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第千百八十話 ファリアとファリア(七)

「ファリア」

 アレクセイ=バルディッシュがファリアに話題を戻したのは、彼が妻との会話を終えて、しばらくしてからのことだった。

 夜も更け、冬の冷気が身に染みるくらいの時間帯。アレクセイは、妻の肩に毛布をかけてやると、彼女の側に居続けていた。長年寄り添い続けてきた夫婦の仲睦まじさを見せつけられているのだが、悪い気はしなかった。むしろ、ふたりがいまもなお愛し合っているということが伝わってきて、それだけでファリアは嬉しくてたまらなかった。

 ファリアの記憶の中のアレクセイは、祖母に対してどこか冷たい印象があったから、というのもあるだろう。それは単純に、護山会議評議員のアレクセイ=バルディッシュとしての印象が強すぎるからかもしれない。護山会議と戦女神の意見は対立することが多い。アレクセイはその調停役を買って出ることが多く、ファリア=バルディッシュと喧々諤々の討論を交わすことが少なくなかった。その討論の凄まじさは、子供心にふたりが別れるのではないかと心配するほどで、ふたりの仲直りに奔走したこともあったりした。

「護山会議は、君を戦女神の後継者とするつもりでいた。ずっとな。君がファリアと名付けられたときから決まっていたことだった。それは紛れも無い。幼き日、君が武装召喚師として類まれな才能を発揮したという話を聞いたときは、護山会議は、自分たちの考えが間違いではないと確信した。初代の戦女神――つまり君の祖母が武装召喚師だったのだから、後継者も武装召喚師であるべきだというのは、安易な発想にほかならないが、それしか考えられなかったのも事実だ。リョハンは武装召喚術誕生の地だ。武装召喚師たちの頂点に立つのは武装召喚師でなければならない。だから、次代の戦女神たる君にも武装召喚術を学ばせなければならなかった。君の人生を決めたのは、リョハンの意思だ」

 アレクセイの告白には、別段、目新しい情報が含まれているわけではなかった。ファリア自身、それとなく察していたことばかりだ。もっとも、ファリアは自分が武装召喚術を学んだのは自分の意思だと思っているし、アレクセイの話を聞いても、その考えを改めるつもりもなかった。祖母や父母のような武装召喚師になりたいから、武装召喚術を学ぼうとしたという事実に変わりはない。そこに政治的な意図や思惑が絡んでいたとしてもだ。

 アレクセイは、ファリアの目を見ていた。鈍い輝きを帯びた目は青く、穏やかだ。

「済まなかった、などとはいうまい。わたしも、君の祖母も、自分の意思で人生を決めたわけではない。選択肢などなかった。そうするよりほかなかったから、そうしてきたのだ。そして、そのことに後悔はない」

「わたしとの結婚も?」

「……またその話か」

 アレクセイがバツの悪そうな顔をしたのは、話の腰を折られたからかもしれない。ファリア=バルディッシュは、一向に気にする様子もなく続けてくるのだが。

「違うでしょう? なにもかもが周囲の事情で決まったわけではないわ。わたしも、あなたのお祖父ちゃんも、自分で自分の人生を切り開いてきたのよ。それは間違いないことよ」

「……まったく。君はわたしの言葉を奪うのが好きだな」

「だって、わたしはあなたで、あなたはわたしだもの」

「意見も考え方も違うというのにな」

「困ったものねえ」

 なんとも和やかに、そして見せびらかすように振る舞うふたりの様子に、ファリアは、唖然とした。どういう反応をすればいいのかわからず、ただ、呆然と見守るよりほかない。もっとも、その反応がふたりには奇妙に見えたのか、ほとんど同時に問いかけてきた。

「なんだ?」

「どうしたの?」

「い、いえ……その、お祖父様とお祖母様がこんなに仲が良さそうにしているところなんて、記憶になくて……その……」

 ファリアは、しどろもどろになりながら説明した。記憶の中のふたりは、いつも口論しているか喧嘩寸前になっているかのどちらかだった。そういう記憶が、ファリアの中でのアレクセイへの苦手意識に繋がっているのは疑いようがない。もっとも、そういった記憶の中でも、アレクセイはファリアの母のミリアや、父メリクスとの仲は良好であり、だから嫌悪するまでには至らなかったに違いなかった。

