表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1200/3726

第千百九十九話 大陸暦五百三年

 年が明け、大陸暦五百三年の一月一日を迎えた。

 年末から年始にかけて、セツナは龍府に滞在していたのだが、特に大きな問題もなければ、事件に見舞われることもなかった。

 ちょっとした騒動といえば、五龍湖のひとつ、天龍湖の森に皇魔の巣が発見されたということがあった。セツナは新生黒獣隊の初陣として、シーラたちを皇魔の巣に向かわせ、みずからも赴いた。天龍湖周辺に作られた皇魔の巣はブリークのものであり、ブリークの巣は巨大な蜘蛛の巣のようだった。もっとも、蜘蛛の巣と違って、張り巡らされた糸状のものは獲物を絡め取るだけのものではなく、絡め取った対象に電流を流し、焼き尽くすためのものだということがわかった。だからどうということもなく、セツナは、シーラたち黒獣隊の戦いぶりを眺めつつ、みずからも久々の実戦に腕を鳴らしたものだった。

 年末の事件といえばそれくらいのものであり、天龍湖の森から皇魔の巣が一掃されてからは、特筆するようなことはなにもなかった。

 平穏なまま、龍府で年を越した。

 年を越すことが一大行事になるのは、この世界でも同じであり、特に龍府での年越しは、昨年のエンジュールとは比べ物にならないくらい派手で壮大なものとなった。年明けとともに無数の花火が打ち上げられ、冬の夜空を幾重にも彩り、古都全体がお祭り騒ぎとなった。龍府の年越しが古都という呼び名を忘れるくらい派手なのは昔からであるらしく、そのときだけは、龍府の人々も全力でお祭り騒ぎを楽しむのだという。

 それら年越しの行事を取り仕切ったのはもちろん司政官ダンエッジ=ビューネル率いる役所であり、セツナたちは天輪宮から、古都各所で打ち上げられる花火を見て、年が明ける瞬間を楽しんだものだった。

 その際、ミリュウがなんともいえない顔をしていたことが忘れられない。彼女が龍府で年越しを迎えるのは、実質的にはおよそ十一年ぶりといってもよかったからだ。約十一年前、魔龍窟に投げ入れられた彼女は、それから魔龍窟を出るまで十年間、闇の中で過ごしてきた。時間の感覚もわからなくなるくらいの暗闇での日々を思い出したのか、ミリュウは、龍府の空を彩る花火を見つめながら、セツナの腕に抱きつき、なにもいわずに泣いていた。

 セツナは、なにもいえなかった。

 彼女の苦しみを理解し切ることはできない。わかったつもりになったところで、そんなものは理解とは程遠いものだ。だからといって、わかろうとする努力を怠るつもりはないのだが、いまは、言葉をかけるべきではないと判断したのだった。

 

 新年を迎えたセツナは、多忙になった。

 領伯である。

 領地である龍府とエンジュールでそれぞれ領伯としての挨拶をしなければならず、また、それぞれの有力者とも交流をはかるため、会食したりしなければならなかった。いくら戦闘に専念すればいいとはいえ、平時にまでなにもしなくていいというわけではないのだ。多くの仕事を司政官らに肩代わりしてもらっているのだから、自分でできることは極力自分で行うべきだった。ということで、セツナは年明けからしばらくは大忙しだった。

 龍府での挨拶、有力者との交流を終えると、すぐさまもうひとつの領地であるエンジュールに飛んだ。龍府のあとのことはダンエッジに任せておけばよかったし、天輪宮には龍宮衛士がいる。そういう理由から黒獣隊、シドニア戦技隊もエンジュールに同行させている。ちなみに、エインと参謀局第一作戦室の局員たちは、一足先に王都ガンディオンに向かっていた。

 エンジュールでの挨拶回りを終えたセツナは、軍師ナーレス=ラグナホルンの妻メリル=ラグナホルンと対面、ナーレスの体調について聞いたりした。未だ療養中であり、人前に姿を見せられる状態ではないというメリルのどこか歯切れの悪い返答にセツナは違和感を覚えたものの、そのことを追求したりはしなかった。

 メリルとの再会を喜ぶミリュウの様子に気を取られたわけではない。

 ナーレスのことだ。

 なにか策でも練っていて、だからセツナにも逢ってくれないのかもしれない。そんな風に受け取った。

 エンジュールでは、エンジュールの司政官ゴードン=フェネックや彼の秘書とも久々に対面し、セツナがいない間のエンジュールで起きた様々な出来事を聞いた。

 エンジュールにおける私設軍隊である黒勇隊の人員が増加し、日々鍛錬に励んでいるということも聞いている。黒勇隊は、ゴードンの強い勧めによって結成されたセツナの私兵部隊であり、ガンディア軍に属しているわけではない。クルセルク戦争に参加したものの、実戦経験のなさを知ったエインの配慮によって前線に出されなかったこともあり、戦いらしい戦いを経験することもできなかった。その上、クルセルク戦争後は、すぐさまエンジュールに帰還させたため、セツナ軍の一員として戦うこともできていなかった。黒勇隊長らは、いつセツナ軍の一員として戦場に出ることがあってもいいよう、日々、厳しい訓練を繰り返しているといい、セツナが久々に見た彼らは、見違えるほどに逞しくなっていた。とはいえ、黒勇隊はエンジュールの戦力でもあるため、すぐさまセツナ軍に加え、行動をともにするというわけにいかなかったが。

