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第千百七十九話 ファリアとファリア(六)

「リョハンは、そろそろ戦女神の支配から開放されるべきなのよ」

「支配……」

「そう。支配。わたしも、リョハンの皆も、だれひとりとしてそうと認識していなかったかもしれないけれど、それは支配としかいいようのないことなのよ」

 ファリア=バルディッシュの声は、優しくも、どこか苦しげだ。体調の悪さが影響しているという風ではなく、悔恨などからくる心苦しさが声音に現れているようだった。その声音に乗る苦痛が、ファリアの心にまで伝わってくるようで、彼女自身、心が痛かった。

「独立戦争以来、戦女神という存在は、実在する神のように崇められ、尊ばれ、敬われたわ。当初それはリョハンの人々の心をひとつにし、結束を強めるための方便だった。もちろん、わたしの戦果がそれに見合うものだったのは、間違いないけれど。でも、だからといって、わたしひとりでヴァシュタリアに勝ったわけじゃないわ。夫や、仲間たちが手に手を取って、力を合わせ戦ったから、リョハンは独立を勝ち取ることができたの。戦女神なんてのは、ヴァシュタリアという圧倒的な物量を誇る相手に対抗するために作り上げた幻想に過ぎなかったの」

 ファリアは、祖母から聞かされる真実の数々に、言葉を失った。

「でも、幻想は、ときとともに現実になっていった。だれもが戦女神の伝説を疑わないまでになってしまった。護山会議がそう仕向けたの。リョハンを纏めるためには、戦女神という象徴を利用するのが手っ取り早かったから。その結果、今日に至るまで戦女神信仰がリョハンの人々の心や意識を縛るだなんて、想像だにしなかったのでしょうね」

 それは、わたしもだけれど、と、祖母は苦笑を交えながら付け足した。

 ファリアにとっては、祖母の独白こそ想像だにしなかったものだった。

「戦女神の支配から脱却しなければ、リョハンに未来はないわ。そのための護山会議なのに、彼らは戦女神と護山会議による統治のほうが気楽だということを知っているから、戦女神を捨てようとは考えられないのよ」

「戦女神を捨てる……」

「ファリアちゃんにも、考えられないかしら」

「……はい」

 小さくうなずくと、祖母の目は、微笑んだ。わかっていた、とでもいわんばかりの反応だった。それはそうだろう。ファリアにとっても、戦女神は絶対的な存在だった。リョハンになくてはならないものだと信じていたし、いまでもその考えは揺るがない。だからこそ苦悩する。だからこそ、混乱する。どうすればいいのか。どうすることが正しいのか、迷い、喘ぎ、狂う。

 祖母は、近いうちに死ぬのだろう。

 それは、現実だ。受け入れるしかない事実だ。彼女の現状を目の当たりにすれば、否定することなどできなくなってしまった。マリク=マジクが、祖母の小さな願いを叶えるために規則違反をしてまでガンディアに飛んできたのもわかるくらいには、逼迫している。

 命の時間が終わろうとしている。

 祖母が永遠の眠りにつくということは、戦女神がいなくなるということだ。それこそ、リョハンにとって一大事というほかない。リョハンという天地を支える柱を失うのと同義だ。代わりの柱を、戦女神の後継者を早急に探しだし、見つけなければならない。でなければ、リョハンはたちどころに結束を失い、あっという間に瓦解してしまうかもしれない。現実にはそうならなかったとしても、だれもがそういう危機感を抱くだろう。危機感の共通認識が混乱を加速させ、崩壊を激化させる。

 護山会議や多くの人々、マリク=マジクら四大天侍がファリアに戦女神の継承を望むのは、それこそがリョハンを存続させる数少ない方法だと考えているからであり、ファリアもそう認識していた。

 覚悟もあれば、決意もあった。

 祖母の後を継ぐという覚悟と決意だ。

「ファリアちゃん、真面目だものね」

「……お祖母様」

「でも、真面目なだけじゃ、セツナちゃんの心を射止めることはできないわよ」

 不意打ちだった。

「はあ!? な、なにを急に……!?」

 頭の中が真っ白になったかと思えば様々な感情が降って湧き、顔面が急激に熱くなった。きっと赤面しているのだろう。顔だけじゃなく、全身、赤くなっているのかもしれない。体中の血液が沸騰しているような、そんな感覚さえあった。そこを攻められると、どうしようもなくなるのが自分の欠点だと冷静に判断する一方で、その冷静さがすこしばかり疎ましく思えた。冷静な部分が、余計に自分の思考の愚かさを際立たせ、恥ずかしさを増幅させるからだ。

