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第千百九十一話 シド・ザン=ルーファウス(二)

 闇。

 闇の中で声を聞いた気がする。

 天を呪う声。運命を恨む声。絶望に嘆く声。ひとりの男が発する悲痛な叫びは、その男が何もかもを失ったことを示しているようだった。生まれたときからそのときに至るまでに手に入れた全てを、一瞬にして失ってしまったのだ。失意のどん底に落ち、絶望に染まるのも無理はなかった。絶望の中でなにもかもを呪い、恨み、憎んだとしても、だれがそれを否定できるのか。

(できるさ)

 彼は、過去の自分にそう言い放とうとして、苦笑した。過去の自分にそんなことをいったところで、なにが変わるわけもない。現実は変わらない。あの日、あのとき、あの瞬間、彼がすべてを失ったという事実が覆ることはない。騎士団によってすべてを奪われ尽くし、騎士団によってすべてを与えられたという事実は、未来永劫、変わらないのだ。

(夢か)

 つまらない夢を見た、と彼は思った。早く目を覚まそうとも考えた。こんなことをしている場合ではないはずなのだ。睡眠時間など削れるだけ削るべきだ。でなければ、救済の二字を完遂することなどできない。過去の自分を塗り潰すことさえ夢のまた夢に終わる。

 まず最初に痛みがあった。胸と背中を貫くような痛みが意識を苛み、覚醒を促すかのようだった。目覚めなければならない。声を上げなければならない。生きなければならない。そんな気分になったのは、妙に息苦しくて、暗くて、辛かったからかもしれない。

「いくらなんでもやりすぎよ」

 声が聞こえてきた。ルヴェリスの声には若干の諦めと多分な皮肉がこめられている。シドに対していってもいるのだろう。シドもまた、本気になりすぎてしまっていた。別の声が聞こえてくる。

「だから悪かったっていってんだろ。ちょっと本気になりすぎたってよお」

 ベインだ。

「これでルーファウス卿が目覚めなかったらどうするつもりなのよ」

「んなわけねえだろ。ねえ……よな?」

「よなって、聞かれてもですね」

 困り果てたようにいったのは、ハルベルトだ。騎士団一番の若輩者は、嫌われがちなベインにも親切で、優しい。そういう様子を見るたびに彼は思うのだ。ベノアガルド王家を滅ぼす必要などあったのか、と。彼が王座を継承していれば、ベノアガルドは立ち直れたのではないか。

 しかし一方では、そう簡単にはいかなかったに違いないとも考える。腐敗した国を立て直すのは、並大抵のことではない。まず、腐敗の根源を取り除かなければ、ハルベルトが王位を継承したとしても、ベノアガルドが変化することはなかっただろう。そしてその場合、痺れを切らしたフェイルリングが行動を起こし、ハルベルトが贄として捧げられていたかもしれない。

「まあ、わたしの家に飾っておくというのも悪くないけれど」

「どういう趣味だ」

「んっふっふっ……シド君、中々綺麗な顔してるし」

「相変わらず趣味が悪いなあおい」

「あなたみたいな野蛮な男に理解される趣味の方が余程よ」

「ああん? なんだって?」

「ですから、どうしてそう喧嘩腰なんですか」

 ハルベルトが悲鳴を上げた。おそらくふたりの間に入ったのだろうが。

 ゆっくりと目を開く。天井の様子から、練技の間ではないことがわかる。胸と背の痛みは完全に消え去ってはいないし、気張りすぎた結果、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。ベインとの訓練は数分どころか数十分、下手すると一時間以上に及んでいたかもしれないのだ。疲労感が押し寄せてくるのも当然だった。だから、グレイは同僚たちの会話に聞き耳を立てながら、なにもいわず、時が流れるのを待ったのだ。

「ハルベルト君よー、なんたって君はフィンライト卿を庇うのかね」

「庇うって、別にそういうつもりではなくてですね」

「ハル君とわたしは特別な関係なのよ」

「そ、そうなのか……?」

「な、なにいってるんですか! そんなわけないじゃないですか!」

「そんなわけない? なにその強烈な否定。結構、傷つくんだけど……」

「あ、ああ……その、あの……」

 ルヴェリスの悲しみを込めた一言を聞いた途端、しどろもどろになるハルベルトに純粋すぎるほどの人の良さを感じていると、シドは視線を感じた。そちらを向くと、この中で一番の年長者がシドのことを見ていた。

「気がついたか」

「彼も大変ですね」

「君よりはましだろう」

「わたしなど、ハルベルト卿に比べれば安いものです」

 シドは、シヴュラの気遣いに年長者の風格を感じながら、しかしその考えを否定した。シドは一時期自分の境遇に絶望していたものだが、ハルベルトの存在を知り、彼という人間を理解していく中で、自分の絶望がいかに軽いものなのかを知った。ベノアガルド王家は、ハルベルトを除いて皆殺しにされている。

 革命のためには血を流す必要がある。

 上体を起こす。筋肉が悲鳴を上げるが黙殺し、状況確認のために視線を巡らせると、そこが練技の間の隣の部屋だということがわかる。医者の姿が見えないのは、医者を呼ぶまでもないという判断からだろうし、ルヴェリスがそういう判断を間違えるはずもなかった。実際、シドは無事に意識を取り戻している。訓練用の防具も服も脱がされ、包帯が巻きつけられていた。包帯の下には打撲によく効くというフィンライト家秘伝の軟膏でも塗られているのだろう。痛みが思ったほどでもないのは、そのおかげだ。

