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第千百八十六話 ”知”の探求者(後)

 蔵の中は、セナ=タールトンがいった通り暗闇に包まれていた。

 閉ざされた空間とはいえ肌寒さを感じるのは、建材がすべて石だからだろう。石作りの倉は、龍府ではめずらしい代物だ。古都龍府の美しい景観を彩るのは木造建築の数々であり、数百年前から現在に至るまで、龍府に作られる建物は多くの場合、木造建築物であることが多かった。建物だけではない。倉や塀といった付属物まで木製であることが多い。都と外界を隔てる城壁こそ分厚い石壁ではあるが、防衛面を考えれば、木製の城壁にするわけにはいかないのは当然の判断だった。

 めずらしいとはいえ、だからどうということもない。

 石造りの倉くらい、龍府中を探し回ればいくらかは見つかるだろう。つまりその程度のものなのだ。

 問題なのは、倉の中が埃まみれであり、暗闇を切り裂く魔晶灯の冷ややかな光の中を無数の塵や埃が漂う様を見せつけられ、一歩踏み出すことさえ勇気がいるということだった。

(なによこれ)

 右手で魔晶灯の持ち手を握り、左手で口元を覆いながら、ファリアは蔵の中を見回した。地上二階建ての蔵の一階部分に足を踏み入れたばかりだったのだが、閉ざされていた扉を開けたことで吹き込んできた風が舞い上げた塵や埃のせいで、これ以上一歩も進みたくないという気持ちが湧いてきて仕方がなかった。蔵の一階にはなにがあるわけでもない。埃を被った道具や調度品などが見受けられうくらいで、別段興味を引くようなものはなく、ファリアはそれだけを確認して外に出ようとした。蔵の出入り口を一瞥して、セナ=タールトンがこちらを見守っていることを知り、再び進路に向き直る。

(本当にこの奥にいるのかしら?)

 ファリアは、埃を吸わないように注意しながら、一歩、また一歩と足を踏み出し、蔵の奥に向かって進みだした。

「いい忘れておりましたが、ミリュウ様は地下に篭もられております」

「地下ね。わかったわ!」

 セナに力強く返事をしてから、ファリアは左手で懐から手拭を取り出した。手拭で鼻と口を塞ぎ、塵や埃の吸引を最小限に抑えようと試み、その状態のまま、奥へと進んだ。

 地下への階段はすぐに見つかった。光がまったく入り込まない蔵の地下へと伸びる階段は、真っ暗闇に包まれており、足を滑らせて転落しないように注意を払わなければならなかった。一歩一歩、足場を確かめるように降りていき、ついに地下へと辿り着くと、階段の先に通路があった。魔晶灯を掲げると、通路の先は行き止まりで、左手に扉があるのがわかる。扉は閉ざされているが、通路の先が行き止まりである以上、扉の中にミリュウがいるのは間違いなさそうだった。

(タールトンさんの話が間違いじゃなければ、だけど)

 あの老執事がファリアに嘘を教える理由はないが。

 ファリアは、通路を進むと、扉に向き直った。両開きの扉は、蔵の意味や構造を考えると、不要なもの思えてならなかったが、いまはそんなことを考えている場合でもない。ミリュウの様子を覗きにきたのであって、現代建築の在り方について考察するためにここにきたのではないのだ。

 左手で軽く扉を叩く。すると、扉に付着していた埃が舞い上がり、ファリアの全身を総毛立たせた。それだけであり、扉の奥からの反応はない。嘆息し、ゆっくりと扉を開く。

「ミリュウ、生きてる?」

 なんとはなしにそんな物騒な言葉を投げかけながら、扉の奥へと進む。

 扉の奥に横たわっていたのは、暗闇だった。しかし、蔵の一階よりは薄く、いくつもの光源が広い空間に瞬いていた。ファリアは、その光源の中心を見たとき、無数の光の中に浮かび上がるミリュウの姿に、ただ息を呑んだ。