「うふふ……冗談よ、ファリアちゃんのそういう顔が見たかったから、つい、ね」

「つい、じゃありませんよ……まったく。ひとが心配してるのに」

「うふふ。ごめんなさいね。でも、半分は、本当のことよ」

「え……?」

「ときには積極的に想いを伝えなきゃ、駄目よ」

「……は、はい」

「いい返事ね。よろしい」

 祖母は、ただ笑っていた。その笑顔の穏やかさは、いつにもまして女神のように慈しみに満ちていて、ファリアは、祖母のそんな表情を間近で見られることの幸福を感じていた。

「それでいいのよ」

「え……」

「ファリアちゃんは、セツナちゃんの側にいたいんでしょう?」

「……でも」

「でも、じゃないの。セツナちゃんのこと、ミリュウちゃんに取られても平気なの?」

「な、なんでそこでミリュウが出てくるんですか!?」

「だって、ミリュウちゃんも、セツナちゃんのこと、好きなんでしょう?」

「それはそうですけど……」

 祖母のまなざしに耐え切れなくなって、ファリアは顔を俯けた。布団の上で組まれた手に目が行く。痩せ細り、骨ばった手は、もはや戦場に立つこともかなわなくなっているのではないかと思わされた。祖母が倒れたのは九月の頭、つまり約三ヶ月前だという。三月の間、ずっと寝込んでいたわけではないだろうが、筋力や体力を維持するための鍛錬を行えなくなっていただろうことは想像できる。筋力など、意識して維持しようとしなければあっという間に落ちるものだ。セツナもそれで苦労している。若いセツナでそれなのだ。祖母の老いた体ではそれが顕著となるだろう。

 ファリアは、そんな祖母の手に、みずからの手を触れさせた。戦女神ではなく、祖母として応対するということだ。冬の寒さによって冷えきった手を両手で包み込む。

「平気なわけないじゃないですか。でも……ミリュウなら、きっと、セツナとうまくやれると思いますし……」

「だから、わたしはリョハンに残って、戦女神になる覚悟がある?」

「はい」

「当然、あるわよね。それくらいの覚悟。なかったら、嘘よ」

「お祖母様……」

「でなければ、ミリアを、あの子を殺してでもアズマリアを討とうだなんてできないもの。わかっていたことだけれど……まったく、駄目ねえ」

 祖母は、大きくため息をついた。細い右手が、ファリアの手に重ねられる。ファリアの両手は、彼女の左手だけを包み込んでいた。

「さっきもいったように、そんな覚悟、さっさと捨てちゃいなさい」

 祖母は、どこか突き放すようにいってきた。さらに、続けてくる。

「リョハンは、戦女神ではなく、護山会議が中心となって治めていけばいいのよ。これまでさんざん利用されてきたんだから、最後くらい、押し付けたって構わないでしょ。ねえ? あなた」

「え……?」

「君のそういうところは、昔からなにも変わっていないな」

 背後から聞こえてきたのは、聞き慣れた低い男の声だった。祖母の視線を追うように振り向くと、老紳士といった風情の男性が立っていた。戦宮には扉はない上、ファリアは祖母との会話に意識を集中してもいた。それに部屋のすぐ向かい側にある中庭にはマリクとシヴィルがいるはずだったのだ。関係のない第三者が室内に入り込んでくることなど想定してもいなかった。

 いや、必ずしも無関係な人物でもないのだが。

 見事なまでに真っ白に染まった頭髪の老人の名は、アレクセイ=バルディッシュといった。厳しい顔つきは昔からなにも変わっていない。がっしりとした体格は、彼がかつて護峰侍団の先駆けとなる武装組織に属していたという事実を思い起こさせる。

 その名から考えられる通り、ファリア=バルディッシュの夫であり、ファリアの実の祖父だ。

「お祖父様……」

 ファリアは、久々に見た祖父の顔が以前とほとんど変わらないことに心底安堵した。祖母とは違い、壮健そうであり、血色のよさが魔晶灯の光でもはっきりとわかる。年齢的には、ファリア=バルディッシュと大差なかったはずだ。アレクセイのほうがわずかに年下で、結婚してからずっと尻に敷かれていたという話を聞いた覚えがある。いまでも、その立場に変化はないらしいが。

