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第千百九十二話 シド・ザン=ルーファウス(三)

「なにがあんだろうなあ」

 ベインが他人事のようにつぶやいたのは、オズフェルトが去り、ルヴェリスが去り、ハルベルトがシヴュラとの訓練のために練技の間に移動してしばらくしてからのことだった。つまり休憩室には、シドとベインのふたりしかいないということだ。

「さあな」

 静かな時間だった。練技の間から聞こえてくる木剣の激突する音だけが、その静寂を破る。休憩室とハルベルトとシヴュラの訓練場所は離れているため、木剣の激突音もそこまでうるさくはなかった。わざわざ練技の間の端で始めてくれたのかもしれない。ハルベルトが気遣い屋なのはだれもがよく知ることだったし、シヴュラもハルベルトに負けず劣らず気遣い屋だ。ハルベルトがシヴュラを慕っているのはそういうところで波長が合うからだろう。

 シヴュラにハルベルトを任せたフェイルリングの判断は正しかったということだ。

 シヴュラは、フェイルリングと同時期に騎士団に入団し、古くから付き合いがあるという。フェイルリングはシヴュラの人格や適性をよく理解しており、ベノアガルド王家唯一の生き残りであるハルベルトを任せることができるのは、彼しかいないと見定めたようだ。そしてそれが間違いではなかったことは、ハルベルトの健やかな成長を見ればよくわかる。ハルベルトは、だれよりも壮絶な人生を送りながらも、屈託のない好青年そのものといっていい人物に育っていた。それもこれも、彼が騎士団に入ってからシヴュラと常に行動をともにしているからかもしれなかった。

 ふと、そんなことを考える。

 騎士団の人間関係は複雑だ。簡単には理解できるものではないし、理解したからといってなにがあるわけでもない。知ろうとも思わなかった。シヴュラとハルベルトの関係性について詳しいのは、ふたりが十三騎士に名を連ねる騎士だからであり、騎士団幹部の同僚だからだ。彼らがただの正騎士や准騎士ならば、シドがその不思議な関係に興味を持つこともなかっただろう。

 不思議といえば、自分たちもそうなのだが。

 名を呼ぶ。

「ベイン」

「なんだ?」

 ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートという名の大男は、たったひとりで休憩室の狭い空間を占拠しかねないほどの隆々たる体躯を誇る人物だ。椅子に座っているというのにその迫力は凄まじいものであり、騎士団に入ったばかりの従騎士(見習い)の多くは、その巨体だけで圧倒されるという。最初に出逢ったときから筋肉の塊のような男だったが、この数年、さらに密度が増しているといっていい。

 シドは、ベインの怪訝そうな表情を見つめながら、言葉を続けた。

「やはり君は強いな」

「は? いまさら当たり前のことをいうなよ」

 ベインは、さも当然のようにいう。

 実際、当然なのだから、彼がそのような反応を示すのも無理のないことだ。筋肉の質も量も凄まじいのが、ベインだ。騎士団一の怪力の持ち主というのも嘘ではない。騎士団の中で最強の騎士かといわれると甚だ疑問だが、騎士団最大の膂力の持ち主という話になれば、だれも否定しないだろう。力を使わない状態ならば、最強格といっても間違いはない。シドが先程の訓練で打ちのめされたのも、彼のほうが人体そのものの力が強いからだ。剣速では負ける気がしないものの、勝負を決めたのは剣ではなく、肉体の力だった。

 静かに認める。

「そうだな」

「……どうしたんだ?」

「いや、少し、思い出してな」

「思い出した? なにをだよ?」

 ベインが身を乗り出してきたことで、シドは熱量を感じた。

「なんでもない……つまらない話さ」

「つまらない話ねえ……ま、話したくないならどうでもいいけどよ」

「ああ、そういってくれると助かる」

 シドは苦笑交じりにいった。ベインが食い下がってくる。

「あんだよ……気になるじゃねえか」

「気にするな」

 にべもなく告げるのだが、ベインは引き下がろうとはしない。

「気にする」

「するなといっている」

「わーったよ。もう聞かねえよ」

 そういって座り込んだベインだったが、しばらくするとシドのほうをちらちらを覗いたりしてきた。やはり気になるらしいのだが、シドは一切答えなかった。言葉にするのもなんだか違う気がした。

