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第千百九十話 シド・ザン=ルーファウス

 木剣が舞う。

 描く軌跡は雷撃のように激しく、でたらめだ。

 胴を薙ぐ斬撃も、胸を貫く刺突も、頭蓋を打ち付ける一撃さえも、どれもこれも一瞬の雷光のように閃く。だが、それら瞬間的な攻撃されも紙一重にかわされ、受け流され、捌かれれば、なんの意味も持たず、記憶にも残らない。

「相変わらず、無駄な動きが多いなァッ!」

 自分の攻撃が記憶から掻き消えた瞬間には相手の攻撃が始まっていて、彼は剣を引いて防御に徹した。相手の攻撃は、一撃一撃の破壊力ならば騎士団最強といっても過言ではない。油断はできない。後ろに飛ぶ。斬撃はこない。代わりに突っ込んでくる。直線的な動き。右へ。横薙ぎの斬撃が来る。剣の腹で受け止める。木剣同士がぶつかり合い、激しい音を立てた。凄まじい重みと衝撃が手に伝わる。

「卿も卿だ」

「あん?」

「あいかわらずうるさい」

「悪ぃな! 生まれつきなんだ!」

 立て続けに繰り出してきた目にも留まらぬ連続攻撃のすべてを捌きながら、右に目をやり、左に飛ぶ。相手は、追随してくる。視線誘導にすら引っかからない。

「赤ん坊のころからうるさかったのかしら」

「まあ、赤ちゃんってうるさいものですし」

「それもそうねえ」

 外野の話し声は、ルヴェリス・ザン=フィンライトとハルベルト・ザン=ベノアガルドのふたりによるものだ。ハルベルトの保護者とでもいうべきシヴュラ・ザン=スオールもいるはずだが、寡黙な彼がふたりのくだらないやり取りに参加するわけもなかった。

 逃げるのをやめて、立ち止まる。剣を下段に構えた。相手が警戒する。基本、受け手に回ることがないのがシド・ザン=ルーファウスの戦い方だった。常に攻める。攻めて攻めて攻め続けて倒しきるのが、“雷光”のシドであり、だからこそこういう変化がベインには効果的だ。

 ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートは、逆に、受け手に立つことが多い。相手の全力を出し切らせてから、それを上回る力で捩じ伏せるのが彼本来の戦い方であり、闘争本能の赴くままに殺戮を行うことからついた二つ名“狂乱”は、彼にとっては不名誉極まりないものだった。しかし、いまとなってはその二つ名こそが自分であると公言して憚らず、常日頃から“狂乱”たろうとしていた。

 そういう真面目なところが、シドが彼を側においている理由のひとつだったりする。

 シドたちが木剣を手に本気になって戦っているのは、ベノア城内にある練技の間と呼ばれる訓練施設の一角だ。騎士団騎士のための訓練施設には、訓練用の道具が様々に用意されており、日夜鍛錬を欠かせない騎士たちがもっとも利用する施設のひとつだ。ほかによく利用されるのは大浴場や大食堂であり、それらは騎士団騎士の交流の場としても利用されている。

 この練技の間もそうだ。

 練技の間には、十三騎士の五名以外に、騎士団に所属する正騎士から准騎士、従騎士に至るまで何十人もの人間が観客となって、シドとベインの戦闘を見守っていた。練技の間は、騎士団に所属していればだれでも利用することが許され、騎士団に入りたての従騎士は、まず練技の間で騎士団騎士の実力のほどを垣間見ることになる。

 特に十三騎士同士の訓練となると、いまのように何十人、何百人の観客が発生する場合があり、それら観客は、十三騎士の剣技から少しでもなにかを学び取ろうと目を皿のようにして集中しているため、訓練をしている方も気を抜くわけにはいかなくなった。結果、十三騎士の訓練も凄まじいものとなって騎士ひとりひとりの鍛錬をより良いものにしているのだ。よい相乗効果というべきだろう。

 シドもベインも、観客である騎士見習いたちを落胆させるわけにはいかないという気持ちが働き、戦いは激しさを増す一方だった。

 互いに剣術訓練用の防具を身に着けていたが、ここに至るまでの戦いで、両者の防具はぼろぼろになっていた。紙一重での回避は、肉体こそ傷つかないものの、防具を損壊させるには十分なのだ。

 ベインが吼え、木剣が地を撫でるように走ってくる。後ろに飛んでかわした瞬間、悪手に気づく。ベインが木剣を手放すのが見えたのだ。床を蹴って、突っ込んでくる。足が地を離れた瞬間だった。避けきれない。だが、シドは諦めなかった。木剣を前方に掲げ、飛ばしたのだ。ベインの突進は直線的だった。直線でしかシドを捉えられないのだから、まっすぐ突っ込んでくるしかない。それが、シドに付け入る隙を生んだ。シドの手を離れた木剣は、凄まじい勢いでベインに殺到し、彼の胸に突き刺さった。が、彼は苦悶の声ひとつ漏らさず、突っ込んでくる。彼の目が、燃えていた。

「おおおおおっ!」

(まったく)

