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第千百八十四話 龍府の人々(二)

 龍府での日々は、平穏そのものだった。

 観光都市としての古都龍府は、その平穏な日々こそなくてはならないものであり、平穏だからこそ、日夜観光目当てで訪れる人々が増え続けている。ガンディアの英雄セツナの領地ということも、観光に訪れる人々に安心感を与えているらしい。黒き矛のセツナの支配地で大事件など起きるはずがないというよくわからない自信があるのだという。そういったことから、龍府は、セツナの領地となって以来、日々観光客を増やし続けているという報告を、セツナはダンエッジ=ビューネルから聞いていた。

 龍府は観光名所の多い都市だ。観光客が増加し、金を落としていってくれるのは、領伯としてもありがたいことであり、喜ばしいことでもあった。観光客の増加による問題については、ダンエッジら役人が適宜対処してくれており、セツナがなにか特別なことをする必要もなかった。

 つまるところ、お飾りといっていい。

 しかし、セツナはそれでもいいと想っている。セツナにはセツナにしかできないことがあり、ダンエッジたちにはダンエッジたちにしかできないことがある、という風に考えてもいた。もしセツナが凡庸な戦士ならばそうもいってはいられないのだろうが、幸い、セツナはだれにも真似のできない戦いをすることができたし、だからこそ領伯に任じられている。凡庸な戦士ならば、領伯になどなりえなかったわけだ。

 レオンガンドがセツナを領伯に任じながら、領伯としての活躍にはなんら期待していないことは、セツナにもわかっている。レオンガンドがセツナに期待しているのは、領伯としての仕事ぶりではなく、黒き矛の武装召喚師としての戦いぶりにほからないのだ。

 そういうことがわかっているから、セツナは、領伯としての仕事は司政官らに任せ、自分を鍛え直すことに集中していた。

 そう、鍛え直さなければならない。

 ニーウェとの戦闘で負傷して以来、長らく動けない日々が続いた。人間とは不便な生き物で、少し体を動かさないでいると、すぐに筋肉が落ちてしまう。長い間動けなかったということはそれだけ筋肉量が落ちているということであり、体が鈍っているということだ。セツナは、失った筋肉を取り戻すべく、厳しい訓練を己に課したのだ。

 自己強化のための訓練を行っていたのは、なにもセツナだけではない。

 黒獣隊長のシーラも、ハートオブビーストをさらに使いこなすべく、訓練漬けの毎日を送っていたし、そんな彼女のためにレムが付き合ったりしていた。レムもまた、新たな“死神”に慣れる必要があったらしいのだ。ふたりの利害が一致したというわけであり、ふたりの訓練は日々、激しさを増していったりしたものだった。

 ラグナは訓練を眺めるくらいのものだったし、魔晶人形のウルクには不要のものだったが、ウルクにはセツナの訓練に付き合ってもらったこともあった。人間とは比べ物にならない運動力を誇る魔晶人形は、セツナの訓練に持って来いの相手だったのだ。無論、木剣を打ち合ったところで敵う相手ではない。ハートオブビーストを手にしたシーラと互角の戦いを見せたのがウルクだ。素の状態で召喚武装使いと戦えるのだから、常人のセツナが勝てる見込みなど万にひとつもなかった。しかし、ウルクとの激しい戦闘訓練がセツナに戦いの勘を取り戻させ、彼女との訓練による肉体の酷使が、筋肉を取り戻すのに役立った。

 とはいえ、まだまだ完全に取り戻せたわけではないが、このまま毎日訓練を続けていれば、以前よりも強くなることさえ不可能ではないだろう。

 そんな確信とともに、日々を過ごしている。

 ミリュウは、まだ天輪宮に戻ってきていない。

 十数日もの間、リバイエン家旧邸に籠もったまま、連絡さえ寄越してこなかった。屋敷でなにをしているのかわからない。多少心配になったものの、セツナは彼女の好きにさせることにした。なにをしていようと構わないはずだ。それが結果的にセツナのため、引いてはガンディアのためになるというのだ。だから、セツナは彼女が屋敷を手に入れるための手助けをした。これだもし、ミリュウのただの我儘だったなら、聞いていたかどうか。

