第千百九十三話 救いの道を(一)
長い廊下を歩いていると、廊下を行き交う使用人や騎士見習いたちが彼を見るなりその場に足を止め、緊張感たっぷりに立ち尽くし、最敬礼でもって彼が通り過ぎるのを待った。
見慣れた光景だ。
ベノアガルド騎士団の中でも最高幹部とも呼ばれる十三騎士において、騎士団長に次ぐ地位にいるのが彼なのだ。十三騎士は、騎士団長を除いて同格であるはずなのだが、いつごろからか、彼が副団長として認識され、公的にもそう認められつつあった。正騎士でさえ、彼を目撃すれば緊張するのだ。騎士見習いや使用人が硬直するのは、当然だった。
オズフェルト・ザン=ウォード。
それが彼の名前だ。
ベノアガルドの有力貴族ウォード家出身の彼は、ひと目で彼と認識できる身体的特徴を備えていた。すなわち灰色の頭髪であり、騎士団に在籍する正騎士、准騎士、従騎士全員を集めても、灰色の髪を持つ騎士は、彼ひとりなのだ。
オズフェルト・ザン=ウォードがいるという目印にもなり、色々な面で役に立っていた。
廊下に立ち並ぶ部下たちと敬礼を交わしながら、騎士団本部の通路を進んでいく。騎士団本部とはつまりベノア城である。
かつてベノア城の主であったベノアガルド王家は、騎士団による革命よって滅びた。空城となったベノア城に騎士団本部を移すことになったのは当然の流れだったが、当時、反発があったのも事実だ。革命とは、このベノアガルドから腐敗をなくし、国を立ち直らせるためのものであり、騎士団が支配者として君臨するためのものではなかった。支配者の象徴ともいえる王城に騎士団本部を移すのは、大きな誤りだというのが、反対派の意見であり、騎士団長の座についたばかりのフェイルリング・ザン=クリュースも、その意見には同調を示した。しかし、ベノア城を空城にしておくことはできない上、神卓を放置することなどできるわけがないという現実的な問題があったこともあり、フェイルリングは一部の反対を押し切って、ベノア城に騎士団本部を移した。
反対派は、騎士団の分派を作り、旧来の騎士団本部に拠点を構えている。
フェイルリングは、彼らを捨ておいている。なぜなら、彼らもまた革命に従事し、騎士団の新たな理念に賛同しているからだ。そして、その潔癖なまでの純粋さを愛おしく想い、必要不可欠な存在だとまで宣っていた。騎士団分派は、頭目の名を取り、イズフェール騎士隊と名乗っている。隊である。隊長イズフェール・ザン=オルトナーは、騎士団から離脱したわけではないと公言しており、フェイルリングもイズフェール騎士隊を公に認めている。また、フェイルリングからの命令にもしっかりと従う当たり、彼らが本当に王城への本部の移転だけに反発したということがよくわかるだろう。そういうことから騎士団と騎士隊との間に軋轢はなく、関係は良好といってよかった。
そんなことを考えながら辿り着いたのは、彼の執務室だった。従騎士がふたり、扉の横に立っている。騎士見習いの少年ふたりは、オズフェルトの姿を見るなり全身で緊張を示した。見慣れていても緊張するのは仕方がないのだろう。ちょっとした失態が査定に響く。特にオズフェルトは副団長という肩書があるのだ。オズフェルトに目をつけられたら最後、騎士団にいられなくなるかもしれない――などと、想っていたとしても不思議ではない。
オズフェルトは、見習い騎士たちに敬礼を返して、部屋に入った。室内には、ふたり、先客がいた。シド・ザン=ルーファウスの見舞いに行く前、呼び出しておいた人物がひとり、もうひとりは、オズフェルトに従者のように付き従う騎士だ。
「ルーファウス卿の様子はいかがでしたか?」
テリウス・ザン=ケイルーンが素早く歩み寄ってきたのには、オズフェルトは内心苦笑するしかなかった。相変わらず、彼はなにも変わっていない。安心するとともに、多少、心配になったりもする。彼はこのままでいいのだろうかと。いらぬ心配だとは想う一方、必要な心配だとも思う。
「たいしたことはなさそうだったよ。報告通りね」
「それはよかった。しかし、ルーファウス卿ともあろう方が訓練中に意識を失うなど、いままでなかったことですね」