 懐かしい夢を見たのだ。

 その夢のことを言葉にするのは、少々、気恥ずかしい。

(夢。そう、あれは夢さ)

 シドは、石の天井に視線を戻すと、再び目を閉じた。しばらくは安静にしておくべきだというシヴュラの見立てに間違いはあるまい。

 目を閉じると、夢の風景が思い起こされて仕方がなかった。声が聞こえた。懐かしい声。夢で聞いた声だ。


 

「――なんだ、生きてたのか」

 瞼を開いた直後に飛び込んできた声に、彼は釈然としないものを感じた。まるで死んでいるべきだとでもいわんばかりの言葉であり、死にかけた人間にかけるべき言葉では断じてない。そう思ったからだろう。気が付くと、ぶっきらぼうに問い返していた。

「……なんだとは、なんだ」

「へえ、あんな目に遭ってもまだそんな減らず口が叩けるとは、案外大物かもな」

 そういってにやりと笑ったのは、大男だった。シドよりも上背があり、体格もずっと大きい。筋骨隆々といっていい体躯は、鍛え上げた肉体を誇るものが多い騎士団の中でも上から数えたほうが早いように思えた。一見してそう思うほどなのだから、余程のものだろう。余程、鍛錬を積んでいる。後ろに撫で付けた頭髪は茶色で、ぎょろりとした目の虹彩は青かった。どこか野生の猛獣を思わせる風貌の持ち主で、理性と知性に支配されるべき騎士団騎士にそのような人物がいたのかと驚く想いがした。騎士団に入って数年になるが、騎士団に所属するすべての騎士を知っているわけではないのだ。どこかで会ったことはあるはずなのだが、記憶にはない。おそらく、別のことに意識を集中させていて、覚えていないとかそういうことだろう。

(あんな目に……?)

 相手の言葉を反芻して、思い至る。そして、痛みがいまさらのように襲ってきたが、致命的なものではないらしかった。痛みは、体中に走っている。全身、至る所が熱を帯び、悲鳴を上げている。少しでも体を動かそうとすると、痛みが激しさを増して動くことすら拒絶した。

 場所は、フェイルリングと戦った騎士団本部前ではない。どこかの一室。おそらく騎士団本部内の部屋であり、救護室かどこかだろう。大男以外にだれもいないところを見ると、出払っているのかもしれない。騎士団本部はフェイルリング一派に制圧されたのち、そのフェイルリング一派は王城を制圧するべく出撃している。

 シドは父とともにその暴挙を止めるべく動き、父と兄は斬殺された。

 シドも殺されたはずだった。

 だが、なぜか、生きている。もしかすると、父も兄も生きているのではないか。淡い期待を抱く。

「シド様! シド様は何処ですか!?」

 遠くから悲痛な叫び声が聞こえてきたかと思うと、廊下を駆け抜ける靴音が耳朶を叩き、やがてひとりの少年が救護室と思しきシドの寝かされている部屋に入ってきた。貴公子然とした金髪碧眼の少年には、見覚えがある。というより、この十年あまり、彼はシドの従僕のような立場にあった。ロウファ=セイヴァス。彼は、室内にシドの姿を見つけると、安堵の表情を浮かべ、駆け寄ってきた。

「ああ、良かった……! 無事だったのですね!」

「……これが無事といえる状態ならばな」

「生きておられるのですから、無事ということにしてください……!」

「君がそういうのなら、それでいい」

 シドがロウファの言葉を受け入れたのは、彼の反応が悲壮感に満ちたものだったからだ。彼の言動を見るに、シドの父と兄は一命を取り留めることもなく死んだのだろう。そんな確信が生まれた。淡い期待は一瞬にして打ち砕かれたというわけだが、悲しくも苦しくもなかった。既に死んでいるものと想っていたからかもしれない。生きているかもしれないと、そこまで強く期待していなかったからでもあるだろう。そもそも、兄は首を切り飛ばされていた。生きているわけがない。父だけでも、と思ったが、あれだけの傷を負って生きているとは思い難い。

