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第千百九十七話 年の瀬

 五百二年の十二月も下旬に入り、一年が終わりを迎えようとしていた。

 一年の終わりは、領地で過ごすのが領伯の努めということもあり、セツナは、相変わらず龍府にいた。アバードからの帰国以来龍府を動いていないのだが、それは王都からの招集や催促がないことも大きな理由だった。王都は王都で忙しいだろうが、セツナや《獅子の尾》を必要とするような忙しさではないということだろう。

 龍府の日々には、大きな変化はない。

 セツナは、日課の鍛錬を忘れず行う一方、司政官ダンエッジ=ビューネルにいわれるまま、領伯としての雑務をこなしていた。書類に目を通し判を押すだけの仕事がほとんどだったが、司政官が主催する会議に参加することもあった。セツナが参加するといつも以上の緊張があり、会議が速やかに進行するとはダンエッジの談であり、これからも度々出席して欲しいとまでいわれたが、セツナは、はじめて参加したからだろうと思った。何度も参加していれば、そのうち見慣れ、緊張感も薄れるものだ。それでも、いないよりはずっといい、というダンエッジの言葉を否定するつもりはないが。

 また、セツナは普段王都を離れることのない師匠ルクス=ヴェインの代わりにエスク=ソーマをもうひとりの剣の師とした。エスクは“剣魔”という二つ名で“剣鬼”と並び称される剣の達人である。セツナが師事するのにこれ以上相応しい人物はおらず、“剣鬼”と立ち合えない期間を埋め合わせるには彼以上の相手はいなかった。

 エスクは、セツナの申し出に最初こそ困惑気味だったが、セツナが本気だということを知ると、快諾してくれた。エスクによる訓練は、ルクスのそれよりもずっと優しい上、エスクはセツナに木槍を持たせることを忘れなかった。黒き矛は、剣ではない。木剣で訓練するよりも木槍で訓練するほうが理に適っている。もちろん、そんなことはルクスだってわかっていただろうが、ルクスの場合、セツナの基礎体力をつけることと、セツナに基本的な戦い方を学ばせることを優先していたのだ。だから、ルクスが教えやすい剣を使っていただけのことだ。

 エスクいわく、それがダメだ、ということであり、エスクはセツナに懇切丁寧なまでに槍の手解きをした。槍と矛は同じ長柄武器だ。槍の使い方を習熟し、極めれば、矛の使い手としても一流になれるに違いない、という。

『まあ、黒き矛のセツナ様にゃあ、んなもん不要かもしれませんがね』

 エスクは苦笑交じりにいってきたが、セツナは、エスクとの毎日の訓練が楽しみになっていた。

 エスクは、剣の達人であると同時に槍の達人でもあったのだ。というより、あらゆる武器に精通しているといっていいらしい。弓の腕前こそドーリン=ノーグには遠く及ばないということだが、それ以外の武器の扱いに関しては、シドニア傭兵団で彼に敵うものはいないという話だった。エスクの話が本当らしいということは、レミル=フォークレイやドーリンの反応からもわかっている。実際、槍を振り回すエスクの姿は様になっている上、熟練の槍の使い手であるシーラと立ち合っても引きを取らないことからも、彼が槍をとっても達人級の腕前があることは間違いない。

 そんな彼の教え方がルクスよりも余程優しかったのにはセツナも目を丸くするほどに驚いたものだ。ルクスはとにかく峻酷で苛烈な訓練を好んだ。セツナを徹底的に痛めつけるようなものばかりで、しかし、そんな訓練だからこそ、セツナは燃えに燃えた。しかし、同時にあまりの激しさについていけないことも多々あった。それに比べると、エスクの訓練というのは生ぬるいというほかないのだが、逆をいえば、ついていけなくなることはなさそうであり、槍の手解きを受ける上では彼ほどの適任者はいなかったということだ。

 日夜、エスクとの訓練を続けるうち、セツナの槍捌きは以前よりも格段によくなったとシーラのお墨付きを得た。


 セツナ以外の皆も、龍府で過ごしている。

 王立親衛隊《獅子の尾》の隊士全員が、国王のいる王都に帰らず、龍府の領伯の元にいるのは奇妙なことではあったが、セツナたちにしてみれば不自然でも何でもなかった。王立親衛隊が王都に戻らなければならないという状況になれば、セツナもまた、王都に戻る必要があるということであり、セツナが龍府にいてもいいということであれば、《獅子の尾》のほかの隊士たちも龍府に滞在しても問題ないということだ。

《獅子の尾》は王立親衛隊の中でも特殊な立ち位置にいる。常に国王の側にいなければならない《獅子の牙》や《獅子の爪》とは異なり、《獅子の尾》は遊撃部隊という側面が強い。その上、元々、《獅子の尾》はセツナの立場を保証し、さらに箔付けするために作られたようなものであり、国王の側で待機している必要性は薄かった。もちろん、場合によっては王立親衛隊として機能することもあり、そこらへんはやはり状況次第といったところなのだが。

 副隊長のルウファは、《獅子の尾》の副隊長業務をこなしたあとは、武装召喚師としての修練に勤しんだり、エミルとの日々を満喫したりしていた。《獅子の尾》において彼の日常が一番充実しているのではないかと思え、そのことを指摘すると、彼は笑って認めた。ルウファとエミルの幸せそうな顔は、セツナにとっても嬉しいものだった。ルウファの日々の苦労が報われている気がするからだ。セツナは、ルウファに色々と苦労をかけている。副隊長業務など、セツナが隊長としてしっかりしていれば、多少は楽になったはずなのだ。それが、すべてを彼と隊長補佐に押し付ける形になってしまっている。セツナが戦いに専念するためだから仕方がないとはいえ、ルウファもファリアも大切な戦力であり、ふたりを戦闘に専念させなくていいのか、と想わなくはない。