 それはこの上なく幻想的な光景だった。

 闇がある。漠たる闇がある。静寂と沈黙を強制するような絶対的な暗闇の中、それら闇の勢力に対抗する光が瞬いている。光はひとつではない。ふたつ、みっつ、四つと増大し、ひとつになり、十になり、二十と増え、またひとつに戻る。増減する光たちの中心に佇むのは、女だ。赤い髪が白みがかってみえるのは、光のせいだろうし、光源がほど近くにあるからだろう。その女はこちらに背を向けているのだが、背格好だけでミリュウだとわかった。見慣れた普段着姿だった。

 ふと、囁くような声が聞こえた。

 圧倒的な沈黙に支配されているというのは勝手な思い違いであり、最初から静寂は破られていたのかもしれない。闇を蹂躙する光に気を取られて、声が聞こえなかったのだろう。

「ミリュウ……?」

 ファリアは、彼女になんと声をかけていいのかもわからず、ただ名を呼んだ。すると、赤い髪の女がこちらを振り返る。無数の光源に曝された女の顔は上気し、汗ばんでおり、同性のファリアからみても艶めいてみえた。

「あれ、ファリア?」

 彼女は、目をぱちくりとさせた。彼女の周囲に浮かんでいた光が一斉に消失し、暗闇が生まれる。その暗闇を切り裂くのは魔晶灯のささやかな光だけであり、ファリアは、そのか細い光の中、ミリュウが突如として崩れ落ちるのを見逃さなかった。床を蹴り、駆け寄る。

「ミリュウ!」

 ファリアがミリュウのくずおれた体を抱きとめたときには、魔晶灯も手拭も彼女の両手から離れていた。魔晶灯の光が蔵の暗闇の中で旋回し、ファリアの視界を何度か掠めたが、やがて床に落下して落ち着く。手拭は埃まみれになったかもしれない。無論、そんなことよりも、ミリュウの体が床に激突せずに済んだことのほうが大事であり、ファリアは両腕にかかるミリュウの体重にひたすら安堵した。

「えへへ……ありがとね」

 ミリュウが、ファリアの腕の中ではにかんでいるのがなんとはなしにわかった。

 ファリアは、彼女を両腕で抱えたまま腰を上げ、彼女が両足で立つのを手助けした。

「どういたしまして」

 立たせたミリュウの顔に張り付いた髪を退けてあげると、彼女がにこりと笑った。

「……もう、帰ってきたんだ?」

「うん。そのほうがいいかなって思ってね」

 本当は、祖父母にそういわれたからというのが大きいのだが、その通り説明すると長くなるため、省いた。ミリュウが、おずおずと尋ねてくる。

「お祖母様とはちゃんとお話できた?」

「できたわよ。いままでにないくらい、ちゃんとね」

「そう。良かった」

 ミリュウがほっとしたのは、彼女なりに気を使ってくれたということもあるだろうし、彼女がファリアの祖母に好意を抱いてくれているからでもあるらしい。ミリュウが大ファリアと接する機会があったのは、クルセルク戦争の中盤から戦後、大ファリアたちがリョハンに帰るまでのわずかな期間しかないが、その短い期間でも、大ファリアは《獅子の尾》の面々と積極的に関わろうとし、その結果、ミリュウも大ファリアのことを気に入ったという話だった。

『ファリアのお祖母ちゃん、あたしのことも孫娘みたいっていってくれたのよ』

 クルセルクからガンディアへの帰路、ミリュウがファリアに囁いた言葉をいまも覚えている。

『それがなんだか嬉しくてさ』

 ミリュウは、少し気恥ずかしそうに微笑んだものだ。

 そういった出来事を思い出しながら、ファリアは彼女にいった。

「あなたこそ、無事でよかったわ」

「無事に決まってるでしょ。セツナと添い遂げるまで死にはしないわよ」

「いまさっきのこと忘れてるんじゃないでしょうね」

 頼りない足取りで胸を張って見せてきたミリュウに対し、ファリアは半眼で応じた。彼女は汗を吸った髪をかきあげながら、慌てて言い返してくる。

「いまの? いまのは、だって、ファリアが話しかけてきたから集中力が途切れただけよ」

「わたしが話しかけただけで途切れるような集中力なんて、持って数分でしょ」

「そうかもね。でも、そこまでやるつもりもなかったから、倒れることなんてなかったはずよ」

「どうかしらね」

「もう、本当だってば」

「そこまでいうなら信じるわよ」

 ファリアがそういったのは、そうでもしないと話が進まない気がしてならなかったからだ。根負けしたともいうが、負けたからどうということもない。それで話が進むのなら、いくら負けても構わないという考え方だった。