 室内には、シヴュラ、ベイン、ルヴェリス、ハルベルトの四人だけがいた。軍医がいないのはともかく、室内に正騎士ひとりいないのは、シヴュラたちが立ち入りを禁じたからだろう。十三騎士は同僚との横の繋がりを大切にする一方、縦の繋がりに厳しかった。横の繋がりを大切にするとはいえ、ベインとテリウス・ザン=ケイルーンのように反目しあっている騎士がいないわけではない。そして、反目しあっているからといって、認めていないわけではないのだから、不思議なものだ。

「おお? おう、気がついたんだな!」

 ベインの大きな手がシドの背中を叩く。激痛に顔をしかめるが、荒々しい笑みを浮かべる猛獣にはなんとも言い返しようがなかった。ただ、うなずく。

「ああ……なんとかな」

「なんとか?」

「卿のせいで、死にかけた」

「お、俺のせいかよ」

 ベインが信じられないとでもいうような顔をしてきたので、シドは、それこそ信じられないという面持ちで彼を見つめ返したのだった。

 そのとき、室内に向かってくる靴音が聞こえて、シドは出入り口に視線を注いだ。シドだけではない。ベインもシヴュラも残りのふたりも、この騎士団幹部しかいない部屋に近づいてくる足音に注目していた。扉はない。この部屋は練技の間付属の休憩所のようなものであり、元々扉そのものが設けられていないのだ。そのため、靴音の主がだれなのかは、すぐにわかった。

「おや、めずらしい取り合わせだ」

「あら、ウォード卿ではございませんか」

 おどけたような口調で応対したのは、ルヴェリスだ。

 出入り口に姿を見せたのは、オズフェルト・ザン=ウォードだ。灰色の髪の騎士は、ベノアガルドには彼しかいない。彼もまた十三騎士のひとりであり、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースを別格とすれば、十三騎士筆頭といってもいい。

「ルーファウス卿が訓練中、意識を失ったと聞いたので、飛んできたのだけれど……どうやら杞憂だったようだね」

「ええ、まあ……無事に意識を取り戻すことができたので、杞憂といえば、杞憂ですが」

「よかったよかった。ルーファウス卿にかぎらず、十三騎士は騎士団になくてはならない人材。とくに時期が時期だ。いま戦線を離脱されると、少々厳しいことになる」

「いま……って、マルディア以外、どこかと戦ってましたっけ?」

「んな話は聞かねえな。マルディア以外があるんなら、俺らの出番なのは間違いねえんだが」

 ベインのいう“俺ら”とは、シド、ベインにロウファ・ザン=セイヴァスを含めた三名のことだ。この三人は、騎士団が現在の体制となって以来、常に行動をともにしていた。騎士団もまた、シドたちを運用する際は三人一組で動かすことを想定しており、三人が別々の任務に当たることはほとんどなかった。

「マルディアでの“救済”が本格的なものになれば、卿らにも出番が回ってくるということだよ」

 オズフェルトは当然のようにいってきた。ベインがハルベルトに尋ねる。

「マルディア如きに騎士団を総動員する理由なんざあるのか?」

「さあ?」

「マルディアっていえば、ローディス卿の担当よ。ハル君が知っているはずないでしょ」

「そうですよお」

「まあ、いずれわかるさ。いずれにせよ、年が明けるまでは動けないのだけれどね」

 オズフェルトはそういって、爽やかに微笑した。オズフェルト・ザン=ウォードは涼やかな人物で、ただそこにいるだけだというのに清涼感を覚えずにはいられない。暑苦しいベインには、彼のそういうところが気に入らないのかもしれない。もちろん、騎士としての実力を認めていないわけではないし、オズフェルトが団長に次ぐ人物であるということは、十三騎士のだれもが認めるところだ。

 シドは、オズフェルトの緋色の目を見つめながら、問うた。

「閣下からは?」

「まだなにも。しかし、なにも心配する必要はない。我々には神卓の加護があり、救いを求める声がある。だれかが救いを求め、手を伸ばしてくる限り、我々は戦い続けられる。たとえこの身が滅び、命が尽き果て、影さえ失おうとも、ね」

 オズフェルトの朗々たる言葉に、ベインとハルベルトが顔を見合わせ、シヴュラとルヴェリスが肩を竦めた。

「閣下は、そのために神卓の間に篭もられているのだからね」

 騎士団は、神卓騎士団とも呼ばれる。

 十三騎士の会議に用いられる奇妙な形状の卓が、神卓と呼ばれる代物であり、騎士は皆、神卓の加護を受けているからだ。

 神卓の加護あってこその騎士団であり、その力を正しく使うというのが、騎士団の理念であり、騎士団長フェイルリングの望みだった。

 そして、神卓の力を引き出し、正しく使うために、彼はいま神卓の間を離れることができず、故にベノアガルドは軍事行動を起こさないのだ。

 フェイルリングがいてこその騎士団であり、神卓の加護あってこその騎士団だからだ。

 



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