 とはいえ、セツナが不慣れな仕事に四苦八苦するよりも、ルウファやファリアが仕事をこなすほうがよほど合理的で負担も少ないのだろうし、ふたりにしてみればなんでもないことなのかもしれない。

 そのファリアは、隊長補佐としての日常業務をこなす傍ら、ルウファと同じように武装召喚術の修練に時間を割いていた。オーロラストームだけでなく、別の召喚武装を用いた訓練も行っており、彼女が武装召喚師として新たな戦い方を模索していることがセツナにもよくわかった。

《獅子の尾》の一般隊士であるミリュウは、副隊長や隊長補佐のような仕事に追われるようなこともなく、天輪宮での日常を満喫していた。時折旧リバイエン家本邸を訪れたりはしたようだったが、ほかに目立った動きといえば、彼女もまた、武装召喚師としての訓練に時間をかけていたということくらいだ。彼女愛用の召喚武装ラヴァーソウルの新たな力がどういったものなのか、セツナはまだ詳しく知らなかった。聞いたところで教えてくれないのだ。

『まだ完成したとはいえないからね。見せたくないよ』

 気恥ずかしそうな顔をするミリュウに無理強いすることなどできるわけもなく、セツナは、彼女の修練を目撃することもできなかった。ミリュウの訓練は、セツナの目に届かないところで行われていたからだ。旧リバイエン家本邸や天輪宮の地下空間がその訓練場所らしい。完成するまでセツナには見せたくないという彼女の考えは、わからないではなかった。失敗する可能性のあるものを見せたくはないのだ。

 逆をいえば、完成すれば見せてもらえるだろうということであり、セツナは不安よりも期待を抱いた。ファリアが驚くような新たな能力とはどんなものなのか。セツナは彼女が完成させるときを待つことにした。

《獅子の尾》専属の医師であるマリア=スコールは、天輪宮の一室を医務室に改装してしまった。もちろん、増改築したわけではなく(古都の象徴である天輪宮に手を加えられるわけがない)、部屋の前に医務室の看板を置いたり、内装を軽くいじった程度のものだが、それだけで医務室らしくなるのだから不思議なものだった。もっとも、天輪宮内の医務室は常に暇を持て余しており、マリアは医術の勉強が捗るといって苦笑していた。

 彼女の助手であるエミルは、医務室改装の手伝いをしたり、マリアとともに勉強に励む傍ら、ルウファとの日常を謳歌していた。ルウファとエミルのふたりは、親公認の関係であり、結婚する予定さえあった。ただ、結婚するならもう少しガンディアが落ち着いてからのほうがいいというルウファの判断から、しばらく先のことになりそうだった。

 セツナには、ガンディアは現在、落ち着いているように見えるのだが、ルウファにはそうは見えないらしい。いま結婚するのは時期的にまずいという彼の判断は、どうやらエイン=ラジャールからきているらしかった。エインは、参謀局第一作戦室の局員とともに天輪宮に滞在している。セツナの誕生日以来、エインは《獅子の尾》と行動をともにしており、それはアバード動乱以降も変わっていなかった。

 龍府からは、北の情勢がよく見えるからだ。

 少なくとも、王都ガンディオンよりは余程鮮明に小国家群北部の情勢が見えるという。

 小国家群北部を警戒するのは、ベノアガルドが小国家群北部最強の国家として君臨しているからにほかならない。ベノアガルドは騎士団によって支配された国であり、ガンディアに興味を示し、十三騎士のひとりを諜報員として寄越してきたことがあった。諜報員として派遣された騎士はアルベイル=ケルナーを名乗ったが、のちにテリウス・ザン=ケイルーンであることが判明している。

 テリウス・ザン=ケイルーンを国内に招き入れ、御前試合、王宮晩餐会に参加させたジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールに疑いの目が向けられたことは記憶に新しい。ベノアガルドと通じているのではないか、という疑念である。しかし、ジゼルコートにはほかに疑わしい点はなく、むしろ、アザーク、ラクシャの二国をガンディアに従属させたことで、ガンディアへの貢献度は大将軍や左右将軍らを遥かに越えているといってもよかった。ジゼルコートがガンディアを裏切っているのならば、わざわざガンディアのためになることはしないだろうと考える一方、ベノアガルドの諜者を内部に招き入れたという事実への疑いは決して晴れることはない。疑いを晴らすために力を尽くしている可能性もあるし、実際、ジゼルコートの評判は頗る良かった。

 ガンディアの英雄セツナと並び立つ領伯だけのことはある、という声が聞こえるほどだ。それでもレオンガンドはジゼルコートを警戒していて、エインも情報収集に余念がない。参謀局が誇る情報網を持ってしても、ジゼルコートに不審な点は見えないということだが、それが余計に怪しいというのだから、不思議なものだ。

「怪しくないのなら、疑いが晴れたんじゃないのか?」

 というセツナの純粋な問いに対して、エインは苦笑を浮かべただけだった。

「セツナ様はそのまま純粋でいてください」

「どういうことだよ?」

「そんな単純な話なら、苦労はしないというお話ですよ」

「苦労……苦労ねえ」

「ジゼルコート伯が正真正銘のお味方ならばそれで構わないんですけどね。一度生まれた疑いが完全に消え去るまでは、最大限警戒しておかないと、どこで裏をかかれるかわかったものじゃありませんから」

「そういうもんかねえ」

「そういうもんですよ」

 それから、ふたりの話は五百二年を振り返るものになった。



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