「なんだ、そんなことか。仲が良いのは当然だろう」

「夫婦ですもの。ねえ?」

「ああ」

「それに、良さそう、じゃなくて、良いのよ」

 大ファリアは少しだけ怒ったような顔をして、訂正してきた。慌てて謝る。

「ご、ごめんなさい」

 すると、アレクセイがなにかを思い出したような顔をした。

「そういえば、ファリアにも好きなひとがいるという話はどうなったんだ?」

「セツナちゃんのこと?」

「そう、確かそんな名前だったな」

「お祖父様!?」

「どうした?」

「セツナのこと、お祖父様まで知っているんですか!?」

「知っているもなにも、有名な話だろう」

「有名!?」

 衝撃のあまり、ファリアの頭の中が真っ白になったが、アレクセイはこちらの反応など気にすることもなく続けてくる。

「もちろん、護山会議の中での話だがな」

「護山会議の中で……」

 ファリアは、彼の言葉を反芻して、軽い目眩さえ覚えた。自分に関する話題が護山会議で取り沙汰されるのはわかりきっていたことだが、それにしても、と思う。ガンディアとリョハンは遠い。交流もなく、情報の往来すら簡単なことではないのだ。本来ならば、ファリアに関する噂話など、リョハンに届くはずもない。が、レイヴンズフェザーがあり、ファリアの想いを祖母が知っている以上、護山会議の議員たちの話題に登っていたとしても不思議でもなんでもなかった。

 その事実にいまさら気づき、呆然とする。自分とセツナに関する様々な事実や憶測が話し合われているのではないか。

「知らぬものはいないぞ。最近の議題のひとつが、君を戦女神にした場合、彼をどうするかというものだったな」

「あら、そんな議題だったの?」

「ああ。セツナとやらをリョハンに招聘するという案もあったな」

 ファリアが唖然としていると、祖母は手を打って喜んだ。

「それはいい提案ね。でも、きっと受け入れてもらえないと思うわ」

「そうなのか」

「セツナちゃん、ガンディア一筋だもん。ねえ?」

「え、あ、は、はい、そうですけど、ですけど、いったいどうしてそんな議題が!?」

 ファリアは、ようやく自分を取り戻して、ふたりの会話に入ることができたものの、どこまで突っ込んで聞くべきか逡巡した。場合によっては藪蛇になりかねない。すると、アレクセイは、どこか自信ありげにいってきた。

「当たり前だろう。戦女神となった君を最大限支援するのは、護山会議の使命だ。義務と言い換えても良い。戦女神はリョハンの希望の光なのだ。光たるものが不安や不満を抱いて曇るようなことがあってはならんからな。戦女神の願望を叶えようとするのは、当然のことだろう?」

「それは、そうかもしれませんけど……」

「セツナちゃんと一緒にいたいのが、ファリアちゃんの願望でしょ?」

「えーと……」

 素直にうなずけなかったのは、きっと、目の前にアレクセイがいたからだ。祖母には彼への想いは知られていて、色々なことを話したこともあるが、祖父とはそこまで踏み込んだ話をしてはいない。というより、祖父と会って話をすること自体久々だったのだ。緊張もある。

「それで、議題に上がったのだがな。そうか、彼は自国のことのほうが大切か」

「そうなのよ。ファリアちゃんにはそこがいいみたいなんだけど」

「ふむ……」

「あの……勝手に話を進めないでください!」

 ファリアが大声を出すと、アレクセイが不思議そうな顔をした。ファリアには、彼の反応のほうこそ不思議でならないのだが、アレクセイの言葉で反応の意味がわかった。

「進めるもなにも、もう終わった話だろう?」

「そうよ」

「終わった話……?」

 きょとんとする。

 なにが終わったというのか、まるでわからなかった。ファリアが頭の中を真っ白にしている間に、ふたりだけで話が進められて、取り残されていたのではないかと思うほどだ。しかし、考えれば考えるほど、そんなことはありえないように思えてならなかった。頭の中が真っ白になったとはいえ、一瞬のことだ。そんな一瞬で終わるような話ではなかったはずだ。

 そんなファリアの考えを見透かすように、アレクセイがいってくる。

「戦女神は一代で終わりにする、という方向で話を進めるのだから、君が思い悩むことはなにもない」

「そうよ、ファリアちゃん。あなたは、わたしの代わりにならなくてもいいの」

 祖父母の言葉が、ファリアの耳に

「わたしは……」

「帰りたいのでしょう?」

「え?」

「セツナちゃんのところに、すぐにでも帰りたいんでしょう。その気持ち、わかるわ」

「お祖母様」

「わたしも、いつだって、このひとの元に帰りたいと想っていたわ。戦いの中でも、ずっと、本当にずっとよ。クルセルクのときだって、そう。わたしの心の根底には、このひとへの想いだけがあった」

 ファリア=バルディッシュは、アレクセイの手に自分の手を重ねながら、いった。アレクセイは、そんな大ファリアのことをじっと見つめながら、体を支え続けている。体温を下げ過ぎないようにという配慮もあるのだろう。