 シドは、苦笑とともに彼の体当たりを正面から受け止め、そのまま壁に運ばれ、背中から叩きつけられた。防具を身につけているとはいえ、石壁に激突した瞬間の衝撃は凄まじいものがあり、シドは一瞬、意識が飛んだような感覚を抱いた。

「さすがは騎士団一の怪力だな」

 シドは呆れながら、意識が闇に落ちるのを認めた。

 


 雷鳴が聞こえた。

 いや、天を裂き、地を割る雷鳴の如きそれは、彼がよく知る人物の怒号だったのかもしれない。魂が猛り狂い、咆哮を上げていたのかもしれない。窓の外、空は晴れていた。雷を呼ぶ黒雲が空を覆っているということもなければ、嵐が起きる予兆さえもない。嘘みたいに晴れ渡った空が、嘘みたいな現実をさらに空々しく演出していた。

 嘘みたいな、しかし確かな現実。突きつけられたのは刃のような宣言であり、叛逆の予告だった。

「革命だと!?」

 彼の父が怒気を込めて、叫んだ。取り乱したのは当然だろう。彼自身、混乱の中にあった。いったいなにがこの王都に起きているのか、まったく理解できなかったからだ。

「血迷ったかフェイルリング!」

 甲高い叫び声は、彼の父の全身全霊が込められていた。父が吐き捨てたのは、革命の首謀者と目される人物の名だ。フェイルリング・ザン=クリュース。騎士団においても騎士の中の騎士と謳われる人物であり、次期団長候補の筆頭として挙げられるほどの人物だった。

 彼の父、ジグ・ザン=ルーファウスは、准騎士時代のフェイルリングの面倒を見ており、現在までも良好な関係を築き上げていた。フェイルリングはあらゆることで父を頼ったし、父はそういうフェイルリングを憎からず想っていたらしい。フェイルリングに剣の手解きをしたのも父であったし、父は自分よりも優れた剣才を持つフェイルリングを手放しで褒め称え、やがて正騎士に推挙するに至っている。フェイルリングが騎士として頭角を現し始めると、ジグは自分のことのように喜び、ベノアガルドの騎士団騎士は須く彼を目標にするべきだといったりしていたものだった。

 そこまで褒め称えていた相手が一夜にして忌むべき敵へと変わることなど、ジグは想像もしていなかったに違いなかった。

 その日、フェイルリングが宣言したのだ。

 騎士団の武力によって王家を打倒し、ベノアガルドから腐敗を一掃すると宣言したのだ。

 それを、フェイルリングは革命と呼んだ。

 革命に騎士団の全員が賛同したわけではない。むしろ大半がフェイルリングの蜂起を批判し、背信行為であると非難した。言葉だけではない。武力で以って反逆者どもを鎮圧するべく動き出した。そしてそれこそ、王家主導による軍事行動だった。

 ベノアガルド王家は、フェイルリング一派を愚かな反逆者と呼び、国賊と認定した。ベノアガルドの全戦力を持って叩き潰すと宣言したが、フェイルリング一派の行動のほうが遥かに迅速だった。宣言した瞬間には騎士団本部を制圧し、王家派の騎士団幹部を殺害、革命に反対する騎士たちもつぎつぎと殺していったのだ。

 ジグは革命当時、ルーファウス家本邸にいたのだが、フェイルリングの叛逆を止めるために周囲の制止を振り切って騎士団本部に向かった。シドも、兄シン・ザン=ルーファウスとともにジグに付き従った。ジグが制止の言葉を聞き入れないことを知ると、彼の部下たちもそれに従った。死ぬかもしれない。そんなことはわかりきっていたが、主が死地に赴くとあらば、配下たるもの従うよりほかないのだ。

 シドたちが騎士団本郡に辿り着いたときには、騎士団本部は既にフェイルリングの支配下にあり、王城への攻撃が始まっていた。騎士団騎士同士の苛烈な戦闘が行われる中、シドたちは騎士団本部前で指揮を取るフェイルリングの元へと急いだ。そのときには、シドにはわかっていたことがある。既に騎士団同士の殺し合いが始まっているのだ。ジグがどれだけ声を荒げ、誠心誠意訴えたところで、この戦いが止まることはないだろう。

 もしかすると、ジグも薄々わかっていたのかもしれない。戦場と化したベノアを駆け抜ける父の顔は、なにかを諦めたようだった。

 それでも、止めなけれなばらない。

 戦場と化した王都ベノアには、熱狂が渦巻いていた。正常な思考は働かなくなっていたのだ。シドも、ジグも、熱狂の中にいた。王家派の騎士にもフェイルリング派の騎士にも襲いかかられたが、なんとかだれひとり殺すことなく切り抜けた。ジグの目的は停戦であり、フェイルリングを説得することだ。戦ってはならない。そのためにジグは片腕を失ったが、父は笑っていった。

「これくらい安いものだ」

 フェイルリングを説得することができたなら、確かに安い代償かもしれない。

 だが、シドにはわかっていた。フェイルリングはきっと、ジグの言葉に耳を貸さないだろう。この期に及んでジグの説得に応じるような半端な覚悟ならば、そもそも革命など起こそうとはすまい。そのような生半可な気持ちで、この王都を血みどろの戦場に変えることなどありえないのだ。