 アレクセイの目が、ファリアを見た。

「ファリア。護山会議の命令を無視したものが、よくもおめおめと顔を出せたものだな」

「す、すみません……!」

 ファリアは咄嗟に両手を祖母の手から離し、アレクセイに頭を下げた。アレクセイ=バルディッシュは、護山会議の一員であり、リョハンの武装召喚師に命令権を持つ立場にあった。護山会議の命令を無視したということは、アレクセイの命令を無視したも同じであり、また、アレクセイの顔に泥を塗ったのも同じなのだ。リョハンに戻ることに迷いが生じたことのひとつに、もしアレクセイにあったとき、どのような顔をすればいいのかわからなかったというのもある。

 アレクセイは、独立戦争時、戦女神とともにヴァシュタリア軍と戦った勇士のひとりであり、さまざまな面でリョハンに貢献したことから護山会議の評議員となった人物だ。いまでは戦女神と護山会議の調停役として定着しており、彼なくしては護山会議は成り立たないといわれるのだが、その孫娘であるファリアが彼の命令を無視したとあれば、彼の立つ瀬もなくなる。

 アレクセイの目に怒気が浮かぶのも無理のない話であり、ファリアは平身低頭する以外ほかなかった。が、そんなファリアの心情を察したかのように、祖母の手が、ファリアの肩に触れた。

「こら、アレク。ファリアちゃんが怯えちゃってるじゃない。せっかく病床のわたしを見舞ってくれたかわいい孫娘にそんな顔を擦るもんじゃないの」

「しかしだな……」

「そうです、お祖母様。わたしは、護山会議の命令に背き――」

 ファリアは、祖母に向き直ったが、向き直った瞬間、言葉を失った。祖母の笑顔が、あまりに透き通っていたからだ。透明な笑顔は、あらゆる意気を吸い込んでしまう。なにもいえなくなる。祖母は、まるで自分の笑顔の威力を知っているかのように、悠然と口を開く。

「それだって、戦女神になるという覚悟があったからでしょう?」

「覚悟があれば、なにをしていいというわけでもあるまい」

「そんなの、護山会議の勝手じゃない」

「そうはいうがな。秩序を護るには、最低限必要なことだ」

 アレクセイの意見ももっともだ。そして、それを嫌っているのが、祖母の大ファリアであることも、ファリアは知っている。法、掟、規則――そういったものですべてを縛り付けることが嫌いだから、戦女神は自由奔放に行動してみせるのだという。その結果、多くのひとびとが困り果てるようなことはしないし、迷惑を振りまくわけではないのが、祖母の祖母たるところだが。

「リョハンは陸の孤島だ。ヴァシュタリア共同体の勢力圏という大海に浮かぶ、な。その孤島に住むひとびとは、ひとつの意志の下でまとまらなくてはならない。でなければ、あっという間に崩壊し、海の藻屑と成り果てる。そうならないための護山会議だ。護山会議の命令を無視したものが、堂々とリョハンに戻ってくることなど、あっていいことではない」

「だったら、これからは護山会議だけで、リョハンの秩序を護って頂戴」

「それは……難しい話だ」

 アレクセイは、険しい顔になった。だが、その表情を見る限り、祖母の考えを頭ごなしに否定するつもりもないらしい。

「しかし、考えなくてはならんことでもある」

「あなた……」

「君に無理をさせてきたのは、護山会議わたしたちなのだ。孫娘にまで同じ役割を押し付けるなど、馬鹿げたことだろう」

「いまさら、お気づきになられたのですか?」

 くっくっ、と、祖母は声を潜めて笑った。対して、アレクセイも険しい顔の中に笑みを混ぜて、告げる。

「君も、だろう」

「うふふ……本当に。気づくのが遅すぎましたね」

「遅くはないさ」

 アレクセイが、小さく笑う。表情が柔らかくなっているように見えたのは、きっと気のせいではあるまい。口調そのものが、穏やかになっていた。

 ファリアの胸を締め付けていた緊張が、消えた。

「これから、そうすればいい。なにもリョハンの歴史がじきに終わるというわけではないのだ。君が死に、わたしが死んでも、歴史は続く。たとえわたしたちが成し遂げられなくとも、つぎの世代に任せていけばいい。幸い、護山会議の主要な人員はわたしよりもずいぶん若い。未来がある」

「そう……ですね」

 ファリア=バルディッシュは、それから、笑った。

「なにがおかしい?」

「いいえ。あなたと意見が合うだなんて、めずらしいこともあるものだと思いまして」

「……確かに、そうかもしれんな」

 アレクセイが嘆息とともに苦笑した。


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