「もちろん、それだけがすべてじゃないけれど、わたしがだれよりも戦えたのは、このひとがいたからなのよ。愛するひとがいたから、愛するひとのためだから、どんな地獄たって戦い抜けたわ。戦女神で在り続けることができたのだって、きっとそういう理由でしょうね。アレクが見ていてくれたから、わたしと手を取り合ってくれていたから」

「わたしは、君に困難を押し付けてばかりだったのだがな」

「それも事実だけれどね」

「う……む」

「ファリアちゃん。マリクちゃんの体調が戻りしだい、ガンディアに帰りなさい。早く帰って、セツナちゃんに顔を見せてあげなさい」

 またしてもバツの悪そうな顔をするアレクセイとは違って、大ファリアの顔は、輝かしいほどに透き通った笑みが浮かべられていた。直視するのも憚られるほどに純粋であざやかな笑顔。

「もう大丈夫だって。リョハンの問題は片付いたって、ね。そうすれば、きっとあの子も安心するわ」

「でも、お祖母様、わたしは」

「なにも心配はいらないわ。わたしがいなくなっても、リョハンの歴史が終わるわけじゃない。リョハンがその瞬間消えてなくなるわけじゃない。アレクが護山会議とともに導いてくれるし、シヴィルちゃんやマリクちゃんたちがいてくれる。護峰侍団の皆だって、リョハンのために力を尽くしてくれるのよ。なんの心配も、不安もないでしょう?」

「それでも戦女神を望むものは後を立たないだろうし、混乱も起きるだろうが、どの道、リョハンがこれから先も存続し続けるには乗り越えなければならないことだ。そして、ヴァシュタリアとの戦いを乗り越えたリョハンならば、その程度の苦難、乗り越えられるとわたしは信じている」

「だから、大丈夫よ」

 祖母のまなざしは、ひどく優しい。

「それともファリアちゃん。逢いたくないの?」

「……逢いたいです」

 ファリアは、うなずくよりほかなかった。

 たった数日。

 本当にわずか数日でしかない。

 しかり、物理的な距離感は、精神に大きく作用し、人恋しさを増幅させるのだ。とにかく、遠い。たった数日で済んだのは、マリク=マジクとレイヴンズフェザーのおかげだ。何頭もの馬を乗り潰して駆け抜けても数ヶ月はかかるような距離がある。その距離感が、精神的な障壁となって立ちはだかり、孤独感を与える。

 だから。

「逢いたいですよ。いますぐにでもガンディアに帰って、セツナの顔を見たいです」

 別に、逢って、顔を見て、なにをするというわけでもない。ただ、彼が側にいるという事実が大切なのだ。むしろ、それだけでいいとさえいえるくらいには、セツナに逢いたかった。

 なぜ、いまそこまで彼のことが恋しいのか。

 思い当たることはいくつかあった。いま目の前で、祖母と祖父の熱烈ぶりを見せつけられていることも関係あるのだろうし、戦女神となる覚悟が脳裏をちらついたということも大きいだろう。

 戦女神になるということは、彼への恋心を諦めるということにほかならないからだ。

 龍府を発つ前、セツナと話したときは、戦女神にはならないと決めていた。リョハンに戻るのも、祖母を見舞うだけのつもりだった。だが、実際にリョハンに辿り着き、リョハンのひとびとの声や、マリクの意見、祖母の容体を見れば、考え方も変わる。祖母の代わりに戦女神となることだって視野に入れざるを得なかった。

 懊悩と逡巡。

 あらゆる考えが脳裏を過ぎり、入り乱れた。

 そんなファリアの苦悩を知ってか知らずか、祖父母のまなざしは優しく、穏やかだった。

「じゃあ、逢いにいけばいいのよ」

「いいんですか? 本当に……そんなことで、いいんですか」

 問うたのは、自分の考えを纏めるためでもあった。今日一日で、色々なことを考えなければならなかった。自分のこと、リョハンのこと、戦女神のこと、ガンディアのこと、仲間のこと、セツナのこと。どれもこれも真剣に考えなくてはならなかった。曖昧な結論を下すことなど許されない。人生の岐路。いずれを選んでも後悔することはできない。だから、考える。考えて、考えて、考えぬいて、悔いない人生を送るための道を選ぶ。

 それだけのことが、これほどまでに苦しい。

「いいのよ。だって、あなたはあなただもの」

「そうだな。君は君だ。ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリア。ファリア=バルディッシュではない」

「そうよ。わたしじゃないのよ。あなたは」

「君の人生。君が決め、君がみずからの意思で歩くのだ。その結果、リョハンに残るというのなら、構わないが……」

「どうするの? ファリアちゃん」

 戦女神に問われたときには、ファリアの考えは決まっていた。

「わたしは――」

 帰ろう。

 待ってくれているひとの元へ。

 ガンディアへ。



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