 ちょうど、そんな話をしていた。十二月十三日の午後。昼食を終え、泰霊殿の大広間で、まったりとした時間を過ごしているときだった。

「御主人様なら、きっと聞き入れておられたはずです」

「そうか?」

「はい。御主人様には最大の弱点でございます故」

 レムが、にっこりと笑いながらいってきた。

「最大の弱点?」

「はい」

「なんじゃ、先輩。セツナの弱点を知っておるのか!?」

 とセツナの頭の上から降ってきた声は、無論、ラグナのものだ。ラグナシア=エルム・ドラース。緑柱玉のように美しい外皮を持つ小飛竜は、日々、少しずつその体積を増しつつある。最初、手のひらにも収まる程度の大きさしかなかった体躯は、手のひらでは収まりきらないくらいにはなっていた。当然、その分体重も増えていて、セツナが彼を頭の上に乗せていられるのも限界に近づきつつあった。そのうち、頭に乗せてなどいられなくなるだろう。そうなった場合、ラグナがどうやってセツナから魔力を補給するのかが心配になったりしたが、ラグナ曰く、また小さくなればいい、ということだった。だったら体の大きさを維持しろ、というセツナの意見には従うつもりもないようだが。

「もちろんですよ。ラグナ、あなたも知っておくべきかもしれませんね」

「うむ、教えよ! 先輩」

「俺の弱点なんて知ってどうするんだよ」

 セツナは頭上に目線を送ったが、定位置に鎮座したドラゴンの顎しか見えなかった。

「ふふふ……いずれ復讐のときがくるのじゃ。待っておれ」

「復讐ってなんだよ」

 あきれてものもいえないとはこのことだとセツナは思った。

「させません」

「なんじゃ?」

 きょとんとするラグナだが、セツナも同じような反応をしていた。どことなく無機的な声はウルクのものであり、その美しい人形めいた姿を探して、セツナは視線を巡らせた。彼女はいつも離れた場所に立っている。部屋全体を見渡せる場所に陣取ることが多く、今も広間の片隅から室内全体を視界に納めていた。その彼女がどすどすと近づいてきている。ラグナの発言が引っかかったらしい。

「セツナを傷つけることは、わたしがさせません」

「むう……!」

「わたしはセツナを護る者です」

「ぬう……!」

 目の前まで接近してきたウルクに対し、ラグナはうなるだけだった。そのまま無言の睨み合いを始めた人外二体に、セツナは、なんとも言いようのないものを感じながら、レムに視線を戻した。ラグナがセツナの頭上で方向転換するのがわかる。ウルクから視線を逸らすまいとしているのかもしれない。

「馬鹿やってるのは放っておいてだな、俺の弱点ってなんだよ?」

 セツナが改めて問いただすと、レムはいつもどおりの笑みを浮かべたまま、近づいてきた。

「それはもちろん、女性にございます」

「はあ?」

「なんじゃ? 女性じゃと?」

「ええ。御主人様は女性に弱いのです。たとえば、このように、女性に迫られると――」

「お、おい……!」

 セツナが焦ったのは、レムがおもむろに彼の膝の上に飛び乗ってきたからだ。華奢で背丈も決して高くはないレムのことだ。体も決して重いわけではないが、それでも全体重を乗せて飛びかかられると、太ももも悲鳴を上げた。なんとか噛み殺して耐えぬいたものの、首に腕を回してくるレムの艶然たる顔が妙に腹立たしかった。彼女は、勝ち誇ったようにいってくるのだ。

「ほら、なにもできなくなるでしょう?」

「なにがだよ!」

 セツナは、レムの不可解な言動にどう対処するのが正解だったのかと頭を抱えたかったが、抱えるための両手の自由は奪われているといっても過言ではなかった。両腕の間に彼女の細い体があることで自由に動かせないのだ。

「要は、セツナを護るためには、女性を近づけなければよいのですね」

「ふふふ……わかったぞ」

「ったく、なに納得してんだよ」

 セツナは、ラグナとウルクの反応に憮然とした。この一連の流れのどこに納得できることがあるのかと問いたかった。レムが口を開く。

「納得もしましょう。御主人様、女性には甘すぎますもの」

「甘いっても、だなあ」

 レムの細くしなやかな指がセツナの耳たぶを弄ぶ中、彼はひそかに嘆息した。女性に甘い、などと想われるのは心外だった。敵ならば男だろうと女だろうと容赦しないし、これまで数えきれないほど殺してきた敵兵の中には女もいただろう。絹を裂いたような断末魔を聞いたことがある。女の呪詛が耳朶にこびりついている。怨嗟が、記憶に焼き付いている。

 女だから甘いのではない。そういうことではないのだ。

 ふと、気づく。つややかな黒髪と赤い瞳が間近にあった。膝の上に乗っかっているのだから当然だが、彼女がここまで急接近してきたことなど、いつ以来だろうと考える。これまで何度もあったことだ。それこそ、彼女との出逢いからして、そうだった。

(なんだ。いつものことじゃないか)