 それは、シドも同じだったが。

「知り合いがいたか。じゃあ、俺の出番はねえな」

 大男が立ち上がった。気を利かせてくれたのかもしれないが、シドは、彼を呼び止めた。聞かなければならないことがある。

「待て」

「なんだ?」

「なぜ俺は生きている?」

 問うと、室内が一瞬、沈黙に包まれた。まさかそのような質問をされるとは思ってもいなかったのだろうが、大男は、こちらを見つめたまま、皮肉げな笑みを浮かべた。吐き出される言葉も皮肉そのものだ。

「そりゃあ慈悲深いフェイルリング様のお情けに決まってんだろ」

「フェイルリング……」

「様だ」

 男が、冷ややかに訂正してくる。言葉は刃のように鋭く、喉元に突きつけられているような実感があった。次に呼び捨てにすれば殺されるのではないか、そう思うほどに、彼の言葉も表情も鋭かった。

「口の聞き方には気をつけろよ。せっかく拾った命、無駄にしたくなかったらな」

「忠告、感謝する。ついでといってはなんだが、もう一つ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「君の名は?」

 尋ねると、大男は、なにがおかしかったのか吹き出した。

「はっ、俺の名なんて知ってどうすんだ?」

「これもなにかの縁だと思ってな」

 彼の発言から、彼が助けてくれたわけではないということはわかっている。しかし、シドが目覚めるまで看病してくれていたのは間違いないのだ。彼がなぜそうしてくれたのかは不明だ。上からの命令という可能性が一番高く、ほかに考えようがない。たとえそうであったとしても、死んだはずの自分が生きていて、その覚醒に立ち会ってくれた人物に奇縁を感じるのは、別段、おかしな話ではない。

 大男は、立ったままこちらを見つめながら、にやりとした。

「……まあ、そういうのも悪くはねえか。俺ァ、ベインだ。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート」

「ああ……君があのベインか」

 シドは、ベインの筋肉の塊のような体躯を眺めながらつぶやいた。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートという長たらしい名は、騎士団でも知らないものはいない人物の名前だった。シドも、名前だけはよく知っている。騎士団随一の問題児であり、騎士団有数の怪力の持ち主だった。彼の扱いについて、シドの父ジグが頭を悩ませていたことをよく記憶している。ジグは、騎士団幹部として、准騎士、従騎士の指導に当たることが多かった。ベインは従騎士時代から問題児として有名であり、ジグも指導を投げ出すほどの暴れっぷりだったという。シドが彼を見たことがないのは、シドの騎士としての指導者がジグではなかったからだったし、ベインとは同期でもなんでもなかったからでもある。

「あのってなんだよ」

「君は有名人だ。騎士団でも知らないものはいないくらいのな」

「雑魚の嫉妬だろ」

 ベインが唾棄するようにいった。確かにその通りかもしれない。彼を扱いきれないから問題児と認定し、溜飲を下げているものがいるのではないか。少なくとも、ジグは彼を問題児とはいわなかった。ただ、自分の指導力不足を恥じていたものだ。

「そうかもしれんな」

「ベイン……って、あのベイン!? シド様、あまり関わらないほうがいいんじゃ……」

 ロウファがシドに耳打ちしてきたが、ベインの耳に聞こえるくらいの大声だったのは、いうまでもない。騎士見習いの少年には、器用な真似などできなかったということだ。ベインは、そんなロウファを不快そうに見て、いった。

「てめえも雑魚か? ロウファ君?」

「雑魚で結構! ぼくはあなたとは違いますから!」

 ロウファは毅然とした態度で言い返す。度胸だけは人一倍あるのが、少年らしいといえば少年らしいのかもしれない。ロウファの反応に面食らったのが、ベインだ。

「なんなんだよ、ったく……まあいい。じゃあ、今度こそ俺は行くからな」

「ああ」

「じゃあな、シドさんよ」

 シドは、片手を挙げて部屋から出て行く大男の背中を扉が閉じるまで見ていた。彼がシドの名を知っているのは、ロウファがシドの名を呼んだからなのか、それとも、もっと前から知っていたのか、そのときはわからなかった。のちにフェイルリングからシドの搬送を任されたとき、名を聞かされたのだということを知った。

 ともかく、それはシドとベイン、ロウファの三人が始めて顔を合わせた時であり、奇妙な縁の始まりだった。

 