「そうだね」
肯定しつつ、そうもなるだろうとも、思う。
正常な精神状態を保てていないのは、なにもシドだけではない。
「ラナコート卿も気合が入りすぎたと反省しきりだったよ」
オズフェルトは、練技の間の休憩室で小さくなっている大男を思い出しながら付け足すようにいった。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートもまた、この情勢下で興奮状態に陥っていたようだ。それは仕方のないことでもあったし、防ぎきれないことでもある。オズフェルトでさえ、ときに自分を見失いかけるのだから、耐性のないシドやベインなら尚更だろう。
すると、部屋の奥から声が投げられてきた。
「ラナコート卿の全身全霊の突進を受ければ、ルーファウス卿とて、無事では済むまいよ」
「やはり、力はラナコート卿が一番ですか?」
「ああ」
厳かにうなずいてきたのは、もうひとりの客人である黒髪の騎士だった。ドレイク・ザン=エーテリア。北方人特有の雪のように白い肌はほかの騎士たちとほとんど変わらない。長身にがっしりとした筋肉の鎧を纏い、その上から騎士団の制服を身に着けている。
青と白を基調とした騎士団の制服は、基本的な意匠は統一されているのだが、階級に応じて装飾が異なっている。最下級の従騎士には飾りがなく、准騎士には銅の装飾が、正騎士には銀の装飾が施され、騎士団幹部、つまり十三騎士には金の装飾と各人専用の紋章がつけられている。この場にいる三人のうち、オズフェルトの紋章は光の輪で、テリウスの紋章は波紋、ドレイクの紋章は兜で、制服の目立つ場所に縫い付けられている。
ドレイクは、執務室の片隅で胸の前で腕を組んで立っていた。
「ラナコート卿が騎士団一の力の持ち主であることは、だれの目にも明らかだろう」
「エーテリア卿が認めるということは、間違いないということですね」
「わたしの見立てなど当てにせぬことだ。わたしとて人間。見当違いも十二分にありうる」
「ありえないでしょう」
オズフェルトはきっぱりといった。ドレイクが小さく苦笑する。
「特に騎士団騎士の実力に関しては、あなたほど正確に把握している人物はいない」
オズフェルトの断言を否定するものは、十三騎士の中にはいないだろう。十三騎士の力量を正確に把握してもいない正騎士以下の騎士たちならばともかく、同僚の力量を疑うことのない十三騎士の間で、彼の実力ほど信頼のおけるものはないのだ。“神武”のドレイクという二つ名の通り、武において彼の右に出るものはいない。そんな彼がベインの力を騎士団一を保証するのだから、だれも否定することはできないだろう。同僚の力量を否定する必要などないのだが、中には同僚だからといってすべてを肯定しようとは思わない、というものもいる。
たとえばテリウスは、シドらと折り合いが悪い。逆もまたしかりで、互いに評価を低くつけようとするきらいがある。そういう意味では、自分以外の十三騎士全員と平等な距離感を保つドレイクだけが、十三騎士の力量を正確に把握しているのかもしれない。
「団長閣下よりも、か?」
「少なくとも、わたしはそう想っています。ですから、戦力配分に関しては、エーテリア卿、あなたの意見をうかがうのだ」
オズフェルトは、誤解を恐れることなく言い切った。フェイルリングは騎士団長であり、騎士団のすべてを掌握している人物ではあるが、十三騎士個々の力量を正確に把握しているかというと疑問の残るところだ。なぜなら、フェイルリングと一対一で対峙することのできる騎士は、オズフェルトをおいてほかにはいないからだ。フェイルリングは、騎士団幹部と会うときは、極力、オズフェルトを同席させるか、複数人で会うことにしていた。でなければ、まともに話すこともできなくなるからだ。つまり、フェイルリングが十三騎士の力量を正確に把握するのは、困難といえる。
だからといって、フェイルリングの十三騎士への信頼が揺らぐことはない。十三騎士を疑うということは、神卓を疑うということにほかならないのだ。
十三騎士は、神卓に選ばれたものなのだから。
「過分な評価だ」
