がする。単純な力負けではなかった。能力に敗れたのだ。
「だから対処のしようがない」
いまのところは、だ。なんとしてでも対処法、対策を見つけ出さなければならなかった。でなければ。つぎに襲われたとき、今度こそ殺されてしまうだろう。前回と同じ失態を繰り返すニーウェではあるまい。つぎは、容赦なく殺そうとするはずだ。ウルクの横槍のようなことが起きないよう、確実に止めを刺そうとしてくるだろう。
セツナは、ここ数日、限りない緊張感の中にいた。ガンディア方面に入ってからだ。ニーウェたちにいつ襲われるのかわかったものではないからだ。ニーウェの目的は、セツナの殺害と黒き矛の破壊だ。最初の戦い以来、セツナの前に姿こそ現してはいないものの、王都に潜伏していたのは疑いようがない。ずっと、セツナと戦う機会を伺っていたのだ。
殺す機会ではなく、戦う機会だ。
ニーウェは、黒き矛を破壊しなければならない。
でなければ、エッジオブサーストの目的が果たせないからだ。セツナを殺すだけでは意味がないのだ。だから、セツナが療養している間も襲いかかってこなかったのだろう。セツナが黒き矛を召喚する状態にならなければ、ならない。そういう条件が、セツナにみすみす回復する機会を与えてしまうことになったのだが、ニーウェにしてみれば仕方のないことだ。黒き矛を召喚しないままのセツナを殺したところで、ニーウェにはなんの旨味もない。
(いや……あるか)
ただひとつだけ、ある。
感覚として理解したことだが、ニーウェはこの世界のセツナで、セツナは異世界のニーウェなのだ。つまり別世界における同一人物であり、まったく同じ存在なのだ。だから、姿形も変わらず、声も同じ。なにもかも同じで、召喚武装までも元を同じとするものだった。
ニーウェは、だからセツナを殺そうとしている。
ニーウェとセツナが同一存在でなければ、彼は黒き矛の破壊だけに執着したかもしれない。セツナを殺すまでもないと判断したかもしれない。召喚者の殺害と召喚武装の破壊は非なるものだ。目的だけを優先するニーウェならば、不要な殺害は避け、黒き矛の破壊のみを行うべく戦っただろう。
総勢六十人程度のセツナ軍一行が王宮に辿り着いたのは、十四日午後のことだ。冬の日。爽やかな青空が頭上に展開し、流れる雲のまばゆいまでの白さが際立っていた。気温は低いものの、着込んでいることもあって、寒すぎるということはない。
セツナ軍の内訳とはこうだ。同行した《獅子の尾》隊士を除くと、従者レム、従者ラグナシア=エルム・ドラース、領伯近衛・黒獣隊(隊長シーラ以下三十一名)、同・シドニア戦技隊(隊長エスク=ソーマ以下二十六名)の約六十人である。そこに神聖ディール王国の魔晶人形ウルクと、彼女の管理者であるミドガルド=ウェハラムまで同道していた。
ウルクは、ミドガルドがディールに帰還するその日までセツナの護衛を続けてくれるらしく、ミドガルドはいまのところディールに帰還する予定はないとのことだった。ミドガルドがいうには、セツナの調査研究を続けるためであり、また、ウルクを実戦に投入して検証してみたいということもあるらしい。ミドガルドは、ガンディアの目的を知っている。大陸小国家群の統一というレオンガンドの夢の過程で戦争が起きないはずはない。ウルクを実戦に投入する機会が必ず生まれ、研究も捗るだろう。ミドガルドの目的は、魔晶人形ウルクの完成であり、そのためならばディールに戻らず、ガンディアで人生を終えることも吝かではないとまでいいきっていた。
ガンディアとしては、ミドガルドの研究によってディールが強くなることは、大きな問題ではなかった。ディール一国がどれだけ強くなろうと、三大勢力の均衡を崩すようなことはありえないからだ。ディール一国が調子に乗って他二勢力に戦いを挑んだとして、二勢力から袋叩きにされるのが落ちだ。魔晶人形がいかに優れた戦闘兵器であったとして、手を組んだ二大勢力との戦力差を覆すことができるほどのものとは思えない。
ミドガルドの研究成果によってディールが強くなることよりも、ウルクという戦力がガンディアに加わってくれる恩恵のほうが遥かに現実的で、ありがたいことだった。
ウルクは武装召喚師に匹敵する戦闘力を有している。並の武器では傷ひとつつけることのできない装甲に、拳ひとつで岩をも砕く力、圧倒的な運動性は、人間のそれを遥かに凌駕する。彼女を上手く運用することができれば、小国家群の統一はさらに加速しうるだろう。
ミドガルドは、ガンディアが小国家群を統一することをむしろ応援していた。
ミドガルドの目的は、研究である。
それも戦闘兵器の研究開発ではなく、魔晶技術の研究と発展こそが彼の本願なのだ。だからこそディールから小国家群まで飛んできたのだし、長らくガンディアに滞在しているのだ。すべては研究のため。そのためには、大陸全土が戦乱に飲まれるような事態になられては困るのだ。
三大勢力によって紡ぎだされた均衡が壊れれば、その瞬間、彼の研究は停滞せざるを得なくなるだろう。研究のための研究ではなく、新兵器の開発のための研究へと移行せざるをえなくなる。
『魔晶人形のような兵器を作っておいていうのもなんですが、わたしは戦闘兵器など作りたくはないのですよ。ただ、研究をしていたい。それが魔晶の光に魅入られたもののさだめなのでしょうな』
セツナがふと思い出したのは、特定波光の検証中、ミドガルドが漏らした一言だ。そこに嘘はなかった。少なくとも、セツナはそう受け取ったし、それからというもの、ミドガルドを見る目が変わったのは事実だった。
もっとも、空いた時間があればセツナの体を調査したがるミドガルドには辟易しているのだが。