「――シド様!」

 不意に飛び込んできた叫び声に、シドは目を開いてそちらを見た。練技の間の休憩室出入り口に、ロウファ・ザン=セイヴァスの姿がある。夢に見た姿と一致しないことが不思議で、シドはしばらく戸惑わなければならなかった。しかし、すぐに理解し、ここが夢ではなく、現実なのだと把握したときには、彼の姿と年齢が一致している。ロウファは今年二十一歳になるのだ。

 夢の中のロウファはまだ十代半ばであり、騎士ですらなかった。

「ロウファ君、遅いじゃないか」

 ベインがあからさまにロウファを挑発すると、ロウファはそんなベインを鼻で笑った。

「わたしはあなたとは違って暇ではないのだよ」

「俺様だって暇じゃあないのよ」

「暇だから、訓練に精を出しているんじゃあないのか?」

「だったら、こちらに寝ているシドさんも暇人ということになるな」

「そうはいっていない!」

 ロウファは即座に否定すると、シドの枕元まで近寄ってきて、もう一度いった。

「いっていませんからね!」

「わかっているよ」

 そういって、苦笑する。ロウファの口調が、夢のころに戻っている。

「まだ、抜け切らないようだな」

「……え?」

「わたしを様付けで呼ぶ癖のことだ」

「ああ……そのことですか」

 ロウファは、微妙な表情を浮かべた。

「抜けるわけないじゃないですが。わたしはルーファウス家の皆様のおかげでこうして生きていられるのですから」

「しかし、いまや君はひとりの騎士だ。しかも十三騎士に数えられるほどのな。ルーファウス家に感謝してくれるのは構わないが、君はもうわたしの従者ではない。わたしを敬う必要はない」

「しかしですね……」

「いっても無駄だぜ、シドさんよ。こいつぁ、根っからのあなたの信者なんだ」

 ベインが皮肉げな表情でいってきたのは、信者という言葉がこの場にいる全員に向けて放たれたものだったからかもしれない。十三騎士たるもの、ひとつの意思を信仰しているといっても過言ではなかった。それこそ、狂信的とすらいっていいのではないか。かといって、熱狂しなければ、なにも考えず、信仰し続けなければならないほど追い詰められているわけではない。

 必要だから信仰しているだけにすぎない。

 この世には救済が必要なのだ。

「よくわかってるじゃないか」

 とは、ロウファだ。彼は、ベインの発言の真意に気づいているのか、いないのか。気づいていても、気づいていないふりをしている可能性もある。

「はっ……わからないほうがおかしいんだがな」

「どういうことだ?」

「わかりやすすぎるって話さ」

 ベインが嗤えば、ロウファが憮然とする。

「わたしが単純な人間だといっているように聞こえるな?」

「そういってるんだが?」

「……単純さの塊のような奴にいわれたくないな」

「だれが単純だって?」

 今度はベインがロウファに迫り、立場が逆転したかのようになる。いつものことだ。いつもの他愛のないやりとり。ふたりの仲は決してよくはない。ロウファはベインを嫌っているし、ベインもロウファのことを頼りにしてはいない。しかし、両者は互いの実力を認めている。だからこそ行動をともにすることも辞さないのだ。シドとともにあろうとするロウファはまだしも、ベインなど、実力も認められないような相手とは一緒にいることさえ嫌う人間だ。

「あなただよ、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート」

「てめえ……」

「本当に仲がいいな、君たちは」

「……また、皮肉ですか」

「皮肉だよ」

 シドが認めると、ロウファはなにも言い返せないとでもいうような顔をした。

「しかし、悪いことではないさ」

「なにがです?」

「仲がいいことが、だよ」

 シドが再び告げると、ロウファとベインが顔を見合わせ、なんともいえないような表情になった。

 そんな風にして、五百二年の十二月は過ぎていく。

 年が明け、ベノアガルドとマルディアの国境を閉ざす雪が解ければ、戦いが再開されるだろう。マルディアの戦いがなにをもたらすのか、シドには想像もつかない。オズフェルト曰く、シドたちが動員される可能性もあるという。

 それはつまり、騎士団史上最大の戦いに発展することがありうるということだ。

 妙な胸騒ぎがした。


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