ドレイクが肩を竦めた。今度はオズフェルトが笑う番だった。
「過小評価ですよ、あなたの」
「そういうものかな」
「ええ」
静かに肯定しながら、執務室の片隅に配置された応接用の机に向かう。テリウスとドレイクもそちらに促すと、彼らはなにもいわず椅子に腰を下ろした。オズフェルトの右の席にテリウスが座り、ドレイクは対面の席に座った。机にはシドを見舞う前に広げておいた地図がある。ベノアガルドを中心とした近隣の地図であり、ベノアガルド、アルマドール、マルディア、エノン、ベルクール、セムルヌス、そしてヴァシュタリア共同体のごく一部が記されている。
「それで、今回の戦力配分とは、年明け以降の戦いについてかね?」
ドレイクが地図を見下ろしながら問いかけてきた。ベノアガルドは現在、休戦期の真っ只中であり、この時期に戦力配分の相談をするとなると、当然、休戦期明けの話になる。
「ええ。マルディアでの戦い、そしてその先を見越しての配分を相談しようと想いまして」
「団長閣下は知っておられるのか?」
「もちろんです。神卓の間に篭もられる前に指示なされたことですから」
「ふむ……」
ドレイクが難しい顔をした。ドレイクは元々険しい顔立ちの人物だ。少し考え事をするだけで顔中のシワが寄り、とてつもなく険しそうな表情になってしまう。ドレイクが常に怒っているのではないかと思われるのはそれが理由であり、正騎士ですら彼を恐れるのは、そういう事情からだった。普通の話をしているだけで怒られているのではないかという気分になるのだから、近寄りがたくもなるだろう。
「しかし、困ったものだな」
「なにがです?」
「団長閣下の冬籠りだよ」
ドレイクの発言は、騎士団内でのみ通用する言葉だった。
フェイルリング・ザン=クリュースは、冬の間、ベノア城の神卓の間に篭もる。なぜ、なんのために神卓の間に篭もるのかは、十三騎士にしかわからないことであり、正騎士以下騎士団騎士たちは、困惑するほかない。が、騎士団本部がベノア城に映って以来毎年恒例となっているため、いまとなってはなれたものであり、むしろこの冬籠りによる休戦期をありがたく想うものも少なくはなかった。騎士団長不在の間、騎士団が外に軍勢を出すことはないからだ。もちろん、休戦期だからといって領土防衛をおろそかにすることはないし、むしろ国土防衛には全力を尽くすのだが。
「冬籠りのおかげで、騎士団の活動期間が年の半分しかないという現状、卿はどう想う?」
ドレイクの言い分も、もっともではあった。秋は収穫期で、積極的に戦うことはできず、冬は休戦期。騎士団は実質、春と夏の間だけ戦っているようなものといっていい。
その上、フェイルリングは篭っている間、騎士団の全権は副団長のオズフェルトに移譲されるため、オズフェルトにとってはもっとも過酷な期間でもあった。副団長業務よりも、団長業務のほうが過酷なのは当然だったし両方を一手に担うとなれば、心休まる暇もなかった。こうして戦力配分の話をしているときがもっとも落ち着くのだから、相当だろう。
「困ることはありませんよ。確かに、半年程度では、救えるものも救えないというのが現実。しかし、我々の真の目的は、この世を救うこと。それならば、閣下には神卓の間にて力を蓄えて頂くのが最善」
「それもわかるがね。しかし、真の目的のためにも、もっと幅広く活動するべきだと想うのだがな。このままでは、神卓の影響も弱いまま、時を迎えかねないぞ」
「ええ。それは重々承知しています」
オズフェルトは、鈍く輝くドレイクの目を意識しながら、地図に視線を落とした。ベノアガルドの東から南東部にかけて隣接する国境を持つのが、マルディアだ。マルディアの北側半分は、ここ数ヶ月の反乱軍と騎士団の活動によって、反乱軍のものとなっており、マルディアは南側半分を死守することに躍起になっていた。当然だろう。その半分も反乱軍のものとなれば、マルディアは完全に反乱軍のものとなる。そして、このまま推移すれば、そうなるのも時間の問題だった。年が明け、雪が解ければ、騎士団は本格的にマルディアへの戦力投入を始めることになる。