 すると、ミリュウが、ファリアの心情など構いもせずに抱きついてくる。

「本当? やっぱりファリア好き」

「なんなのよ、もう」

「うふふ。何年も逢っていない気がしてさ」

「大袈裟ねえ。わたしが龍府を離れてから一月も経ってないわよ」

 ファリアが呆れ顔で告げると、ミリュウが体を離した。しばし、見つめ合うことになる。暗闇の中、彼女の顔がはっきりと見えるのは、鼻息がかかりそうなほどの近距離に彼女の顔があるからだ。汗ばんではいるが、汗臭くはない。毎日風呂には入っているようだ。さすがはリバイエン家の令嬢というべきか。

「あれ……そうだっけ?」

「そうよ」

「やっぱり、時間の感覚がおかしくなるなあ」

 ミリュウは、ファリアから離れると、その場に屈みこんでなにかを探すような動作をした。おそらく、倒れたときに手から落としたものを探しているのだろう。まず間違いなく、先ほどの発光現象の元となるものであり、となると召喚武装である可能性は極めて高かった。

「なにをしてたの? あ、もちろん、教えたくなかったら、教えなくてもいいけど」

「ファリアって気遣いさんよねえ。そういうところ、大好きだけど、気遣い過ぎて機会を逃さないようにしないと駄目よ?」

「なんの話よ」

「うふふ。なんでもなーい」

 笑いながら立ち上がるミリュウに釈然としないものを感じながらも、ファリアは、彼女が手にしているものがなんなのか、目を凝らすことで確認した。刀の柄を手にしているようだった。刀身がない召喚武装か、ミリュウが愛用する召喚武装ラヴァーソウルの柄部分のいずれかだ。

「ちょっとね、実験してたのよ」

「実験?」

「そう、実験。ファリアには教えたことあったっけ。あたしのこと」

「ん……?」

「あたしが、リヴァイアの“知”を受け継いでしまったっていうこと」

「そのことなら、覚えてるわ」

 聖皇六将のひとりレヴィアが受けた聖皇の呪いであり、リヴァイアの血族に連綿と受け継がれてきたもの。“血”と“知”。不死不滅の“血”の呪いと、何百年もの間蓄積されてきた“知”識。本来はふたつでひとつのものであり、どちらか一方だけを継承することはありえないのだが、ミリュウは、どういうわけか“知”だけを継承してしまった。数百年もの長きに渡って積み上げられてきた膨大な量の知識を自由自在に引き出すことができるのならば便利なことこの上ないのだが、ミリュウの話によれば、記憶の大半が封印されていて、自由に引き出すことができるのはごく最近の記憶なのだという。ごく最近、つまり先の継承者であるオリアス=リヴァイア――ミリュウの実の父親の記憶ならば、ある程度引き出し、利用することができるという。

 オリアス=リヴァイアは、外法と武装召喚術に精通した人物だ。紅き魔人アズマリア=アルテマックスの弟子であり、ザルワーンの国主マーシアス=ヴリディアの薫陶を受けている。武装召喚師としての実力は当代最高峰といっても過言ではなく、外法研究者としての能力もおそろしいものがある。ザルワーンがガンディアとの最終戦で用いた蘇生薬、英雄薬は、オリアス=リヴァイアの作品だということが判明している。調合方法は不明であり、たとえ調合法が判明したとしても実用には耐えず、ガンディア軍が使うことはないだろうが。

 オリアスの研究がガンディアの発展に寄与する可能性は低くはないため、ガンディア政府としては、ミリュウから是が非でも情報を聞き出したいところだろう。

 しかし、ガンディア政府がミリュウにそのような打診をしたという話は、聞かない。ガンディアは、小国家群統一のためにあらゆる方法を模索しているが、そのために外法を使うことは、まずありえなかった。国王たるレオンガンドからして外法の反対者だからだ。また、王宮特務のうちふたりは外法によって異能を身に着けた外法の被験者であり、最後のひとりもその異能によって支配されている。もしガンディアが本格的な外法の研究を始めようものならば、王宮特務が敵に回るだろう。カイン=ヴィーヴルはともかく、支配能力を持つウルと、存在を掻き消すことのできるアーリアが敵となるなど想像したくもない。