 とは思うのだが、ミリュウほど頻繁にあることではないから、対処に困るのかもしれない。ミリュウならいくらでも回避手段が思いつくし、ミリュウの腕から逃れる術も心得ている。しかし、レムはなにかが違った。普段とは異なる行動に出られると、対処のしようがないというべきか。

 と、そのとき、不意に広間の扉が開いた。

 瞬間、室内の空気が緊張し、気まずい雰囲気に包まれたことがセツナにもわかった。なにが原因でそうなったのか、瞬時に把握する。広間の扉の向こうにいた人物の視線がセツナと、彼の膝の上に乗る人物に注がれていたからだ。

「あら、お取り込み中だったかしら?」

 などと低い声でいってきたのは、ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリアそのひとだった。分厚い防寒着を着込んでいても、一目で彼女とわかる。特徴的な青みがかった髪と緑の瞳のおかげもあるが、それ以上に、ファリア特有の半眼が彼女と断定させるのだ。

「なにをどう見てそう思ったんだよ」

「どう見てもなにも、仲睦まじそうで素敵よ」

 部屋に入ってくる彼女の声には棘があった。長旅で疲れているのもあるだろうし、そんな状態でセツナがレムと戯れている場面に出くわしてしまったことが、彼女の怒りに触れてしまったのかもしれない。

「怒るなよ」

「怒ってなんかないわよ。なーんか、いろいろ期待したわたしがバカみたいだと思っただけ」

「ファリア様、お帰りなさいませ。随分早かったですね?」

「もっと遅いほうが良かったかしら?」

「まさか」

 レムは、ようやくセツナの首に絡めていた腕を離すと、セツナの膝の上から腰を上げた。それから、素早くファリアの元に歩み寄り、手荷物を受け取る。ファリアも慣れた手つきで、レムに荷物を手渡していた。慣れというものは恐ろしいもので、ファリアもレムを自分の従者のように扱うことが普通になっていた。ファリアだけではない。ミリュウもルウファも、レムをそう扱うし、レムもそういう扱いを受けることに喜びを見出している風ですらある。

「御主人様のお気持ちを考えれば、一日も早く帰ってきて欲しかったのです」

「セツナの気持ち?」

「はい。御主人様ったら、ファリア様がいない毎日がとても寂しそうで」

「そうなの?」

 こちらを横目に見やりながら発したレムの言葉に、ファリアは表情を一変させた。しかめっ面から、明らかに嬉しそうな表情へと変わる。あざやかな表情の変化は、室内の空気さえも変えてしまう上、セツナにとっても喜ばしいことではあるのだが、セツナは、一応、レムに抗議した。

「あのなあ、あることないこといってんじゃねえよ」

「あることしかいっていませんが?」

 レムはいつもの笑みを浮かべたままだが。

「ねえよ」

「たまには素直になってもよろしいではございませんか」

「そうそう、素直が一番だよ、セツナ伯」

 そういって口を挟んできたのは、マリク=マジクだ。彼はリョハンから龍府まで飛んできたことによる肉体的疲労と精神的消耗、血液の消費なども相俟って、酷くやつれた顔をしていたが、表情そのものはいつものマリクだった。

「マリクまで……いっとくけど、俺は素直だぞ。いつだってな」

「知ってるわよ。素直で不器用で頑固ものよね」

 といって、ファリアはなぜだか嬉しそうに笑った。

「うるせー」

 いいながら、椅子から立ち上がると、頭が軽くなった。ラグナが飛び離れたからだ。彼がセツナの命令もなく飛び離れたのは、彼なりに気を使ってくれたからかもしれない。ラグナには、そういうところがあった。まるで、セツナの気持ちがわかるかのように動いてくれることがあるのだ。

 セツナは、ラグナに内心感謝し、あとで遊んであげようと思いながら、ファリアと向き合った。ファリアはマリクとなにか話し合ったあと、レムに荷物を広げさせている。龍府から旅立つときは着替え以外ほとんどなにも持って行かなかったはずだが、龍府に帰ってきた彼女の荷物は数倍に膨れ上がっていた。リョハン土産だったりするのかもしれない。

 セツナは、レムと荷物の仕分けをするファリアの横顔を見つめながら、手を掲げて、しばらくしてから頭を掻いた。なんと声をかければいいのか、わからなかった。口をついて出た言葉は、どうにもありふれたものだった。

「あー……そういえば、まだいってなかったな」

「なに? どうしたの?」

 ファリアが、きょとんとした。

「おかえり、ファリア」

「……ただいま、セツナ」

 そういったとき、ファリアがどこか気恥ずかしそうに笑った。

 その笑顔がとても綺麗で、だからというわけではないが、セツナは胸の高鳴りを覚えたのだった。


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