どれだけマルディアの正規軍に力があろうと、騎士団の全力を耐えしのぐことなどできるわけがないのだ。マルディアが現在王家の面目を保つことができる程度に国土を維持することができているのは、騎士団がベノアガルドに戻り、反乱軍の活動が収まっているからにほかならなかった。マルディアとしては、いまのうちに反乱軍に奪われた都市や砦を取り戻したいところだろうが、籠城する相手に対し、決定力の欠くマルディア軍ではそう簡単に奪還できるものでもないのだろう。反乱軍は最悪、雪解けまで籠城し、持ちこたえればいい。そうすれば、騎士団の援軍が到着し、マルディア軍など瞬く間に蹴散らすことを知っているからだ。
つまり、マルディア戦線は、反乱軍の優位のまま推移しているということだ。そしてそれは、騎士団長フェイルリングの想定通りのできごとであり、年明け以降のことも、フェイルリングの想像したとおりに進むだろう。
「ですから、我々はマルディアに戦力の派遣を決定したのです」
オズフェルトは、机の上に置かれていた駒をベノアガルドとマルディアの国境付近に置いた。ベノアガルド東部の都市シャルドゥーには、マルディアに派遣され、休戦期を前に帰還した騎士団の部隊が滞在している。マルディア担当の十三騎士カーライン・ザン=ローディスの部隊だ。彼とたった千人の騎士たちがマルディアの反乱軍に加担したのだが、戦果を見れば、その千人でも十分すぎるということはわかるだろう。
カーラインは、たった千人で、反乱軍に数多の勝利をもたらしている。
「……マルディアの救済が、救世に関係するというのか?」
「上手くいけば、そうなるでしょうね。マルディア政府はまず間違いなく、ガンディアに助けを求めるはずですから」
「だろうな」
ドレイクが静かに肯定する。
マルディアは、反乱軍の対処だけならば、自国の戦力でなんとかしただろう。マルディアの精巧戦力たる聖石旅団が反旗を翻し、複数の戦闘団が反乱軍に入ったとはいえ、対応できる範囲だ。しかし、反乱軍がベノアガルドと繋がり、ベノアガルドが騎士団を派遣したとなれば、他国に援軍を頼むほかない。その場合、マルディアが援軍を頼む国は限られている。近隣国は、無理だろう。まず、どの国とも友好関係を結べていないという現実がある。領土を争い小競り合いを続けている国に援軍を要請する馬鹿はいない。援軍を頼むとするならば、せめて敵対関係ではない国に求めるよりほかなく、となれば、マルディアがガンディアを頼みとするのは明らかだ。
ガンディアは、結果はともかくとして、ベレルの救援要請に応じてジベル軍との間に立ち、また、アバードの動乱においてはシーラ姫を救援するといって軍を寄越し、騎士団と戦っている。騎士団の強さを知るマルディアとしては騎士団と戦闘経験があり、なおかつ、騎士団に実質的に勝利したガンディア以外に頼れる国などないだろう。
もちろん、ガンディアがマルディアの救援要請に応じることも、織り込み済みだ。
「……ガンディアが寄越した援軍が本命、というわけか」
「そう、ルーファウス卿が救主の可能性を見出したという、彼のことを知るにはちょうどいい機会というわけです」
「セツナ=カミヤだな」
ドレイクが興味深げに目を細めた。救済のため武を極めんとする彼からすれば、竜殺しや万魔不当といった様々な二つ名で呼ばれるガンディアの英雄の存在には心惹かれるものがあるのだろう。常々、一戦交えてみたいといっていることからも、その興味津津っぷりがうかがえる。
「ルーファウス卿の戯れ言に耳を貸すのですか?」
「君の意見にも耳を貸しているよ」
オズフェルトは、テリウスの険しくなった目を見つめ返しながら、いった。
「召喚武装を考慮しないセツナ伯個人の実力が正騎士に劣るという君の見立ては正しいのだろう。そして、それだけでは我々が目指す救世者になどなれはしないということも、間違いはない。しかし、ルーファウス卿の言い分もまた、正しいと想うのだ」
シド・ザン=ルーファウス、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァスらがアバードから帰還した直後、神卓会議が開かれたのだ。