 武装召喚術の知識ならばどうか。

 それならば王宮特務が敵に回ることはないが、今度はミリュウを大切に想っているセツナの機嫌を損ねるかもしれない。ガンディアにおけるセツナの存在感は、日に日に大きくなっている。彼の華々しい活躍なくしては度重なる勝利はなかったのだから当然といえる。彼の機嫌を損ないたくないとガンディア政府が考えたとしてもなんら不自然ではないし、実際、セツナの様々な行動が黙認されているという事実もある。

「あたしね、考えたのよ。セツナの力になるにはどうしたらいいかって。足りない頭で、ずっと考えていたのよ」

「あなたはいままでも十分力になれていたわ」

「本当にそう思う?」

 ミリュウの目が、闇の中で鋭さを増した。

「ファリアだって、もっと力が欲しいと思ったんじゃないの? あの日、あのとき、セツナが命を失いかけた瞬間」

 背を斬られ、脇腹を刺されたセツナの姿が脳裏を過る。瀕死の重傷。ウルクが間に合わなければ、セツナは死んでいたかもしれない。可能性としてはありえない話ではない。たとえ、ラグナが魔法を使ってくれた可能性のほうが高いとしても、だ。

「もっと力があれば、あんなことは起きなかったんじゃないかって。考えなかった?」

「……考えたわよ」

「でしょ。あたしたちにもっと力があったら、セツナがニーウェと一対一で戦う状況になんてなりえなかった。そうすれば、セツナが死に瀕することだってなかったのよ」

 ミリュウの言いたいことはよくわかったし、その気持は痛いほどわかった。たとえあのとき、ウルクが現れずともラグナが防御魔法で守り抜いただろうとしても、だ。あの場に辿りつけなかったという事実は悔しさとなってファリアたちに襲いかかるのだ。もし、あのときセツナを失うようなことになっていたら、ファリアは永遠に後悔し続けただろう。

 後悔などという生易しいものでは済まないかもしれない。

 だからファリアはリョハンで四大天侍に弟子入りしてでも強くなろうとしたのだ。

「だから力が欲しい。でも、一朝一夕に強くなるなんてできるわけがない。あたしのラヴァーソウルなんてついこの間から使い始めたばかりだもの。ファリアたちのように年季が入っているわけでもない」

 ファリアのオーロラストームも、ルウファのシルフィードフェザーも、シーラのハートオブビーストすら、ミリュウのラヴァーソウルより長い間使われてきた召喚武装だ。召喚武装は異世界の武器防具であり、意思を持つ存在でもあった。

 その能力を完全に引き出すのは簡単なことではない。長い時間使い続けるだけでいいわけではなく、召喚武装との相性の問題もある。たとえみずから考えだした術式で召喚に成功したものであっても、召喚武装の意思と召喚者の意識が合わなければ、使いこなすことなどできるわけもないのだ。

「何度も考えたわ。何度も何度も、気の遠くなるくらい何度も、ね。これが正しい答えかどうかわからなかったけど、試してみてよかった」

 ミリュウの周囲にラヴァーソウルの刃片が浮かび上がっていた。それ自体は、別段不可思議なものではない。見慣れた光景というのは言い過ぎにせよ、想像の範疇にある。

 ラヴァーソウルは、磁力を操る召喚武装だ。刀身そのものが磁力を帯びており、引き寄せたり、跳ね飛ばしたりして攻撃や防御を行う、応用力の高い召喚武装といえる。刃片が浮いているのも、刃片同士の磁力を操作して巧妙に高度を維持しているだけのことだろう。

 そのとき、変化が起きた。

 ミリュウの周囲に浮かんだ無数の刃片が突如として光を発し、地下室の暗闇を引き飛ばしたのだ。

「それが……新しい力?」

「これで、あたしはやっと、セツナの力になれる」

 ラヴァーソウルの刃片が舞い踊ると、光もまた、乱舞した。

「やっと、ファリアと並んで立っていられるのよ」

 ミリュウは、まばゆい光の中で、心の底から笑っていた。


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