 今後、戦争などがあれば、セツナ軍の一角として同行することもあるだろうというセツナの言葉に、黒勇隊の隊士一同は大袈裟なほどに歓声を上げていた。

『彼らは皆戦いが好きだとか、戦いたいだとか、そういうわけではないのですよ。ただ、セツナ伯の御力になりたい、セツナ伯とともに戦場に立ちたい、ただそれだけなのです。ですから、日々厳しい鍛錬をみずからに課し、乗り越えてきている。いずれ、セツナ軍の主戦力になってみせるというのが、黒勇隊の標語となっているそうですよ』

 ゴードンの説明にセツナは納得するとともに、彼らがそこまで自分のことを考えてくれていることに感激したものだった。そして、彼らが活躍できるような戦場に巡り会えることを心の中で願った。戦いが起きることを願うのはおかしなことだし、戦いなど起きないほうが絶対的にいいということくらいは理解している。しかし、戦いが起きないわけがないのもまた、事実なのだ。戦国乱世真っ只中の大陸小国家群で、小国家群の統一を目指すガンディアが今後、一切戦わず勝利し続けることなどありえない。戦いは起きる。しかも近いうちにだ。そのための会議がガンディオンで行われようとしているのだ。その戦いが彼らの活躍の場となることを祈るのは、悪いことではあるまい。

 戦いには犠牲がつきものだという事実を認識した上で、なら。


 それから、セツナはエンジュールで予期せぬ再会を果たしていた。いや、ある程度は予想していたことではある。逢ってみたいような、逢うべきではないような、そんな風に考える人物がエンジュールにはいた。

 エレニア=ディフォンだ。

 ログナーの元騎士である女性は、セツナ暗殺未遂事件の実行犯として拘束され、処刑されるところだったが、セツナの安易な考えによって助命されていた。もちろん、無罪放免などではない。ガンディア軍による監視下に置かれた上、彼女が憎悪してやまないセツナの領地で一生を過ごさなければならなくなった。エレニア=ディフォンにとってはこれほど屈辱的で絶望的な罰はないかもしれない。なぜなら、彼女がセツナを暗殺しようとしたのは、セツナに最愛のひとの命を奪われたからにほかならないからだ。ログナーの青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスが彼女の恋人であり、そして、彼女が昨年生んだ男児の父親だった。

 ウェイン・ベルセイン=テウロスとの戦いは、いまもセツナの記憶に残っていたし、セツナにとっての大きな転機となる人物でもあった。ウェインとの戦いで、己の甘さを自覚し、敵は殺さなければならないという認識を持つに至ったのだ。

 エンジュールの地で再会したエレニアとは、そのようなことを話したわけではない。他愛のない世間話を交わした程度だった。しかし、それだけでよかったのだろう。

 エレニアは、マイラムからエンジュールに住居を移したという親族とともに暮らしていた。レインと名付けられた彼女とウェインの子は、日々、すくすくと成長しており、彼女は我が子の成長を見守るうち、色々なことが変わっていったといった。ウェインを失ったことは悲しいことで、そのことは一生忘れられないだろうが、憎悪は薄れた、という。

 ウェインとの愛の証であるレインは、彼が生きていた証でもあるのだ、と。

『いまなら、ちゃんと伝えられそうです』

 揺りかごの中で眠るレインを見つめていたエレニアが、ふと、セツナを見て、いった。

『セツナ様、その節は、まことにありがとうございました』

 セツナは、突如としてお礼をいってきた彼女に戸惑った。

『わたくしがレインを生むことができたのは、あのとき、セツナ様がわたくしを許してくださり、命を与えてくださったおかげでございます』

 エレニアは、目に涙さえ浮かべていた。愛を失い、多くのものを見失っていた彼女の目には、いま、間違いなく、まばゆい現実が輝いていた。

『ひとは変わるものですね』

 エレニアの家を去った後、レムがつぶやいた一言が耳に残っている。

 ひとは変わる。

 セツナも、変わっていっているのだろうか。

 そんなことを問うと、レムがどこか艶美な笑みを浮かべた。

『当たり前のことにございます』

 彼女はそれ以上なにもいってこなかったため、なにが当たり前なのか、セツナにはわからなかった。レムの考えを読むのは、いつもながら簡単なことではないということだ。


 エンジュールでの滞在はわずか二日あまりだったが、その間、セツナたちは久々の温泉を堪能している。エンジュールは、温泉都市バッハリアに近いということもあってか、少し前に温泉が発見し、それ以来、温泉郷として有名になりつつあった。

 エンジュールがセツナの領地になったころには、小さな街の中に無数の温泉宿が混在するほどの温泉郷となっていたのだ。セツナの領地になってからは、元々多かった温泉客がさらに増大し、地方都市であるバッハリアにも引けをとらないほどの盛況ぶりを誇っていた。

 ガンディアの英雄の初の領地なのだ。司政官ゴードン=フェネックは、セツナの名声をエンジュールの宣伝にとことん活用した。まず、セツナのお膝元ということで極めて安全であると主張した。犯罪行為など起きようがない、と言い切ったのだ。犯罪者は黒き矛のセツナの名の元に裁かれる、などという謳い文句は、温泉客、観光客の心をなぜか掴んだらしい。

 同時にゴードンは、エンジュール全体の温泉郷化に全力を挙げて取り組み、観光客、温泉客がエンジュールに滞在しやすく計らった。温泉宿から温泉宿までを行き交うための馬車が用意され、エンジュール内で移動に困るということはなくなっていた。

 セツナたちもゴードンが整備した交通機関を利用して温泉巡りを行い、一日かけてエンジュールで人気の温泉を制覇しようと試みたものだった。もちろん、試みただけで失敗に終わったのだが。

 ともかく、ゴードンという有能な司政官のおかげでエンジュールのことはなにも心配する必要がないということがわかり、セツナは安心して王都に向かって出発した。

 そして、セツナ一行がガンディア王都ガンディオンに到着したのは、一月十四日のことだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