 そして、シドたちはフェイルリングの元に辿り着いた。ジグが叫ぶ。

「フェイルリング! 馬鹿げたことはやめるのだ!」

「なにが馬鹿げたことなのです」

 まだ三十歳にもなっていない若い騎士は、超然とした目で、ジグに相対した。彼の周りには、フェイルリング派の騎士団幹部たちが控えており、その中にはシヴュラ・ザン=スオール、ゼクシズ・ザン=アームフォートがいて、彼らはジグの存在など気にもしていないようだった。ジグが実力行使に出てきたとしてもどうとでもなるとでも思っているのかもしれない。

「馬鹿げたことではないか!」

 ジグが声を荒げた。

「ベノアガルド王家を打倒するだと? そんなことをして、いったいなんになるというのだ。ベノアガルドは、王家という支柱があってはじめて成り立つ国ではないか。それは歴史が証明している。まさか歴史を忘れたとはいうまいな?」

「過去を振り返れば、確かにそういう側面があったのも事実です。大分断後からベノアガルドが成立するまでの紆余曲折を知れば、王家の存在が重要なのもわかります。王家を神の如く崇め、敬うのも納得できましょう。しかし、それは昔の話です」

 フェイルリングが肩を竦めると、ジグが肩を怒らせた。余裕のあるフェイルリングと、余裕など一切持ち合わせていないジグ。両者の表情も態度もまるで正反対で、シドは不安に駆られた。だが、だからといってなにができるわけでもない。ふたりは対峙していて、その会話に割って入ることなどできないのだ。

「いまやベノアガルドは、王家という猛毒の源泉を不要としています。むしろ王家が延命すればするほど国の腐敗は広がり、やがて致命的なものへとなっていくのは火を見るより明らか。現実を見てください。この国のどこに幸福を謳歌するひとがいますか? 国民のどれほどが安穏たる日々を過ごせていますか? あなたは、国民の上に立つべき騎士という身分でありながら、国民の声に耳をかそうともしないのではありませんか?」

「愚弄するか!」

「愚弄? 愚弄しているのはあなたでしょうに。ジグ・ザン=ルーファウス卿。騎士団幹部であり、ベノアガルドの名門ルーファウス家の当主であるあなたは、国民の窮状を知る立場にありながら、黙殺し、優雅な日々を謳歌している。これを愚弄と呼ばずなんと呼ぶ」

「貴様とて同じだろうに」

 ジグが、冷ややかに笑うと、フェイルリング派の幹部たちが色めきだったが、フェイルリングが手で制したことで事なきを得る。

「クリュース家の嫡男として生を受け、順風満帆の人生を歩んできた貴様がいつ、国民の窮状に目を凝らし、国民の悲鳴に耳を貸したというのだ! いつ手を差し伸べた! いつ、国民を救うべく行動を起こしたというのだ! 貴様も、貴様達も、貴様らが非難する王家や我々となんら変わらぬ、愚かで救いがたい腐敗物ではないか!」

「だからこそ、わたしは剣を取ったのだ。だからこそ、我々は王家に反旗を翻したのだ。騎士にあるまじき反逆者の汚名も甘受すると断じたのだ」

 フェイルリングが、剣を抜くと、幹部たちもそれに習って剣を抜き連ねた。もはや言葉は不要と判断したのだ。空気が緊迫する。ジグもまた、剣を抜いた。説得も、説得のための行動も、すべて無駄になった瞬間だった。フェイルリングの長剣が閃いたのは、ジグが斬りかかった直後だった。ジグの剣がフェイルリングの首元に到達するよりも、フェイルリングの剣がジグの体を断ち切るほうが遥かに早かった。断末魔が聞こえた。

「貴様……!」

「たとえこの手が血に汚れようとも構うまい」

「父上っ!」

 シンが悲痛な声で叫んだが、その叫び声が最後の声になるとは、思いもよらなかっただろう。フェイルリングではなく、ゼクシズの剣がシンの首を切り飛ばしていた。そしてそのときには、ジグの郎党のほとんどが騎士団幹部たちによって斬り殺されており、シドくらいしか生き残っていない状態だった。

「ベノアガルドを救うにはそれしかないのだ」

 フェイルリングの声を聞いた瞬間、シドは感情の激発を実感した。剣を抜いた。飛んだ。無数の刃が迫り来るのを紙一重でかわしながら、フェイルリングに肉薄する。

「フェイルリング!」

「若いな、君は。剣に感情が乗りすぎている」

 剣閃が視界を縦横に切り裂いていた。

「黙れ――」

 視界が紅く染まる中、剣が手を離れるていくのが見えた。強く握っていたはずなのに。敵を討つべく振り抜いたはずなのに、なぜ自分は空を見ているのだろう。自分の体から噴き出した血を見て、剣が空を舞う様を見ているのだろう。

 意識が闇に落ちる直前、どうでもいいことなのに、そんなことを考えてしまった。

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